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【第26話 広がる世界と揺らぐ日常】

――2021年 4月


時間だけが、私より先に歩いている感覚。


私もちゃんと前に進んでいるはず…

だけど、足元の感覚だけが、少し遅れてついてきた。


教室に入ると、いつもと違う空気があった。


新学年の始まり――


誰もが「二年目」ではあるけれど、

私は、美容師の国家資格も取得するため、

さらに一年在籍する。


美容師になりたいって決めたから、

みんなより一年多くなる事を選んだ。


メイクアップアーティストとしても、

美容師としても…。

だれかの変わる瞬間に立ち会いたいから…


「今年から就活かー」

「私、サロン見学もう行ったよ」

「え、見学何件行った?」


雑多な会話が飛び交う中で、私は自分の席に座る。


爪先で床の感触を確かめる。

冷たくて、硬くて、ちゃんと“ここ”にある。

 

私も、同じステップの上に立っている。


国家資格を取るために技術を磨きつつ、

あと一年あるし、

焦らずに目の前のことにも集中していく。


メイクも、美容師も、両方やりながらの日々。

やるべきことは多いけれど、焦りではない。

 

――私はまだ、途中だ。


実技と課題に追われながら、

時間は確実に進んでいく。


――


授業の合間、無意識にスマホを開く。

Instagramのアイコンをタップする。


開くのは、いつも絵梨奈。

――そして私たちのアカウント。


ストーリー、投稿、コメント欄を流し読む。


『今日のメイク、エマちゃんっぽい』

『いつかルナちゃんとのライブ配信見たい』

『エマちゃん最近キラキラで嬉しい』


ルナという文字を見つけると、少し胸が軽くなった。

 

自分の名前(ルナ)を探している自覚はない。

でも、見つけると少し息が楽になる。


学校とも、美織とも違う場所。

画面の中に、世界に触れている感覚が芽生え始める。


まだ居場所だとは思っていない。

けれど、ここには何かがある。


――


昼休みの終わり、

イヤホンを片耳だけ差して、電話をかける。


美織……出るかな。


呼び出し音が、少し長く感じる。


「――咲蘭?どしたー?」


声は、いつも通りだった。

淡々としていて、少し距離がある。


今日あったことを話す。

授業のことや、クラスの空気のこと。

誰かも就活を始めたらしい、なんてどうでもいい話。


「ふむふむ。そっかそっか。」


短い相槌――

責めるわけでも、突き放すわけでもないのに、

どこにも掴みどころがなかった。


声だけだと、

美織はいつも、少し冷たく感じる。


以前は、それでも平気だった。

今日はその温度差に胸の奥が、

締め付けられるような感覚だった。


それでも、声を聞けた事が嬉しくて。

温度差を自分から埋めてやり過ごす。


「電話ありがとっ、また後でね」


――電話を切って、スマホの画面が暗くなる。

肩に、小さく力が入っていたことに気づく。


本当は、どうでもいい話を、

もっと聞いてほしかっただけなのに――


――


夜、家に帰る。


『今日はちょっとバタバタでちょっと遅くなる。

 ごめんねぇ、先に寝てて。』

――美織からメッセージが届いていた。


言葉は優しい。

愛用しているシナモンのスタンプが謝っていた。


連絡は途切れたことはない。


でも、生活の輪郭だけが風に乗って飛んでいく。

届いているはずなのに、触れていない。

その風は私の背筋をするりと撫でて過ぎていく。


――少しして、美織が帰宅する。

「おかえり、美織。」

「ただいまっ、咲蘭。」


笑いながら話すその声は、

昼間の電話よりも、ずっと近くて、あの風が和らぐ。


夕食を一緒に食べて、

食後のカモミールティーを淹れる。


二人が約束した時間は久々に正しく流れた。

 

私は、学校の話をもう一度する。

電話の時よりも、時間をかけて、

確認するように話した。

 

大袈裟に手を動かしたり。

大事なところは、言葉を選びながら。


美織はちゃんと聞いてくれる。

相槌も、間も、いつもどおり。


冷たく感じたのは電話でも、メールでもなくて。

美織本人でもなくて…外の世界だったんだと、思う。


美織が私の手を取りながら言う。

「あんまり無理しすぎないでねっ」


その一言は、昼間よりもずっと温かくて、

トクトクと高鳴る心臓の音が心地よかった。


でも、心のどこかで思う。

気遣いの言葉よりも、

本当はもっと一緒に笑っていたかった――

 

部屋には、カモミールティーの甘い香りが残る。

美織の声の温度も変わらない。

でも何かが確実に薄くなっていた――


私はその何かを、はっきりとは言えないままだった。


――


週末、絵梨奈から連絡が来る。

『咲蘭っち今日、予約入ってたっけ?

 空き時間あったらさ、撮影入れる?』


『予約ないし、大丈夫。

 撮影入れるよ。道具持っていくねー。』


返信して、準備を始める。


鏡の前に立って、メイクをしていく。

ファンデーション、アイシャドウ、リップ。


鏡の中の自分を見つめる――


この顔は、美織に向けて整える顔じゃない。

外に向けて、世界に向けて整える顔。


撮影もメイクの技術を磨く場所だ。

絵梨奈が私を、外の世界に連れ出してくれる。


「じゃっ。美織、行ってくる…」

リビングでPCを触る美織に声をかけると、

美織は笑顔で手を振る。


「いってらっしゃい、気をつけてねっ。」


その笑顔は、いつもと何も変わらない。

でも、ほんの少しだけ遠い気がした。


玄関のドアを閉めるのを少し躊躇ってしまった――


――


仕事を終えて、帰宅する。

玄関の鍵を開けると、

リビングから明かりが漏れている。


「ただいまー。」


美織がリビングからパタパタと音を立てて迎えに来る。

「おかえりっ…咲蘭あっ」

 

向かってくる笑顔も暖かい。


「お疲れさま。」

「うん、疲れたー。」


今日も一緒に夕飯を食べることが出来た。

美織は私の話を聞いて、笑ってくれる。


「今日、絵梨奈と合間で撮影もしてさ。

新しいメイク試したんだけど、ムズかった……。」


「そうなんだ。今度私にもやって欲しいなぁ」

いつもそうやって言ってくれる。

 

――でも、美織にタッチアップする機会がない。


美織の声は優しく、柔らかい。

でも、視線だけは私を通り抜けている気がした。


夜、一緒にベッドに入る。

美織は私の腕に絡みながら、先に寝息を立てていた。


私はスマホを開いて、絵梨奈のストーリーを見る。

今日の撮影の裏側が流れている。


画面の青白い光が、私の顔だけを照らす。


画面を閉じようとして、少し躊躇う。

もう少しだけ、この光の中にいたかった。


学校、SNS、美織。

どれも失ってはいない――


生活の重心が少しずつズレ始めている。


未だにその変化をはっきりとは言葉にできないけど、

慣れ始めてしまっている事が、一番怖かった――

 

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