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【第16話 夜空と太陽、その狭間で】

――2019年12月下旬


 一日を終える前に私は窓の外をぼんやり眺める。

私はリビングでまとめられていく美織のスーツケースを見て

今年ももう、美織の帰省か…。

と誰にも聞こえない声で言った。


去年もこの時期に帰っていた。

少し寂しくなるけど、美織の家のことに私が口を出せるわけじゃない。

仕方ない――いつか初詣くらい、一緒に行けたらいいなあ…スマホを眺めながらSNSに思いを綴る。


帰省当日、駅まで送ってもらった美織は車窓の景色を見つめていた。

車窓の外は暗く、曇天が広がっている。


実家に着くと、相変わらずの様子だった。

“あの日”以来、母だけで暮らしている。


夕食を取るときに、思い出したように母が切り出す。

「ねえ、美織。もうそろそろ成人式ね。

 あの時選んだ振袖――私は、勿体ないことしたと思ってるの」

母の目は鋭い。声色は柔らかい、しかし空気は凍っていく。

まるで私を咎めるかのようで、

視線の先に立つものを静かに絡め取り、抗えない重さを放つ。


箸を持つ指先さえ、獲物を追い込む蛇のようにしなやかさが滲んでいて、私の肌の上を、温度を感じない鱗のような感触が滑った。


 “あの日”決めた振袖の色が、心に浮かぶ。

まるで夜空のように深い紺色に、月のような銀の牡丹が光る。

――母が選んだ振袖だ。


私が選んだ振袖は、

太陽のように明るい橙に、金環を彷彿とする黄金色の刺繍が入るモダン柄。

なりたい、ありたい自分を表現したかった。


母の理想と私の願い――

色彩の差が、あの頃の私たちの距離を象徴していた。

 

父は、私の記憶の中では初めて母に反論した。

「―娘の成人の祝いだ、娘の好きにさせてやれ。」

暗いヴェールを断ち切るような、そんな声だった。


「あなた、それ…本気で言っているの?」

息を呑んだ瞬間、音もなく何かが牙を研いだ気がした。


「彩夏。お前はそうやって成人になる者にまで、お前の理想を押し付けるつもりか?」

母との険悪な空気の中、私はただ下を向いた。


「あなた、どういう意味? “それ”は―」

 

父の声は、不器用ながらも私を守ろうとする温かさがあった。

「いい加減にしないか。娘の晴れ舞台なんだぞ。」

諭すように話す父と対照的に、母は乾いた空気を割くように話す。


「一生に一度だけしかないから、失敗しないように見てあげてるんじゃない? ねえ…、美織?」


肩の上を冷たい鱗が這うような…

耳元で生ぬるい風を感じた。

……私はまた、箱庭の着せ替え人形か。


「一生に一度の事すら娘に決めさせてやらんのか。」

空気が一段深く沈み、誰も息を吸えなくなるような声。


「美織、橙を纏えばいいじゃないか、……似合っているぞ。」

この一言は私を暗い場所から引き出してくれた気がした。


――成人式当日


私が振袖を着付けて貰っている時に、

白い蛇は空気を細かく震わせた。


「はあ…、やっぱり濃紺が良かったわ。その方が綺麗よ。」


父がすぐに叱責する。

「いい加減にしないか。

 美織は美織のやりたいようにやらせてやれ。」


言い合いを始めてしまう両親から身を守るため

私は目を伏せて、暗いヴェールに身を潜めた。


「私は失敗して欲しくないのよ。」

その一言が、私の目を曇らせる。

白蛇の毒が私の身体を侵食していく。

一言、一言…確実に…。


成人式会場に着いても、

グレーの景色と無機質な空気は私の中に居座った。

周囲は華やかだというのに、自分の心の温度は明確に冷たかった。


式は厳かな空気のまま進んだ。

成人式を終え、“一人前”となった者たちの表情は軽く。

柔らかな声色で会話する。


“私はまだ箱庭に居る”

――その事実が私を白川家に縛り付けていた。


帰り道、父が私の肩に手を乗せて声をかける。

「お前の選んだ振袖は良い。お前らしい色を羽織る姿は美しかったぞ、美織」

「誇れ、美織。お前の好きにやればいい。」


父は、とても自慢気な表情だった。

――こんな顔するんだ。


私の目の前に彩りが戻ってきた――。

父の背中が暖かい色を放っていた。


 ひょっとしたら。

今までも父はこうやって、静かに見守ってくれていたのかもしれない。

そんな思いが胸に広がった。


⸻帰省が終わり、咲蘭の待つ家に帰る。


咲蘭は相変わらず、私が帰ると猫のように寄って甘えてくる。


「おかえりっ…美織っ。」


その鼻にかかる甘えた声に、自然と笑い声がでる。

「ふふ…ただいまぁっ、咲蘭ぁ!」


玄関で抱き合うと、私の止まっていた時間が動き出した。


「ねえ、美織っ。成人おめでとう!写真見せてよ。」

……その一言に目が泳ぐ。


「あ、うん。見てよ。」

震える指で一眼レフのカメラを渡す。


咲蘭は数枚のデータを確認する。

――美織の表情は硬く、まるでこの場に居なかったように。


「……振袖、オレンジっ。似合ってる。」

咲蘭の一言が、父と重なる。


「私は、美織って明るくて、変な動きして…、見てると元気になるからさ。…ビタミンカラー似合うと思うっ」


咲蘭なりの気遣いなんだろうな…。

言葉を詰まらせながらも、私を立ててくれていて。

この気持ちが嬉しくて、自然と気持ちが込み上げた。


「……えへへ、何それ、変な動きする?私。」

精一杯返事した時の咲蘭の表情が胸に刻まれた。


「するよ。私はいつも見てるから。」

笑いながら返す咲蘭からはオレンジ色の光が漏れていた。

あの日の父の背中と同じ色だった。


ふと、壁の写真に目が向いた。

制服の頃、浴衣の頃、雪の日、誰かと肩を組む私の自然な笑顔。

色褪せた一枚、小学生の私は父にしがみついている。

全部父が一眼レフで撮った写真だ。


ふと、咲蘭の手元の一眼レフを見ると、

そこには父が撮った晴れ姿の私。


胸の奥に、確かな温かさが広がる。

「本当に父は、ずっと見ていてくれたんだ」

「私は父にはずっと愛されていたんだ」


「ありがとう…お父さん…」

震える声と、滲む写真。

温かな胸の奥とオレンジ色の光は、私の時間を巻き戻した。

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