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第一話

 視界が色彩を無くしたことが、遠い昔のように思える。気力も体力もすっかり削り取られてしまって、残ったのは俺という残骸のみ。


 もはや惰性で生きていた。アテもなく逃げて、逃げて、逃げて。ようやく名前もわからない街にたどり着いた。高い防壁に囲まれた、こじんまりとした城塞都市だ。


 たどり着いたまでは良いものの、入るのは一苦労だった。曲がりなりにも城塞都市だ。余所者を簡単に通してはくれない。だから、周囲の目を盗んで行商人の荷車に忍び込んだ。


 しかし、それでめでたしめでたしとはいかない。結局俺はどこまでいっても身元不明の人間であって、この街にとっては異物だ。


 ふらふらと衛兵や自警団の目をかいくぐって、薄暗い路地裏に入り込む。同じような境遇なのだろう人間が大勢無気力に座り込んでいた。少しだけ値踏みするような、恐れるような視線を受けたが、それも一瞬のことだった。彼らは俺を「自分たちと似たような行く宛もない無害で無力なガキ」だと認識したらしかった。次の日からは俺も彼らの仲間入りを果たした。


 つまるところ、物乞いだ。


 汚れた路地裏で無気力に座り込み、たまに通る身なりの良い人間に向かって両手を掲げるだけ。腹はすくし、身体はどんどん汚れていく。夜眠りにつくときですら、「このまま自分は目を覚まさないのではないか」と不安に苛まれる毎日に、かろうじて残っていた人間としての尊厳さえ摩耗していった。


 ――もういい。もうつかれた。


 生きる気力なんてとうに失っていた。そんな状態でも腹はすくし、呼吸は止められない。萎びた精神とは裏腹に肉体だけが必死で生きようとあがいていた。自殺も試したが、いざ実行にうつさんと鋭い破片を首元に突きつけた瞬間に身がすくんだ。死を選ぶ勇気すら持てない自分に絶望した。


 何もかも諦めきって、ボロボロの壁に疲れ切った身体をもたれさせるだけの日々を過ごす。この街に忍び込んでから何日経っただろうか。


 そんなある日のことだった。


 誰かが近づいてくる音が聞こえる。にわかに俺以外の物乞いがざわめいた。あわよくば数日分の食事にありつけるかもしれない。


 俺も例に漏れず、同じように両手を掲げ、かすれた声で「お恵みを」と呟く。通りがかった相手の顔は見ない。見ないことが自分の身を守るということは、物乞いを始めた初日に学習していた。


「……子供の乞食は珍しいわね……」


 珍しく声をかけられて驚き、衝動的に顔を上げる。上げてから、まずいと思った。


 しかし、その感情も長くは続かなかった。


 裏路地にはふさわしくない美少女が腕組みをして立っていたからだ。


 金の絹糸のような巻き髪に、いかにも気の強そうなつり上がった眦。うちに秘めた激情を感じさせる、燃えているようにも見える鳶色の危うげな瞳。しかし、見た目から想像できる気性の荒さを差し引いても十分に美しかった。歳は同じくらいだろうか。


 そんな、太陽のような格好をした美少女に、あまりにも汚れた裏路地にはそぐわない高貴な佇まいに。


 見惚れた。


「ふうん。そこらの乞食では見ない珍しい瞳をしてるわね。アンタ、どう思う?」

「……殿下の仰るとおり、魔に愛された眼をしています」


 彼女と護衛とのやりとりにはっとして、再び俺は顔を俯かせる。少女のインパクトが強すぎて、後ろに控えていた護衛に全く気づかなかった。ここらの物乞いが束になっても敵うことはないだろう偉丈夫だ。


 数秒前に頭の中を駆け巡った緊張感が、大きくなってかえってくる。


 心を落ち着けて、再び「お恵みを」と言った。返ってきたのはいかにもつまらなそうに鼻を鳴らす音。


(おもて)を上げなさい」


 鈴のように凛と響く声が、頭の上から降ってくる。しかし、顔を上げるわけにはいかない。もちろん「厄介事に巻き込まれたくない」という思いもあったが、それ以上に彼女に自分の汚らしい顔を見せたくなかった。


「……顔を見せろと言っているのが聞こえないの? このアタシが命令してるのに? いい度胸ね」


 ひゅっ、と息を呑む音が聞こえた。他ならない自分の喉から。顔を上げられない理由が一つ増えた。端的に恐ろしい。


 しばらくの静寂。その後で、ため息と舌打ちの音。


「仕方ないわね。あんまり触りたくないんだけど……」

「でっ! 殿下手ずから、物乞いにふれるなどっ!」

「黙りなさい。ほら、ちゃんとこっちを見なさい?」


 震えながらじっと時が過ぎ去るのを待っていた俺の頭が、がしりと掴まれ、無理やり上を向かされる。少女が不敵な微笑みを浮かべながら俺を見る。


「魔力を帯びた瞳。その目、気に入ったわ。よくこの顔を覚えなさい。アンタが生涯仕える者の顔よ」



 *****



 カーテンの隙間から入る薄白い光を顔に浴びて、自然と目を覚ました。


 まだシパシパする目を擦って、ベッドから起き上がりカーテンを開ける。あと数十分ほどで訪れる日の出の前準備とでも言わんばかりに、空が白と赤の美しいグラデーションを誇示していた。


 あくびを一つ。部屋に備え付けられた水道から水を出し顔を洗うと、霞がかった思考が鮮明になる。部屋に魔法を利用した水道があるなんて、小姓(ペイジ)としては破格の待遇だ。


「……懐かしい夢を見たな……」


 本当に懐かしい記憶だ。最近じゃ夢にも見なくなっていたのに。この世界での俺の人生が変わった瞬間だ。


「――ィーフ! ディーフ!」


 かすかに姫様の声が聞こえる。他ならない俺の主人、リズ・クラドクラド=ラウエルの美しい声だ。


 姫様の名前を初めてフルネームで聞いたときは大層驚いたものだ。前世で俺が死ぬほどプレイした成人向けゲームの悪役皇女の名前と一緒だったのだから。


 っていうか本人だった。つまるところ俺は、ゲームの世界へ異世界転生したのだ。


 もちろん否定する材料は探したさ。くまなく探した。けれど、探せば探すほど「ゲームの世界に転生した」という事実を裏付ける証拠ばかりが出てきた。


 そんないくつもの証拠を突きつけられた俺は、やがて現実を受け入れ、そして諦めた。


 さて、この世界。エロゲーにしては珍しい、シュヴァリスタ大陸という架空の大陸を舞台にした、いわゆる剣と魔法の大作ロールプレイングゲームなのだが……。


 如何せん人間の命が軽い。まるで羽のように。いや、自分自身が身を持って人の命の軽さを実感するとは思わなかったんだけどさ。姫様に拾われなかったら俺どうなってたんだろうな。なんて考えると、今でも身体が微振動を始めるから困ったものだ。


「ディーフっ!!!」


 っと。そんなモノローグに浸ってる場合ではなかった。姫様が俺をお呼びだ。美しくも気の強さを感じさせる、凛とした声がどんどんと近づいてくる。


 手早く準備を済ませないと、と小姓(ペイジ)用の一般的な制服をタンスから引っ張り出し、手早く脱いだ寝間着をベッドに放り投げようとした。その時だった。


 バーン、と大きな音を立てて部屋のドアが開け放たれた。


 寝間着のズボンを脱いでいる途中の俺と姫様の目がバチコーンと合う。数秒の沈黙。


「……き、着替え中だったの。だ、だったらそう言いなさいよ」

「っキャーーーーーーーー!」


 リアクションが男女逆ではないか? というツッコミはなしにしてもらおう。


 急いで着替えて、姫様に詰め寄る。


「ひ・め・さ・ま!?」

「なななによう」


 睨みつける俺から、姫様が目を逸らす。唇を尖らせて。いや、その顔はかわいい、かわいいけどっ、俺はごまかされない。ごまかされないからなっ!


「帝国の皇女にあるまじき振る舞いですよっ!? せめてノックくらいしてください! 俺だから良かったものの、他の殿方だったらどう思われるかっ!」

「う、うるさいわね……。ディーフの部屋じゃなかったらちゃんとするわよぉ」

「何事も例外を作るといざというときに化けの皮が剥がれるんですっ! 普段から皇女らしき振る舞いをですねっ!」

「あー、もう! わかったわよ! ディーフのお小言はたくさんっ! それよりっ!」


 姫様が一転して負けじと俺を睨み返す。


「約束っ!」


 やくそく? 約束……、約束……。


「……ああ」


 今朝見た夢のせいですっかりすっぽ抜けていた。姫様がじとりと俺を見る。


「忘れてた、とか言わないわよねえ?」

「まさか。姫様? 俺が姫様との約束を忘れるわけがないじゃないですか。姫様の気が早すぎるのです。ほら外を見てください。まだ朝日も顔を見せてませんよ?」

「……確かにそうね……。でも、なんだかうまくごまかされた気がするのだけど」

「細かいことは良いんです。さ、俺の準備も終わりました。行きましょう」

「……ま、良いわ。そうしましょう。来るときにちらっと見たけど、師匠(せんせい)とっくに待ってたわよ」


 そう、今日は姫様と早朝特訓をする日だ。約束の時間は、日の出の時間に、だ。だから少しだけ早いっちゃ早いのだが、とはいえ師匠(せんせい)を待たせているのは非常に申し訳ない。


 小走りで俺の部屋を出ていく姫様の後を追いかける。小走りとはいえ、姫様の身体能力は俺よりも数段上で、速度が半端ない。一般人を自負する俺じゃ全力疾走だ。廊下を走るのは立派にマナー違反なのだが、早朝だから誰も見ていないだろうし、何よりも師匠(せんせい)が待っている。普段から姫様のマナーに厳しい俺だが今日ばかりは口を噤むことにした。


 数分ほど城内を走り中庭に出た。城ってのはなんでこう無意味に広いんだろうな。いや、意味はあるんだろうけどさ。ちょっと移動するだけで一苦労だ。


師匠(せんせい)! お待たせしました!」

「ん……。お早い到着でしたね、殿下。まだ日の出前ですよ?」


 中庭の中心、噴水の縁に座って自身の杖剣を弄んでいた師匠(せんせい)が、姫様の挨拶に顔を上げて苦笑いした。


「ディーフェクト君も。朝早くにお疲れ様」

「いえ、とんでもないです」


 そして、俺の顔を見てにこりと笑う。


 すらりとした高い身長に、肩上でバッサリと切り揃えられた翡翠色のボブカットが美しい。うーん、いつ見ても、師匠(せんせい)はキレイだ。


 ヒルマ=アークマギカ。帝国の国家魔道士で、普段はもっぱら帝国の魔法技術発展のために研究に勤しんでいる。縁あって俺と姫様に魔法と剣術を教えてくれる先生だ。


 はっきり言おう。俺はこういう涼やかクールな美女が大好きだ。


「……ディーフ?」

「なんですか? 姫様」


 何故か姫様が突然俺の名前を呼ぶ。なんだか不穏な声色に聞こえた気がするが、気の所為だろう。


「……まぁ良いわ。師匠(せんせい)、今日もよろしくお願いいたします」

「承りました。では今日は、一通りの属性で前回よりもワンランク上の魔法をお教えします。ディーフェクト君は……」


 スカートを持ち上げて可愛らしくお辞儀をする姫様に笑いかけた後で、師匠(せんせい)が俺を見る。


「あ、はい。そのへんで自主訓練し――」

「いや、殿下にお手本を見せたいんだ。ディーフェクト君、試しに水の中級魔法を使ってくれないか? ゆっくりだ」

「え? いいですけど、師匠(せんせい)が見せたほうが……」

「いいから」


 やんわりと師匠(せんせい)が俺の反論を封じる。


 別に異論はないのだけど……。杖を出し、右手で構える。


「じゃあ……」


 少しだけ頭を悩ませ、どの水魔法を使うか考える。姫様がこないだ使った魔法から考えるに、師匠(せんせい)が教えようとしている魔法は……。


「……<濁流>」


 古代言語で魔法の発動キーを詠唱する。下腹部、臍の下あたりが熱くなって、その熱が胸、右肩、右腕、右手の順に流れていく。


 そして、指先からエネルギーが杖に伝わり、魔法が発動した。


 風呂桶二杯分くらいの水の球が宙空に現れ、音がなるほどに速く、複雑にうねりを上げる。普通の人間なら、身体がぐしゃぐしゃになるだろう勢いだ。


 三十秒ほど経って、水はあれだけの激しいエネルギーを以て蠢いていたのが嘘のように消えた。


「うん。見事だね」

「でも師匠(せんせい)も使えますよね?」

「ディーフェクト君の魔法発動は緻密だからね。私がやると殿下が混乱するんだよ。魔法発動の丁寧さと、それに裏付けられたスピードだけは私よりも君の方が上だ」


 ああ、そういうことか。師匠(せんせい)の意図するところを理解する。


 魔法はこの世界ではごく当たり前のもので、簡単なものなら練習すれば誰だって使える。子供ですらだ。


 でも、俺は前世に引っ張られて、「魔法を使う」という感覚を掴むのに苦労したものだ。才能がないわけではないらしかったので、理屈の理解から初めて、苦労して習得した。


 だから、この世界の人達からすると俺はものすごく丁寧に魔法を使っているように見えるらしい。俺からすると、感覚でポンポン魔法を使えるこの世界の人間に、若干の頭のおかしさを感じてしまうのだが……。


「恐縮です」

「君のセンスにはいつだって驚かされているよ」


 俺と師匠(せんせい)が微笑み合っていると、視界の端で姫様がぶーたれていた。


「……いっつも思うけど、アタシよりもディーフの方が魔法上手いとか、腑に落ちないわ」


 不満げな姫様の声に師匠(せんせい)が笑う。


「殿下。人間には持って生まれた才能というものがあります。ディーフェクト君は魔法の才能が。殿下には剣術や体術の才能が。殿下ほどの才に恵まれながら魔法もある程度使えてしまうことが驚くべきことなのです」

「でも師匠(せんせい)の方が上手いわ」

「そりゃあ、年の功というものがありますから。あまり腐らないでくださいませ」

「わかってるけど、なーんか納得いかないのよねえ」


 師匠(せんせい)の丁寧な説明を聞いても、未だに不機嫌そうな姫様に、俺と師匠(せんせい)は顔を見合わせて苦笑した。


「とにかく、殿下? 近々の目標は今ディーフェクト君が使った魔法を使えるようになることです。頑張りましょう」

「わかったわ! ディーフ! 今に見てなさい! すぐにアンタに追いついてみせるんだから!」


 姫様が杖を何度も振って、<濁流>の練習を始める。そんな姫様に師匠(せんせい)が助言を浴びせる。


 ぼうっと二人を眺めて数秒。


「……俺も自主訓練するか……」


 手持ち無沙汰になったので、俺も杖を構えて魔法コントロールの訓練を始めるのだった。

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