【第7話 指先の余韻と、残る音】
――2018年12月18日(火) 09:17 美織のアパート
朝の光が薄いカーテンを透かして、部屋を淡く染めていた。
冷えた空気が床を這うように漂い、昨夜の熱を静かに冷ましていく。
咲蘭はまだ布団の中で、浅い眠りの奥にいる。
美織の唇の感触、震える声で紡がれた甘い言葉と音色。
すべてが夢のように胸に残っている。
――でも、首筋が疼く。
肩のアザや全身が静かに痛む。
(……美織の香りで、消えてくれれば……)
キッチンから、ふわりと甘い香りが立つ。
美織がカモミールティーを淹れてくれている気配がする。
湯気がゆらりと立ち上る音が、私を眠りから覚ました。
咲蘭はゆっくりと目を開くと
天井の白さが、冬の空のように静かに思えた。
リビングに出ると、
美織はテーブルに座ってスマホを握りしめていた。
画面には留守電の通知。
発信者――父である“白川 司”の名前だけが、短く表示されたままだった。
指先が小さく震えている。
昨夜の涙の跡が目元に薄く残る。
「あ、おはよっ……咲蘭っ」
振り向いた笑みはいつものように優しい。
でも、どこか硬い。
咲蘭はそっと隣に身を寄せるようにして座った。
カモミールの香りが二人を包み、湯気が朝の冷えた空気を溶かしていく。
美織はカップを手に取り、ひと口飲む。
仕草は優雅で、咲蘭の目を自然と奪う。
でも、テーブルの下で膝が小さく揺れていた。
(……美織…?)
――2018年12月18日(火) 11:42 美織のアパート
午前中は静かに過ぎていった。
咲蘭はソファでまどろみ、美織はノートパソコンを開く。
今日の授業は休んでくれているようだ…。
(…ありがとっ、美織…)
昨夜の熱がまだ部屋に残っているような。
視線が絡むたび、ニコリと笑みを向けてくれる美織。
ふわっと頰が熱くなる。 甘い余韻が胸を満たす。
――食事が終わり、片付けをしているときだった。
咲蘭のスマホが脚の上で小さく震えた。
端末のバイブの振動が静かな部屋に響く。
画面を見ると、SNSの通知。
――咲蘭の指が一瞬止まる。
胸の奥が急に冷えた。吐き気が込み上げる。
昨日の記憶が重なる。男の力加減、濁った匂い、逃げた後の震え。
指先を躊躇わせながらアプリを開く、
――昨日の男からのDMだ…。
内容を確認せずに、SNSのアカウントを削除した。
逃げ切ったはずなのに、胸の奥に、昨日の空気だけが重くよどんで沈んでいた。
(……もう、終わりにしよう…)
リビングに戻ると、美織が心配そうに見ていた。
「…咲蘭…」
すぐに立ち上がってくれる。
咲蘭は笑顔を作った。
「大丈夫、ちょっと疲れてるだけ……」
でも、美織は察していた。咲蘭の”慣れ”が生んだ笑顔のことを。
このノイズを笑って流す生き延び方を選んできていることを。
美織の胸に静かな痛みがじわじわと広がる。
(…私が、そばに居てあげなきゃ…)
昨夜の割れた陶器の欠片に、どうしてあげればいいかわからなかった。
私はそばに居ることしかできなかった。
――2018年12月18日(火) 19:38 美織のアパート
夕方、部屋は少し暗くなっていた。
外の街路樹にクリスマスのイルミネーションが灯り始め、窓越しに淡い光が差し込む。
美織はソファに座り、咲蘭に話しかけた。
「ねえー、サラ……年末年始、私ねっ、帰省しないといけないんだぁ…」
声は穏やかだった。でも硬い。
咲蘭は少し驚いて顔を上げる。
「え……そうなんだ……。」
「うん、神奈川のね、葉山の実家に。26日から正月明けまで…だって…」
どこか他人事かのように、美織は苦い眉を隠すような表情で、スマホを指さして見せる。
美織はいつもの通り、ニコッと笑みを浮かべ、顔の前で両手をそろえてお願いした。
「咲蘭はここにいていいよ。むしろ、留守番お願いしてもいい…かな?ゴメンねっ!」
その言葉は、咲蘭に向けて、この部屋を”安全な場所”だと明示するかのような、
まるで「守るためだよ」と伝えるようなニュアンスだった。
咲蘭は一瞬驚いた表情をするも、
「――うん、わかった。気をつけてねっ…」
(…安心させたいと思う気持ちは私も同じだ。)
美織の内心はざわついていた。
昨夜、暗がりで小さな光が瞬き、着信の知らせを何度も繰り返していた。
熱に酔った頭は、それを受け取ることもなく過ぎていった。
残されていたのは、父の淡々とした声だけだった。
帰らなければいけない。
――帰りたくない。
この甘い時間を失いたくない…
その”小さな反抗心”に、美織は初めてその存在に気づいた。
(……私、ここにいたいのに…。)
――2018年12月18日(火) 23:59 美織のアパート
夜、部屋は静かだった。
咲蘭は先に寝室へ行き、美織はリビングに一人残った。
カモミールの甘い香りが漂い、昨日の甘い熱と今日の冷えた空気が混ざる。
美織はスマホを手に取り、留守電を再生した。
父の声だ。胸が静かに強く締め付けられる。
ふと、咲蘭のことが脳裏をよぎる。
”色”を失っていた咲蘭。誰にも守られてこなかったのに、”今”ここにいる。
自分はずっと守られてきた。
…はず、なのに、息が詰まっていく。
(あの子は……傷つきながらも、ここにいるのに…)
美織はスマホをテーブルに置き、窓の外の街頭を見つめた。
冬の空気は、煌めきを予感させるのに、心の奥に静かなひびが入る音がした。
――2018年12月19日(水) 美織のアパート
咲蘭の体調はずいぶんよくなっていた。
「はー…昨日より全然楽ぅ…。」
少し元気を取り戻した顔を見せる咲蘭に、美織も安心したように微笑む。
「ねね…、今日学校から帰ってきたら一緒に買い出し付き合ってよっ。」
咲蘭は目をキラキラさせて二つ返事で了承した。
夕方、二人で近くのドラッグストアで買い物。
日用品や軽食をまとめてカゴに入れる。
咲蘭は入浴剤コーナーで少し立ち止まり、じっと商品を見つめる…。
「んー、当てる自信は…ある。」
(…でも500円かーっ…くぅー世知辛い。)
咲蘭は無邪気にキャラクター入りの小さな入浴剤を手に取る。
「美織! 私なら絶対当てられると思う!」
シナモロールが20%くらいで当たりそうな、そんなラインナップの入浴剤だった。
美織はクスクス笑って、
「1日1個までにしようねっ。」と軽く注意する。
そんな日常がとても幸せの色をしていて、ほっこり胸が温まる。
――もうすぐクリスマスだっ!!
帰宅後、二人で簡単な夕飯を作り、軽くお風呂に入る。
”あの日”からお風呂のひとときも共にする。
難しい表情をしながら、咲蘭が湯船にそっと入浴剤を入れると
入浴剤は勢いよく発泡して、キャラクターのチャームを吐き出す。
風呂の水はほんのり色が変わる程度で、それもまた笑いに変わる。
立ちあがる湯気と、二人の笑い声が白い浴室の壁を染めていく。
「え、待って黄色…、ああああ…、プリンかー…プリンかあああっ。」
――外れたようだった。
悔しそうにしている咲蘭の表情を見ると
美織は、”ああ――、この子の素顔はこうなんだろうな”と胸の奥が熱くなる。
本当に可愛くて、愛おしい。この時間が長く続けばいいのに…。
――2018年12月20日(木) 美織のアパート
美織は午前中大学。
咲蘭は自宅で静かに休む。
昨日買った、ビスケットを齧りながらスマホでSNSを見る。
裏アカのことをほんのり思い出して、若干ブルーになるけど…
キラキラしたコスメを見ているだけで、ウキウキしてくる。
午後、帰宅した美織に今日のあったことを話す。
美織は柔らかく微笑んでその話を聞く。
(…ウンウン、この子はコスメが好きなんだな…)
二人で動画を視聴する。今日はまったりした映画。
ゆっくりと流れる時間の過ごし方にも慣れた。
毎日、今日を凌ぐ生き方をしていた私にとってはどれも幸せだった。
夕方、今日も二人でお風呂。
入浴剤は昨日と違う個体を選ぶ。
「今日こそ、当てる…」キリッとした顔を作る。
――あの日から咲蘭の顔つきが変わったような
学校で見るような、年頃の女の子と同じ顔になる時がある。
美織は変な顔をしてる咲蘭を見て笑う。
まるで、何が起きても笑えるような、そんな深く強い絆が生まれたような安心感。
笑いながらお湯に入れる咲蘭。
美織は湯船に浸かりながら、横で手早く髪を洗う。
小さな日常の幸せを、二人でゆったり味わう時間だった。
(…この時間が、ずっと続けばいいのに…)
祈るようなこの想いは、冬の空に溶けて煌めきにかわる。
煌めきが空を駆け抜け、どこかで小さな奇跡が起きているような気がする。
――もうすぐクリスマスだ!
――2018年12月21日(金) 美織のアパート
今日も午前中まで大学だった美織が帰宅すると、咲蘭はソファで待っていた。
「ただいまー」
「おかえり!」
美織の姿を見たくて、猫のように飛び起きる。
美織の元に駆け寄ると。
曇ったメガネをずらして、笑顔を見せてくれる。
二人で軽くおやつをつまみながら、今日も動画をみる。
今日はちょっと大人向けのラブストーリーだ。
美織は手で顔を覆い隠す。でも指の隙間から切れ長の瞳がのぞく。
咲蘭はその様子を横から静かに見つめる。
(…美織はかわいいな、純粋だ…)
咲蘭は思わず手を握りしめ、息が少し速くなるのを感じた。
「ほら、見たことは真似していいんだよ…?」
ワントーン低く囁く咲蘭の視線が、じっと自分の顔に絡みつく。
美織は小さく笑いを堪え、肩の力を抜く。
(…あれ、なんでこんなに真剣なんだ…?)
唇をほんの少し近づけられた咲蘭を見て、胸の奥がじんわり熱くなる。
咲蘭の真剣な顔と、少しだけ抜けた子供っぽさ。
——そのバランスに、思わずドキッとしてしまう。
美織は微笑むだけでそっと手を放す。
夜は二人でお風呂。入浴剤を混ぜながら笑い合い、冬休み直前のほっこりした時間を過ごす。
「く…クロミちゃんっ……!」
――現実は甘くはない。シナモロールと美織の笑顔はこの日もお預けだ。
リビングで食事を食べ終わると
美織がパタンと仰向けに倒れ込む
「明日から冬休みだー!」
おおお…!と小さく拍手する咲蘭。
(冬休み明けからはちゃんと私も学校だ…!)
二人は手を取り合って、笑い声をあげた。
浮き足立つ冬の気配を背中に感じながら幸せな時間がすぎる。
――明日はクリスマスパーティの準備だ!
次回はクリスマスパーティです!
5章のようにワクワク感とかキラキラ感
らぶりーな描写意識的に書きたいなって思ってます!
どこか文字から暖かい温度を感じるような気配と空気
( '-' )たのしみだーー!




