第41話 真相
「一体何を仰っておられるのか。王妃様の要求など、皆目見当もつきませんが」
王妃からの鋭い視線を涼しげに受け流し、伯爵は肩を竦めてみせた。
アデラインがほう、と吐息を漏らす。
「往生際が悪いわねぇ」
億劫そうにぼやいた彼女は、意味ありげにウィリアムを見やった。
「ウィル。面倒だから私の代わりに伯爵に説明してあげてちょうだいな。王家が彼に何を求めているのかを」
王妃の顔にはにこやかな笑みが浮かんでいるものの、その瞳には、どこか挑戦的な色が湛えられている。まるで、息子を試しているかのようだ。
突然水を向けられてもウィリアムは動じることなく、落ち着いた様子で口を開いた。
「ランドール家に纏わる調査書を確認したところ、気になる記述がありました。先日、御前裁判によって裁かれたモーガン男爵。彼の妻である男爵夫人とランドール伯爵は従兄弟でありーーかつての恋人でもあった、と」
レティシアは、ぱちりと目を瞬かせた。
ウィリアムの語り出しはアデラインの要望に沿ったものではなかった。だが、間違いなく意図に沿ったものであった。
「政略的な婚姻に阻まれ別れを余儀なくされたものの、結婚後も夫人は伯爵に未練を持っていたそうですね。そんな夫人を利用し、あなたは八年前に犯した罪をモーガン男爵に擦りつけたのではありませんか? 王家に取り入る材料とするために」
レティシアは父から頭に入れておけと命じられた御前裁判の議事録を、脳内でひっくり返す。
八年前、国宝である短剣が盗まれた。宝物庫の管理を怠った責任で管理者であったクリフトン伯爵が左遷され、後任は人望に定評のあったモーガン男爵が託された。
ところが、先月になって行方知れずだった件の宝剣がモーガン男爵邸で発見された。見つけたのは彼の妻である男爵夫人。
一連の盗難事件はクリフトン伯爵の失脚を目論んだモーガン男爵による奸計だったと結論づけられたのが、先日の御前裁判の流れ。
モーガン男爵を断罪した当の王妃が、冷ややかにランドール伯爵へと視線を送った。
嫌悪に満ちた彼女の声が朗々と室内に響き渡る。
「失脚させたクリフトン伯爵の後任として自分に白羽の矢が立てばよし。別の者が選出された場合はその者を盗難事件の犯人に仕立て上げ、我が物顔で己の手柄とする腹づもりだった」
ウィリアムの推論を補足するように、王妃は冷たい声音で綴る。
「後任であるモーガン男爵の妻がかつての恋人だったのは、偶然に過ぎないのでしょう。男爵邸で短剣が見つかったなんて話は、真っ赤な嘘。八年間あなたが隠し持っていた盗難品がさも屋敷で見つかったかのように、夫人に口裏を合わせさせただけ」
(……なるほど。いずれ伯爵夫人とは離婚し、後妻の座にとでも約束したのでしょうか)
男爵夫人は相当伯爵に惚れ込んでいたようだ。伯爵側に愛情があるかは、レティシアは怪しいものだと思ってしまうけれど。
目的のために利用できるものを利用しているだけのように感じられる。
「あなたと違って、モーガン男爵には人望があるの。叔父がそのような謀をするはずがない、どうかよく調べてほしいと彼の姪から嘆願書が送られてきてね。まあ、それ以前からクラウスは男爵が謀られた可能性を視野に入れ、内密に調査を進めていたのだけれど」
沈黙を貫く伯爵に、アデラインは冷たく続けた。
「憶測の域は出ないけれど、これが事件の真相だと確信しているわ。だって、いくらなんでも都合が良すぎるじゃない? 八年も前に起こった事件なのに犯人は迂闊にも物証を手元に残し、それをたまたま妻が好奇心で発見して、なぜか従兄弟であるあなたに相談しただなんて」
王妃の双眸が鋭く細まる。
「こんな出来過ぎた流れ、何かしらの思惑が絡んでいるに決まっているわ。けれど、ランドール伯爵の奸計だという証拠は何もない。夫人も口を割ることはしないでしょう。王家との繋がりが生まれる前から毒物を用意できていたことが、いずれ取り入る材料ができるとわかっていた者の動きだけれど。これも、こじつけと言われてしまえばそれまで」
アデラインがちらりとレティシアを一瞥した。
「決定的な証拠はなくとも、あなたの野心は明白。息子の可愛いお嫁さんに実害が及ぶ前に対処しておきたくもあるわ。貴族を裁くのは王家の務め。こんな困った伯爵の罪を明らかにするには、どうすればいいかしら?」
再び挑戦的な視線を注がれたウィリアムが、神妙な面持ちで答える。
「伯爵が己の罪を告白するなら、今夜の罪状を取り下げる……」
「よくできました。合格よ」
毒入りのグラスを指先で弾き、王妃は宣告する。
「事実を洗いざらい話すというのであれば、王太子の婚約者に毒を盛っただなんて馬鹿げた罪状は取り下げてあげる。罪は国宝の盗難とモーガン男爵への濡れ衣だけで済むわ。どうかしら? 反逆罪より、よほど軽いでしょう?」
王妃の提案に、伯爵は硬い声音で言う。
「……我が伯爵家は王家の忠臣。裁かれる罪などありはしませんな」
「娘が可愛くないと? 伯爵が知らぬ存ぜぬを貫くなら、槍玉に挙がるのは実行犯のこの娘よ?」
「……っ」
刃物を喉元に突きつけられたかのように、モニカがひゅっと息を呑む。顔色を失っている彼女は、王妃と父親におろおろと視線を送っていた。
「もっとも? 娘一人の首で贖える罪でもないけれど」
「…………」
伯爵は沈黙を貫いた。ギラギラとした憤りに燃える瞳でアデラインを睨むだけ。
「……そう。ならこれはどう? 自白するならあなた一人の捕縛で許してあげる。娘も妻も見逃すし、爵位もそのまま。破格の条件ね? 呑まないのであれば親子共々この場で捕縛。ランドールはあなたの代で潰えることになるわ。それで構わないと?」
王妃の最後通牒に、伯爵が苛立たしげに唇を噛み。舌を打った彼は、堰を切ったように感情を爆発させた。
「女風情が、私を出し抜いたつもりか……っ! たかだか子爵家の娘ごときが、私に指図するな!」
口調はすっかり粗くなり、王妃への敬意はどこへやら、だ。普段から、彼の本音はこうだったのだろう。面従腹背っぷりが窺える。
「盗難事件の犯人が見つかったのは私の手柄だ。奸計などと、言い掛かりに過ぎん。毒入りの葡萄酒とやらも同じこと。でっちあげるというのなら、この娘が勝手にやったこと。私は預かり知らん。ランドールが裁かれる謂れなどない!」
「王太子の婚約者に毒を盛って、その罪が実行犯の娘一人で贖えるはずないでしょう」
伯爵の言い逃れに、アデラインは呆れたように嘆息するけれど。
ところが、伯爵の顔には晴れやかな笑みが浮かんだ。勝ち誇った顔で、彼は高らかに叫ぶ。
「いいや、贖えるさ! いいか、真実を教えてやる。その娘と私は血の一滴も繋がっていない、赤の他人。下賎な娘がしでかした事の責めを、我が伯爵家が負う謂れなどない!」
ここで初めて、王妃の顔色が変わった。意表を突かれたように、彼女は目を丸くしている。
レティシアとウィリアムは互いに顔を見合わせ、次いでモニカへと視線を送った。
顔を背けて俯いた彼女は、父親の言葉を否定することなく、肩を小刻みに震わせている。
「あら、まぁ……」
(あら、まぁ……)
アデラインの感想とレティシアの心の声が、綺麗に重なった。




