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【第22話 夜明けの光】

――平日の夕方、待機所。


時計の針はまだ早い時間を指しているのに、部屋の空気はもう夜みたいに緩んでいた。

予約はゼロ。当日もナシ。

スマホを伏せたまま、誰も画面を見ない。


「……今日さーーーー。」


エマが、ソファの背に体を預けたまま言った。

「さっすがに、暇すぎん?」


ルナは小さく笑って、肩をすくめる。

こういう日は珍しくない。

珍しくないはずなのに、今日は特に音が立たない。


「ルナっちー、カフェ行こぉ。外、今すぐ!!」

ソファから身体を起こし、スマホを手に取る。

衣装の上からダウンジャケットを羽織るエマ。


「え?」

私は、慌てて店長の方を見る。

身体の中で聞こえる鼓動の音が、少しだけ早くなった。


仕事中に外へ出るとか、

そんなこと、考えたこともないって…。


「いいじゃーん。どーせ誰も来ないって。

 ……ね、店長?」


半分冗談、半分本気の声で呼ぶと、店長は奥から顔だけ出して、

「い…いやさすがに二人ともいないと厳しいって…。」

――血の気の引いた顔が妙に面白かった。


「あー……んじゃ、今日はもう閉店でー。おつー。いこ。」

と、驚くほど軽く言った。


自由すぎるだろこの人、と思いながらも。

なぜか、その雑さに救われた。

付いてさえいけば。

何とかなる気がした――。


外に出ると、夕方の池袋は”ご時世”とは思えないほど人が多く、光が騒がしい。

マスクをしているはずなのに、息がしやすかった。


二人きりで外を歩くのは、これが初めてだった。


カフェは駅から少し離れた、小さな路地の奥。

エマは迷いなく席を取って、メニューもろくに見ずに言う。


「――でさ。ちゃんと話したかったんだよね。外で」

頬杖を付いて一直線に私の瞳に視線を差し込んでくる。

…エマさんの目ってこんな色をしていたんだ。


「……エマさん、急ですね」

一拍置いて、続ける。

「……何を?」


まだ、迷いのある唇から押し出された音をかき消すように即答する。


「キミの名前。なーまーえっ!」


一瞬、間が落ちる。


「アタシ、望月絵梨奈(モチヅキ エリナ)

 エマってのは、源氏名。仕事用。知ってるだろうけどっ」


アハハと笑いながら話す姿は店の”エマ”さんだった。

だけど、瞳の色はまるで違っている。


「……そっか、知らないっす。そういえば…。」

私はその光を自ら放つ太陽のような瞳を直視できず、目を伏せた――。


「丁寧語禁止、タメ語でよろ。」

絵梨奈は、にっと笑う。


「今日から職場以外では、絵梨奈って呼んで?

 望月絵梨奈だよ。よろ。」


声のトーンは軽い。

でも、言葉は重く、胸の奥まで刺さる。

その言葉は、どこか“決意”のあるものだった。


「んで……、ルナっちは?」


問われて、少しだけ迷ってから、答える。

「星崎…咲蘭」


絵梨奈は、再び八重歯を見せて、にっと笑う。

「さらぁ?」


「……うん…変かな?

 字はさ、難しくて大体初見で読んでくれない。」


「えー、かわいいなー。ねえね、字ぃ書いてよっ。」


即答だった。

評価でも、社交辞令でもない。

ただの事実みたいに言われて、胸の奥が静かに揺れる。


「マジだ、これアタシ読めないわー。サランって言われそ。」

コロコロ笑う絵梨奈は、私の不安とかモヤモヤをすべて吸い上げてくれるような。

どこか安心感を纏っていて、やっぱり好きだ。


「だれがラップだよ…。」

「プッ…おもんねーっ」

――私の渾身のネタも通じない。



コーヒーが運ばれてきて、少し沈黙が落ちる。


それを破ったのは、絵梨奈だった。


「ね、咲蘭っち」


呼び方が変わるだけで、距離が一段縮まる。


「咲蘭っちは、さ、このままでいいと思ってる派?」


私は、突然だったのもあるが、すぐには答えられなかった。

“いい”かどうかを考えること自体、ずっと避けてきたから。


「――才能、あるのにさ…」

絵梨奈は、視線を逸らさずに言う。


「咲蘭っちは、私の”持っていないモノ”持ってんだよな…。」

コーヒーにシロップを二個入れて話す絵梨奈。


「あー?コレ? アタシ甘い方が好きなんだよね。気にしないで。

 でさ、ここで止まるの、もったいなさすぎるんよなーマジ。」


責める口調ではなかった。

なんだったら、私よりもガッカリしているっていうか。

本当に心から思ってくれてるんだろうなって、そんな空気だった。


「アタシさっ」

絵梨奈は、少しだけ身を乗り出した。


「咲蘭っちと、一緒に”高み”、行くって決めてんだよね。」


その二つの瞳からは、突き刺すような輝きを放っていて、

私の暗い部分も照らしてくれるような、そんな目をしていた。



「……私、そんな——」

この目で見られても私には何もできない。

重圧に負けてしまい、目をまた伏せてしまう。


「違う――」

被せるように、きっぱりと言う。


絵梨奈は私の両頬に手を添えて、まっすぐに瞳を覗きこんでくる。

そして、一度瞬きをして、一言――。


「私にその力…、貸してよ。」


その言葉は、お願いじゃなかった。

命令でもない。

“共犯者”への招待だった。


「言っとくけど、私、ガチだから。」


ふっと笑って、でも目は本気だった。

「私、読モやってんの、ギャル系の雑誌で。」

――私の両頬から離れる、熱い指先は、まだここにある気がした。


絵梨奈は、”汗をかく”アイスコーヒーの容器を指でなぞりながら話す。


「私と一緒に有名になってくれん?

 私のファッションと、咲蘭っちのメイク…無敵っしょ。」


――その時、胸の奥に鍵を掛けたはずの外の世界への扉を。

太陽のような塊がこじ開けた音がした。


「ど…どう、やるつもりなん?それ…。」


「SNSだよ。インスタとツイッターつかって有名なんの!」

その自信あふれる態度からは、異様なまでの説得力が溢れていた。


続けて話す絵梨奈。

「インスタ?

 あー、もうアカウント別で作ればいいじゃん。

 エマとルナって名前店から貰おうよ、面倒だし。」


「……そんな…簡単に。」

「カンタンだよっ」

 ――また即答。


「私、今のアカウント、フォロワー2000人くらいしかいないけどさ。

 本名でやってる。エリナ。ガチっしょ。」


それが、覚悟の証明みたいに聞こえた。


「咲蘭っちも作ろ。活動用。

 名前は……サラでいいじゃん」


――サラ。


「二人のユニット、エマルナでいいじゃん。ね? めんどいし。」


その名前を、外の世界で呼ばれる自分を勝手に想像して、

私の胸が、熱くなった気がする。


夕方の光が、カフェの窓から斜めに差し込む街のざわめきの中で、

咲蘭の世界は、外に広がり始めていた。

確実に…。


これは、まだ始まりですらない。

でも――新しい道が見えた瞬間だった。

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