9話
「実は……もう一つ、悩んでいることがあって」
「聞かせてよ」
五郎はしゃがんだまま、美沙の言葉を待つ。
だが、彼女が口にしたのは、想定外の「願望」だった。
「実は……その前に。……頭を撫でさせてもらってもいいですか?」
「………………」
五郎は無言のまま、眉をひそめて美沙を見る。
「……どうした、急に?」
「だって五郎さん、年下の女の子になってるし、小さくて可愛いんです! 少し安心したら、そのことが気になっちゃって……。今までは私、ずっと五郎さんのことを見上げているだけだったのに、今のこの視界、すごく新鮮で。だから一回だけ――一回だけというのは嘘になりますけど……とりあえず、頭を撫でさせてもらえませんか? それをさせてもらえれば、私の心がもっと、こう、パァァッと落ち着くと思うんです!」
美沙は大きな体を前のめりにさせ、期待に満ちた目で五郎を見つめた。まるでおやつをねだるゴールデンレトリーバーのように。
「却下で」
「なんで!?」
美沙が裏返った声を上げる。
「お前な……。今日初めて会ったばかりの大男から『頭を撫でさせてもらってもいいですか? ぐへへへへ』なんて言われたら、怖いだろ。少しは女の子の気持ちになって考えてくれないか」
五郎は呆れ果てたように、はっきりと言い切った。対して、美沙は心外だと言わんばかりに目を見開く。
「初対面じゃないですよ! 転生してるので体は違いますけど、前の世界では何度も一緒にお出かけしてきたじゃないですか! お隣さんじゃないですか! 何が駄目なんですか、ただ頭を撫でるだけですよ、減るもんじゃないですし! お隣さんですよ? だからいいですよね?」
「全然駄目」
「なんで!?」
五郎は溜息を一つ吐き、立ち上がった。
「お隣さんに頭を撫でさせる女子がいるか? 隣に住んでるオッサンが急にピンポンピンポン鳴らしてきて、『頭撫でてもいい? ぐへへへへ』って言われたらどうだ? キモいだろ、引っ越しだろ」
「オッサンじゃないですよ、私は! それにさっきから言ってますけど、『ぐへへへへ』なんて生まれてこの方一度も言ったことないですよ! 失礼な!」
ぷうっ、と頬を膨らませて抗議する美沙。
見た目は顔の整った王子なのに、その仕草は完全に「拗ねた隣の家の女の子」のそれだった。
五郎はそれを見つめ、やがて今日何度目か分からない溜息を、深く、長く吐き出した。
「……いいよ」
「え?」
美沙が動きを止め、信じられないものを見るような目で五郎を仰ぎ見た。
「撫でてもいいよ。……それで心が落ち着くんだろ?」
「……っ! ありがとうございます……!!」
美沙の顔がパァァァッと、まるで背後に大輪の花が咲いたかのように輝いた。
クリスティアン王子の長い指が、おそるおそる、けれど期待に震えながら伸ばされる。
「……ふわぁ、えへへへへ……。すごい、どきどきする……ぐへへへへへ……」
次の瞬間、王子の表情は完全に蕩けきった。
威厳も、冷酷さも、王族の矜持もどこへやら。恍惚とした表情で、黒髪の少女の頭をゆっくりと、何度も何度も、慈しむように撫で回し始めた。
「いい匂いがします……。これですよ、これ。この小さくて可愛い存在を愛でる時間……。こういう癒しが必要なんですよ、今の私には。あぁ、転生してから初めて、幸せって思えました……」
「ちょっとヤバい顔になってるぞ」
五郎は嫌がる表情を見せつつも、なすがままにさせていた。
「大丈夫です、大丈夫ですから……もう少し……へへへ」
外から見れば、宗教画の一場面のようにも見えなくはない。
だがしかし、クリスティアン王子の鼻息の荒さが、すべてを台無しにしていた。
「……よし、気が済んだか?」
「はい! 完璧です! 魂がデトックスされました!」
満足げに手を離した顔からは、先ほどまでの悲壮感が綺麗に消えていた。
「……じゃあ、本題に戻ろう。もう一つ悩んでることってなんだ。さっき言おうとしたやつ」
五郎が言葉を促すと、美沙は「はっ」として表情を引き締めた。
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