第六話 彼氏の件
喫茶店での一件後舞と連絡先を交換した。鬼のような連続メッセージや通話は一切なく毎朝「おはよう」という挨拶のメッセージを送ってくれている。適度な距離感を保ってくれるのでこちらも心地がいい。
ただ、処理しておかないといけないことがある。舞は食堂で自分のことを彼氏として妹たちに伝えてしまったと言っていた。なぜそんなことをしたのかは聞いていないが今すぐ恋人の関係になる覚悟や好意も全然足りない。現在の認識は大学での知り合いという程度。
放っておくわけにもいかないので今日大学内で舞と会う約束をしている。
放課後になり陽が沈み始めたころ舞は現れた。
「おまたせ、遅くなってごめんね」
「いえいえ、時間どおりです。気にしないでください」
二人でベンチに腰掛ける。自然に人一人分の距離を開けている。舞は一瞬その空間を見つめて寂しげな顔をしたが気を取り直すとこちらの言葉を待った。
校舎の裏にある大きな池。池の中に噴水もあり野鳥が群れで水を楽しんでいる。木々にも囲まれ自然を感じられる気持ちのいい場所だ。人通りも少ないため静か。
だからこそ話始めるのに少し勇気がいる。静かな場所はお互いの声や息遣いがはっきりと感じられるためむず痒くて逆に声を出しづらいのだ。
風が吹き野鳥が一斉に飛び出したのを合図に一言目を発する。
「あの」
「ん?」
「食堂で会った時彼氏がどうのこうのって言ってましたよね」
「ああ、妹たちに彼氏ができたって言った話ね」
「はい、それなんですけど」
「ううん、気にしなくていいよ」
舞は付き合いたてのカップルが別れを切り出すような軽い深刻さで告げる。
「勢いで言っちゃったことだから妹たちにはちゃんと嘘だったって言うから。勝手なこと言ってごめんね」
「・・・・・・」
何だろう。付き合ってもいないのに振られたみたいになって胸が痛む。理不尽な痛みな気がするけどこのまま終わりにはしたくない。そんな思いが胸に灯る。なぜそう思ったのか自分でも不思議で、でもやっぱりこのままではだめだ。
うつむいている舞に自分も下を向き一息吐くと、絡まった思考を無理やり解き顔を上げて舞の方をしっかりと見る。
その視線に気が付いたのか舞も顔を上げた。
お互い視線を合わせ数秒経った時声が勝手に漏れる。
「彼氏の話を聞いた時はもちろん驚きました。何でそんなことをしたのか不思議にも感じました。そもそも自分にそんな魅力なんかないですし何かの冗談かとも思ってました。でも折角の縁を無駄にはしたくないんです。漣さんが悪い人じゃないのは十分伝わってます。だから友人としてその、付き合ってはもらえませんか」
言い終わってから声が震えているのに気が付いて滑稽だった。言い慣れていないことを言うと体が震える癖が本当に嫌になる。笑われていないか不安になってうつむくと案の定笑い声が聞こえてきた。
「ふふ、鳴家君って本当に真面目なんだね。あーあ、悪いのは私なのにそんな風に言われたらますます好きになっちゃうよ。こんなこと言っても冗談にしか受け取ってもらえないんだろうけど嘘じゃないよ」
「・・・・・・(顔を上げて目を見る)」
「やっぱりさ彼氏になってくれないかな」
「それは」
「急だと思うかもしれないけど私にとってはそうじゃないんだ。砂浜で偶然会った時これは運命だって思った。自分の気持ちに蓋をし続けるつもりだったけどもう我慢できなくって。だからさお試しでもいいから付き合ってみない?」
懇願するような試すような。泣きそうな嬉しそうな。ないまぜになった感情が空気に発せられていた。
やはりわからない。向こうにはそう至るまでの確かな過程があるのだろうが自分にはない。唐突で混乱する。正直魅力的な提案ではある。けれど安易に乗っていいのだろうか。
沈黙の音が静寂に流れる。時間が圧縮されて密度の高い質量を伴って襲ってくる。短い間に何度も頭の中で反芻した。どうするべきか、どうあるべきか。
相手を傷つけたくはない。でも軽い気持ちで付き合ったら絶対に後悔するしお互い傷を負う。
まずは友人から。それが妥当な判断だ。その正直な気持ちを改めて舞に伝える。
すると舞は諦めたように笑い受け入れてくれた。
複雑な気持ちだ。これでよかったのかぐるぐると考えてしまう。
舞は切り替えるように立ち上がると空を見上げこう言った。
「あの雲波打っててきれいだよね。今度さ良かったら家にこない? 実家が神社なんだ。願いを聞き入れてくれるかはわからないけど良ければお詣りに来てよ」
立ち去る舞の背中をただ見送ることしかできなかった。