第二十話
アランと姫様の最悪とも言える邂逅は一旦忘れることにした。
原作では姫様はアランにぞっこんだ。なにしろルートによってはアランを手に入れるために世界を滅ぼすほどの力を手に入れようとするのだから。
だから……。うん、状況は改善していく、と信じたい。
なんて思いを馳せながらも、メルクレイアさん達の協力もあって、俺達はなんとか帝国との国境にある、協商自治都市連合所属の貿易都市国家、イリノイコック国スィカゴへたどり着いていた。
集団での移動なので十数日ほどかかったが、普通はそれくらいかかるのだろう。道中、アクセルや帝城からの襲撃がないかヒヤヒヤしたものだが、あれ以降帝国からの追手はなかった。何度か野獣なんかに襲撃されたりもしたが、俺や師匠が手を貸すまでもなかった。初めて人を食う獣を間近で見た姫様が少しだけ怖そうに顔を引き攣らせていたのは俺だけの秘密だ。
で、スィカゴに入国して数分ほど歩いて、
「わあ……」
姫様が感動をそのまま音にしたような声を上げる。姫様は帝国から出たことがない。初めての外国に感嘆するのも無理はない。
なにしろ、俺だってキョロキョロと景色を見回してしまうのだ。
帝国は国民の気質からか質実剛健で頑強な街並みを作ることが多い。一方で、このスィカゴの街並みはどうだろう。近代的なコンクリートのようなものでできた高いビル。馬車が行き交う舗装された道路。ガラス張りのショーウィンドウに飾られた数々の商品。
前世の東京をも彷彿とさせる光景に、思わず口があんぐりと開く。
ゲームをプレイしてたときも思ったけど……。世界観が謎すぎる。ゲームの背景画像を見るのと、実際に見るのとでは衝撃がぜんぜん違う。
「帝国の外は初めて、ですか?」
「ええ。初めてよ」
「それは重畳です。では改めて――」
メルクレイアさんが、こほんと咳払いをした。
「ようこそ、リズ様、アークマギカ様、ディーフェクト様。イリノイコック国スィカゴへ。歓迎いたします」
にこりと微笑んで、メルクレイアさんが一礼する。リディア貴族の彼女から出た「ようこそ」という言葉は少しだけ変ではあるが、それだけヴァン・ホーテン侯爵家と協商自治都市連合の繋がりが盤石なのだろう。
「この都市一番のホテルを手配させていただきます。まずはごゆるりと休息を取られますよう」
*****
メルクレイアさんに連れられて入ったホテルは、それはもう立派だった。帝国であれば、皇族貴族なんかじゃないと泊まれないクラスだと思う。細部にもこだわったきらびやかな内装は、この都市が貿易で多大な金を生み出していることを誇っているようにも見える。
フロントで短くやり取りをすませて戻ってきたメルクレイアさんの手には鍵が二つ握られていた。
「申し訳ございません。繁忙期だそうで二部屋しか取れず……。ディーフェクト様はこちらのお部屋を、リズ様とアークマギカ様はこちらのお部屋をお使いください」
「ありがとうございます」
鍵を差し出すメルクレイアさんにお礼を言って鍵を受け取り、一つを自分で、もう一つを師匠に渡す。
「いえ、とんでもないことで。明日の昼前にお迎えにあがります。詳しくはそこでお話しさせていただければと」
「ありがとう、メルクレイア」
「いえ、リズ様におかれましては、お疲れのことと存じます。露天温泉付きの部屋が取れましたので、旅の疲れを洗い流していただければ」
姫様がお礼を言って、メルクレイアさんが微笑む。ちなみに、姫様の姫様モードはメルクレイアさんのお願いによって一部解除されている。
「アークマギカ様。リズ様と同室になってしまいましたが……」
「いえ、問題ないかと。お心遣いに感謝いたします」
「とんでもないことです。では、わたくしはこのへんで」
師匠とも気を遣いまくった会話を繰り広げてから、メルクレイアさんは一礼し去っていった。きっとこれから上司みたいな人のところへ今回の件の報告やらこれからの作戦会議やらなんやらをしに行くのだろう。お手数おかけします。
「じゃあ、俺は五階の部屋ですね。リズ様と師匠は……」
「六階ね」
部屋が離れているだけじゃなく、階まで違うとなると少し心配ではあるが、師匠もいることだし大丈夫だろう。
フロントマンの「あちらから各階へどうぞ」という案内に従ってエレベーターに向かう。そうなんだよな、エレベーターもあるんだよな。マジで世界観が謎だ。
「こんな高い建物建てられるなんて、協商自治都市連合はすごいのね」
エレベーターを待っていると、呆けたように姫様が呟いた。
「協商自治都市連合には世界中の技術が集まる。初めて国の外に出たリズにとっては驚きだろうね」
「ええ、すごいわ。師匠は初めてじゃないのね」
「何度か魔法研究の関係でね。スィカゴもすごいが、他の都市も驚くよ」
「それは楽しみね」
「私もここまでの宿に泊まるのは初めてだけどね」
姫様はこの高級ホテルにいたく感動しているらしい。世間知らずとは言うまい。俺だって、実際に目の当たりにすると驚くのだから。
ちなみに、いつの間にか解除されてしまっていた「姫様禁止」指令は、スィカゴに到着する直前で再び有効になった。メルクレイアさんが「殿下のご身分はしばし公にするのを控えていただけますでしょうか」なんて発言がきっかけである。
なんて師匠と姫様が話している間に、エレベーターが到着した。中にはフロントマンと同じ服装をした女性がいる。所謂エレベーターガールだろう。「お待たせしました」と微笑んだ女性が、操作盤のボタンをかちゃかちゃといじるとドアが開く。
「何階まででしょうか?」
「五階と六階です」
「かしこまりました」
行き先を聞かれたので男の俺が答えると、エレベーターガールが恭しく返事をした。エレベーターガールなんて、前世でもお目にかかったことがない。うん、なんというか、得も言われぬ感動があるな……。
「五階です」
そして、息をつく間もなく、五階に着く。
「では、リズ様も師匠もゆっくり休んで下さい」
「うん。ちょっとしたら、ディーフのお部屋に遊びに行くわね」
「ちゃんと休んでからにしてくださいね」
姫様の発言に、苦笑いを返しながらたしなめる。口を尖らせた姫様を乗せてエレベーターが六階へ向かう。姫様ちゃんと休んでくれるかな? 相当興奮してたし、マジで俺の部屋まで来るかもしれない。その後の展開は予測できる。「探検するわよ! ディーフ!」だ。こっちだって疲れているのに、困った姫様だ。
日暮れまであと僅か。夕飯は部屋まで持ってきてくれるらしい。それ以外のものも有償で承るとのこと。ルームサービスまで整っているとなると、相当に良いホテルだ。
鍵に刻印された番号を見る。部屋は……。五一三か。壁の案内と並ぶドアに印字された番号を見ながら歩く。五一〇……五一一……五一二……。お……。
「ここか」
鍵を開けて中に入る。帝城にあった姫様の部屋ほど広くはないが、内装や調度品は同じくらい豪華だ。
「おお……」
外套を脱ぎ、壁にかける。部屋のなかをぐるりと見回して、ベッドに飛び込んだ。
「おお!」
ふっかふかやぞ! ふっかふか! ここまでふかふかなベッドはこの世界で初めてだ。姫様のベッドもふっかふかだったのだろうけど、当然ながら俺は姫様のベッドの感触を知らない。
広いベッドの上でしばらくゴロゴロ転がって、寝心地を確かめたあと、そのまま仰向けになって天井をぼうっと眺めた。
「……目的は、達成したんだよな……」
俺にとってのゴールは達成したはずだ。姫様と主人公アランとの接点を作ること。
あれからアランは姫様や師匠とどうにか接点を持とうと試行錯誤していた。全てメルクレイアさんに妨害されてたけど。それでも、彼の反応を見るに「姫様をアランの攻略対象にねじ込む」ことについては、一定の成功をおさめたに違いない。そうであってくれ。
けれど気になるのが、姫様の態度だ。
「あんなだったっけ……?」
断じてノーだ。原作の姫様はアランに対してほとんど一目惚れに近い感情を抱いていたはずだ。しかし、今の姫様はどうだろう。アランが視界に入るたびに、不愉快そうな顔を隠そうともしない。
出会い方がまずかった? 確かに、原作通りにいけば姫様とアランの出会いはもっと後になる。「もっと後」ということは、今でさえそこそこの腕前であるアランも更に強くなっていて、「リディアの英雄」にふさわしい実力となっていたはずで。アランの実力不足?
いや、あれこれ考えても仕方がない。姫様の感情の問題は時間が解決してくれるだろう。そのうち姫様もアランを認めて、好意を抱いて……。
「――――う……」
なんかちょっと胸がチクっとしたな。いや、でも。それで良い。それが既定ルートなのだ。
もう一つ考えなければならないのは、考えなければならないのに目を背け続けていた問題は……。
「帝国を奪う……か」
姫様の国盗り宣言だ。姫様にも師匠にも何度か訊ねたのだが、具体的な計画やらなんやらはさっぱり話してくれないのだ。はぐらかされてばかり。けれど、何も考えてないようには見えなかったので、色々と策を巡らせているのだと思う。
今スィカゴに無事到着している状況を生み出すきっかけになった、アランやリナリア、メルクレイアさんとの出会いもそうだ。師匠はあの場所に、リディア王国と自治都市連合の混合部隊が潜んでいることを知っていた。
どこから情報を得たのか。きっとダルスが関係しているのだろうが……。とにかく、知っていた、ということが肝要だ。そして、その知っていることを全ては俺に話してくれない、ということも。
師匠も、姫様も、だ。それぞれがそれぞれの思惑で動き始めている。俺の思惑とは全く別のところで。それがなんとも恐ろしい。
なにしろ、俺にとって大きなアドバンテージであった原作知識はもはや意味をなしていないのだ。姫様を帝国の外に逃がす。それだけなら、まだ救いがあったのかもしれない。
しかし、実際はどうだろう。
姫様の国盗り宣言。予定よりもずっと早いアランとの邂逅。姫様が抱いているアランへの悪感情。メルクレイアさんという、原作には出てこなかった人物の登場。
そもそも師匠がいる時点で、姫様を魔改造した時点で、そのアドバンテージは失われていたのかもしれない。考えないようにしてたけど。
けれど、考えざるをえなくなった。この数日くらいの怒涛の「予定外」によって。
深くため息を吐く。今後のことを考えると頭痛がするし、胃が痛くなる。
でも、まあ。
「今はいっかあ……」
考えないといけないことはたくさんある。これからどうなるかも不安で仕方がない。
姫様が何を考えているのか、師匠が何を考えているのか。これからきっと戦争やら、政争やらが蠢くメチャクチャ辛い世界に飛び込むことになるのだろう。何しろ姫様は帝国の玉座をお望みなのだから。
だから……今この瞬間くらいは。
「休もう……」
これからやってくるであろう波乱の毎日に向けて、体力を回復させておかなければならない。
力を抜いて、身体の全ての重さをベッドに預けると、今の今まで自分がどれだけ色々なところを強張らせていたのかわかる。
姫様を帝国から逃がす。一番最初のマイルストーンはクリアしたのだ。これから先の重要フェーズが全く想像できないのが痛いけれど。でも、一つはクリアしたんだ。
少しは自分をいたわろう。褒めてやろう。姫様は生きてる。それだけが重要な事実だ。他は枝葉末節と言っても過言ではない。いや、過言だった。
「あー……」
緊張から解放されて、アドレナリンの放出が止んだのか、途端に耐え難い睡魔が襲ってくる。
「……明日の、昼前、ってメルクレイアさん言ってたよな……。夕飯は……」
マジで眠い。ちょっとだけ寝ようかしら。寝てもいいよね。もう、ゴールしてもいいよね? それは駄目か。駄目だな。
あくびを一つ。しかし、睡魔は吹き飛ばない。まぶたが重い。三十分くらい。それくらい寝よう。目覚まし時計がない生活には慣れきっている。きっと起きられるだろう。もう抵抗は諦めた。
そして、どんどんと意識が落ちていって……。
深い闇の中へ沈んでいく。真っ暗で冷たい底の方へ。でも不快じゃない。むしろ安らぎを覚えるくらいだ。
コンコンコン、とノックの音が聞こえる。「ディーフー?」と姫様の声が聞こえる。
「ひめ……さ……ま……いま、あけま……むにゃ」
俺の返事がないことに焦った姫様が、フロントからマスターキーを借りて部屋に入り、半泣きで俺の名前を呼び、その声に「すわ、何事か」と飛び起きるのはそれから三十分くらい後のことだった。
本エピソードで、第一部完となります。
ディーフェクト君と姫様の波乱に満ちた日々が始まりました。
とりあえず、ディーフェクト君はさっさと姫様をもらってあげれば良いと思います。
フォローいただいた皆様、星をいただいた皆様、応援してくださった皆様、誠にありがとうございます。
次章開始の準備のため、一週間ちょっと更新をお休みさせていただきます。
次回は2025-07-14の更新予定となります。
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