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【第11話 その境目の内側で―】

――2019年2月14日(木) 咲蘭の18歳の誕生日  美織のアパート


「主役君ー? そろそろ起きませんかー?」


咲蘭はまだ目を閉じたまま、布団に顔を埋めていた。


昨夜、遅くまで

「誕生日の瞬間にジャンプしたい。空中で18を迎える。」

と気合を入れていた咲蘭、普段よりも目覚めが遅い。


「……ん…美織ぃ……眠いよぉ……」


掠れた寝声で呟くと、

美織はくすくす笑いながら、咲蘭の髪を指で梳いた。


「今日の主役君、18歳、おめでとう。」


その言葉に、思わず咲蘭は目を覚ます。

頰がほんのり熱を帯びた。


私は照れ隠しに美織の首に腕を回して抱き寄せた。

「……ありがとぉ……美織…嬉しい……」


美織は咲蘭の背中を強く抱き寄せ、耳元で囁く。


「今日は咲蘭の日だからね。」

その声の甘さに、私の心が小さく震えた気がした。


朝食は、美織が作った卵焼きと、おにぎり。

私は美織の卵焼きが好きだ。


「んー、ねえ……あーんしてよ。」

ダメ元でお願いをしてみる。ワンチャンある。イケる。


美織は笑いながら箸を口元に運ぶ。

「主役君という子は…まったく…仕方ないなあ」


――頬張ってもぐもぐする咲蘭を見て美織は笑う。

ほんの一瞬だけでも魅了される。そんな気がする。


昼間は、二人でソファに転がって映画を見たり、

お互いの髪を撫で合ったり、肩を寄せ合っては時間を溶かした。


「出掛けなくてよかったの?」

美織が私の顔を覗く。


……私は、ここにいる私と美織が好きだから。

「ん、寒いの嫌いっ…」


――2019年2月14日 16:10 最寄りの食料品店


夕食の買い出しをする。

顎に手をやって目を瞑る美織。

「んーーーー。咲蘭、何が食べたい?」


「卵焼き。」

「いや、朝食べたやんっ…」

クスクス笑う美織の笑い方が好きだ。


「ハンバーグってどう?あんまり作らなかったけど。」

「…いいね、目玉焼きをのせようっ」

「結局卵かーい」


笑った時の目元が好きだ。

この目元が見たいから、私は美織のそばに居たい。


家に帰ると、早速ふたりで作業する。

美織はハンバーグを、私はスープを準備する。


ふたりには手狭なキッチンだけど

お互いの香りが届く範囲でずっと居られる幸せな時間。


玉ねぎを刻んで、真っ赤な目でふたりして笑って…

スープに嫌いな人参をドバドバ入れる美織…

誕生日なのにと駄々をこねる私…


立ち込めるスープの湯気が、二人の時間を細かく刻む。

一瞬一瞬で私たちは生きている。


美織のハンバーグ、軽くトーストしたロールパン。

私が作った人参たくさんのスープ…。


背伸びして買った、ノンアルコールのスパークリングワイン。

まるでレストランのような、そんな煌めきが食卓を彩った。


「改めてっ、お誕生日おめでとうっ」

微笑みかけてくれる美織はいつも柔らかくて、

私に甘える隙を与えてくれる。


「…ありがとっ…ほんとに…。」

鼻の奥にツンとした刺激を感じる。

目の奥で涙の星達が群がっているのを感じる。


私は軽く唇を噛んで、

この食卓の雰囲気を味わうことにした。


夕食を済ませたあとは、二人でお風呂に入る。

浴槽にはおねだりしたキャラクターの玩具が出る入浴剤を沈める。


「んあー!」

水面を軽く叩く。美織が笑う。

欲しかったものが出なかったけど、本当に欲しいものは目の前にあった。


背中を洗いあって、浴室を出る。

廊下とリビングまでの空間が寒くて、苦手だ。

今までの温度との差を足の裏に感じる。


お風呂を上がったら、毎日欠かさず飲む、

カモミールのハーブティー。


私はこれに蜂蜜を入れるのが好きだ。

今まで飲んだことさえ無かったのに、

今ではこれがないと落ち着かないというか…、

私の中の咲蘭が、納得をしなくなったというか…。


お風呂上がりの甘い香りと、

カモミールティーの香りが混ざる。

部屋のオレンジ色の光に照らされた美織の横顔。

この時間が永遠に続けばいいなと…安い言葉で言い表すには勿体ない。

 

「美織……っ……」

私は堪えられず、甘えてしまう。

指を絡めても、肩を寄せても、唇を重ねても。


――足りない。


私の中に育つ、

花の蜜は後戻りを許してくれないほどに、感覚を麻痺させてくる。


「そろそろ寝よっか? ね、主役君っ」

美織が私の髪を撫でる。

余裕のない私を手のひらの上で転がすように、笑いかけてくる。


――足りない。

私の中に、蜂蜜のような毒が滴る音がする。


繋いだ手を離さないまま、寝室へと歩き出す。

月明かりに照らされた美織は、どこか大人びていた。


美織がベッドに腰を下ろすと、

いつも通り空けたスペースを二度三度叩いては、

私の居場所を与えてくれる。


……足りない。

私にしか見えない顔もあるけど、

私では見れない顔もある。

その越えられない事実に絶望する。


そっと美織の隣に身を滑らせると、

美織は私を抱き寄せる。


二人の体温は、いつもこの先で止まる。

抱き寄せられて、肌が触れて、息が混ざる距離。

それ以上、近づけない。


手順として次に何をすればいいのか、私は知っている。

この先に行くための手段を持ち合わせていない。


美織の指が背中をなぞり、爪を立てる。

拒まれてはいない。


――ただ、これ以上美織には進めない。


寝室には毒の花が咲き乱れる。

蜜は満ちているのに、行き場がない。


甘い密と吐息を混ぜあって、夜を共に過ごした。


――2019年2月16日(土) 美容室


誕生日から二日後。

二人は約束通り、恵比寿の美容室へ。


美容室に入ると、落ち着いた香りがした。

ブローの音が響く店内で、シートに案内される。


並んだシートで、美織は迷わず雑誌を指さす。

美織を担当する美容師に、


「あごのラインに合わせてワンカールさせるイメージにしたいので、

 首が少し見えるくらいの長さのボブにしてください。」


美容師は、了解ですっと一言返事する。


「あ、あと重さは残しつつ、

 毛先だけ軽くしてゆるく内巻きになるようにカットしてほしいです。」


(…ええっ、オーダーえぐっ…)


良いっすね、絶対可愛いっすよ。と答える美容師。

(…え、何今の分かったん?…)


すると、私の元に背の高い男性が着く。

ケープをかけながら、男性が声をかけてきた。


「初めまして、スタイリストの松田です。

 今日は、リタッチとカットですねー。」


落ち着いた声だった。年齢は分からないけど、ベテランだとすぐに分かる。


「あ、最初に一個だけいいですか」

松田さんが鏡越しに少しだけ困ったように笑った。


「自分、カット中けっこう黙々とやっちゃうタイプで」

 もしお話したい感じだったら、アシスタントのシオリが得意なんで。」

 松田さんが手のひらを差し出した先に居た、線の細いきれいな女性が振り返ると。


「ちょっと松田先輩!」

裏で準備していたシオリさんが、すぐに突っ込む。


松田さんは肩をすくめた。

「今みたいな感じです。」

少し笑いが起きて、緊張がふっとほどけた。


「……真剣勝負っていうか。」

一瞬、言葉を選ぶみたいに間があってから。


「来てくれたお客様を、ちゃんと可愛くしてあげたいんで

 全力っていうか集中したいなって考えです。」


照れも、言い訳も混ざった言い方だった。

「静かでも大丈夫でしたら、そのまま進めますね」

どこか余裕のある雰囲気から放たれる言葉は、説得力があった。


「…あ…はい。大丈夫…です。」

そう答えると、松田さんは「ありがとうございます」と短く言った。


髪を触りながら、状態を確かめていく。

「前に一回、セルフでブリーチしてるっぽいね」

「毛先はサロンかな?」

責める感じは一切なかった。


「ねえ、シオリ。新生部は通常リタッチで、いつも通りね。」

アシスタントのシオリさんに向けて。


「中間だけセルフっぽいから、弱めで一旦置こうか…」

「追いブリですか?」

「うん。境目ぼかせそうなら、それが一番きれいじゃないかな…最高って感じ。」


まるで、魔法の呪文かのような、手早く確実に伝えている様に見とれてしまう。


ブリーチの時の頭皮は焼けるように痛い。

ジンジンとする痛みに耐える。

「痛いですよね…もうちょっとだけいいですか?」

シオリさんがクッションを持ってきてくれる。


「あ、我慢できます。大丈夫っす…」

ニコっと笑って離れるシオリさん。


しばらくして、洗い流す。

席に戻ると、松田さんが。

「サラさんすみません。やはり境目が若干目立つので、

 オンカラーしてより綺麗になるようにしてもいいですか?」と聞く。


私は美織の方を見て、美織がニコニコ頷くのを見て。

「お願いします。」と答える。


オンカラーするときも、頭皮は燃えている。

痛い…、正直痛い…。

「痛いっすよね、もうちょい時間ください。」

松田さんは真剣な表情で伝えてくれたので何とか耐えた。


洗い流してブローしてもらうと思わず息をのんだ。

「あっ……めっちゃ綺麗…」

自分の髪色じゃないような、艶もあって綺麗なふんわりした色合いだった。


「このメーカーさんの色めっちゃ綺麗なんですよね…いいすよね。」

松田さんもニコニコと笑いかけてくれて、胸があったかくなった。


ふと、鏡を見る私と鏡越しに目があう。

「あーそうでした、カットのオーダー、特に決まってない感じですか?」


一瞬、言葉に詰まる。正直、何も分からなかった。

「…あ、その…すみません。」


松田さんは、気にする様子もなく続けた。

「じゃあ、提案しますねっ。」


コームで長さを示しながら。

「レイヤー入れて、軽さ出すのはどうかな?」

「後ろは鎖骨くらいだとカッコいいね…。」

「前は顎ラインまで切って、全体的にちょっとウルフ寄りにしてみようかな。」


一拍置いて。

「ウン。似合うと思います。大人っぽくて雰囲気ガラっと変わりそう。」


胸の奥が、きゅっと鳴った。

「あ……じゃあ……それで……」

「ン…了解です。」

迷いのない返事だった。


――カットが始まると、松田さんは何かが憑依したかのように集中した。

シザーの音が、一定の間隔で続く。


その音を聞いた瞬間、

なぜか視線を逸らせなくなった。


胸の奥が、ひとつだけ強く鳴った。


私はそんな松田さんの顔を見ると、余計な心配が消えた気がした。

無駄がなくて、静かで、でも冷たくない。

優しいタッチから、松田さんの人柄を感じる。


隣の席では、美織がカットされている。

楽しそうに会話しながら、大きな動きでハサミが動いていた。

それはそれで、悪くない。


でも――松田さんの手は、違った。

「ここ、軽くしすぎない…。」

「ンー、動きは欲しいけど、芯は残したいよな…。」


視線は、髪から一度も離れない。


ふと、鏡越しに横顔が見える。

眉が少し寄っていて、完全に“仕事の顔”だった。

その真剣さが、なぜか胸に残った。


――仕上げに入る。

「ちょっとだけ、動かしますね」

ワックスをなじませ、前髪を顎ラインに沿わせる。


「……どうです?」

鏡を見て、息を止めた。


鎖骨にかかる長さ。軽く入ったレイヤー。

金髪なのに、きれいで、やわらかい。

「……すご……」


隣で美織が「いいじゃーん。」と笑う。


でも、私はまだ鏡から目を離せなかった。


松田さんが、少しだけ笑った。

「すごく、似合ってますよ。」


その一言で、胸の奥が熱くなる。

――こんなふうに、誰かの“変わる瞬間”に立ち会える仕事って、すごくかっこいい。


帰り際、店のロゴをもう一度だけ振り返った。

その時、はっきり思った。

いつか、ここで働きたい。


ふと隣を見ると、バッサリ肩まで髪を切った美織が見ていた。


「咲蘭、どうかな? 短くしちゃったけど……」

――驚いた、あのオーダーだとこうなるんだって…。


「…えと…綺麗……すっごく……」


本心だった。


でも、心の奥で――

(私が切ってあげたい……私が、一番美織を可愛くしてあげたい…)



施術が終わり、帰り道。

冬の陽射しが、二人の新しい髪を照らす。


咲蘭は美織の手を強く握って、呟いた。

「……私、美容師になりたい。」


美織が足を止めて、振り返る。

「え……?」


「今日…カッコよかった。

美容師になって……、誰かの変わる瞬間に立ち会いたい。

美織の髪、私が切ってあげたいっ…、

……ずっと、美織のそばに、立っていたいから。」


美織の瞳が、揺れた。

喜びと、独占欲と、甘い毒が混ざって。


「……約束だよ? 私の髪は、ずっと咲蘭だけが切るって。」


咲蘭は頷いて、美織の手を握る。


二人は手をつないで、家に帰る。

甘い毒の花は、静かに、深く根を張り、

未来へと伸びていく。


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