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【第6話 星空に響く鼓動】

――2018年12月17日(月) 10:23 大学・ゼミ室


月曜のゼミは、予想通り美織にとって居心地の良くない時間だった。


教授の何気ない一言が、すっと胸に刺さる。

「白川君は甘い。家庭環境が君を甘やかしている。」


「…白川さんの実家ってお金持ちらしいよ…」「…お嬢様じゃん…ガチ!?」


教室に風が吹いたような…そんな音がした。



家庭環境の話はもうお腹いっぱいだ。(はいはい、また“ソレ”か……。)


思い返すだけで脳が熱くなる。


「……すみません。」気丈な笑顔を装い、ニコリと振る舞う。


美織は視線を落とし、机の縁を指でなぞる。


彼女の家庭環境――

それはまるで箱庭の人形のように、過去の出来事と現在の関係が小さく押し込まれている。


母は優しい声で、非凡であることを静かに強制していた。


「あなたには可能性があるの。

だから普通の人と同じことをしていても、仕方ないのよ。」

「大丈夫っ、あなたには出来るわ、私たちの娘でしょう?」

──ああ…吐き気がする。


父は正しさと努力を説いた。


「正しく努力すれば成果はついてくる。」

「正しくあることは美しいことだ。」

「間違えるのは準備不足の証。恥と思え。」


──うるさい…うるさい…


母「私たちのようになりなさい、あなたのためなのよ。」父「私たちのようになりなさい、おまえのためなんだ。」


──頭が痛くなる。私に自由なんてない。



ゼミ室の空気の中で、美織は自分の心に深く引きこもった。

(……皆、自由でいいな……)



羨望と怒り、嫌悪が内側でうねり、胸を押し潰す。



――2018年12月17日(月) 13:45 渋谷・街角


咲蘭は軽く頬を染めながら、手にした小さな箱をぎゅっと握った。


中には、淡い月と星のモチーフのネックレスが入っている。


(これ…似合ってたもんな美織、喜んでくれるといいな…!)


人混みをかき分けながら、彼女は慎重に歩いた。


…大切な人へのプレゼントは久々だ!

パパ以来だな…パパにもあげたいな、いつか……。


久々にメールしてみようかな……


冬の冷たい風に負けないくらいに、胸の奥がほっこりと温まる。

家に帰るとリビングの引き出しの奥にそっとプレゼントは隠した。


(ふいー……ミッション成功っ…あとは当日のみっ!)


スマホを手に取ると、

SNSに通知が1件赤い丸が付いていた。

SNSを開くと、見慣れないアカウントからメッセージが届いていた。


今月使っちゃったしな……生活費も必要だし…、

アポイント入れとくか…。


「お…今日17時から新宿…OKですっ」


慣れた手つきでDMを返答する。

条件も悪くないしアイコンからはビジネスマンを想起した…。


きっと大丈夫、いつも通り仕事をするだけ、

ため息をひとつつき、鏡の前に立つ。


「さて…メイク直すかー!」


夜の新宿でも映えるように、

いつもより1回多くアイシャドウを置く。

丁寧にアイラインを引き、ビューラーで睫毛を上げる。

マスカラを使って、ピンセットで束感を作る。


──完璧、超可愛い。


最後に口元を鮮やかに彩っていく。

鏡に映る自分に小さく息を吐き、気合いを入れ直した。



――2018年12月17日(月) 17:11 新宿・某所エレベーター


「ルナちゃん、今日は楽しませるからね!」


笑顔の裏で、目がギラついている。


エレベーターが動く間、男の手が肩に回った。

「……っ!」


息が詰まる。


部屋に入ると、男は豹変した。

まるで着せ替え人形のように、私は従うしかなかった。


「こうしたらね、イイらしいよ……どう?」


軽いごっこ遊びのはずが、力加減が狂っている。


首に触れる手。

視界が点滅し、白くモヤがかかる。


喉が詰まるような感覚、濁った匂い、涙。


それでも笑顔を張り付ける。


私が選んだシゴトだからだ。


汗とカモミールの香り、シャンプーの残り香が混ざる部屋。


組み敷かれた陶器のヒビにも気付かない男は、

あどけない少女と薄い壁一枚隔てた向こう側で踊る。


情事は形式上終わった。

私はシャワー室で震えながら、

カモミールの香りを取り戻そうとする。


男が汗を流している間に、

痛む身体を引きずって逃げた。

割に合わない給料、大切な淡いパステルの下着、

美織の匂いが残る服、全てを抱えて。


(怖い……怖い怖い怖いっっ……!!)


服は震えて上手く着ることが出来ず。

エレベーターでようやく袖に手を通す。


冷気が足の裏に残酷に貼りつく感触を伝える。


東京は残酷だ……。


追われる恐怖を逃れ、近場のネカフェに転がり込む。


美織にはLINEで一言。

「ごめん、母にまた呼ばれて実家帰るー!

明日の朝帰るね!大丈夫だよっお休みぃ」


シナモロールの笑顔スタンプを添えて。


眠れない……震えが止まらない……

(……美織ぃ…たすけて…)


大粒の星が頬を伝い、

黒いマットレスの上に星座を作る。

眠れない夜を象徴するかのように……


――2018年12月18日(火) 06:47 アパート・玄関


咲蘭と連絡がつかない……。

心配で、いてもたってもいられない。


静寂な白い室内に、稲妻が走るような音がした。


扉に誰かがもたれかかった瞬間、鍵が回る。


「……サラ?」


今にも泣きそうな美織が、

汚れた猫を迎えるように、咲蘭を迎え入れた。


「ごめんね、昨日は帰れなくて…」


咲蘭は靴を脱ごうとして、ふらりと壁に手をついた。目の下のクマ、乱れたメイク、

そして――玄関の光に映る首筋の赤紫の痕。


そのどれを見ても、

咲蘭が実家に帰ったという言葉が嘘であることがはっきりとわかる。


美織は立ち尽くし、

乾いた空気の中で咲蘭を抱きしめた。


「…サラ、どうして……どうしてこんなに…」

今にも、美織の目尻からは悲哀に満ちた星が零れ落ちそうだ。


咲蘭は小さく、耳元で呟いた。「…頑張りすぎちゃった、かな」


美織の胸の奥で、悲しみと叫びが混ざり合い、白い室内をグレーに染める。



「サラっ…サラあ……なんで、なんでっ」

抱きしめる手に力が入る。



「……プレゼント、あげたくて…張り切っちゃった…」


その健気で純粋な想いと、

咲蘭の身に刻まれた痕の凄惨さ。

美織の心の奥深くを、刺し抉るように突き動かす。


息ができないほどに、美織は涙した。

しかし、慰め方を知らない咲蘭は、

ただ戸惑うばかりだった。


――咲蘭は、美織の涙で濡れた頬にそっと手を添えた。まるで零れた星をすくうかのように……。


頬に触れた瞬間、美織の肩がわずかに強張る。

咲蘭は微笑み、息を合わせるようにそっと顔を寄せた。


美織は、咲蘭の瞳に映る星の海に吸い込まれそうになる。


その瞳は、星と月が重なる夜空の輪郭のようで、

互いの距離を測るかのように静かに揺れていた。


咲蘭は美織の唇に自らの唇を重ねる。


美織は温もりに心を揺さぶられ、

指先でそっと咲蘭の服を掴む。


星と月は、互いが見つめ合う距離で、

近づいたり離れたりを繰り返す。


そして、今度は美織の唇が再び咲蘭に触れる。


呼吸のリズムを互いに感じ取り、

指先が背中をすべり、腕が軽く絡む。


肌に伝わる熱が、言葉にならない感情を伝える。

確かめるように、逃がさないように。


互いの体温が混ざり、二人だけの世界がゆっくり閉じていく。


額に顔を埋めたまま、美織は震える声で告げた。


「……サラ……あなたが大切、なの……」

言葉が途切れ、胸の奥から絞り出すようにさらに続ける。


「失いたくないの……」

「……好きなの……」

一拍置き、感情が溢れる。



「……大好きなの……必要なのっ」




咲蘭はその言葉を受け止めると、再び唇を重ね返す。


腕を美織の背中に回し、軽く引き寄せる。

夜の静寂に、二人だけの鼓動と、体と体が伝え合う温もりが柔らかく、確かに響いた。


美織の指先がそっと咲蘭の肩に触れる。

闇に溶ける前に、咲蘭の肩から布が静かに落ちる……。


陶器のような肌に残るアザが見え、

痛みと頑張りを同時に感じた。


互いの体温が近くに伝わり、

胸の奥が締めつけられるように熱くなる。

言葉にならない想いが、胸の奥で渦巻く。


咲蘭がら抱き寄せると、美織の体がわずかに震えている。


その微かな震えが、咲蘭の胸を締めつけ、同時に強く愛情をぶつけたい衝動を呼び覚ます。


静寂の中、互いの鼓動が重なる。

言葉は必要なかった。

互いの存在は肌の触れ合いで確かめ合う。


静かに熱を帯びていくこの時間が二人の距離を縮めた。

いま星と月が出会った。


その日、時間はゆっくりと、二人の関係を一歩先へと押し進めた。

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