第十四話
「私はここまでになります。くれぐれもお気をつけください」
「ああ、ヨハン。ありがとう。ダルス殿にもよろしく伝えてくれ」
「はい。アークマギカ殿も」
「うん。彼のことだ。うまく立ち回るだろうけど、『しくじるな』と」
「承知いたしました」
八時間ほど西へムウ車を走らせ、国境と帝都のちょうど中間地点。大きな川を中心に据えた貿易中継都市ザパデーに入ったところで、俺達はダルスの手配したムウ車から降りる。
ヨハンはこのまま取って返し、帝都に急いで戻らねばならないらしい。なんでも、念の為いつでも逃げられる準備を整えるのだそうだ。当然だろう。俺達の計画に手を貸したダルスは、姫様を拐かした罪でいつ捕まってもおかしくはない。
立場上、帝都の動向は常に把握していて、危なくなったら、すぐに身を隠す心づもりである、とのことだ。
もうすっかり日が昇り、後数刻もすれば昼時だ。姫様が忽然と姿を消してしまったことが明るみに出るのは時間の問題だ。
まず帝都で姫様の大捜索が始まる。俺と姫様を見かけた兵から深夜に歩き回っていたことが周知され、どうやら帝都から飛び出したらしいことが判明するのが、夕方くらいだろう。かなり楽観的に考えて、だが。
しかし、姫様が、俺が、師匠が、どこに向かったのかまではすぐにはわからない。今は帝城の人員も相当に逼迫しているはずで、全方位を対象とした人海戦術なんて取れようはずもない。方針が決まって行動を開始するのが明日中。となればまずまずの時間を稼げたと思って良い。
ついでに言えば、ゲームなんかじゃありがちなワープ魔法なんてものもない……わけじゃないのだが、考えなくても良い。<転移>という魔法があるにはあるものの、使える人間は限られている。師匠ですら使えない、と言えば誰もが納得する根拠になる。つまるところ、天才の中の天才、選ばれし伝説のみに使うことを許された高度な魔法なのだ。
帝国は広い。帝都からの目撃情報が一切ない状態で、姫様をピンポイントで見つけ出すのは相当に骨なはず。それこそ、ダルスが裏切って俺達の向かった先を大っぴらにしない限りは。そして、その可能性は低い。何しろ、皇族誘拐なんて、死罪以外にありえない。「オール・インする」なんて豪語したダルスが、あっさりと裏切る可能性はほとんどない。
拷問されて無理やり口を割らせられない限りは。
けれど、その可能性も高くはない。中枢深くまで潜り込んだ豪商の重要性は帝国もわかっている。かの豪商は帝国軍の装備品に関する取引を一手に担っている。商人組合みたいなものがあるらしく、ダルスはその元締めみたいなものらしい。彼が突然いなくなってしまった時の混乱は想像を絶する。姫様の価値とダルスの価値を天秤にかけた時、ダルスが勝る。それは、帝国から「ダルスを疑う」という選択肢の優先度を下げる。
というのは師匠の受け売りだけど……。まぁ、納得のできる話だ。
「というわけで、リズ、ディーフ。小休止だ」
ヨハンがムウ車に乗って去っていったのを見送った後、師匠が俺と姫様の顔を見て言った。
久しぶりに帝都の外に出た姫様が物珍しそうにきょろきょろしていて、師匠の声をさっぱり聞いていないのは御愛嬌だ。まぁ、気持ちはわからないでもない。貿易中継都市と呼ばれるだけあって、人の往来が激しく活気に満ち溢れている。
「小休止……ですか?」
顔をキラキラさせている姫様を尻目に問い返す。せっかくそこそこの時間を稼げたのに、休もうものなら無駄になってしまう、と思うのだけれど。
「ああ。生憎と、国境まで最速でも四日はかかる。足はダルスが確保してくれているが、食料や水を確保しないとね」
「どれくらい滞在する予定ですか?」
「せいぜい三時間、といったところだ。君とリズの二人で食事を済ませておいてくれ。私は出発に向けて準備をする」
そう言って師匠が小さな革袋を差し出した。手のひらに乗ったそれが、かちゃり、と音を立てる。
「そうそう、リズ」
「わぁ……すごい」
「……リズ?」
「あっ、何? 師匠」
「ローブは脱がないように。君の容貌を市井の人間が知っている可能性は低いが、ゼロじゃない。気をつけたまえ」
「ええ、わかってるわ、師匠」
姫様の返事に満足げに笑った師匠が「じゃあ、三時間ほどしたくらいにここで」と言い残して去っていく。
さて、と。遅い朝食兼昼食を摂るなら……。
「リズ様。手近な食事処に行きましょうか」
「そうね。エスコートはアンタに任せても?」
「自信はありませんが、仰せつかりました」
*****
歩いて十分もかからないところにあった食事処兼酒場に入って、席につく。ちょうど昼時だからか、満席ではないものの大盛況だ。貿易中継都市だけあってこういった店は多く、探すのに苦労はしなかった。むしろ、選ぶのに骨を折ったくらいだ。
座って一息。すると、姫様が不思議そうに周囲を見回す。
「どうしましたか? リズ様」
「ディーフ。おかしいわ。すぐに給仕がこないけど、無礼な店ね」
「え……っと。あのですね……」
姫様はこういう店は初めてだったか。いや、いうて俺もあまり来たことはない。師匠に連れられて帝都の店に数えるほど。
「こうするのですよ」
手を上げて「おおい!」と叫ぶ。俺の声を受けて、店の中を忙しなく走り回っている店員らしき男が「ちょい待て! 今行く!」とがなった。
姫様が目を丸くして俺の一挙一動を見守っている様子が可愛らしい。守護らねば、と再認識。一分ほど待つと、先程がなった太っちょの男が席へやってきた。
「おまっとさん」
「定番のメニューを二人分」
「定番ったら、ザパデー焼きだな。それでいいか?」
「あ、はい」
ザパデー焼きがなんなのかは知らないが、贅沢を言っていられる時分でもない。なんでもいいから、腹が膨れれば満足だ。姫様のお口に合うかわからないけど、まぁ我慢してもらおう。
「じゃあ、前払いで八〇ジルだ」
「えっと……これで」
「ひいふう……。あんがとさん」
店員が少し驚いたように礼を述べた。なんで? と疑問に思った次の瞬間、自身の不手際に気付く。帝都の高い店ならまだしも、庶民向けの店には多すぎるチップを払ってしまったのだ。
勘ぐられるか? と訝しんだのもつかの間、店員がにこお、っと笑う。「上客でラッキー」とでも思っているのだろう。
「ザパデー焼き二丁!」
太っちょの店員がさっきよりも大きな声でがなる。奥から「あいよお!」と威勢のよい返事が聞こえた。「少し待っててな」と太っちょが俺達に笑いかけて、また忙しそうに動き出す。姫様には聞こえないよう小さくため息を吐いた。迂闊すぎる。俺も浮足立っているようだ。
「ディーフ、慣れてるのね」
「師匠に何度か連れてきてもらいましたから」
「……へぇ?」
「え……っと、リズ様?」
「なんでもないわ。アタシはずっと引きこもってばっかりだったのにディーフばっかりずるい」
ずるい、と言われても。こういう庶民向けの店に姫様を連れてくる機会があろうはずもない。師匠につれてきてもらったのも、なんかのお祝いみたいな時くらいだ。誕生日ではない。この世界での誕生日を俺は知らない。例えば、初めて魔法を発動できた時、とかだ。
「帝都の店は比較的高めのお店ばかりでしたけど……」
遠慮がちに俺は答える。
「流石に……」
「わかってるわよっ!」
ぷんぷんとあからさまに怒り出す姫様。
帝都の最高級店であったとしても、皇族が顔を見せようものなら皆腰を抜かすだろう。そういった最高級店の料理人を帝城まで呼び出すのが皇族なのだ。っていうか、姫様はもっと良いものを毎日食べてるじゃーないですか。
なんとか宥める言葉を探していると、太っちょの店員が「はいよ、ザパデー焼き! お待ち!」とテーブルに木皿を二つ置いた。先程の多すぎるチップのせいなのか、やたらと出てくるのが早かった。
中心がくり抜かれたパンの上に、炒めた魚とチーズが盛り付けられている料理。川の近くだから、川魚だろう。チーズは貿易中継都市ならでは、か。
「わあ……」
「食べましょう」
「ええ」
姫様が初めて見る庶民向けの粗雑な料理に目を輝かせ、早速木皿と一緒に出てきたスプーンを持って一口食べる。も、すぐにものすごく微妙な顔をした。
「……食べたこと無い味だわ」
「そりゃあ……」
そうだろう。
俺も一口ぱくつく。うーん、なんとも言い難い。帝都の最高級料理人が作る料理と比べたら、月とスッポンもいいところだ。月とテナガザルかな? 過言だね? 過言だわ。
と言っても、師匠と一緒に行ったそこそこの店と比較しても相当に大味だ。素材の味! どん! なら良い。んだけど、別に素材も良いものを使ってないっぽく、ひたすらに塩っ辛い。
あ、でも……うん。これは……。
「あー、なるほど」
「え? ディーフ?」
「こうやって食べてみてください」
器になったパンの端をちぎって、魚とチーズを乗せて食べて見せる。これならちょうど良い。塩辛いのは、パンと一緒に食べるのを想定しているからで、大味な料理と、固くほとんど味のしないパンが組み合わさると、なんとも奇妙なマリアージュを醸し出す。
姫様が「えい」と掛け声を上げてから、俺の食べ方を真似る。
「まぁ、これなら……うん。珍しい味ね」
「そんなもんです。我慢してください。食べられないこともないでしょう?」
「そうね……珍しい味だけど……」
再び姫様が一口。咀嚼して数秒、眉間に縦じわを作る。
「なんというか、ものすごく珍しい味で……。うん、珍しい味ね……」
姫様? 「珍しい味」って何回言うんですか?
そりゃ、姫様からすれば街の料理屋で出される食事は大体珍しい味でしょうともよ。腐っても皇族向けの食事ばかり口にしてきた姫様からすれば、世界中の料理が「珍しい味」だ。姫様がいつも食べてる食事が珍しいんですからね? そこのところ間違わないように。勘違いしちゃだめですよ。
とは言わない。ただただ苦笑いするだけ。
しかし、これからの道中、大丈夫だろうか。少し心配になってきた。
なにしろ、俺達がこれから送るのは逃亡生活。ダルスの伝手とやらが、それなりに大したものだと仮定しても、まともな食事にありつけるのは相当先だ。戯れに師匠が食べさせてくれた、行軍用の携行食はもっとひどい。岩のように固くて、塩っぱくて、辛くて、苦い。で、口の中で咀嚼していくと味はそのままにゴムのような弾力になっていくのだ。
あれは不味かった……。しかし、あれでもまだマシだ。マシなのだ。というのはフィールドワークに付き合って、師匠の現地調達食材で作られた手料理を食べた俺の率直な感想だ。あれは料理じゃない。餌だ。
この際、はっきり言おう。師匠は何でもできる女性だが、こと料理に関しては真反対の方向に才能がある。手ずから味付けをしたものを最高に不味く作るという稀有な才能が。タチが悪いのが、師匠が作る「料理」は見た目は普通なのだ。見た目だけは普通なのだ。むしろ美味しそうなのだ。
なのに、口に入れたら舌の上に驚くべき刺激が走るのだ。味じゃない。刺激だ。
物乞いをしていた時分に、コバエがたかったネズミの死骸をかじって、数日ほど苦しんだ経験がある俺からすると、食べて腹を壊さないだけ万々歳なんだけど……。
姫様はあれに耐えられるだろうか……。まぁ、我慢してもろて……。今考えてもしようがない。なるようになれ。
と言う間に、俺も姫様も半分くらいザパデー焼きを食べた。食べられないわけじゃない。ただ、大味なだけなのだ。
さて、そろそろ食べ終わった後の相談をしなければ。
「リズ様、食べ終わったら――――」
声をかけながら、なにとなく姫様の後ろ側に視線を遣った。その俺の視線が硬直する。
「――――ッ!?」
ありえないものを見た。目を疑った。
姫様の後ろを通った人影に視線が釘付けになる。
「ディー――」
「ひっ!」
「もがもごっ!」
慌てて立ち上がって、姫様の口を塞ぐ。衝撃で、ガタン、とテーブルが音を立てて、周囲の客の数人くらいが「何事だ?」とこちらを見る。ちらりと見た後で、すぐに我関せずと視線をそらすのは、ここが貿易中継都市で色々な人間がいて、トラブルに関与しないここらの人間の処世術なのだろう。
幸い、俺が立てた音は店内の喧騒にかき消されて、視線の先を歩く主に気づかれることはなかった。
「ディーフ?」
状況を把握できていないままに、なんとなく空気を読んで声を潜めた姫様が俺の名前を呼ぶ。
「出ま……しょう。すぐに」
「え?」
「すぐに、です。店を出ます。その後で師匠と合流しましょう」
「何がどうしたって……」
どうしたもこうしたもない。
(なんで?)
俺の頭の中は、無数の「なぜ」で占められている。
何しろ。
昨夜鉢合わせた、まだ帝城にいるはずの……。
「アクセル=リアス――――ッ」
帝国第一軍の将がそこにいたのだから。
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