第十五話
幸いアクセルはこちらにまだ気づいていない。そこそこに繁盛している店だ。一人ひとり顔を検めなければ見つかる心配はないだろう、しばらくは。
つまるところ時間の問題だ。なぜなら、奴はキョロキョロと誰かを探しているかのように、店内を見回しているのだ。アクセルは俺のことを知っている。姫様の小姓である俺を、しっかりと認識している。
昨晩師匠と一緒にいるところを見られているのだ。いくら姫様が認識阻害のローブを着ていようとも、俺が見つかれば怪しまれる。
「……ふうん」
俺の様子をしばらく訝しんだ姫様が、眦を釣り上げて形の良い顎に手を当てる。
「なるほどね。理解したわ。……そのまま」
食べかけのザパデー焼きはそのままに、姫様が俺の目を見る。姫様は何を理解している? いや、今の流れだ。「後ろにアクセルがいる」とまではいかずとも、何かしらまずいことが起こっているということは把握しているのだろう。
「そのまま、そのままよ」
俺にだけ聞こえる声量で姫様が呟く。瞳を右に左にぐりぐりと動かしながら。
「今っ」
しばらく目だけでキョロキョロと周囲の様子を伺っていた姫様が立ち上がる。俺も慌てて続いた。
テーブルや店に入ってくる人々をかき分けて店の外に出る。気づけば姫様が俺の手首をしっかりと掴み、引っ張っていた。グイグイと引っ張られ、自分の出せる速度を遥かに超えた速度で。
もう……少しっ!
「出たわ、行くわよ、ディーフ」
「ひ……」
思わず「姫様」と言いかけた俺の口元に、姫様の人差し指が添えられる。
「禁止、でしょ」
「あ、すみませ……。リズ様、どうして?」
「どうして? ああ、流石にね」
流石に? とはどういうことだろうか。
「気を抜いてたからアンタの顔が青くなるまではわからなかったけど、あそこまで『誰かを探してます』って気配を出されたらわかるわ」
「――――」
「昨晩は城にいたわよね、どうやってここまで来たのかしら?」
姫様の何気ない一言に目ん玉が飛び出そうになる。なにそれ、姫様すごい。
「ま、気にしても仕方がないわ。さ、ディーフ行くんでしょ?」
「え……っと、はい」
理解が早すぎる姫様に、俺の目は文字通り白黒していただろう。姫様の落ち着きっぷりも半端ないし、察しの良さも尋常じゃない。
とは言え、こと今この状況においては、「助かるぅー」以外の感想は出てこない。
はずだった。次の瞬間までは。
「ディーフェクト……とかいったっけ?」
「――――」
「なんでここにいるんだっけ?」
真っ赤な短髪を携えた細い体躯の男が。帝国第一軍の将が姫様と俺を見据えていた。
ヒュッと吐きかけた呼吸が肺の方まで引っ込み、ドバッと冷や汗が吹き出る、一瞬で。状況に驚き、まずいと思ったこともある。しかしながら、それ以上に。アクセルという男が発する圧力が、喉を、肺腑を、心臓を、締め付けていたからだ。
圧力に縮み上がった身体を気合いで無理やり動かして、俺は姫様を後ろ手にかばった。その存在に注目されないように。けど、逆効果だ。失態だ。アクセルの視線が明らかに姫様を注視している。
(みつ……かった――っ!)
いや、まだだ。まだ俺の隣にいる人物が姫様だと気づかれてはいない。昨晩だって、師匠がうまく誤魔化したじゃないか。うまいこと言いくるめられる、はずだ。
人違いでは? とすっとぼけようとも思いかけたが、彼の眼光がそれを許しそうにない。と言うか、俺がまさに今「貴方を知っています」と全身で表現してしまっている。言い逃れはできない。
「別にそのままでいいよ。帝城を出てまで僕も自分の身分をひけらかそうとは思ってないから」
そして、やつの言葉にもう一つ対応を違えたことを思い知らされる。帝城にいた人間であれば、アクセルのことを知っている。俺みたいな一介の小姓はこいつを見たらすぐに跪くべきだ。
もう、失態が多すぎてどうしようもない。開き直る。
「……お、お言葉に甘えて……。り、リアス様こそ、どうしてこちらまで?」
「いやね? 君とアークマギカ殿とそっちの子。少し気になってさ。一体全体どこいくんだっけ、ってね」
くすり、と苦笑いをこぼしながらアクセルが俺の質問に対する答えを返した。
つまるところ……。
(尾行されていた――――?)
どうして気づかなかった? いや、この場合、どうやっても気付けなかった、が正しいのだろう。アクセルの異例の出世には理由がある。
若い人間が昇りつめようとしたとき、必ず自分の立場を脅かされると感じた誰かが邪魔をする。その人間が優秀であればあるほど。アクセルはやっかみから種々の所謂「危険な」役目を与えられ振り回されてきた。普通ならどこかで死ぬはずだったが、アクセル=リアスという人間は一味違った。
全てクリアしてきた。全ての困難を乗り越えてきた。そして、その中に隠密部隊や、斥候部隊もあった。
つまるところ、ただの軍人じゃないアクセルが本気を出せば、ヒルマ師匠ですら尾行されていることに気付くことはできない。
「隣の子、昨晩も一緒にいたよね? 彼女、本当は誰なんだっけ? 確かめてもいい?」
「……昨晩師匠も申し上げましたが……」
「あれ、嘘でしょ? 魔法で誤魔化した。違う?」
あの時から完全に怪しまれていたのか。怪しまれる可能性を考慮すべきだった。
正確には考慮していたが、ここまで目の前の男の行動が早いとは思っていなかった。深夜に帝城から逃亡する俺達を気にして、単独で追い詰めるほどのスピード感を出せるなんて……。
「……まだるっこしいわね」
ぐるぐると対応を考えて、答えあぐねている俺の背中で、姫様の声が聞こえた。
「<氷剣>」
詠唱。振り返るまでもなく、姫様が魔法を使ったのだと理解する。使った魔法も詠唱を聞き内容を理解するまでもなくわかった。背中の方から冷気を感じる。
周囲の人間らが、一触即発の気配を感じたのか、にわかに騒ぎ始める。喧騒が一瞬止み、そして不穏な色を持ってまた復活する。街中で魔法を使ったのだ。しかも、他者を攻撃せんとするそれを。
いくら認識阻害のローブを着ていても、行動までは、その結果までは覆い隠せはしない。
勿論、魔法で作った氷の剣で突如攻撃を始める人間がいれば、喧騒もより大きくなる。
「ひめさっ――――!」
「――――シ……ッ!」
跳躍した姫様からの浴びせ斬りを、アクセルが半歩だけ移動して難なく避ける。まるで剣筋がそこを通ることをあらかじめ理解していたかのように。
着地した姫様が姿勢を低く構える。どこか楽しそうに目尻を緩めながらアクセルがそんな姫様を眺めた。
「どっちにしろ、こいつを殺さないとアタシ達はおしまい。そうでしょ? ディーフ」
「やっぱりね……。これはこれは、奇妙なところでお見かけいたしました。なんでここにいるんだっけ? ってのは、聞いても答えていただけませんよね?」
「そうね。言うわけ無いわ」
「リズ殿下、ですよね?」
「ほら、ディーフ。最初からバレてるわ」
最初からバレてるわ、じゃないんですよ! ああ、もう。こういう時どうすればっ!
「――――っ! ああもうっ! 逆立ちしても俺と姫様じゃリアス将軍を殺せませんっ!」
「あら、そうかしら? アタシとアンタがいればギリなんとかなるって思ってるのはアタシだけ?」
「買いかぶりすぎですよっ!」
俺の叫び声に姫様が薄く笑って、
「確かに……楽観視しすぎかもね」
小さく呟いた。その口の中だけで隠した、俺に聞かせまいと潜めた声が。聞こえてしまった。緊張感で引きつる頬を、笑顔で保って、頬を流れる滴を袖で拭って。
馬鹿か、俺は。俺よりも身体能力に優れて、戦う才能に恵まれた姫様がアクセルの強さを理解していないはずがない。ないのに。
なんで俺が、仕えるべき人間よりも腰が引けてるんだ。気張れよ。ここが気張りどころだろうがよ。
出たとこ勝負だ。今できる最善を取れ。
手段を――――
「<濁流>っ!」
――――選ぶな。
「<獄炎>っ!」
宙空に作られた激しい濁流に、激しく燃え盛る炎がぶち当たる。師匠は俺の魔法発動が緻密だと褒めた。感覚で使うのではない。身体の中心、臍の下から感じるエネルギーを超高速で腕に流していく。
『ディーフェクト君は、本当に魔法発動が丁寧だね』
そう言った師匠の顔を思い出す。
『丁寧だから速い。いつか私も追い抜かれてしまうかもしれないね』
そんな言葉をもらったのが数年前だったろうか。
『喜びたまえよ。君の速射は、もう私ですらも超えた。速度だけなら敵わない』
だから、こんな芸当もできる。
<濁流>で作られた激しくうねる水の球に、超高温の炎の激流が当たるとどうなるか。
水が沸騰して、急激に体積を増やし。そして、
「へえ。そういえば、魔法が上手なんだっけ」
少し間の抜けた爆音と共に、溢れんばかりの水煙となる。
水蒸気爆発とまではいかない。ある程度温度をコントロールできる<獄炎>だけど、爆発までいかない程度に加減している。姫様を傷つけるわけにはいかない。
俺達を取り囲み、何事かと様子を伺っていた人々がつんざくような悲鳴を上げた。
目も、耳も遮った。
姫様のローブの背を鷲掴み、ぐいと引っ張る。
「――――っ!? ディーフっ!?」
「姫様っ! 師匠と合流してください! 俺も後から追いつきますっ!」
叫びながら、思い切り背中側に姫様を放り投げた。つもりだが、俺の力じゃせいぜいよろよろと後ずさる程度だ。でもそれで十分だ。
「あ……アンタがいないとっ!」
いきなり重心を無理やり変えられて、尻もちをついたまま叫ぶ姫様を見る。
「俺も後から行きます……」
「で、でもっ!」
「行きますっ! ですので!」
水煙はそうそう長くは持たない。
「早く行ってください!」
「でもっ!」
「行けっ! リズ・クラドクラド=ラウエルっ!」
「――――っ!?」
姫様が走り去っていくのを、横目で捉える。
一旦はこれで一安心だ。しばらくは時間を稼げるはず。彼女をリズ・クラドクラド=ラウエルと認識したとしても、一度目を離せばまた「見も知らない誰か」に変わる。それは俺自身がこの数時間で何度も体験したことだ。気を抜けば姫様を姫様と認識できなくなる、言葉にできない違和感に顔をしかめたのは数え切れない。
群衆に紛れてしまえば、流石のアクセルと言えど、姫様を見つけることは不可能だろう。
……そうであってくれ……。
水煙が晴れる。
「殿下は……。逃がしたか。なるほどね」
「リアス将軍……。貴方には俺と……」
「心中はしないよ?」
「元からそのつもりはありません」
手段は選ばない。
「<風刃>っ!」
「本当に、魔法が上手だね。びっくりするよ。どんだけ頑張ったんだっけ?」
「そんな笑顔でっ! 素手で弾き返されながら言われても、嬉しくありませんよっ!」
っとーに……。この世界は化け物だらけだ。師匠もただしく化け物だったけど……。
俺は目の前の男の強さをゲームの、原作の知識だけでしか知らない。表示されたテキストだけでしか、知らない。
ただ、それでも。アクセル=リアスという男が恐ろしいほどに強い、ということは知っている。
物語の序盤から終盤まで常に主人公らの好敵手として君臨し。
時には、単身で主人公らのパーティーを壊滅まで追い込み。
帝国の滅亡と共に行方知れずになる、目の前の男。
主人公も、この世界では化け物の一人だ。性格はともあれ単体の戦力についての強さ、その可能性はシュヴァリスタ大陸最高峰と言っても過言ではない。
そんな主人公の仲間もまた化け物だらけだ。世界で五本の指に数えられるほどの才能を持った魔法使い。死者の蘇生をも回数制限付きで可能にする治癒魔道士。あらゆる剣技を修め、魔法を組み合わせて戦う、変幻自在の魔法剣士。剛毅で筋骨隆々な、力こそパワーを体現する拳法家。その他諸々。
そんな化け物だらけの主人公パーティーを単身で追い詰められるということが、どれだけすごいのか。
口の中で舌打ちをする。あまりにも想像の範疇を超えていて。
俺はそんな化け物じゃない。せいぜい魔法が上手なだけの一般市民だ。
だけれども……。
「リアス将軍」
「ん?」
「貴方には、俺とここでちょっとばかし――」
「うん」
自分の命と引き換えなら、時間稼ぎくらいはできるはずだ。きっと。
それだけの努力をしてきた。師匠の元で。
「――踊ってもらいます」
「……へえ、いいね。ダンスは好きだよ。何分くらい踊ればいいんだっけ?」
「数分……いえ、時間が許す限り、一時間でも二時間でも」
「面白いね。いいよ」
「ええ」
「君が立ち上がる限りは踊ろうか?」
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