【第5話 煌めく星、溶かす月】
――2018年12月9日(日) 8:35 美織のアパート
東京の朝は寒い。
不必要な程に冷えた空気は、街を赤と緑に染める。
世の中はクリスマスに向けて色めき、
星々が浮いた気持ちをしっとりと辺りに灯す。
うー……さむ……。
美織はリビングの窓を少し開けた。
部屋に流れ込む外の空気を鼻から吸い込むと
ツンと鼻の奥を刺すような冷気が爽やかで、
咲蘭のまどろんでいる気配を遠くにさらっていく。
すると窓を開けた美織が大きく息を吸ったと思うと……
「今日はぁ……買い出しっ、行こっか!クリパの!」
美織が振り向いた瞬間、まるで空気まで弾けるように瞳が輝いた。そのキラキラとした音が聞こえてくるような……
見ているだけで胸があったかくなる。
咲蘭は少し顔を赤らめ、思わず俯く。
(ああ…この人のこういう所、本当に……可愛い……)
「……いく!!」
二つ返事で咲蘭が了承すると、
美織は満面の笑みを浮かべて手を差し出す。
咲蘭は迷わずその手を取った。暖かく細い指が、自分の心まで撫でてくれるようで、胸がぎゅっと締め付けられる。
——私は、美織の着せ替え人形だ。
でも今は、そんな立場すら甘く心地よく思える。
前に美織が買ってくれた淡いパステルの下着や、柔らかいミルクティーカラーのリブニットを手に取り、そっと触れる。
滑らかな手触りと柔らかい色合いに、思わず息を飲む。
「うーん…やっぱり似合うな……」
美織は腕を組み、細めた目で頷き、顎元に手を置きながら二度、三度と確認するように微笑む。
その視線に、咲蘭は心の奥がじんわりと熱くなる。
美織が目元に色を重ねていく。
筆が滑るたびに、パレットから拾われた華が、冬の白さの中でふっと滲んで血色を与えていく。
その変化に咲蘭の目が吸い寄せられた。
ほんの少し熱を帯びた美織のまなざしが冬の空気まで染めていく。
――2018年12月9日(日) 10:17 美織のアパート
そして着飾った二人はアパートを出る。
外の冷たい空気に頬を染めながらも、手はずっとつないだまま。
小さな指の温もりが、咲蘭の心を満たしていくような感覚…
街路樹のイルミネーションが雪の結晶のようにきらめき、歩くたびに二人の笑顔がそれぞれの光を受けて輝く。
まるで世界が二人だけのために色を増しているみたいだった。
「ねえ、咲蘭……手、冷たくない?」
美織の声に、咲蘭はぎゅっと手を握り返す。
「大丈夫…暖かい…」
答えながらも、心の中ではぽわんと甘い幸福が広がる。
街に散りばめられた星々の光に照らされる二人の影は、
一つに重なったり、またふわりと離れたり。
でもそれさえも、なんだか愛おしい。
買い物は、雑貨店や洋服店、
アクセサリーショップへと続く。
――2018年12月9日(日) 14:41 渋谷・カフェ
カフェに入ると、美織は席を離れて軽く歩く。
咲蘭は心の中でそっと笑う――
この人の、あどけなくも芯のある行動すべてに目を奪われる。
ふと気づくと、
ずっと手をつないでいたことに改めて意識がいった。
離れてしまった暖かく細い指が、
切ない余韻を残し、自分の心の奥のなんとも言えない感情をくすぐる。
胸の奥で芽生えた甘い気持ちと、少しの昂ぶりに、小さな痛みを感じた。
カフェに満ちる甘い空気が、
つないでいた指先の温度を思い出させて胸をふるわせる。
咲蘭はブラックコーヒーをひと口。
その深い香りが、揺れた恋の気配を
そっと自分の奥に飲み込ませていくようで、
ひとつ息が落ち着いた。
美織が席を離れたテーブルは、
さっきまで二人の温度があったのに、少し広く感じる。
咲蘭はそっとカップを見つめた。
湯気の向こうに、ふと、数日前に検索した
星と月のネックレスの画像が思い浮かんだ。
今日試着している美織の姿を見て……、
服を選ぶときの少し大人びた仕草。
カモミールティーを入れてくれる優しさ。
私の帰りをいつも待ってくれる穏やかな時間。
そして、笑顔で振り向いてくれる美織。
変な顔で笑わせてくれる美織。
そのすべてが、“あれをつけた美織”を自然と想像させた。
――やっぱり、あのデザインしかない。
胸の奥がじんわりと熱くなり、
咲蘭はブラックコーヒーをそっと含んだ。
苦味が、こそばゆい恋の気配を
胸の奥へと静かに沈めてくれる。
咲蘭は窓際の席に一人残され、淡く差し込む冬の光とコーヒーの香りに包まれながら、窓の外の光に目を細め待っていた。
頬杖をつきながら眺めている景色からは、
まるで枕元のプレゼントを開ける子供たちのような
そんな心躍る雰囲気を感じた。
(早く戻ってこないかな……)
心の中で小さくつぶやく。
右手は、離れた美織の指の暖かさを求めるかのように、空に向かって軽く握り込む。
(…わき、わき… ふふふ。)
――自分の行動に引く。
数秒後、席の向こうから美織が戻ってきた。「えへへー。キャラメルマキアートっ、
おかわりしちゃったっ!」
くすくすと笑いながら、じゃじゃーん!と
ちょっと誇らしげにドリンクを差し出す美織。
甘いキャラメルの香りがふわりと立つ。
咲蘭は頬杖をついたまま外を眺めていた。
頬が赤く染まっていることに気付かないまま。
二人は温かいカップを手に取り、カフェを後にする。
街路樹に灯る星々が、冬の空気に暖かくきらめく。
遠くの車や、雑踏も優しいリズムに変わる気がした…
「ねえ、サラ……寒くない?」美織の声に、咲蘭はぎゅっと手を握り返す。
「へーき……暖かい……」答えながらも、心の奥ではぽわんと甘い幸福が広がっていく。
街を抜けて、二人は取り留めもない会話を重ねていく。その時間こそが、彼女たちにとって幸せな時間だった。お互いの孤独をそっと埋めてくれるような……幸せな、時間。
二人は小さなセレクトショップをのぞきながら歩いた。
ウィンドウ越しの光に映る冬の街並みは、
いつもより柔らかく、心が浮き立つ。
「えー!これ、かわいい……サラ似合いそー…」美織が手に取ったのは、淡いピンクのニット帽。咲蘭は少し目を細めて首を傾げる。
あれこれ試着したり、小物を手に取ったりして、気付けば一時間以上が過ぎていた。
街のざわめきも、二人にとっては心地よいBGMのように溶けていく。
「ねえねえ!!見て!!」笑う美織を見て、咲蘭も自然と笑みを返す。その瞬間、周りの時間が少しだけゆっくりになったように感じた。
――2018年12月9日(日) 18:30 オシャレなイタリアンレストラン
トラットリア・ステッラルーナと書かれた
扉を押し開けると、柔らかな照明が二人を迎えた。木目のテーブルに並ぶ小さなランプが、室内を温かく染める。
席につくと、美織がにこにことメニューを広げると。「うわぁ、すっごお……!」
咲蘭は思わず声に出る。
美織は自然と笑みを返し、メニューをふたりで覗き込んだ。
注文を終え、二人の前に前菜が並ぶ。色鮮やかなサラダ、香り高いスープ、細やかに盛り付けられたパン。
料理が運ばれる度に驚く咲蘭を見て、美織の胸は暖かさを感じた。
咲蘭は思わず目を見開いた。
ナイフとフォークを握り直すと、瞳にはらんらんと大きな星が瞬く!
(こんなに……きれい……すごい! シェフ呼んで欲しい!)
心の中で小さくつぶやく。
美織は落ち着いた所作でひと口ずつ丁寧に味わう。
パンをちぎる手も、ソースをすくう手も、ふんわり優雅で、まるで時間がゆっくり流れるかのよう。
咲蘭はその仕草を見ていると、
美織がふと咲蘭を見つめ微笑む。
鮮やかな朱色のアイシャドウが切れ長の目尻を彩り、
思わず唾を飲み込んだ…。
小さな動作のひとつひとつに、無意識に惹かれる。
その度に胸の奥の小さな私が飛び跳ねる。
美織が口元を押さえ、楽しそうに笑うと、
咲蘭もつられて笑う。
ふたりの笑い声は、賑やかなレストランの空気に柔らかく溶けていく。
プリモがおわり、セコンドが運ばれてくると、さらに驚きが咲蘭を包む。
ふわりと香るハーブぅ!
色鮮やかな盛り付けぇ!
温かいソースの光沢ぅ!
目の前の料理ひとつひとつに、胸が弾むような幸福感が広がった。
美織はふと咲蘭を見て、ちょっと照れたように笑う。咲蘭はその視線に一瞬胸がきゅっとなる。料理を前にしながらも、ふたりの視線が少しだけ絡む。
「……美織、美味しいね」自然と零れる言葉は小さく、でも確かに互いの心に届く。
そして、デザートが運ばれる。色鮮やかなフルーツタルト、
はなめらかなチョコレートムースが添えられたティラミス。
小さなスプーンを手に取り、ひと口食べるたびに、瞳がさらに輝く。(わぁ……甘い……美味しい……)
ふたりの笑い声と、香り、温かさ、色彩が一体となり、冬の午後は穏やかに過ぎていった…
ランプの灯りと窓越しに差し込む冬の夕暮れ、そして互いの笑顔。
どこか現実を忘れさせる温かいひととき。
レストランを出る頃には、
外の冷たい空気も、ふたりにとっては心地よい抱擁のようだった。
手をつなぎ、ゆっくりと外へ歩き出す。
(普通の幸せって、こういうことなのか……)咲蘭は胸の奥でそっとつぶやいた。
―― 2018年12月9日(日) 22:46 美織のアパート
楽しかった時間は、あっという間に過ぎていった。
いや、
時間というものは残酷だ。
暖かい食事や、笑い声の重なった会話のひとときを置いて、先に過ぎ去ってしまう……。
帰宅すると、部屋には静かな冬の光が差し込んでいた。
テーブルの上には、さっきまでの賑やかなレストランの記憶が、ほんのり香るティラミスの甘さとともに漂う。
咲蘭は荷物を置き、コートを脱ぎながら小さく息を吐いた。
美織がいつものようにカップにお湯を注ぐ。カモミールの香りがゆらりと立ち上り、部屋を柔らかく包む。
咲蘭は深く息を吸い込み、目を閉じる。
この小さな約束の時間だけは、誰にも邪魔されず、二人で過ごした幸せな記憶をそっと抱きしめられる時間だった。




