第三話
帝国が周辺諸国へ宣戦布告してから、一ヶ月ほど経っただろうか。今のところ、俺と姫様の周囲にこれと言った変化はない。城に慌ただしく出入りする兵士や商人が目立つようになったくらいで、至って平和そのものだ。
一方で不穏な噂は絶えない。
西のリディル王国との戦で戦死者がこれだけ出た。はたまた、北のネルスン・ギーラ連合王国との国境付近の小競り合いで死傷者がこれだけ出た。そんな話がほうぼうから漏れ聞こえる。帝国軍部からの公式発表ではないので、どう判断してよいかわからないが……。
後は、誰それが投獄された、という話も聞こえてくる。姫様の小姓として世間から隔離されているような生活を送っている俺でも、名前を知っている程の有名人も何人か含まれていた。
表向きは脱税や横領の罪とされているが、皇帝に忠言して不興を買ったのだろうか。原作では登場していない人物であるから、大きく気にするべきものでもないのかもしれない。しかし、そのことが一層、「この世界が現実のものである」という事実を痛いほどに再認識させてくる。
ゲームでは、セーブ&ロードができるけれど、現実はそうじゃない。選択を間違えたら即終了。姫様は死ぬ。ずっと考えないようにしてきた最悪の未来が見え隠れするようだ。
何もできることはないというのに、じりじりとした苛立ちが頭を満たす。ちなみに、そんな俺を見て姫様が「甘いものが足りないんじゃない? ディーフも食べたら」とお菓子をわけてくれた。ありがたく頂戴した。美味しかった。
俺がいくら苛々しても、原作に介入できるタイミングはまだまだ先だ。姫様が主人公らと相対するのは物語の中盤以降のはず。
帝国は軍部の公式発表通り、今のところは快進撃を続ける。連戦連勝。周囲すべてを敵国に囲まれているような状態にも関わらず、よくやるものだ。快進撃のからくりを知っていたとしても感心する。
快進撃はまだまだしばらく続くはずだ。
しかし、当然ながらそれも永遠ではない。周辺諸国が対帝国の同盟を結んだことと、主人公やその仲間、ヒロインらの活躍によって徐々に押し戻されていくこととなる。
「まだまだ先の話のはずなんだけどな……」
ベッドに横になって、天井を見上げる。
下賜された部屋が成長して手狭になってしまったのを見かねた姫様が、良い機会だから、とベッドと上下水道付きの部屋をあつらえてくれたことに改めて感謝する。色々根回ししないといけなかったろうに。
硬い木の板に布を敷いただけの寝床は少々……大分寝心地が悪かった。今みたいに深呼吸しながら身体を休ませることなんてできなかっただろう。
「疲れた……」
身体を支配する倦怠感にため息を一つ。
師匠との訓練の後、姫様の座学の教師役を努めたもので、いつもながら疲労が半端じゃない。『座学』というと大したことないように聞こえるが、これがまた結構大変だ。
姫様は基本的にスペックが高い。頭脳明晰で身体能力は上々。ついでに容姿端麗……はあんまり関係ないか。
前世の知識すら総動員して色々と教えると、必ず「どうして?」が返ってくる。あまりオーバーテクノロジーになるようなことや、俺でも説明が難しいことは教えていないつもりなのだが、改めて「どうして?」と聞かれると説明が案外難しい。
だから、毎回ある程度の理論武装をしないといけない。中途半端な説明をすると、姫様の「ほんとにそうなの? ディーフの嘘じゃない?」が飛んでくる。理屈が正しくないと姫様は納得しない。
地動説について教えて、疑問を投げかけられ、シュヴァリスタ大陸が完全なる天動説で構成されていることに気付いたときは本当に大変だった。俺がそのことに気付くまで姫様との激論が繰り広げられたことは言うまでもない……。うん、話がそれた。
とにかく、姫様のおつむは確実に俺よりも性能が良いものだから、何事も教えるのに難儀するのだ。たどたどしくもちゃんと説明できてる俺偉い。
「……しかし、マジでやれることが無いな……。姫様の出番もまだまだ先だし……」
原作だと主人公らの噂を聞きつけた彼女が自身も遊撃隊として出兵する。誰の許可も取らず極秘で。
そして、主人公らと相まみえた姫様は、悪役らしく「アタシのものになりなさい」的な台詞を吐き、拒絶され、なんやかんやで敵対することとなる。
そんな主人公らの噂はまだまだ俺や姫様の元まで届く気配がない。いつ物語が動き始めるのだろうか……。
と、とりとめのない寝る前の熟考タイムに入っていた俺の耳に、不意に規則正しいノックの音が聞こえた。誰だろう、と首を傾げながら扉をあける。
「こんばんは。ディーフェクト君」
少しだけくたびれた様子の師匠がいた。師匠がこの部屋を訪れるのは初めてだ。わずかに驚く。
「ヒルマ師匠。どうかされましたか?」
「いや、ちょっと……ね。入っていいかい?」
「勿論です」
師匠を拒むドアを俺は持ち合わせていない。返しきれない恩があるのだ。恩人を追い返すなんて、罰が当たる。
「粗末な部屋で、恐縮ですが……」
「いや、良い。それに、綺麗じゃないか。年頃の男の部屋とは思えないな」
「突然姫様がきますからね……」
頭をかきながら苦笑い。師匠も俺の言葉に「なるほど」と鼻を鳴らす。部屋の隅に置いてある姫様がくれた椅子を移動し、師匠に「座ってください」と促す。
出された椅子に座ってから師匠が小さくため息を吐き、杖剣を取り出して振った。
「<消音>」
術者を中心として、音を遮断する結界を作り出す魔法だ。外から聞こえる雑音が消え、痛くさえ感じる静寂が部屋を支配する。
「あまり聞かれたくない話でね」
「……何事ですか?」
魔法まで使って聞かれたくない話とは一体……。俺は神妙な顔で師匠を見つめる。数秒ほど部屋の中を眺めた後で、師匠の翡翠色の瞳が俺を捉えた。
「ディーフェクト君」
「はい」
「残念な知らせだ」
「はい?」
「私もそろそろ前線へ出なければならない空気になってきた」
小さく息を呑んだ。
いつかはそうなるだろう、と予感していた。
帝国は有事の際、皇帝の名の下で徴兵を行う。そのうえで、師匠は国家魔道士だ。熟練の魔道士は木っ端な兵士数十人に匹敵する。
しかし、国家魔道士という立場は戦場へ駆り出される尖兵としてより、魔法の研究者という側面が強い、と聞いている。
そんな師匠すら前線へ出される、となるといよいよ帝国が少しずつ追い詰められ始めている証左にほかならない。遅かれ早かれ帝国の快進撃はストップするのだ。主人公らの参戦によって。
「今すぐという話じゃない。少し先にはなるだろう。ただ、のんびりとしていられるわけでもなさそうでね。君には先に伝えておこうと思って」
「そう……ですか……」
「そんな暗い顔をしないでくれ」
戦場へ赴く。前世でも勿論だが、それは死と隣り合わせになることと同義だ。師匠は俺が知る限り最も優秀な魔道士だが、それでも『もしも』や『万が一』が無いとは言い切れない。
「ディーフェクト君。よく聞きたまえ」
「はい」
「私は十四の頃から帝国に仕えているからよく分かるんだ。リズ殿下は変わった。悪評を耳にしながら、『将来どんな人間になってしまうのだろう』と危惧していたほどだ」
「せ、師匠? あっ!」
師匠の口から出たあまりの言葉に一瞬言葉を失うも、すぐに合点がいった。消音魔法はこのためだ。皇族への侮辱ととられかねない。
「殿下を変えたのは君だ。全く見事だよ。どうにもならない暴れ馬を見事調教してのけたのだからね」
「調教って……」
聞こえが悪いことこの上ない。魔改造と言って欲しい。……それもそれか。
「君がいなければ、私は殿下にものを教えるなんて御免被るところだったよ」
「……それは」
「まぁ、黙って聞いてくれ。人を見る目には自信が無いが、情を沸かせる相手は選んでいるつもりなんだ。つまりその、柄でもないが、私がいなくなった後の君と殿下が心配でね」
「師匠……」
「だから、時間があるうちに、ちゃんと助言をしておこうと思ってね」
師匠が飄々とした様子で唇を歪めながら、俺の肩に手を当てる。
「いいかい? 自分自身でも自覚しているだろうが、君は天才じゃない。魔法は普通とはかけ離れたレベルだけれど、身体を動かすとなると人並み未満だ」
「はい」
「君にできることはそう多くない」
仰る通り過ぎて、ぐうの音も出ない。
「だけれど、本当の意味で、殿下を守れるのはきっと君だけだ。あぁ、話が長くなった」
「そんなことは」
「つまるところ、君に言いたいことは、『手段を選ぶな』だ。私の見立てでは君は潔癖すぎる」
「……手段を、選ぶな、ですか……」
「そうだ……。どうかよろしく頼むよ。私も可能な限りは力になるつもりだが……。あまり期待はするな」
「はい」
「それだけだよ。悪かったね。こんな夜更けに押しかけて」
師匠はそこまで言って涼しげに笑って立ち上がり、「じゃあ、また明日」と部屋から出ていった。
彼女の背中を見送り、扉が完全にしまってから、再びベッドに横になる。
もう少し猶予があると思っていた。しかし、俺の予想以上に展開が早い。姫様の出番が差し迫っている気配を感じた。
俺は姫様の運命を変えることができるだろうか。今更ながら、なんて穴だらけの計画だろう、と思ってしまう。俺の唯一の武器は原作知識だ。しかし、飽くまで主人公側の視点から見た物語であって、姫様側から見たものではない。
具体的には物語の緻密なタイムスケジュールや、ディテールを知らないのだ。帝国の、ましてや中盤くらいから出てくる悪役の姫様に関しては、大まかな流れくらいしか知らない。
どうしてくれようか。師匠は言った。「手段を選ぶな」と。具体的にどういうことだ? 前後の文脈から推察しろ。
……推察なんでできるわけないだろ! わかるか!
(考えても仕方が無いな)
頭が沸騰しかけている。頭がフットーしそうだよおっっ! ふざけてる場合とちゃうか。ちゃうな。
もう寝よう。そうしよう。
ベッドから立ち上がり、魔法で灯った燭台を停止させようと手を伸ばしたその時だった。
ぱたぱたぱた、という軽やかな足取りが耳朶を打つ。
今日は千客万来だな。師匠が戻って来るはずもない。となると、必然的にこの部屋を訪れる人間は限られてくる。
姫様?
バーン、と扉が開け放たれる。ノックは無い。
このお姫様は何度言ったらわかるのだろうか。淑女たるものノックくらいしなさいと、口を酸っぱくして言っているのに。
「ひ・め・さ……」
注意をしようとした俺の言葉は尻すぼみになった。眦いっぱいに涙を湛えた姫様の顔によって。
「……ィーフ……」
「どうか、されましたか?」
「ディーフっ!」
泣く寸前といった様子の姫様が俺の胸元めがけて突進してくる。何度も言っているが姫様の身体能は高い。俺なんか足元にも及ばないほどに。
運動神経が高いだけならばなんとかなる。しかし、今の姫様は師匠の下で日々訓練を行っている身だ。端的に言うならアスリートなのだ。
つまり何が言いたいかと言うと。
「げふぅっ!」
突撃してきた姫様の頭頂部がみぞおちに刺さった。口から魂みたいな何かが出てきそうになった。ついでに、夕食で食べたスープとパンも出てきそうになった。姫様の後頭部を吐瀉物で汚すわけにはいかないので、そっちはなんとか耐えた。
「ひ……ひめ……さま?」
男の意地でダメージを隠し通し……。や、隠し通せてないな。でも少なくとも姫様は気づいていない。やったね、俺! 家族は増えないけどっ!
一安心しながら、俺の胸に顔を埋めている姫様の肩を掴み引っ剥がす。
「ひ、姫様。どうされましたか?」
気を抜くと微振動を繰り返しそうになる横隔膜を、なんとか押さえつけて問いただす。姫様は涙を流してはいないものの、目を真っ赤にしていた。
「……ちちう……皇帝陛下より、勅命を賜ったわ……」
「は?」
勅命?
言葉を失った。
おかしい。そんなイベントは原作にはなかった。少なくとも姫様が皇帝の意によって、指示によって、なにかをしでかすことは無いはずだ。そもそも姫様にそこまでの価値が無いのだ。皇帝にとっては。
何が起こっている?
頭がクラクラする。胸がざわざわする。
呼吸も忘れてパクパクと開閉を繰り返す口を、どうにかこうにか動かして声をだす。
「勅命……とは?」
その質問に対して、少しだけ逡巡するように視線を泳がせた姫様がためらいがちに呟いた。
「神聖リンガイア教国の教皇候補に嫁げ……って」
言葉を失った。
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