第1話 姦しい朝
本話の時系列は、第4話直後です。
八時五分。早くも遅くもない時間に登校したレティシアは、鞄を机に置き、すぐにメリルの席へと向かった。
教室はいつも通り騒がしかったが、レティシアの登校に気づいた生徒が何人か、ちらちらと視線を寄越してくる。秋季試験の成績が話題となり、こんな風に遠巻きに窺われることが増えてしまった。
「おはよう、メリル」
「おはよ」
ロマンス小説から顔を上げた彼女の前で、レティシアはくるりと一回転した。スカートの裾と長い髪がふわりと踊る。
「何か、気づくことはない?」
「……特には」
メリルの反応は鈍かった。
「髪留めです、髪留め。いつもと違うとは思いませんか?」
「言われてみれば、レティがリボンを結んでいないのは新鮮だわ」
今日のレティシアはサイドの髪を編み込み、後ろで一つにまとめている。結び目を飾っているのは、蝶をモチーフとしたバレッタだ。立体的な蝶の細工は繊細で、優雅に青い羽を伸ばしている。
「昨日、外出した際に殿下がわたくしに贈ってくださったの。殿下の瞳の色と同じで、素敵だと思わない?」
レティシアが満面の笑みでそう言うと、メリルは怪訝な面持ちになった。
「レティってば、どうしちゃったの? あなたが殿下との仲を匂わせてくるなんて……。殿下の話題すら滅多に口にしなかったのに」
「メリルに色々と心配をかけてしまったでしょう? ですので、わたくしと殿下の仲に問題はないということを、証明しておこうかしらと」
「それなら先日の一件で十分にわかったわよ。あぁ、先日の一件といえば、どうしてお馬鹿さんのふりなんてしていたの?」
レティシアは眉をひそめる。
「そんなふり、していないわ。あれはわたくしが突き詰めに突き詰めて到達した、知性の示し方の究極系です」
本当は、試験で平均点を取っていたのにはちゃんとした理由がある。だが、メリルに話せる内容ではなかったので、レティシアはそう答えるに留めた。
二度の試験はレティシアなりに真剣に挑んだ結果なのだから、手を抜いたりなんてしていないし、お馬鹿さんのふりをしていたわけでもない。
「ということは、レティのそれは素なのね」
「それ」
どれの話なのか、さっぱりだ。
「公爵令嬢としては変わり者ってことよ。別に悪い意味じゃないわ」
「褒め言葉ということ?」
「褒めてもいないわ」
よくわからないけれど、メリルは何かを納得したようだ。
「私は試験の臨み方なんて個人の自由だと思うけど、気をつけたほうがいいわよ」
メリルがちらりと後ろを見やった。彼女の視線の先には、教室の隅で談笑する女子生徒の輪が。
「ハーネット男爵令嬢が、レティは他の生徒を見下していた性悪だってご立腹よ」
「まぁ」
レティシアはふふっ、と笑ってしまう。似たような評価を聞いたばかりだ。
「どうして嬉しそうなのよ」
「先日、殿下にも言われましたの。わたくしは天然で悪女だと」
「あの方、女性にそんなことを言うの?」
ウィリアムにちょっぴり敵意を持っていたメリルだけれど、先日の一件で認識を改めてくれたみたいだ。鼻持ちならない王太子から、婚約者を大切にしている先輩に格上げとなったらしい。
「わたくしと殿下の仲が良好だからこその、ちょっとした戯れですわ」
「はいはい、ごちそうさま」
流石にアピールし過ぎたみたいで、メリルは付き合っていられないと言わんばかりに小説に目を落とすのだった。