第十二話
ヒルマの回顧は一気に最近の出来事へ飛ぶ。ディーフェクトが自分の個室を訪ねてきた夜だ。全ての国家魔道士への前線行き指令が通達されて数日後のことだった。たった十数日前であることを差し引いてもよく覚えている。
人間がよく行う、戦争という名の営みに対する忌避感はヒルマにはなかった。ともすれば、興味深くもあった。そこに行き着いた政治的駆け引きについてではない。人間が互いに争い、殺し殺される、そんな地獄はなんとも心躍る。
論理的正しさから導き出された結果によって、人という種が非論理的に動く様はなんとも愉快だった。であるからして、前線へ赴くことに異論はなかった。
ただ、ひとつ。残念なものがあるとするなら、ディーフェクトとリズの行く末を見届けられず、自身の命が潰えるだろうことだった。しかしながら、これまで国家魔道士として享受した特権に対する責任を全うすることが当然であるという理性的な良識もあった。
だから、最後のはなむけとして助言をくれてやった。「手段を選ぶな」と。
数年の歳月が、ヒルマの中のディーフェクトに対する確たる評価を形作った。それは第一印象を覆すものではなく、むしろ強めることとなった。
――ディーフェクト君は面白い。
彼の性根は決して変わらない。淀んだ瞳はそのままで、自分の生き死にに欠片も興味がない。
だが、一方で酷く臆病でもあった。自分の生命が脅かされる以上の恐怖など常人にとって些末であるにも関わらず、だ。彼は自分の生命や幸せとはどこか外のところに価値を見出しているらしかった。そういった部分が皇女であるリズに対する無礼千万につながっているのだろうか、なんて思うと笑いが込み上げてくる。皇族の気分次第では打首になってもおかしくはないのに。
はっきり言って彼のあり方は歪がすぎる。しかしながら、その歪さにどうしようもなく惹かれた。
ヒルマの数少ない心残りである彼が自室の扉をノックしたのは、ちょうど諸々の残念な気持ちにひとしきり整理をつけたタイミングだった。扉を開けたヒルマが目にしたのは、焦燥を隠す余裕すらない顔。
ディーフェクトの変化に気づいていることなんて、おくびにも出さず尋ねた。
「おや? ディフェークト君、どうしたのかな?」
その先は愉快痛快だった。
彼は言った。「逃がせ」と。
元来、逃げるという行動は生物的本能に起因するもので、生きることを諦めたような目をする彼からは、酷く遠いもののはずだ。狂笑を抑えるのに苦労した。
そのうえで彼は言うのだ。「自分は未来を知っている」と。
――嗚呼、なんとも……。
なんとも、理解しがたい。彼の言葉に「論理的正しさ」は一欠片も存在しない。話だけ聞けば理路整然としている。しかしながら、そもそもの前提が間違っている。人間は未来を見通すことはできない。
確かにヒルマは彼に「手段を選ぶな」と助言した。そのはずだ。その帰結がこれだ。手段への配慮を全て取り払って、まさか「未来を知っている」とくるとは。
もはや、狂笑は抑えられなかった。口の端から漏れるそれが、理性的な仮面が剥がれ落ちていくことの何よりの証左であった。
初めて魔法を使ったときのような感動があった。初めてヒルマが使ったのは火の魔法だった。
火が何故燃えるのか、人間は理屈を知っている。燃える性質を持つ――つまりそれだけのエネルギーを内包する物質が空気中の小さな粒と協力して、光や熱としてエネルギーを放出するからだ。
しかし、魔法はそんな理屈を超越して、なにもないところから火をおこす。そこについての理屈は調べ尽くした。なんでも、人間が持つ生命力だとか精神力だとかをエネルギーとして、自然現象が起こるのだという。しかし、ヒルマは納得しなかった。
奇跡だ。奇跡なのだ。そこに「論理的正しさ」は無い。微塵も存在しない。
彼のあり方はそんな魔法を彷彿とさせる。
奇跡みたいな危ういバランスで成り立っているディーフェクトという少年を目の前にして、ヒルマは自身の好奇心をついに抑えることができなかった。
前線に赴き、人間同士の理解できない殺戮を眺めるよりも遥かに魅力的だ。抗いがたい誘惑だ。もっとも、ヒルマに抗う気はない。
ヒルマは自身の興味に、好奇心に忠実だ。楽しいことは良いことだ。結果などどうでもよい。彼が概ねの事柄を話し終えた時、ヒルマに迷いはなかった。
その夜からのヒルマの行動は早かった。
*****
ノックをする。控えめに。豪華ではあるが、中にいる人物を考えると質素な扉の奥から、「入りなさい」と返答が聞こえる。
「失礼いたします」
「あら? もう数日ほどかかると思っていたけど」
「それは、見くびられたものです。殿下」
ヒルマが訪れたのはリズ・クラドクラド=ラウエルの居室。彼女と胸襟を開いて会話したことはない。腐ってもヒルマは一介の国家魔道士であり、腐ってもリズは帝国の皇族に名を連ねる皇女なのだ。
普通であれば、互いに腹を探る時間が設けられたのだろう。しかし、異常な感性をもった人間同士で、合い通じるものがあった。そのような無為な時間は不要だ。
「朝方、師匠から耳打ちされたときは少し驚いたけど……」
「ええ」
「それについての話なのよね?」
ヒルマにとってディーフェクトの次に興味深い人間が彼女だった。いくつかの変遷を経て、ヒルマは皇女の人となりを正しく理解するに至っていた。
ディーフェクトは知らないだろう。彼女の心の内に潜む怪物に。それもなんとも面白い。
気付いたのはいつだっただろうか。明確なきっかけはなかったように思う。徐々に、彼女と過ごすごとに、違和感を感じ、疑惑が芽生え、確信に変わっていった。
「アタシの願いが叶う。ディーフが叶えてくれる。ようやくその気になった。そう師匠は言ったわね?」
「はい、申し上げました」
「師匠の言うアタシの願いって?」
凛とした視線を投げかけるリズは、ディーフェクトの前で一喜一憂する彼女とは別人だ。
論理的正しさはある。しかし、一部の例外を除いて、彼女の価値を帝城の誰もが見誤っていることについては業腹だ。
「結果を申し上げるだけ野暮でしょう。至る手段のほうが重要かと」
「……ふふっ、そうね。その通りよ。流石師匠、よくわかっているじゃない」
ヒルマはリズの願いを、望みを、概ね把握していた。そして、数日前の状況であれば、彼女の理想とは程遠い結末しか訪れなかったことも。
「アタシは多くを願わない」
「はい」
「多くを願わないけど、アタシの願いのためには、多くを望まなければならない」
「仰るとおりで」
「ヒルマ=アークマギカ? 協力してくれるわね?」
「仰せのままに」
――くふっ。
彼女の願いに論理的正しさはない。あるのは、リズのごくごくありふれた願いだけだ。
ディーフェクトと共にいたい。
それだけ。ただそれだけ。
ただそれだけのために、リズ・クラドクラド=ラウエルは――、
「まず、この国を落とす」
消音魔法もかけないままで、そう言い切った。
「もともと手段の一つとして取ってはおいたのよ? 種もまいていた」
でしょうとも。
「でも、ディーフがあんまり良い顔しないかなって」
でしょうとも。
「ただ、父上の行動がこうなってしまっては、そうするしかないわよね」
でしょうとも。
「さて、師匠? ダルスという豪商と付き合いがあったわよね?」
笑みが深まる。
魔法の研究は綺麗事だけじゃはかどらない。ダルスはその点都合が良かった。彼にとって商品とは、「値札がつく全て」を指す。利害は一致していた。
しかし、国家魔道士であるヒルマがダルスから何かを仕入れていたことが明るみに出た時、誹りを受けるのは必然だった。
故にダルスとの関係は決して表沙汰にならぬよう、最新の注意を払っていた。払っていたはずなのに。
――くふっ、くふふっ。
何故この皇女は当然のように知っている? 帝城からほとんど出ず、疎まれ、価値を認められず、放置されてきた少女が。
いや、知っているのだ。少女の資質を考えれば当然なのだ。
「あの男ならアタシにベットする。わかってる。だって、このままじゃ帝国は滅びるもの」
「ほう? 理由をおたずねしても?」
「直感よ」
かたや「未来を知っている」と「帝国が滅びる」と豪語する少年。
かたや「直感」で「帝国が滅びる」と豪語する皇女。
なんとも理想的なマッチアップだろうか。
「しかし、直感だけでは弱いのでは?」
「ええ、直感を裏付ける情報は握っている。ダルスにはこれを渡して頂戴」
皇女が封蝋のない便箋をヒルマに差し出した。中身は見ずともわかる。彼女の「直感」を裏付ける事実が羅列しているのだろう。ヒルマは何も言われずとも、受け取ったそれに魔法で封をする。
「師匠? わかっているわよね? それは飽くまで――」
「これは私がしたためたもの。ダルスは私の筆跡を知りません」
「わかっていれば良いのよ」
あの薄暗い豪商とは長い付き合いだ。しかし、彼の手元にヒルマの痕跡は一切残していない。自身のサインや手紙など言語道断だ。
そこまでこの皇女は理解している。見通している。
リズは聡明だ。悪辣で、狡猾で、傲慢で、強欲で、非常識で、酷薄で、そして……、
「全てが終わったら、ディーフはどんな顔をしてくれるかしら」
夢見る乙女なのだ。
おおよそ他者のつながりなど必要としない彼女が、ただ一人の少年に固執している。
おおよそ誰かの助けなど不要と切り捨てる彼女が、ただ一人の少年に固執している。
そこに、論理的正しさはない。
――くふっ、くふふふふっ。
これほど心躍ることがあろうか。これほど胸が高鳴ることがあろうか。
歴史は論理的正しさの積み重ねとすれ違いでできている。しかし、極稀に正しさとはかけ離れたものが大きく世界を変貌させる。
この皇女もそうだ。正しくはない。どれだけ小綺麗な理屈を並べても、彼女の本質には近づけない。
「殿下」
「なあに? 師匠?」
「私は自身の興味に、好奇心に忠実です」
「知ってるわ」
こともなげにリズが言う。
「ここに誓っていただきたい」
「何を?」
すべて知っているくせにいけしゃあしゃあと。
リズの訳知り顔に、小気味の良ささえ感じる。ヒルマはこちら側の彼女のほうが好みだった。
「私を飽きさせないことを」
それが、それだけが、彼女の生きる意味。
「誓いましょう?」
そして、容易く誓約する、してしまう。それが、彼女の、
「アンタを死ぬまで満足させてあげるわ」
仮面の裏に隠した、本性であった。
*****
「アタシが、この国を、奪い取る」
ヒルマは回顧から戻ってくる。
笑いを抑えろ。ここで笑ってしまっては、面白くない。
ディーフェクトが、リズが、どのように踊るのか。
自身をどう踊らせてくれるのか。
わからないから楽しいのだ。わからないから興味が尽きないのだ。
驚愕に口をパクパクと開け閉めしている少年を見て、少しばかり申し訳なく思う。思うがもう賽は投げられた。彼がどれほど驚いても、止めようとも、足掻こうとも。転がる岩は止まらない。
そういえば、彼は未来を知っているのだったか。物語の結末を知っているのだったか。「知っている」というのは、どこからどこまでを指すのだろうか。今目の前のこの状況も、彼の知る「未来」に含まれているのだろうか。「物語」に含まれているのだろうか。そもそもが、信じられる話ではないのは、この際置いておこう。
だって、未来を知っているなんて。
――あんまりにもつまらない。
まぁ、関係はない。ヒルマには関係ない。その言葉が真実であれ、虚実であれ。
(君の思っているとおりにはなるまいよ。おそらくね)
これは予想ではない。確信だ。
彼の思ったとおりに進めば進むだけ面白みは減るのだから。
だからせいぜい。
――あがいて、驚いて、死ぬ気で私を面白がらせてくれ。
面白いということは大事なことだ。面白さのためなら、ヒルマ=アークマギカは自身の命すら天秤にかけられる。
ああ、そうか。今、どうして、ここまでディーフェクトやリズに興味をいだいたのか、ようやくわかった。得心がいった。
やれやれだ。彼女は思う。私にもこんな愛すべき「論理的正しさ」があったのだ、と。
自身と近しい性質を持った人間に親近感を、それに近しい何かを覚えるのなんて、なんとも正しいではないか。
その正しさが、ヒルマにとって心地よいことも、人生で初めての経験であった。
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