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第十話

 帝城を抜け出して帝都へ。皇帝のお膝元とも呼ばれるこの都は帝国が持てる技術の粋を集めた大陸有数の魔導科学都市だ。


 道は舗装され、建物は高く、数メートルごとに据え置かれた街灯が煌々と俺達を照らす。帝国の始まりの地であり、帝城を中心として栄える眠らない都、ラウランド・ゼロ。


 もう日も変わろうという頃合いなのに、いまだ活気であふれる帝都の歓楽街を歩く。歓楽街なんて言うと聞こえが良いが、実態はぞくりとする裏社会の息遣いが首筋に感じられる、金と強欲の渦巻く一画だ。帝城から商業区画へ行くためには、ここか一般居住区画を通らなければならない。


 姫様が興味深そうにきょろきょろとしているが、ローブの効果もあってか誰も気にしない。ローブがなければ、身なりの良い姫様はあっという間に種々の不貞な輩に目をつけられるだろう。


 勿論、あちらこちらから向けられる下卑た視線から推測するに、師匠(せんせい)も目をつけられているはずだ。けれど、実際の行動に移す人間はいない。国家魔道士であると喧伝するような要素はなくとも師匠(せんせい)に悪行をはたらくような真似はできないのだろう。そんな命知らずは帝都の歓楽街では生きていけないのかもしれない。


 ちなみに「歓楽街を通る」と告げられたとき師匠(せんせい)と俺との間で少し揉めたことは割愛する。一つ語るとするならば、「木を隠すなら森の中だよ?」と言われ、ぐうの音も出なかったことくらいだろう。


師匠(せんせい)……」


 無遠慮な視線を受けながら声を潜めて師匠(せんせい)を呼ぶ。もう歓楽街の端っこ。あと二、三分も歩けば商業区画にたどり着く。


 目的地は商業区画の一番大きな屋敷と師匠(せんせい)は言った。そこに誰が住んでいて、誰と会うために向かうのかは、俺も姫様もわからない。しかし、「商業区画」と「一番大きな屋敷」という二つの要素が合わされば、大成功をおさめた商人であることくらいは容易に想像がつく。


「なにかな?」

「いえ、ただ……。どんな人をこれから尋ねるのか、と」

「なるほど。つまり君は、私が口利きをした人間が本当に信用できるのか、と訊いているのかな?」

「いや、そこまでじゃないですけど……」


 噛み砕くと、まぁそういうことだ。


 商人と一言で言っても様々だ。勿論もういないこの世界での両親も行商人だった。微かな記憶では、それなりにあくどいこともやっていたように思う。むしろそれが商人の本懐であるように、誇らしげに教育された覚えもある。


 とは言え、商人という人種の多くは金勘定で物事を考える。金を信仰し、金に忠義を近い、金に貪欲だ。


 だからこそ、これから尋ねる人間が本当に信用できるのか多少疑問だった。いや、師匠(せんせい)なら、そのへんも抜かりないのだろうけど。だから、一応の確認だ。


「まぁ、会って話せばわかるよ」

「はぁ」


 俺の顔を一瞥した師匠(せんせい)はそれ以上語らず前を向く。何かしらの考えがあるのだろう。現状俺は師匠(せんせい)にお願いするだけして、何もできていないのだから口出しできる立場にない。不安は不安だけれど、大人しく成り行きを見るしかないのだ。なんとももどかしい。


「ディーフ、大丈夫よ。師匠(せんせい)だもの」

「いえ、はい」


 後ろを歩く姫様がぼそりと心配そうな声をかけてくれる。わかっているのだ。わかっているからどうしようもないのだ。


 不安を胸に抱きながらも俺達は商業区画の入口にたどり着いた。



 *****



 一転して商業区画は人気が無く、薄暗い裏路地を通ることを余儀なくされた。裏通りは危険な印象があったが、商業区画はそうでもない、とは師匠(せんせい)の言だ。その発言を裏付けるように、目立ったトラブルとは無縁に俺達は目的地までたどり着いた。


 思わず、はえー、と声が出る。


 でかい。とにかくでかい。この帝都でこれだけの屋敷を建てるのに、一体どれだけの財力が必要なのか想像もつかない。姫様も同様の感想を抱いたようだ。俺と姫様が世間知らずなだけではないと信じたい。


 まだ幼い姫様と城を抜け出して散策したときはなかったはずだ。


「お待ちしておりました。アークマギカ殿」

「出迎え、感謝する。ヨハン」


 唐突にかけられた声にびくりとする。さっきまで誰もいなかった門前に、いきなり執事っぽい人物が出現したのだ。思わず姫様を後ろ手にかばう。


「旦那様がお待ちです」

「うん。ありがとう。案内してもらえるかな?」

「こちらです」


 ヨハンと呼ばれた年老いた執事は師匠(せんせい)の言葉に首肯し、門を開けてこちらを見る。着いてこい、とそういうことなのだろう。どうするべきか悩む間もなく、師匠(せんせい)が彼の背中を追いかける。俺も姫様も遅れないように早歩きで二人のあとに続く。


 屋敷の庭に足を踏み入れて十歩ほど歩いた時、背中側で重苦しい金属音がなった。後ろを見ると門が閉まっている。逃げ道が塞がれた事実を受けて、僅かに緊張が走る。


 屋敷の大きさに負けず劣らず、庭も広い。最低限歩くのに不自由しない程度の明かりしかなく、目を凝らさないとよく見えないものの、造形にも相当金がかかっていることがわかった。


 大成功をおさめた商人?


 とんでもないことだ。大成功どころではない。指折りの豪商じゃないか。その事実に胸中を占める不信感が大きくなった。度を越した財を成すためには綺麗事だけではやっていけない。


 どれだけ広い庭も始まりがあれば終わりがあるもので、あっという間に屋敷の玄関までたどり着く。ヨハンが扉を開けて、中へ入るよう促した。慣れた様子の師匠(せんせい)に倣って、玄関をくぐる。虎穴に入らずんば虎子を得ず、とは言うが、虎穴ではなくもっとおぞましいものの棲家に思えて、身震いをした。


 姫様は……特に動揺した様子もない。目を見張る豪胆さに感心するが、もう少しだけ慎重さを身につけてほしい。なんて思うのはわがままになるだろうか。


「ディーフ、ビビりすぎじゃない? 自分の立場を思い出しなさい」

「自分の立場って……、えっと姫様?」

「ちょっ! 姫様禁止、って師匠(せんせい)が言ったでしょ? 忘れたの?」


 迂闊にも、ついさっき禁止令を出された「姫様」という単語が出てくた口を抑える。


「リズの言うとおりだよ、ディーフ君。ま、ここの主人は概ね状況を正しく理解している。だが、屋敷の外では厳禁だ」

「う……すみません。それで、リズ様。俺の立場って?」


 謝罪と反省の後、さっき聞きそびれたことを姫様に問い直す。


「アンタはアタシのお付き。アンタがそうビクビクしてたら、アタシまで低く見られるじゃない」

「低く見られて物事がどうにかなるなら、いくらでも見くびられたいんですけど」

「……呆れた……。まぁ、いいわ」

「いや、『まぁ、いいわ』じゃなくて――」

「ほら、ディーフ。着いたみたいよ」


 真意を問いただそうと出した声は、他ならない姫様に遮られた。見ればヨハンが豪華な扉をノックし終えたところだった。中から「おう」と粗野な返事が聞こえる。


「お入りください」


 振り向いたヨハンが淡々と告げ、後ろ手で扉を開けた。ごくりと生唾を飲み込んだのは俺だけだった。


「よう、ヒルマ」


 部屋の中には、ギラギラとした服や装飾品に身を包んだ熊のような体格の男がいた。大きな机に座り、太い葉巻を嗜んでいる。その先からくゆらせている煙が、なんとも言い難い悪趣味な香りを部屋に充満させていた。部屋全体が煙い。悪臭に姫様が小さく咳き込んだ。


「やぁ、ダルス殿。此度は――」

「前置きやら、着飾った台詞やらは、要らねぇ。時間の無駄だァ、そうだろ?」


 粗野な言葉遣いで師匠(せんせい)の言葉を遮る。


「金は受け取った。準備もできてる」

「話が早くて助かる。何しろ時間がなくてね」

「いい。んで? 金とは別のもう一つの契約は? それが重要だァ、そうだろ?」


 金とは別の重要な契約? 商人が金以外を要求するとは。


 いや、ビジネスは単純な損得以外も重要だ。しかし、俺達が提示できるものは何一つない。それこそ金くらいだ。


「あぁ、そうだね。ダルス殿、この部屋に目や耳は?」

「永続的な消音魔法をかけてる。部屋の外にゃコバエの羽音すら聞こえやしねェ。ヨハン、そうだろ?」

「はい、旦那様の仰るとおりです」


 扉の前で待機していたのだろう。ヨハンの方にダルスが視線を向け、ヨハンが言葉少なに答えた。


「信じるよ。リズ、フードを脱いでくれますか?」

「え?」


 間抜けな声を出したのは俺だ。


「せっ! 師匠(せんせい)!? なんのためにっ――」


 姫様にローブを着せてきたと思っているのだ? いや、さっき師匠(せんせい)は「ここの主人は概ね状況を正しく理解している」と言った。だから大丈夫なのか? いや、でもっ。


「ディーフ」

「ひめ……さま?」

「姫様禁止でしょ? 大丈夫だから」

「は?」


 一人だけ取り残されて情けなくうろたえる。そんな俺をよそに、姫様がゆっくりとフードを脱いだ。


「……ほォう、本物だなァ」


 ダルスが舐るように、姫様をねっとりと眺めた。つま先から頭の上まで。


「――――!?」


 その様子に、腹の中のものが一気に沸騰するのを感じた。思わず懐の杖に手をかける。


 ――姫様は、その御方は、お前の下卑た金勘定で見て良い人じゃない。


 魔法の詠唱が喉元まで出かかった俺を、師匠(せんせい)が手で制す。涼しげに口元だけ歪ませて。笑っていない目元が、瞳が、俺を捉える。「落ち着きたまえ」とでも言うかのように。


 ぐつぐつと煮えたぎっていた脳味噌に冷水をかけられ、俺はぴくりとも動けなくなった。


「リズ、この間言ったとおりだ」

「えぇ、わかってるわ、師匠(せんせい)

「うん。ここで誓ってくれ、改めて」


 何が起こっている? 姫様と師匠(せんせい)は何を誓った? 俺のいないところで、何が起こっている? わからない、わからない。何一つ理解できないけれど、俺は何もできない。




「主上を退かせ、貴女が成り代わることを」




 何を言っているのだろうか。主上? 成り代わる? 姫様が? 師匠(せんせい)の言葉を何度も咀嚼しようとするが、何一つ理解できない。


「せっ! 師匠(せんせい)!?」


 代わりに出たのは、師匠(せんせい)を咎める言葉。


「黙っていたまえ。ディーフェクト君」


 城を出てから愛称呼びを崩さなかった師匠(せんせい)が、「ディーフェクト君」と俺を呼ぶ。一方の俺は今何が起こっているのか理解できていない。説明と弁明を求めて師匠(せんせい)を見つめる。


「なんでェ、ヒルマ。その小僧には言ってなかったのかァ?」


 呆れたようにダルスが下卑た笑い声を上げる。その表情が癇に障り、杖にかけた右手に力がこもった。


「坊主。やめとけ。そりゃ、ヒルマが必死こいて取り付けた契約をここでおじゃんにするような真似だァ、そうだろ?」


 鋭い視線でダルスが俺を()めつける。


 ことの成り行き次第では暴れ出すことも厭わない心づもりだった。しかし動けない。目の前の男によって、ではない。原因は――


「おい、ヨハン。大丈夫だ。このガキは何もしやしねェ」

「そうは思えませんが……」

「だが、分別はある、そうだろ?」


 背中側から感じる重圧だ。ヨハンとかいう執事から感じる圧力が半端じゃない。ここまでの実力者だったか? まるで一歩でも動けば殺されてしまうような……。さっきまで、そんな素振りは少しも見せなかったのに。


「坊主にもわかるように説明してやろう。ヒルマから『リズ殿下と一緒に逃げるから手を貸せ』なんて話を持ちかけられた時にゃ、驚いたもんだ。最初はにべもなく断ろうとした。普通なら断るべきだァ、そうだろ?」

「そりゃあ、そうだね。私だって、ダルス殿の立場ならそうするよ。皇族誘拐は死罪に匹敵するからね」

「あぁ、ヒルマ。そのとおりだ。だがなァ……坊主」


 ダルスが我が意を得たりとばかりに唇を歪ませる。


「殿下が戻ってきて、この国のトップにすげかわるってなりゃ、話ァ別だ」


 姫様が帝国にトップに?


 瞬間、俺の頭の中には、自身の選択が間違いだったのでは、という考えが浮かんだ。師匠(せんせい)を頼ったのは根本的に間違いだった?


 いや、でも。そもそも俺は姫様を逃がした後どうするつもりだった? 主人公のヒロイン候補に据えて、その後は? 逃がすとして、どうやって主人公らと出会う? 原作知識をもってしても困難がすぎる。


 とにかく逃がす。姫様を。それだけだ。方法まで頭がいってなかった。自分の能無し加減に腹が立つ。


 だから、思考が追いつかない。

 女皇になる? 姫様が? どうやって?


「こりゃ賭けだ。俺ァな、ギャンブルにゃめっぽう強い。だからここまで金持ちになれた、そうだろ?」

「何度か相席したけど、ダルス殿の強運には驚かされたよ」

「ははっ! リズ殿下。なんとしても、アンタが帝国のトップになる。オール・インする条件がそれだ」


 バカバカしい。そんな条件受けられるか。


 そんな俺の思いとは裏腹に、姫様が小さく笑った。


「……ただの業突く張りかと思ってたけど、案外見どころあるじゃない」

「そりゃ重畳だァ、そうだろ?」

「えぇ。アタシにオール・インするなんて判断、今この瞬間にはできないわよ。でも、気に入ったわ。後悔はさせてやらない」

「後悔する気なんざさらさらねぇよ」


 いやいやいや。姫様? 俺が目指してたはずの「ちょっと素直じゃない」だけの姫様はどこにいったので?


師匠(せんせい)に話を持ちかけられるもっと前から、アタシはそのつもり」


 不敵な笑みを浮かべて、堂々たる立ち居振る舞いで、姫様が指をダルスに獰猛な笑みを浮かべる。


「アタシが、この国を、奪い取る」


 マジで、本当に! ちょっと待って!! いや、待ってください! お願いします! 姫様!


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