第二話
リズ・クラドクラド=ラウエル。俺が覚えている限り、彼女のゲームでの役回りは典型的な悪役だった。
帝国の第十二皇妃の娘。病弱だった母親は幼い娘を残して死に、ほぼ末席の王位継承者という微妙な身分も相まって彼女は孤独な幼少期を過ごす。
帝国内での扱いはお世辞にも良いとは言えず、様々な環境が彼女の心を蝕んでいき、ついには修復不可能なまでに歪んでいく。
結果生まれたのは、謀略に長け、狡猾でサディスティックな悪役皇女。
彼女の辣腕はストーリーの核となる部分においていかんなく発揮され、主人公やヒロイン達を幾度となく苦しめる。
そして、悪役らしくバッドエンドを除く全てのエンディングで彼女は死を迎える。
前世の俺は、彼女に良い感情を持ってはいなかった。当然だ。
物語として、「倒すべき敵」と描かれているキャラクターに対してどう愛着を持てというのだろうか。
もっと言うなら、やることやることがいちいちえげつないのだ。一部のファンの間では名悪役として愛されていたようだが、ライトなファンである俺からすると倒すべき敵の一人でしかなかった。
しかし、俺は姫様に拾われた。
姫様が俺の何を気に入ったのかはわからない。最初は『魔力を帯びた』なんて表現される、自身の紺藍の瞳が珍しかったからなのだと思っていた。
しかし、どうもそういうわけではなさそうだ。俺のような瞳、つまり「魔力を帯びた瞳」は珍しいは珍しいのだが、ものすごく微妙なラインだ。
例えば、ヒルマ師匠もそうだ。魔法に対して高い適性を持つものは、虹彩が青や緑の色を帯びる。そういった瞳を「魔力を帯びている」と表現するのだそうだ。
つまり、俺が魔法に適正を持っていたから? とも考えたが、それだけでは色々とうまく説明できない。
ただ一つ、わかっていることは、生きる気力をほとんど失ってしまっていた俺を、何故か姫様は尊大な態度を取りながらも立ち直らせてくれて。なんとか快復したかと思えば、小姓として召し抱え、ありえないほどの高待遇でそばに置いてくれていることだ。
正直、感謝してもしたりない。
ゲームでテキストを読むのと、実際に相対するのは当然ながら違う。前世ではゲームの中の一キャラクターであった姫様も、今の俺にとっては生きている人間だ。更に言えば、大恩のある人間なのだ。
姫様と触れ合う内に、彼女の本質に触れ、普通の女の子であるのだと、気づいてしまった。
ただ、寂しくて寂しくて『自分を見てくれる誰か』を渇望しているだけの少女だということに気づいてしまった。
いつからだろうか。姫様が死んでしまうことに対して「嫌だ」と全力で主張する自分が心のなかに住み始めたのは。姫様が死んでしまうハッピーエンドに真っ向から「ノー」を突きつける自分が心のなかに住み始めたのは。
いつからなのかはわからない。もしかしたら拾われたその日から、なのかもしれない。気付いたときには、俺は無意識に姫様にとってのバッドエンドを回避する方法を必死に考えていた。
姫様が死なないようにする方法は? 姫様を救うための方法は? 毎日毎日考え続けた。
逃げる? 姫様は末席とはいえ王位継承者だ。帝国が、ひいては皇帝が許さない。
主人公らを殺してしまおうか? 駄目だ。彼らは最終的に世界を救う。救われなかった混沌とした世界で姫様が無事生きていられる保証はどこにもない。
考えて考えて、考え続けた結果。俺は一つの結論にたどり着いた。
――そうだ。姫様を魔改造しよう。
そもそもだ。主人公らと敵対しなければ良い。みんな仲良し大作戦だ。
彼らと敵対する姫様の動機ははっきりしている。
欲しいものに対する歪んだ愛情と執着だ。
作中では主人公に対する恋慕と偏愛、そしてヒロインたちに対する過剰なまでの嫉妬として現れる。拒絶する主人公に姫様は『自分のものにならないのであれば消えてしまえ』と、短絡的な思考をもって主人公と敵対するのだ。
それは姫様の性質が、孤独と環境によって大いに歪められたことがもたらす結果だ。
だから。
――そうだ。姫様を魔改造しよう。
教えてあげれば良い。無理やり自分のものにしようとしても決してうまくはいかないことを。
教えてあげれば良い。人道を違えた行動が姫様の周囲から多くの人を遠ざけてしまうことを。
教えてあげれば良い。偏執的な愛情が時として相手に窮屈さを感じさせることを。
教えてあげれば良い。嫉妬することは人間として当然のことではあるが、嫉妬心が行き過ぎるとその感情を向けた相手からの反発を産むことを。
姫様を「ちょっと素直になれないだけの可愛いツンデレ少女」に仕立て上げ、主人公の攻略対象にしてしまえばよいのだ。
そうすれば少なくとも姫様は死なない、はずだ。ヒロイン候補になれば、大いなる主人公補正を持つこの世界の主人公が姫様を守ってくれる。
もちろん今のはプランAだ。作戦は二重三重に用意すべきものである。
姫様は才能の塊だ。何を隠そうゲームの設定資料集でも言及されている。魔法の腕はそこそこ。剣術や体術の腕は天才級。政治の腕は世界有数級。
原作でもそういった才能は発揮されていたが、それでは足りない。もっと、姫様を成長させる。
剣術、体術、魔法、哲学、政治、道徳、その他諸々。記憶はおぼろげだが、俺だって前世ではそれなりの大学を出てサラリーマンをやっていたはずなのだ。この世界にはまだ早すぎる考え方や知識を教えてあげることだってできよう。
そうすれば、主人公のヒロイン候補になれなかったとしても、他人の力なしで一人で生きていくこともできる。
他者と交わり、協力し、その中で確かな頭角を現すことができれば。
この国、ラウエル帝国がいずれ滅びる運命でも、滅びたあとでも。
なんとか生き抜いていけるはずだ。
これがプランB。
自分がどのように生きていくのか。なんの因果か授かった二度目の生、限りある命をどのように使うのか。
散々考えて覚悟を決めたのが、姫様に拾われてから一年くらい経ってから。姫様が九歳くらいのときだったろうか。
覚悟が決まれば後は早かった。姫様を正しい道へ導き、そして守る。それがこの世界での俺の役割だ。
思い立ったが吉日、と、俺は傍若無人な振る舞いを厭わない姫様を少しずつ諌め始めた。最初は優しく。徐々に厳しく。
最初は「小姓のくせに生意気よ!」と殴られたり蹴られたり、危うく解雇になりかけたりもした。「出ていきなさい!」なんて言われたときは流石に肝を冷やしたものだ。
けど、しかしというか、やっぱりというか……。姫様は元来普通の優しさを持つ、普通の少女だ。もともと何故か気に入られていたこともあったのか、日に日に信頼関係と呼べるものができていった。小言を聞いて不機嫌になるだけだった姫様が気づけば俺の言葉に耳を傾けるようになった。
勿論、聞くだけで実践にまで至らないことも多々あった。しかし他人を変えることの難しさを俺はよく知っている。ゆっくりと、そうゆっくりとだ。
次は力を得ること。姫様を守るに値する力が必要だ。いざというとき肉の盾にもなれない人間が『姫様を守る』なんておこがましい。
城中を駆け回って、戦う方法を教えてくれる人を探した。これがまた難儀した。何しろ俺は、姫様に召し抱えられているだけの小姓なのだ。そして、城には姫様に良い感情を持っている人間は少ない。
しかしながら、必死に頭を下げまくったのが功を奏したのか、ヒルマ師匠が首を縦に振ってくれた。俺はヒルマ=アークマギカに師事し、本格的に魔法の訓練を始めた。「魔力を帯びた瞳」の意味もこの頃師匠に教えてもらった。一方で肉体を使う戦い方はてんで駄目駄目だったのだけれど。
ただ、最低限敵対する何かと戦うことのできる才能を有していたことに、心から安堵したものだ。
二年ほど師匠の元で訓練した後、俺は師匠に姫様にも訓練をつけて欲しい旨を伝えた。師匠からは『姫様が自分から望むなら』という条件付きでOKをもらった。
姫様を説得し、頭を下げさせ、めでたく俺と姫様は揃って師匠に師事することとなった。
これですべての前準備が整った。後は計画を微調整しながら、姫様魔改造プロジェクトを着々と進めるだけだ。
タイムリミットは、原作の始まりである「帝国による周辺諸国の一斉宣戦布告」イベント。詳しいタイミングはわからないが、大まかなものならわかる。確か姫様が十六歳のときだったはずだ。つまりもうすぐ。
と、モノローグに浸ってしまっていたが、自主訓練は当然続けている。姫様をぼんやりと眺めながら。
一生懸命杖を振りながら姫様が魔法の練習に勤しんでいる。魔法で遅れを取ることはないだろうが、オールラウンダーとしては姫様の方が上だ。一対一でのガチンコ勝負であれば、とっくに俺は姫様に勝てやしない。
姫様いつか『天地魔闘の構え』とかやってくんないかな? 俺も「これはメラゾーマではない、メラだ」とか言えるように頑張ろう。……無理か、無理だな……。
ともあれ、計画は順調だ。姫様は変わった。原作の彼女を知っている人間が今の姫様を見れば開いた口が塞がらないほど驚くだろう。
一定の魔改造はできた……。そう信じたい。必要十分なのかはさっぱりだけど。
「あら?」
訓練を始めてから、結構な時間が経っただろうか。いつもなら帝城勤務のやんごとない方々も流石に起きて活動を始める時間だ。しかし、今日はなにやら様子がおかしい。一心不乱に杖を振っていた姫様も周囲の異変に気づいたのか声を上げた。
「何かあったのかしら?」
城に常駐している兵士達が慌ただしく行き交っている。平時であれば、兵士は自身の持ち場を離れない。こんなふうに、額に汗かきながらあっちに行ったりこっちに行ったりすることはない。
何かが起こっている。ぞわり、と肌が粟立つのを感じる。
「聞いてきます。姫様はここで待っていてください」
「え、ええ」
師匠に小さく会釈をしてから、慌ただしく行き交う兵士の一人に丁寧に声をかける。
「あの。お忙しいところ恐縮です。何かあったのですか?」
「何かあった、だぁ!? どうもこうもねぇ! 城中にお触れが出されたんだよっ!」
彼の剣幕に総毛立つ。態度や声色に恐怖したのではない。
今まで準備してきて、ともすれば「起こらないでくれ」とまで思っていたイベントが発生した。
――物語が……。
「周辺諸国に宣戦布告なさった! 開戦準備に誰も彼も大忙しだよっ!」
――始まった。
「あ、ありがとうござ――」
礼を言う間もなく、大慌てでバタバタと去っていく兵士を見送る。彼だけじゃない。気づけば城中からひそやかな喧騒が漏れ聞こえてくる。胸中を占める緊張感と焦燥感が気持ち悪い。ふわふわと浮き上がっていくようで、世界から取り残されたようで……。
っと、そんな場合じゃない。姫様と師匠の元へ戻る。
俺の顔を見て、師匠が表情を固くする。まるで、俺と一緒にさっきの兵士からコトの顛末を聞いていたかのように。
「そうか……。噂には聞いていたが、遂に……か」
「……師匠はご存知だったのですか?」
「私だって曲がりなりにも国家魔道士だ。帝国内の情勢はある程度把握しているつもりだよ」
核心に触れず神妙な顔で話す俺達に、姫様が不機嫌そうな声を出した。
「ディーフ! アタシにもわかるように話しなさい!」
少しだけ逡巡する。
物語が始まった。つまり、『ニューゲーム』が選択されたのだ。しかし、今この瞬間に姫様に影響があるかと問われれば……それはNOだ。姫様の出番はもっともっと後。今、帝国の情勢を伝えて、徒に不安がらせても……。
「殿下。帝国が周辺諸国に宣戦布告したようです」
迷っている間に師匠がそう言って姫様に笑いかけた。
「そう」
こともなげに姫様が鼻を鳴らす。
宣戦布告。それも周辺諸国への、だ。にも関わらず、姫様はそれほどショックを受けたように見えない。もっと驚いても良いと思うのだけど……。
「ディーフ? アタシが驚かなくて意外?」
「い、いえ。そんなことは」
顔に出てしまっていたらしい。
「わかってらっしゃったので?」
「別に、知らなかったわ」
「知らなかったなら、なんでそんな平然としてるんですか?」
「おとうさ……陛下ならいつかやるだろうな、と思っていたもの」
そうだった。彼女は普通の少女であると同時に、豪胆な人間でもある。この程度でショックを受けるようなやわな性質ではなかった。
「それに、お兄様らなら戦果を上げるため出陣なさるのでしょうけど、アタシにそんな気はないわ。あまり興味ないもの」
驚くほど姫様はケロッとしている。これから戦争が怒るというのに。その豪胆さが頼もしくはある。でも、もう少し動揺してくれたほうが可愛いですよ?
歴史上帝国は周辺諸国と長年にらみ合いを続けている。いつかこうなるだろう、という予想は少し考えればわかることだ。宮中に住む姫様ならなおさらだろう。
ただ……予想がついていたとしても……。
「でも、帝国が攻め落とされたら姫様のお命も……」
この世界は人の命が、尊厳が、びっくりするほど軽い。帝国が滅ぼされ捕らえられた姫様の末路は悲惨だ。原作の香りをよく知っている俺が断言する。
「大丈夫よ」
俺のこわごわとした声とは裏腹に、姫様がくすりと笑いながら、あっけらかんと言う。
「ディーフが守ってくれるでしょ?」
いや、ちょっと待て。
確かに、いざというときはこの命を散らしてでも姫様を守る覚悟が俺にはある。しかし、覚悟があるのと、実際に守り抜けるのかどうかは別だ。
慢心は敵だよ?
「いや、そりゃ、守りますけど……」
「なら大丈夫よ」
「いやいやいや、姫様!? そう仰っていただけるのは嬉しいですけど、無条件で『大丈夫』とか言われる身にもなってください!」
「大丈夫だって言ってるじゃない」
何が大丈夫なのだろう。頭を抱えそうになるのをぐっとこらえる。何がなんでも楽観的すぎる。もう少し緊迫感を持ってもらいたいと思うのは、俺が贅沢なのだろうか。
「ははっ」
俺と姫様の会話を横から聞いていた師匠が、突然笑い出した。可笑しくて可笑しくてたまらないといった様子だ。
「良いよ。ディーフェクト君も、殿下も。そのままで良い。それが良い」
「え? 師匠? よくわからないんですけど」
「ディーフェクト君。男の子の本懐だろ?」
「本懐って……」
「ま、ことが始まるのはもっと後だよ。今からあくせくしても仕方がない。……さて、興が削がれてしまったね。今日の訓練はこの辺にしておこうか」
師匠が涼やかに笑って、立ち上がる。
「師匠! ありがとうございました!」
師匠の言葉を受けて、姫様がお礼の言葉を口にした。
そんな姫様の顔を見て、師匠が真面目な顔をしながら手で「こっちへ来い」とでも言うように促す。姫様と顔を見合わせてから、言われた通りに師匠の近くへ集まった。
「ディーフェクト君、殿下。私が知る限り、帝国の中枢は何やらきな臭い。努々ご注意されますよう」
悪戯っ子のような微笑みを浮かべた師匠が「では」、と言って踵を返した。
去っていくすらりとした背中を見送ってから、姫様が「じゃ、ディーフ。戻りましょうか」と俺を見た。「はい」と返事をする。
今のところ特筆すべきやることはない。そのはずだ。来るべき時、主人公達と相対するまでだ。それまでに、自身と姫様のレベルを上げておく。それだけだ。
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