表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

極彩色の妖精の愛し子が貰った手紙

ジョゼットは憂鬱だった。ドレスを持った侍女に身なりを整えられた時から変だと思っていた。夜会に招かれたものの、一人で入場させられた。周囲からの好奇な眼差しは、ジョゼットが珍しく夜会にいるからなのか、一人だからか。


彼女の婚約者は王太子。彼は別のご令嬢をエスコートしている。公爵家の方なのだそうだ。二人が並んで歩くと周囲の人が喜ぶ。ジョゼットではない。


美しい。

お似合いの二人。

凛々しい眷属を連れている。


ああ、また乖離だ。ジョゼットが見ている世界とは違う。きっと王宮の魔法使いが隠しているんだろう。王太子は毒ガエル。公爵令嬢は優雅な猫。


二人の眷属は他の皆にはどう見えているのだろう。

この国に生まれた者は一人一人に必ず眷属がいる。眷属はなんらかの生き物。主人(あるじ)にだけ聞こえる言葉を話すらしい。


生きていく上で大切なことを教えてくれたり、未来に役立つことを学ぶよう促してくれたり。危険から守り、時には話し相手に。どこまでしてくれるのかは眷属になった生き物にもよるらしいが、ジョゼットには分からない。全て本から得た知識だ。


ただ一人だからだ。周囲にはいない。この王国で眷属がいないのはジョゼットだけ。王太子がジョゼットを嫌うのもそれが理由だった。あの公爵令嬢の横をしゃなりしゃなりと歩く高貴な猫、なかなかいない格の高い眷属。


王太子の眷属は他の人にはどう見えているのだろう。一般的に眷属は他の人にも見えている。眷属になった生き物への印象がその人の性格に直結するとも言われていて、実際共通項が多いという研究結果もある。


流石に王太子の眷属が毒ガエルではイメージが悪いのだろう。他にも眷属の見た目を変えている貴族は何人かいる。ジョゼットが見た眷属と周囲の評判が乖離している者は高位貴族に数名。


もちろん本人が心身を鍛えると眷属が変化や進化をすることも知られている。本来は魔法で隠すことはせず、研鑽や鍛錬を積むことで評判が上がるように努めるものだ。


残念ながら王太子の眷属はずっと変わらない。何もしていないのだろう。毒で身を守り、小さな自分の誇りを守る。国を負う立場にはきっと相応しくない。魔法使いはどんな気持ちで加担しているのだろうか。


ジョゼットが耳を澄ますと「獅子王」と聞こえてきた。王太子の見せかけの眷属は大きな猫のような動物なのかもしれない。


「ジョゼット・ダルタン、貴様との婚約を破棄する。眷属がいない者は王太子妃には相応しくない」

彼の毒ガエルがジョゼットに毒を吐いた。会うたびこうだ。辟易する。


いつものように風が吹いて、ジョゼットは毒から守られた。姿は見えないがいつも危険から守ってくれる極彩色の残像。偶然か故意か。王太子が舌打ちをする。こちらは意図的か。

「アドリアーナが快く婚約を受けてくれた。これからはこのアドリアーナと共に国を守る!」


王太子がアドリアーナの腰を抱き寄せ、円満を強調した。ジョゼットにはしたことのない行動。仲良く寄り添い合う二匹の眷属。ジョゼットには戦っているようにしか見えないが、周囲の反応から察するに仲睦まじいようだ。


「王太子殿下、この度はおめでとうございます」

歩み出た男がいた。ジョゼットは彼が連れている眷属を見て驚いた。不死鳥だ。初めて見た。命の炎を燃やし、何色もの炎色を纏っている。色彩の洪水。美しい。ジョゼットの目から涙が一筋零れた。


あまりに美しいものを見ると人は泣いてしまうのだとジョゼットの母エリーズが言っていた。身命を賭してジョゼットを守った母。


(お母様があの時ご覧になったものが何だったのかは分からないけれど、涙を零させるこの気持ちは同じだったのかもしれないわ)


「なあに、あの男。地味な茶色い鳩を連れているわ」

「どこかの国の外交官よ。小さな国なんじゃない?茶色い鳩よ?外交の場に出すのに恥ずかしくないのかしら」

「この王国も舐められたものね」

「これからは獅子王の国になるのだから、付き合う相手を考えた方が良いわよね」


あの美しい鳥が茶色い鳩に見えているのを知ったジョゼットは驚いて涙が止まった。もっとこの感動に浸っていたかったのに残念なことだ。彼はなぜ侮られるのを承知で眷属を隠しているのか。


この王国との国交を持つつもりがないのかもしれない。不死鳥は元は小さな鳥から始まると聞く。学び鍛え、試練を乗り越えた者のみが辿り着く。


そのくらいまでいくと、魔法使いに頼らなくても眷属の見た目を変えることができるようになると以前読んだ本に書いてあった。つまり彼は意図的に変えている。


「ジョゼット殿を私が国に戻る時に一緒にお連れしましょうか。もちろん王太子殿下のもとで学ばれたことは口外できぬように術をかけていただいて」


「なぜだ?何の得もないではないか」

「私の国にはジョゼット殿のように、眷属がいない者も多く住んでおります」

会場がどよめいた。この王国に住んでいる者で眷属がいない者はいない。平民の赤ちゃんにも必ずいる。


「こちらでは暮らしにくくとも、我らがアダマンテ王国でしたら暮らしやすいのではないかと思いまして。もちろん聡明な王太子殿下のご慈悲をいただけるのであれば、ですが」


「分かった。ジョゼットの為になるであろう。仮にも王太子妃候補であった女性だ。よろしく頼む。彼女の王太子妃教育はあまり進んでいなかったようだから、術をかけねばならぬ程の知識はない。このまま連れ出してくれてかまわない。ああ、あちらでダルタン伯爵も頷いている。彼女の保護者だ」


「では今夜から我が国の大使館へお招きせていただきます。後ほど女性の部下を向かわせますのでお荷物を」

「大したものはないだろうが、後は後宮の侍女頭に聞いてくれ」

「承知しました」


不死鳥がジョゼットの方へ優雅に飛んでくる。ジョゼットは手のひらを差し出した。空中で一回転したその鳥は静かに手のひらに降り立った。首を下げる。まるで挨拶をしてくれているかのようだ。ジョゼットは軽く足を曲げて不死鳥を手に乗せたまま礼をとった。


不死鳥がジョゼットの額に嘴を寄せた。あまりの眩しさに思わず目を閉じる。全身を何かが覆った。ジョゼットを護ろうとしてくれているのだろう。

「ありがとうございます」

ジョゼットは嬉しそうに微笑んだ。自分にも眷属がいたらこんな感じなのだろうか。


その光景を見ていた見えない人々には茶色い鳩とのやり取り。眷属を持たない地味な女性に茶色い鳩。案外ジョゼットは王宮で暮らすよりも幸せになれるかもしれないと、彼女の行く末を憂いた人々は安堵した。少数派ではあるが。


「アダマンテ王国のグレゴワールと申します。お会いできて嬉しいです。あなたの意思を確認しないまま話を進めてしまい申し訳なく思います。ですが、きっとあなたにも気に入っていただけると自負してもおります。私の手を取り、共に国に帰っていただけますか?」

いつの間にかジョゼットの前には不死鳥の主人がいた。


「グレゴワール様、身に余る光栄です。どうかグレゴワール様と共にアダマンテ王国にお連れくださいませ。ご配慮感謝いたします」

グレゴワールは心底ホッとしたように細く長い息を吐いた。気のせいか目には涙が浮かんでいる。


「言質が取れて安心しました。やっと取り戻せた」

ジョゼットは声をかけるのを躊躇った。見えていることをそのまま言うのは良くない。母が身命を賭して教えてくれたこと。


元々ジョゼットは王宮を追い出されたら行くところがないようなもの。実家であるダルタン伯爵家は後妻の一族が暮らしていて、戻っても居場所がない。恐らく利のあるよく知らない相手のもとに嫁がされるだろう。だったら、この優美な不死鳥の主人の誘いに乗った方が良いと思った。


「では早速参りましょう」

グレゴワールのエスコートで王宮を出る。キチンとしたエスコートをされるのは初めてのことで、こんなにも歩きやすく心強いものなのだと驚いた。


「王宮や伯爵邸に取りに戻りたい荷物はあるか?」

馬車に乗った途端、馴れ馴れしくなったグレゴワールに驚いたものの嫌悪感はない。


「いいえ。母の形見の品は全て我が身と共に。伯爵邸にはもう義母の一族の物しかありません。王宮の自室にもお借りした物しかありません。私物は常に空間収納庫の中です。どなたも信頼できない状態でしたので」


「……そうか。苦労したのだな」

何かの言葉を飲み込んだグレゴワールはジョゼットの頭を優しく撫でた。気恥ずかしいが嬉しい。

「他の方から認識できる眷属を持たないというのは、この国では人権を持たないということでもありますから」


「いや、王太子の婚約者だっただろう?少なくとも伯爵と王は知っていたはずだ。だからジョゼットと婚約させたのだと思う。何も傍にいない者はいない」


「あの、アダマンテ王国では眷属がいない者も多く住んでいるとのことでしたが……」

「カーマインでは傍にいるのは眷属のみだろう?アダマンテは違う」

「眷属以外の」


誰かの叫び声が聞こえた。馬車がガタンと揺れる。短い悲鳴をあげて体のバランスを崩したジョゼットをグレゴワールが抱き止めた。ジョゼットの無事を確認したグレゴワールは外の騎士に声をかけた。

「どうした?報告を!」

鋭い声が飛ぶ。


「はい。馬に乗った男性が一名、馬車の前に躍り出ました」

「追手か?」

「いえ。ジョゼット様をお守りする、と言っているようです」

「心当たりはあるか?」

ジョゼットは驚いた顔で首を横に振る。母の死後、周囲の人が守ろうとしてくれたことはないと告げる。


「騒がれても面倒だ。同行させよう。判断は門がする」

「承知しました」

指示を出す間もジョゼットを抱きしめたままだったグレゴワールは、ジョゼットを椅子に座らせ、彼女の乱れた髪を整えた。


「門とは何でしょうか?」

ジョゼットは不安そうだ。

「あなたとは違って我々には真の姿は見えないから、国を護るために妖精が作ってくれた門を使う。敵意のある入国者を選別する為のものだ。今は屋敷に設置されているから、そこまで連れて行けば彼の主張通りなのかは自ずと知れる」


「もし、主張通りでない場合は、彼はどうなりますか?」

「あなたがそう言うということは、真の姿は別にあるのか。どちらにせよ心配する必要はない。死にはしないよ。時空の狭間を二、三日彷徨うだけだし、いずれ排出される。こちらでは二、三ヶ月行方不明になるだけだ」


「……そうですか」

「きっと門を通るまで彼は納得しないと思うよ?かなりの演技派のようだから」

「分かりました。お任せします」

「うん。それが良いよ。彼の選択の結果をあなたが気にする必要はない。彼の人生だからね」


「そう、ですね」

「母君のことを思い出しているのかい?」

伏し目がちだったジョゼットはハッとしてグレゴワールを見た。

「あなたを守って命を落とされたのだろう?」

涙が込み上げてくる。ジョゼットは頷いた。


「私が王太子殿下の眷属を毒ガエルだと言って怖がったので、私の代わりに母が無礼打ちに」

「とんでもない国だね。シェイラに伝えるのが躊躇われるな。いや、それこそ伝えた方が良いのか」


「シェイラ?」

「ああ、あなたの代わりにアダマンテで暮らしている女性だよ」

「私の代わり、ですか?」

「続きは後で。門を潜るよ。荷物がないのならこのままアダマンテへ行こう。息をしていても大丈夫だけど、喋っては行けないよ。空間に住む番人に食べられてしまうからね」


グレゴワールはすらりと長い人差し指を口元に当てて、

「しー」

と言った。悪戯な眼差し。嘘か本当かは分からない。


不死鳥がジョゼットの膝にうずくまった。グレゴワールの指が小窓を指す。極彩色のマーブル模様。キラキラとした粉が飛んでいる。


今日は美しいものをたくさん見ることができた。幸せだ。柔和なジョゼットの表情をグレゴワールは嬉しそうに眺めていた。


遠くで誰かの叫び声が聞こえたような気がした。チラリとグレゴワールを見ると、微笑みながら首を横に振る。困ったように笑ったジョゼットは諦めて極彩色の景色を楽しむことにした。


極彩色の景色を抜けるとそこは白い壁だった。光沢のある白い壁。石造りだろうか。馬車はそのまま建物の中に入ったようだ。


馬車の扉が開いた。グレゴワールが先に降りてジョゼットに手を差し出した。馬車に乗る時もそうだったが、降りる時にエスコートされるのも初めてのこと。躊躇いがちに手を重ねる。


足元に気をつけて馬車を降りる。ジョゼットが顔を上げると、そこには王冠を載せた男性と女性が立っていた。


「カミーユ!」

女性がそう叫んで走り寄ってきた。ジョゼットは周囲を見回したがグレゴワールと自分しかいない。

「母上、彼女にはまだ説明していません。お待ちください」


「せめて、抱きしめさせて」

困ったように笑ったグレゴワールはジョゼットを伺うように見た。

「私でよろしければどうぞ」

「ありがとう。あなただから抱きしめたいのよ」

悲しそうに微笑んだその女性はジョゼットを優しく抱きしめた。静かに泣いているようだった。


「どんなにこの日を夢見たことか。シェイラのお母様にも抱きしめさせてあげたかったわ」

ジョゼットは何も言わずにその女性に抱きしめられていた。懐かしいような、何だか落ち着く香りが心を包む。


「私も抱きしめて良いだろうか」

男性は王冠を近くに控えていた人に渡して、遠慮がちにジョゼットを見た。戸惑いながらも頷くと、その男性は泣いている女性ごとジョゼットを抱きしめた。


その光景を見ていたグレゴワールも泣いているようだった。涙をハンカチに吸わせると、グレゴワールも無言でその三人に加わった。


ジョゼットは混乱したまま抱きしめられていた。まるで家族のようだ。眷属がいないのを知った上で彼女を愛してくれたのは母一人。父は冷たい人だった。


異母兄弟姉妹が何人いるのかは知らない。母が亡くなった後、すぐ王宮に部屋を貰ったのでダルトン伯爵家のことは分からない。


王宮でも冷たくされた。卑下され、見下され、人と人との温かな交流などなかった。抱きしめられて嬉しい。ジョゼットは素直にそう思った。


「父上、母上、そろそろ場所を移しましょう」

グレゴワールがそう言うと、彼の両親は渋々離れた。そして指をパチンと鳴らすと四人は暖炉のある部屋にいた。


転移魔法を使える人を初めて見たジョゼットは、やはりこの国の方々は只者ではないのだと気を引き締め直した。


ゆっくりと息を吐いて心を落ち着ける。部屋の中には先客がいた。大きな白い蛇、白い龍、白い馬。おもいおもいの場所で自由に寛いでいる。


極彩色の光。光沢のある白を身に纏った三匹の眷属。美しい。なかなか会えない格上の眷属。中でも特に白い蛇は神々しい。眷属と呼んで良いのか迷う。


スッと白い蛇が横に動くと、蛇が隠していた人物が姿を現した。白く長い髪に赤い目が印象的な美丈夫だ。蛇は小さくなって彼の腕に巻き付いた。ジョゼットと目が合った彼は優しく微笑んだ。ジョゼットは頬を染めて膝を曲げて挨拶をした。


グレゴワールは蛇の美丈夫とジョゼットのやり取りを見て不機嫌になった。

「シルヴァン、耳が早いな。だがまだ何の説明もしていない。家族の時間を邪魔しないでくれ」


「何の偏見も無い状態で会いたかっただけだ。目的は果たした。僕は失礼するよ。可愛らしいお嬢さん、またお会いできる日を楽しみにしていますよ」

ジョゼットに近づいたシルヴァンはジョゼットの手を掬い取ると指先に口付けを落とした。


「まったく、油断も隙もないな」

グレゴワールは呆れ顔でシルヴァンを見た。白い蛇は満足そうにシルヴァンの首に巻き付いた。

「陛下、妃殿下、私はこれで失礼いたします。例の件が滞りなく整うことを祈っております」


「シルヴァン殿、娘の意思を尊重していただくという約束は守っていただけるのですよね」

「もちろんです。もしお互いに思い合えなかったら次の機会を待ちます」


「長らく返事をお待たせした上に、さらにお待たせすることになり申し訳ない。我々にしばし猶予をいただきたい。二歳だったカミーユを送り出してからやっと迎えた家族の時間なのだ」


「時から解放された身ですし、お互いが望まなければ叶わない願いです。婚姻後も時間は取れるとは思いますが、嫁ぐ前の時間は特別だと聞きます。私は幸せな花嫁を迎えたいので」

「ありがとう!ご厚意に感謝する」

「ではこれで」

シルヴァンはジョゼットを愛しげに見つけたまま転移して消えた。少なくとも彼はジョゼットを気に入ったようだ。


白い龍は王妃に、白い馬は王に寄り添った。二人は眷属を抱きしめて緊張を癒しているようだ。羨ましい。自分も癒されたい。ジョゼットは困ったように笑った。なぜ自分には眷属がいないのだろう。悲しげなジョゼットを見ながらグレゴワールは自身の不死鳥を愛しげに撫でていた。


扉がノックされて、侍女がティーワゴンを持ってきた。

「こちらに座って」

グレゴワールが優しく微笑みながらジョゼットの手を取る。ジョゼットは軽くお辞儀をしてソファに座る。王と王妃、グレゴワールもソファに座った。暖炉ではパチパチと音を立てて薪が燃えている。


「では、自己紹介から。君の兄、グレゴワールだ。眷属は不死鳥。先程の国では茶色い鳩に見えるように偽装していた。よろしく」

グレゴワールは彼の両親を手で指し示して言った。


「こちらの男女は君の両親だ。君は妖精の試練を受ける必要があり、妖精により二歳の時にカーマイン王国の娘と入れ替えられた。『カミーユ』というのが両親に与えられた本当の名だよ」

「カミーユ。私は本当はカミーユ」

ジョゼットは名を呟いた。


「カミーユ!」

突然姿を現した妖精は喜びが爆発したかのようにカミーユを呼んだ。風になったり、壁になったり、ギリギリながらもジョゼットを守ってくれていた『なにか』の残像と同じ色。


「やっと、やっとだよ!長かった。やっと会話ができるよ!」

「もしかして、あなたが私の眷属?」

「違うよ?」

「違うの?」

「うん。カミーユがボクの愛し子だよ。妖精の愛し子。極彩色の妖精……あ、まだ名を貰ってなかった……」


極彩色の妖精は拗ねたようで口を尖らせた。

「カミーユは名を失って、ジョゼットという名の呪いを受けたし、ボクはボクで儀式直前で養い親があんな事になって顕現もできないし、そのせいでカミーユと全然話せないし。兎にも角にも大変だったんだからね!危険からカミーユを守るのは何の条件もなくできるけど、ボクはもっともっとできる子なんだよ!ホントはもっとスゴいんだよ!」


ぷりぷりと怒る姿が可愛らしい。思わず笑顔になる。極彩色の妖精はジョゼット改め、『カミーユ』の膝くらいまでの大きさ。可愛らしい帽子を被っている。その名の通り、帽子も服も極彩色だった。派手な色彩なのに何故か調和しているのが不思議なところだ。


初めて自身の、他の人にとっての眷属のような存在に会えたカミーユは嬉しくてたまらなかった。傍らに何かがいるような気配はあった。けれど姿をハッキリ見ることも、意思の疎通も無理だった。皆、こんな風に自身の眷属と会話していたのかもしれない。


「名を付けてあげたら?」

王妃に声をかけられた。なんと極彩色の妖精の言葉は王妃にも届いていた。


「名付け親から名をもらい、あなたがその名を受け入れて自覚し、あなたが付けた名を妖精が受け入れる。そうして初めて本来の自分になれるの。一般的には眷族だけれど、アダマンテにはカミーユのように妖精や精霊の愛し子が何人かいるのよ?」


王が腕を組みながら顎髭を触った。

「各国に知らせがいっているはずなんだがなぁ……」

「何か手違いがあったのかもしれませんね」

「故意か偶然か……」

「カーマインは世代交代がここよりも速いので口伝では……」

王とグレゴワールは難しい顔で話し合っていた。


「こんなことを聞くのは酷なことだと思うのだけれど、あなたを育んでくださった」

「エリーズ殿です」

グレゴワールが告げた。耳はこちらにも向いていたのかもしれない。

「エリーズさんはあなたが何歳の時に亡くなったのかしら」


王妃は申し訳なさそうにカミーユを見た。

「六歳か七歳くらいだったと思います」

「そう。では告げるのを躊躇っていたのかも知れないわね。妖精の試練がどんなものか分からないでしょうし、あなたを守ろうとして、慎重になったのでしょうね。幼い子に告げるのは酷なことですもの」


カミーユの血の繋がった家族は皆気の毒そうな顔で彼女を見た。極彩色の妖精は部屋の中に興味津々で、あちらこちらを飛び回り、本を読んだり、チェスの駒を動かしたり楽しそうに過ごしている。


「カミーユ、ボクちょっと他の妖精や精霊たちに挨拶して来るね。あの、ボクの名前なんだけど、できればかっこいい名前がいいなぁ。良い名前考えといてね。いってきまーす」

極彩色の妖精はパッと姿を消した。


「格の高い妖精の言葉は主人、いや、この場合は愛し子か、それ以外にも聞こえると聞いてはいたが、こんなにも明瞭な言葉を話すのだな」

王は感心したように頷いていた。


「命名式が済むまでは養い親のエリーズさんしか妖精に会えないのに、カミーユの成長を待っている間に命を落とす事になるなんて、無念だったに違いないわ。それにジョゼットを残して……」


「あの、私、母、エリーズから貰ったお手紙があるのです」

「手紙?」

思案気だったグレゴワールは視線をジョゼットに戻した。


「はい。母が無礼打ちされる直前、現場を見ていた侍女の方が気の毒に思って手紙を書く時間をくださったそうなのです。とは言え検閲はされますから詳しいことは書けなかったのだとは思いますけど」


「見せていただいてもかまわないかしら?」

「はい」

ジョゼットは空間収納庫から手紙を一通取り出し、王妃に渡した。


「あら、何だか収納庫が大きくなった気がします」

ジョゼットが困ったように笑った。グレゴワールは優しく微笑んだ。

「妖精が名前を受け入れるともっと大きくなるよ。昨日今日ではなかなか難しいよね。ああ、あと妖精に名付けをしたらできることも増える。やる事がたくさんあるね」


グレゴワールは同情的な視線をジュゼットに向けた。

「少しずつ積み上げていたら日々の負担は軽かっただろうに、一息に身に付けるとなると大変だから」

「そうですよね。無理せず少しずつ、一つずつ向き合って行きます。ご心配ありがとうございます」


「あなたは僕の妹だ。できれば他人行儀なのは遠慮したい。僕みたいな口調で話せる?」

「う……急には無理です。できるところからでよろしいですか?……えっと、おにい、さま」

しばらくグレゴワールは目を閉じて『おにいさま』を味わった。


「アダマンテの家におかえり、カミーユ」

「ただいま戻りました。お兄さま」

まだ馴染みきれない兄妹は、はじめの一歩を踏み出した。その時扉がノックされた。


「お呼びでしょうか」

部屋にカミーユと同じ年頃の女性が入ってきた。

「シェイラ、よく来てくれたわね。そちらに座ってほしいの」


カミーユとグレゴワールの知らぬ間に、王妃が呼んでいたらしい。王妃はシェイラに向かって言った。

「あなたにも関係する事だから、一緒に話を聞いてもらいたいの。心を強く持って聞いてほしいわ」


シェイラは侍女のエプロンを両手でギュッと握りしめた。しばらくの間俯いて目を閉じていたが、顔を上げた。

「お母様!」

入室していたシェイラの顔を見て、カミーユは驚きの声をあげた。


「母にそっくりです!それに眷属が母と同じ犬種です!まさか!」

カミーユは驚きで目を開いて口を手で押さえた。両の目から涙が溢れ出る。


「まずはこれを読んでほしいの」

王妃はジョゼット宛だった手紙をシェイラに渡した。『ジョゼットへ』と封筒に書いてある。


カミーユは顔を両手で押さえて泣いている。グレゴワールはカミーユを抱きしめて、背中をポンポンと叩いた。


〜〜〜〜〜〜〜〜


『ジョゼットへ』

あなたを愛しているわ。私は未来を生きるあなたのためにこの選択をしたの。過去の私は幸せだったわ。お腹で育んだあの幸せな時を忘れない。あなたをもっともっと抱きしめたかった。幸せを見届けたかった。あなたの未来を守るための選択。ジョゼット、悲しまないで。信じて進んで。ああ、可愛らしいジョゼット。あなたを育てることができて幸せだった。もっと寄り添いたかったのにごめんなさい。幸せになってね


〜〜〜〜〜〜〜〜


シェイラは困ったように王妃を見た。

「シェイラ、あなたの本当の名前はジョゼット、本当のお母様のお名前はエリーズ。ここにいるカミーユはジョゼットとしてカーマイン王国で育ったの。養い親に選ばれたエリーズさんの下、あなたたちは妖精の試練を受けて入れ替わっていたのよ」


「育ての母から十歳の時に聞きました。本当だったんですね。揶揄われているのだと思っていました。エリーズさんは、母は、何かに巻き込まれて亡くなったのでしょうか」


「私のせいなの!」

カミーユはグレゴワールの腕の中から叫んだ。

「私が余分なことを言ったから!母にも言われていたのに……見えたことをそのまま言ってはいけないって。あの王子の眷属が怖くて我慢できなかった。母は私の代わりに命を落としたの。ごめんなさい!私のせいで、あなたのお母様を!ごめんなさい!」


シェイラのもとへ走り出そうとするカミーユをグレゴワールが止める。離れようともがくカミーユ。騎士のような体つきのグレゴワールの腕の中からは逃げられない。


フワッと花の香りがしてシルヴァンが現れた。グレゴワールに近づき、腕の中からカミーユを奪還する。

「どうした?そんなに心乱して。僕たちは繋がっているのだから千々に千切れた哀しみが伝わってきた。カミーユ、言ってごらん?」

シルヴァンの白蛇が二人に誰も近づけないようにぐるりと円を作った。


「私が余分なことを言ったから、シェイラさんのお母様を死なせてしまったの」

泣きながらそう言うカミーユの瞼に口付けを落とす。

「違うでしょう?王子が死なせたんでしょう?」

カミーユの記憶を覗き見たシルヴァンがカミーユの瞳を覗き込む。


「あの王子の眷属はその時からすでに聖なるものではなくなっていたようだよ。まだ六歳だったカミーユが恐れたのは仕方のないことだ。あの王子は人を殺したくて仕方がなかった。権力を誇示したかった。カミーユが何を言おうが言わまいが、いずれ誰かは命を落としていただろう」


「シルヴァン、カミーユの過去を勝手に覗くな!今だけは許すけど。それに勝手に魂を繋ぐな!あの時手の甲ではなく指先に触れたからおかしいと思っていたんだ!カミーユは僕の大切な妹なんだからな!そこんとこちゃんとわかっておけよ?」


「グレゴワールの口は相変わらずよく回るなぁ。アダマンテ王国の結界もすでに僕を受け入れているじゃないか。ふふっ。僕のことを大切に思ってくれてありがとう」


グレゴワールはシルヴァンに微笑みかけられて真っ赤な顔で固まってしまった。カミーユは泣き疲れたのかシルヴァンの腕の中で眠ってしまった。シルヴァンは額に口付けを落として、カミーユをさらなる眠りへと誘う。


「さて、挨拶が遅れてしまったが、家族の団欒を邪魔してしまい申し訳ありません。そちらが例の?」

「ああ。本物のジョゼットだ。シルヴァン殿、面目ない。カミーユがあれ程思い悩んでいたとは……それに妖精の試練のことは各国に知れ渡っているとばかり……養い親がこんなことになったのは前例がなくて、どうしたらいいのか正直困惑しているよ」


「シェイラ、あなたはどうしたい?カーマイン王国に戻るかこのままこのアダマンテ王国で生きるか、エリーズさんの想いを引き継いで、あなたが幸せに暮らせるように最大限手を尽くすわ」


「今、とても混乱しています。カミーユ様のご様子から想像するに、カーマイン王国に行ってもあまり良いことはなさそうに感じます。正直な気持ちを申し上げますと、今の生活に満足しているので、何をしてもらいたいとか、どうしたいとか思い浮かばないのです。両親と相談してからでもよろしいでしょうか」


「もちろんよ。でも何もいらないというのはダメよ。エリーズさんの想いを何かの形にしたいわ」

「分かりました。育ての親はもちろんのことですが、生みの親も愛情溢れる方だったのだろうな、と思いました。顔が似ていると知れて良かったです。それに二人も母がいて何だか得した気分です。カミーユ様のお辛い気持ちをどう癒して差し上げれば良いのか、分かりませんが、母が命を賭してお守りしたいと思わせたお方だったのですから、幸せそうなカミーユ様を天から見るのが一番嬉しいのではないかと思います」


「そうね。あなたの言う通りだわ。本来だったら今頃妖精の試練を終えて皆が幸せな結末を迎えていたはずだったのに……」

「どうなるはずだったのか教えていただいてもよろしいですか?」


「そうよね。あなたは知る権利があるわよね。本来だったら、名を取り戻したカミーユの能力が上がるにつれ、両国が今よりももっと豊かになっていたはずだったの。妖精に名を与えることができていて、カミーユがしっかりと鍛錬して、という前提があるけれど」


「ボクの指導でカミーユがしっかり鍛錬しないはずはないでしょ?」

極彩色の妖精もカミーユの異変に気づいて戻ってきていた。シルヴァンの肩に座っているが、彼は気にしていないようだ。


「エリーズは素晴らしい女性だった。ボクにあった時に泣いたから不安だったけど、温かくて優しい素敵な女性だった。名付けの儀式が一緒にできなかったのは残念だったな。あの嫌な男とカミーユとの婚姻が結ばれたら嫌だったから、嫌がらせしまくっといた。共にカーマインで成長することは叶わなかったけど、カミーユがちゃんと自分の言葉でアダマンテに戻りたいと言ったから、結果的にカミーユとボクの試練はうまくいったことになるよ。周囲の配慮が足りなくて、その分過酷な試練になってしまったけど、おかげでカミーユは今のままでも神域に入れるくらい成長してる。まあ、ボクはまだ名前を貰っていないとは言え、元々最高級の極彩色を持つ妖精だからね。もちろんボクも一緒に行く。これからボクがカミーユの幸せを全力で集めるよ」


「ありがとうございます。周知を徹底すべきでした。申し訳ありませんでした。どうかこれからもカミーユのことをよろしくお願いします」

王は極彩色の妖精に頭を下げた。

「もちろん!」

極彩色の妖精は今度は世界樹に会いに行くと告げて部屋からいなくなった。シルヴァンによると、カミーユの側へはいつでも戻って来れるらしい。妖精よりも速く来たシルヴァンの方が本来おかしい。


王妃は話の続きがあるとシェイラに言った。

「カミーユが名を取り戻すと、シェイラにエリーズさんが付けた名前が返ってくるの。『ジョゼット』ね。あなたがジョゼットに戻ると眷属との関係も能力も本来のあなたに戻るわ。眷属が指導できる内容が増えて今よりももっと研鑽を積むこともできるの。名が変わっても格が下がることはないわ。当時、カミーユに本当の名を告げることができたのは養い親だけ。つまりあなたを生んだお母様、エリーズさんね。エリーズさんが全てを始めるはずだった。妖精の試練の最重要人物を死なせてしまった国は今までになかったから、どうしたら良いのか分からないわ」


「簡単なことです」

シルヴァンが言った。

「カーマインは恩恵を受けられません。アダマンテは大丈夫です。試練において役には立ちませんでしたが、カミーユが望んで戻った国なので、カミーユのおかげで恩恵を受けられます。豊かな国になるでしょう。カーマインでカミーユに優しくなかった人はそれ相応の罰を受けます。幸せにはなれません。それから、しばらくの間はカミーユは僕が癒します」


「家族の時間を過ごさせてくれるという話だっただろ?」

グレゴワールがシルヴァンに詰め寄った。


「分かっているだろう?僕はもうカミーユを手放せない。君たちにカミーユと同じ血が流れていなかったら、僕は何をしていたか分からないよ?」


「俺たちを脅すのか!」

「カミーユは僕のために生まれてきた女性だ。この世界の僕の唯一。彼女にとって僕はそうではないのだから、愛を乞う時間が一分一秒でも惜しい。それを我慢して家族の時間とやらを過ごさせてあげたら、こんなに悲しませるなんて……もっとカミーユに寄り添ってくれると信じて託したのに。この世界が彼女に優しくないのなら僕は連れ去るだけだよ?」


「くそ!時の概念など持たないくせに……」

「グレゴワールやめなさい。シルヴァン殿に失礼だ。我々の配慮が足らなかったのだ」

「かまいませんよ。彼のそういうところも気に入っているので。何と言ってもカミーユのお兄さんですし。ただ、ご家族の皆さんよりも僕の魂の方がカミーユとの親和性が高いので、彼女を癒す力もより大きいでしょう」


グレゴワールは何も言い返せなかった。今の彼ではまだ太刀打ちできない。そもそもシルヴァンは強い。

「では、カミーユを僕の宮に連れて行きますね。落ち着いたらまたこちらに戻ります。その時は十分なご配慮をいただけますようお願いします」

シルヴァンは眠ったままのカミーユを連れて転移した。


「あの方はどなたなんでしょう?」

シルヴァンがグレゴワールに発した神力に震えていたシェイラは、やっと言葉が話せるようになった。

「ジョゼット、シェイラ、もうこれからはジョゼットと呼ばせてもらう」

『ジョゼット』は黙ったまま頷き、王の言葉を待った。


「シルヴァン殿は神域のお方だ。眷属と共に神域に入れるほどの成長を遂げた者だけが住む領域があるのだ。その領域に入られた方々は老いることがない。『時』という概念から解放されるからだ。機が熟すと配偶者候補がこの世に生まれ、妖精の試練を受ける。カミーユは名誉なことに配偶者候補として極彩色の妖精を伴って生まれた。妖精の試練は、配偶者候補が神域に達せる程の試練だとは聞くが内容は分からない。持って生まれた魂の格がすでに違うのだとも云われている。その者が成長するにつれ周囲も祝福を受けることができるのだとも聞いていた」


「母も私もそれに巻き込まれたのですね」

「そうだ。祝福を受けられるのだから大切にされるのが当たり前だと我々は伝えることを怠った。もう口伝が途切れていたに違いない。エリーズ殿一人きりではどうにもならなかったのだろう。我々のせいでカミーユは過酷な試練を受けることになってしまった。それによって傷ついたカミーユへの配慮も足りず、さらに傷つけてしまった。家族で過ごす時間を取り上げられてしまったが仕方がない。カミーユに会えることで浮かれていたが、そもそもエリーズ殿を死なせてしまったのは我々の責任だ。考えが甘かった」


「……あの、私、願い事が一つあります」

「何でも言ってほしい。償いになるのかどうか分からぬが、努めよう」

「あの、母のお墓参りに行きたいのです」

「分かった。手配しよう。他にもどんどん言ってほしい」


◇◇◇◇◇


「ここは?」

カミーユは天蓋付きの見慣れない寝具の上で目覚めた。部屋は薄暗く、自分の他には誰もいない。こんなにスッキリと目覚めることができたのはいつ以来だろう。


「お母様……」

悲しみが戻ってきた。そう、最愛の母エリーズ。カミーユのせいで命を落とした。それにエリーズの本当の娘はカミーユではなかった。エリーズの大切な娘ジョゼット。会わせてあげることも、再び抱きしめさせてあげることもできなかった。


「カミーユ!」

「カミーユ!」

二人が突然現れた。白い髪を縛り、鍛錬中だったのか騎士のような服装のシルヴァンと、極彩色の妖精。


「何があった?」

「何があったの?」


「どうした?」

「どうしたの?」


「悲しくなったのか?」

「悲しいの?」


必死な顔で三度ハモった二人はお互いを見た。


「「ちょっと黙ってて!」」


カミーユはクスクスと笑った。

「ピッタリ合いましたね」

カミーユの笑顔を見た二人は嬉しそうにカミーユを見た。その笑顔までそっくりでカミーユは楽しくなってしまった。


三人でしばらく笑い合った後、シルヴァンが侍女を呼んだ。支度を整えて食事をしようと言う。

「では、また後で」

シルヴァンは愛しそうにカミーユを見て、手を取った。指先に口付けを落として部屋から出ていった。


極彩色の妖精は部屋に残った。

「ねえ、カミーユ、まだジョゼットの気持ちが強い?カミーユであることには慣れた?」

支度をしてもらっているカミーユの膝に座った極彩色の妖精は鏡の中のカミーユに話しかけた。


「そうね。急なことでもちろんまだ違和感はあるけど、ジョゼットは私の名前ではなかったということを頭では理解しているつもりよ。不思議なことに、『カミーユ』の方がしっくりくるの。馴染みのない名前のはずなのに。あと、魔力が増えたような気もするの」


「今カミーユは神域にいるでしょう?ここは綺麗で純粋だから魔力にある不純物が取り除かれるんだ。綺麗な魔力。この魔力に耐えられるカミーユはやっぱり凄いな。さすがボクの愛し子!ずっとそばにはいたけど、交流ができなくて寂しかったから」


カミーユは極彩色の妖精をギュッと抱きしめた。

「気付けなくてごめんなさい。ウジウジしてばかりで情けなかったでしょう?」

「もどかしかったよ。辛い目に遭っているカミーユに寄り添えなくて。背中にピッタリくっついて『元気になれー!』ってボクの魔力を贈ることしかできなかった」


「悲しいことがあった時に、背中が暖かくなったことがあったの覚えているわ!きっと亡くなったお母様が寄り添ってくださったのだと思って頑張れたの。あなただったのね。気付けなくてごめんなさい」


「伝わってたのなら嬉しいな。ねえ、ボクの名前決めた?早く名前を呼ばれたいな」

「ごめんなさいね。なかなか難しくて。名前を付けたことがないから、迷ってしまうわ」


「カミーユ様、お支度が整いましたので食堂へどうぞ。シルヴァン様がお待ちです」

「ごめんなさい。すぐ向かいます。こんな風に支度してもらったのは久しぶりで嬉しかったわ」

「カミーユ可愛いよ」

「ふふ。ありがとう」


「こちらへどうぞ。扉を出まして右側から階段で上階へまいります。図書室もございますので、宜しかったら是非」

侍女の案内で食堂の扉の前へ来たカミーユは大きく深呼吸をした。


扉が開けられると、窓際に立っているシルヴァンの背中が見えた。騎士服は着替えたようだ。

「お待たせして申し訳ありません」

カミーユがそう言うとシルヴァンは振り返った。嬉しそうだ。シルヴァンの視線を受けて心臓が一度大きく跳ねた。


「あなたとこうして共に食事ができるなんて夢のようだ」

シルヴァンはウキウキとした様子で近づいてきて、カミーユを椅子に座らせた。極彩色の妖精のために少し座面の高い椅子が隣に用意されていた。


「僕はいつもの朝食だけれど、様々なメニューを少しづつ用意してもらった。気に入ったものがあったら教えてほしい。お気に入りの朝食を見つけてほしいんだ」

そう言って慈愛に満ちた眼差しでカミーユを見るシルヴァン。


「ありがとうございます」

優しさが沁みる。こんな風に穏やかな食事の時間は母と過ごしたあの日以来だ。王宮へ向かった日、母との最後の朝食。


「カミーユ、エリーズ殿との大切な時間と似ていると思ってくれて嬉しいよ」

母との記憶を思い出して落ち込んでしまっていたカミーユはハッとしてシルヴァンを見た。


「カミーユにとって『幸せ』と『エリーズ殿との時間』は結びついている。それ以降に幸せだったことがほとんどないのだろう?これから僕と、そこの妖精と、一緒にたくさん幸せを探そう。「美味しい」「暖かい」「美しい」「楽しい」小さな幸せをたくさん集めよう」


「シルヴァン様……良いのでしょうか。私が幸せになって……」

「もちろんだ。カミーユが幸せだと僕もそこにいる妖精も嬉しい。それにエリーズ殿も」

「母も?私のせいで命を落としたのに?」


「考えてごらんよ。逆の立場だったらどう?カミーユがエリーズ殿の立場だったら。僕だったら未来を生きる愛おしい娘の命を守りたい。命を捧げることで守れるのなら惜しくない。ただひたすらに幸せになってほしい。エリーズ殿にとってカミーユもジョゼットも愛おしい娘。ジョゼットが二人いたようなものだと思うよ」


「すぐには罪悪感が消えません」

「急がなくて良いよ。神域は『時』から解放されているから焦らなくて良い。僕もそこにいる妖精も君のために存在している。自由でいてほしい。ちなみに他の国へ行く時は日時を指定しないといけないから少し面倒だけれどね」


「過去にも戻れるのですか?」

「日時を指定すれば戻れるよ。でも、未来が変わると君は消えてしまうかもしれない。エリーズ殿は望まないと思うよ。君を失った悲しみに苦しむことになる。過去を生きた者が未来を生きる者、つまり自分よりも若い人の命を奪った方がより苦しいと僕は思うよ」


「考えたこともありませんでした」

「カミーユが幸せになってくれたらそれで報われると思うんだ。エリーズ殿は二人のジョゼットの幸せをご所望だ」


「二人のジョゼットの幸せ……」

「どんな幸せの形でもかまわないよ。その一端を僕が担えたら嬉しいけれどね。すでに僕の魂はカミーユに会えた喜びで満ちている。こんなに満たされたことは初めてだ。開いていた穴が埋まったように感じる。カミーユが僕と生きることを選ばなくても良い。ただこの世界に存在してくれているだけで僕は満たされる。もちろんそばにいて触れ合えたらもっと幸せだろうけれど、カミーユの幸せが伴わないと意味がない。やっと再会できたご家族から引き離して連れてきたのは申し訳なかったけれど、あのままご家族と過ごしてもうまく噛み合わないのではないかと思ったんだ」


「噛み合わない?」

「ご家族は君をずっと待っていた。でも君はエリーズ殿が母だと思っていた。直ぐに受け入れるのは難しいんじゃないかな。自分のものだと思っていた名前も自分のものではなかった。それを、いきなり本物のジョゼットに会わせるなんて…… 心が千々に千切れてもおかしくないと僕は思う。それにここだったら、『時』から解放されたこの場所なら、ゆっくり自分と向き合える。僕の魂との親和性も高いから、初対面でも魔力同士が馴染んでカミーユへの負担が少ない」


「あまりにも自然で気づいていませんでしたが、確かに何の反発もなく馴染んでいますね。居心地が良いです。初めてのことで分かりませんでした」


「カミーユもそう思ってくれたと知れて嬉しいよ。しばらくはここでゆっくりすると良い。本もあるし、美味しいものも美しい景色もある。そうだ!名付けの儀式をしなくてはね。しっくりくる名前を探すと良い。でも焦らなくて良いよ」


「シルヴァンを養い親として甘えて過ごしたら良いよ。名付けの儀式もやってもらおうよ。極上の後見人。贅沢だなぁ。そうか、その辺も少しずつ学んでいこう?さあ、忙しくなるぞー!」


「意外とせっかちな妖精だな。うーん。呼び名がないと不便だなぁ。さっさと命名するか」

「え!そんな感じ?ボクが気に入らない名前を付けられたら断るから」

「確かに。そういえば僕も何回か断られたな」

「名付けにセンスないってことじゃん!」

「大丈夫。カミーユが考えるから」

「確かにそうだけど」


「カミーユ」

「はい」

コロコロと表情が変わる極彩色の妖精の可愛らしさに癒されていたカミーユは、シルヴァンに名を呼ばれて気を引き締めた。


「まずは食べよう!この世界では時は流れないけれど、なぜかお腹が空くんだ」

美形が真面目な顔でそんなことを言ったので、カミーユは吹き出してしまった。

「ごめんなさい。可愛らしくてつい」

「笑ってくれるならいくらでも言おう!お腹が空くんだ」

キリっとした眼差しでカミーユを見るシルヴァン。


こういうのを『幸せ』と言うのかもしれない、とカミーユは思った。


◇◇◇◇◇


その後、カーマインという王国はなくなり、その領域はアダマンテ王国が治めることになった。人々は気紛れに害をなす王族がいなくなり、幸せを感じる人が増えた。


修行の旅に出たグレゴワールは眷属と共に研鑽を積んだのち、神域の住人となった。そこでシルヴァンの傍らで幸せそうにしているカミーユの姿を見て心底ホッとした。あれからかなり頻繁に両親に会いに来ているらしい。


グレゴワールの神域入りをシルヴァンも喜んでくれて、今はさらに修練を重ねながらグレゴワールの花嫁の誕生を待っているそうだ。どうりで良い縁談がなかったと王妃が納得したとかしなかったとか。


王国が大きくなったものの、王の子どもが二人とも神域へ行ってしまったアダマンテ王国は、歳の離れた王弟、カミーユの叔父が治めることになった。


彼の隣にはジョゼットが。いずれカーマインに帰る予定だった彼女を王族として育てるわけにはいかず、養育を任せていた家。そこへ遊びに来ていた彼と恋仲になっていたのだそうだ。王妃となった彼女はアダマンテの一地方となったカーマインの復興に心血を注いだ。


ある晴れた日の午後、カミーユとジョゼットはお互いの伴侶と子どもを連れて元カーマイン王国の公園へ行った。そこにあるエリーズの墓に、二人のジョゼットが幸せになった姿を報告した。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
人外ゆえの性質のせいかシルヴァンが口では相手を気遣っているように見せかけながらも 結局は自分のやりたいように強引に進めているので 王太子の次に受け付られないキャラだなと思いました シュゼットが幸せに…
時の概念がない人じゃないモノこれだから…みたいなシルヴァンの振る舞いがちょっとなんかこうアレですけど、神域に行った先の話がもう少し欲しかったかな〜と思います。最後が兄の側の視点で終わってしまったので、…
お話面白く読まさせてもらいました。 その中でシルヴァンスの立ち位置が分からなくて、試練を乗り越えた家族のお邪魔虫かつ脅してまで連れて行く最低な印象になりました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ