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【第18話 咲蘭であると決めた時間】

――2020年4月10日 8:07 美織のアパート


カーテンの隙間から差し込む光が、やけに白かった。

陽の光だけは変わらない。私を眠りから揺さぶり起こす。


寝落ちしたままになったスマートフォンを掴んで、

画面をつけて指を滑らせる。


だけど、学校からの新しい連絡はない。

入学はした。

お金も払った。

 

――でも、始まらなかった。


「……まじかぁ…。」

誰に向けたでもない声が、部屋に落ちて横たわる。


静かに知らせを待つスマートフォンの画面の奥からは、

湿った足音の何かがゆっくりと歩み寄ってきていた。


美容専門学校。

技術を学びに行くはずだった。


手を動かして、覚えて、積み上げていって――。

でも、予定表は白いまま。


入学式も中止。

オリエンテーションは動画配信だけ。


実技の授業に至っては「状況を見て」、

「現時点では6月以降になる予定です。」

学校からのメールは、

他人事みたいな丁寧さでそう書いてあった。


文字を見る度に目頭が熱く視界が滲む。

「だる…詰んでんじゃん…。」


ロッカーも、教室も、鏡も。

きっと全部そこにあるはずなのに、触れられない。


私は真っ暗なスマホの画面に映る私を見て、舌打ちする。

「……最っ悪ッ。」

 

――言葉にしたところで、何も変わらないことも理解していた。


寝室を出ると、リビングに美織がいた。

テーブルの端に腰を掛けて、

スマートフォンを手にしたまま、動かない。


一度だけ、浅いため息。

それから、画面を伏せる。

音を立てない動作だった。


咲蘭はその背中を一瞬だけ見て、

声をかけるのをやめる。

美織の肩には蛇が巻き付いているような、

冷たく体温を感じることができなかった。


きっと、話しかけたりせずに

そのままにしておくのが正解な気がした。



入学してからの予定は、

本来もっと上手くいくはずだった。


平日は学校に行って、帰って美織とご飯を食べて…。

土日は池袋で働けば、疲れるけど生活も学校も回る。


――そのはずだった。


でも、学校は止まった。

それだけじゃない…店の予約も突然全部飛んだ。


扉の向こうでエマさんが叫ぶ。

「待機まじー?きっつーーーーーっ」


その声はソファに座ってスマホをいじる私の胸に刺さる。


ここにいても、時間だけが過ぎる。

働いているのか、ただ居るだけなのか、よく分からない。


それでも、出勤している事実だけは残った。



「ルナちゃん、今日いる?」

SNSのキャスト用のアカウントにDMが入る。

リスクも、状況も、分かった上で来てくれる固定客。


私はすぐに返信する。

「うん、居るよーっ!待ってるう!」


送信してから、自分でも分かるくらい肩の力が抜けた。

ようやく…一件目が取れた…。


お客様からは必要とされていることが伝わった。


でもそれ以上に、

自分が「ルナ」である時間が楽しくて、認められている事が心地よくすら感じる。


星崎咲蘭(わたし)よりも、ルナの方が人の役に立っている。

ちゃんと求められて、必要とされていた…。


「ルナちゃん、久しぶり。今日も可愛いねっ」

……嬉しい。もっと可愛くなっちゃうかもね。


「会えてよかった」

……私も本当に会いたかったあ…。ね、くっついていい?


「ルナは、俺がいないとなぁ」

……ね、寂しくて潰れそうだよ。ずっと一緒にいてっ…。

 

その言葉は、慰めでも救いでもなかった。

ただの“確認”のはずなのに。


咲蘭を、ルナとして生かす血液になっていた。


「ルナちゃん。無理しなくていいんだよ?」

そう言われるたびに、ルナは笑う。

 

「え、だって私も君に会いたいもん。」

明るく返事して、笑ってみせる。


実際、心配されるほど弱ってはいない。

なんなら、満たされつつあった。


未来は見えないけど、

ここにだけは、足場があった。


固定客になった理由。

切られなかった理由は、単純だった。


私には、人の孤独が分かる。

私がこの人を離すとどうなってしまうのか…。

それも手に取るように理解できる。


だから、放っておかない。

あの時の美織のように、手を差し伸べてあげる。


それが優しさなのか、

生きるための術なのか、区別はつけない。

 

考えない。

考えない方が、楽だから。


ルナとして笑っている間、

世界はちゃんと形を持っている。

 

ここには、必要とされる理由がある。

愛されて呼ばれる名前もあって、

触れて貰える距離がある。


それだけで、十分だった。

正しいかどうかは、後でいい。

未来がどうなるかも、今は見ない。


――私は今日も、ここに立っている。

それが崩れやすい足場だとしても、

立っている間は、生きていけるはず。

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