1.番は願いを叶える
王宮の大広間は華やかな衣装に身を包んだ多くの人達で埋め尽くされていた。その表情は歓喜に満ちており、これから起こることを待ちわびているのが窺える。
これからこの場所で、この国を統べる竜王とその花嫁の婚姻の儀が行われるのだ。
凛々しく美丈夫な竜王が真っ白な婚礼衣装を纏った十六歳の初々しい花嫁の手と取り、ゆっくりと祭壇に向かって進んで行く。
誰が見てもお似合いな二人の姿は絵物語のようで、周りの人々はこの瞬間に立ち会うことが出来る喜びに興奮を隠せないでいる。
『まあ、なんて可愛らしい花嫁様でしょうか』
『花嫁様のお幸せそうな表情がなんとも言えませんな~』
『竜王様のあの表情を見てみろよ。初めて見るぞ、あんな嬉しそうなお顔をしているのを』
『番同士で結ばれる幸せは何にも勝るものだからな。本当に目出たいことだ、竜王様が番と結ばれるなんて』
口々から出る言葉は心から婚姻を祝うものだけ。なぜならこの婚姻はただの婚姻ではない、竜王とその番の婚姻だ。番同士で結ばれることは獣人の血を持つ者にとって至上の喜びであって、その婚姻に疑問を挟む余地などないからだ。
『番』とは運命の相手、一目見たその瞬間から惹かれ合うのは当然でお互いを嫌いになることは決してない。
身も心もお互いに捧げ、死が二人を別つまで生涯を共にする。
そんな相手に巡り合える者はほんの一握りでしかないのが現実、だからこそ竜王とその番の婚姻は祝福されているのだ。
皆が見守る中、儀式は粛々と進んで行く。
番同士の婚姻の儀の場合、最後に自分の意志で己の指先を傷つけ、流した血をお互いに舐めあう。これにより寿命が長命の方に合わせられ、末永くともに歩んでいけるようにするのだ。
目の前の神官から竜王と花嫁はそれぞれ鋭いナイフを手渡される。
「ではお互いに指先を切って、相手の血をその身に取り入れてください。これにより儀式はすべて終了となり、生涯伴侶としてともに歩むことが出来ます。異論はございませんか?」
神官は最後の確認の言葉を述べる。これは形だけのこと、番同士がこれに反対するはずなどない。
竜王は静かに頷いてから迷うことなく自分の指先を切り裂く。血が滴り落ちるままにして、隣にいる愛おしい番に目をやる。
まだ彼女はナイフを握り締めたままで指先から血は出ていない。
『痛みを想像し怯んでいるのだろうか』と心配になった竜王は優しい言葉を掛けようとしたその時、ふいに番はその手にしたナイフから視線を外し、竜王の方を見て微笑んでくる。
それは今まで見たどの表情よりも幸せそうなものだった。――まさに花嫁として相応しい極上の笑顔。
それにつられて竜王も笑みを返す。
幸せな番そのものの二人の様子に、周りからは自然と拍手が巻き起こる。
それは永遠の愛を祝福し称えるもののはずだった…。
だが次の瞬間にはその拍手は一斉に途絶える。
――ズザッ、バッシャー!!!
番は躊躇することなく勢いよく人々の目の前でナイフを引いた。
指先ではなくか細い己の首もと目掛けて……。
番の首は切り裂かれ、みるみる間に辺り一面が赤色に染まっていく。それと同時に人々の口から言葉にならない叫び声が上がる。
婚姻の儀は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と変わった。温かい赤い液体が竜王と番の身に降り注ぎ、白い婚礼衣装を鮮やかな赤色へと染めていく。
身体の力が抜けてその場に崩れ落ちていく番。
慌ててその身を受け止めた竜王は、血が流れ出る番の首元を片手で必死に押さえるがその血が止まることはない。
「嘘だ、嘘…だ、これは何かの間違…だ。ああ、血が、…血が止まらない。なんでこんなことにっ。大丈夫だ…絶対に、助けるから!心配はいらない、大丈夫だ。ああ、愛おしい私…の番。ああ、クソッ、どうしてこんなことにっ!」
竜王から出る声は普段とは全く異なるものだった。微かに震え不安が滲み出ている。
番の口元が微かに動いているようにも見えるが、竜王にも傍に控えている臣下達にも周りの喧騒に掻き消されてしまってよく聞こえない。
「煩いっ、黙れ、黙れ、黙るんだ!番の声が聞こえないだろうがっ」
竜王の怒声と共に普段は押さえている覇気が周囲を威圧する。一瞬でその場は静まり、覇気によって多くの人は気を失い、気丈にも意識を保っている者達も地面に這いつくばるように倒れ込んでいる。
「なんだ、なにを言いたいんだ……」
竜王は腕の中にいる番に優しく話し掛ける。まるで目の前の現実を感じさせないように…。すると首からおびただしい血を流しながらも、番は微笑みながら言葉を紡ぐ。
番には竜王の覇気は及んでいない。なぜなら、どんな場合でも己の番を傷つけることなど獣人の本能が許さないからだ。
「ごっほ…ごぼ…、これであなた…はしあわせ、よ…ね。…よか…た…。わた、し…あいし、いる…」
苦し気なのにその笑みは心からのものにしか見えない。
――番の行動と言葉の矛盾。
竜王は番の気持ちが分からずに混乱するが、それ以上に目の前で起こっている現実に理解が追いつかない。いや、心を受け付けることを拒んでいるのだ。
そんな竜王に微笑みを向けたまま番の目はゆっくりと閉じられていく。
「あぁぁ、しっかりしろ!目を閉じるな…、私を見ろ。お願いだ、見てくれ……」
竜王が必死に声を掛けるがその反応は薄らいでいき、もう止めることは出来ない。
…幸せ…なにを言って…いる…んだ?
ああああ、目を閉じないないでくれーーー。
目は閉じられたが、なぜか幸せそうな表情を浮かべたままの番。
「うああああぁぁぁぁ!番、私の愛おしい番が、あぁぁ…。ど…うしてなん…だ…。うおぉっ――、死な…ない…くれっ…」
命の灯が消えかけている番の身を必死に抱き締めながら慟哭する竜王に、臣下達が這いつくばりながら必死の形相で近づいて来ていた。