第34話 お世話になりました
翌日、モニカの心はとても軽かった。
肩の荷が下りたからか、侍女見習いの仕事にはこれまでで一番集中できた。レティシアを蹴落とせという父の命を遂行できるか、ずっと不安でしかたなかったけれど。今回ばかりは自信がある。
レティシアが用意した招待状は三通ともモニカが手ずから暖炉に放り込み、灰にした。代わりに失礼極まりない招待状をヘレネが使用人に託したはずだ。
新年の夜会への参加希望を表明したら、招待状が届く時期は領地ではなく王都の邸宅で過ごす。それが貴族社会における常識である。
窓の外は夕暮れ色に染まっている。配達を担当する使用人は早朝に出立したと侍女が教えてくれたから、モニカが用意した招待状はとっくに届いていることだろう。
憤慨した貴族が騒ぎ立てる時が待ちきれない。招待状の用意すら満足にこなせない令嬢がこの国の未来の王太子妃だなんて、不安視する声がたくさん上がること間違いなしだ。
十七時の鐘の音と共に仕事を終えて客室に戻ると、ほどなくして扉が叩かれた。乾いたノックの音に、モニカは読んでいた詩集を机に置いて立ち上がる。
扉を開け、息を呑んだ。
「ご機嫌よう、モニカ様」
そう言って優雅にお辞儀したのは、レティシアである。彼女の背後には公爵家の侍女と、それからヘレネが立っていた。昨日の今日なので、ヘレネの顔を見ると嫌な想像が脳裏を掠めた。
(大丈夫……よね? 王妃様からの頼まれごとは、彼女の耳にも入っているのだし)
レティシアへの嫌がらせは、王妃公認なのだ。モニカの企みをレティシアに告げ口する利が、ヘレネにはない。
ではレティシアの用件はなんなのか。疑問に思いながら、モニカは三人を部屋に招き入れた。
「本日はこちらをモニカ様にお渡ししようと思いまして」
レティシアが差し出してきたのは、三通の封筒だった。未開封の封筒を受け取ったモニカは、目を瞠る。ドキリ、と心臓が跳ねた。
封筒に記された宛名は、昨日ヘレネが推薦してくれた貴族のものだった。三通とも、だ。なるべくレティシアの筆跡を真似ようとして力がこもり、ぎこちなくなった文字。
慌てて机に駆け寄る。引き出しからペーパーナイフを掴み取り、封を切った。中に入っていたのは招待状のカードだった。カードには何も記されていない。つまりこれは、モニカが昨夜用意した物なのでは――。
レティシアがおっとりと首を傾けた。
「すり替えた招待状が再度すり替えられるとは、想像もしておりませんでしたか?」
言われた意味が、すぐにはわからなかった。徐々に、徐々に理解が及んでいく。
昨夜のうちに、ヘレネはレティシアに告げ口したのだ。モニカが招待状を書き終えたのは確か、二十二時頃のこと。その後ヘレネがレティシアのもとを訪ね、モニカの計画を打ち明けて新しい招待状を用意させる時間は充分にあったはず。モニカの招待状は処分して、レティシアが用意し直した物を使用人に渡した。そういうことだろう。
モニカはヘレネを睨みつけた。
「あなた、裏切ったのね?! 王妃様に言いつけて――」
「いいえ」
レティシアが静かに口を挟んだ。
「ヘレネは、モニカ様の要望に忠実に従ったのだと思われます。わたくしは彼女から何も聞いておりませんわ。ヘレネはヘレネで、モニカ様と同様に戸惑っているでしょう?」
指摘されて気づく。彼女の言う通り、ヘレネの顔には強い困惑の色が浮かんでいた。そうなると、モニカはモニカでますます戸惑う。
なぜモニカが用意した招待状を、レティシアが所持しているのか。答えを、レティシアがくれる。
「招待状をすり替えたのはヘレネではなく、殿下の側近ですわ。三日前に、わたくしが頼んだことです。招待状の配達者が王宮を出立する直前に、すべての招待状の宛名を確認してほしい、と」
レティシアがモニカの握りしめる招待状に視線を落とした。
「筆跡を寄せる努力の跡が見えましたけれど……万が一、招待状がすり替えられでもした場合は容易に見分けがつくよう、特定の文字に癖をつけておきました。インクの滲み方で、わたくしが書いたものかどうかの見分けがつくようになっていたのです。すべての招待状を並べて見比べれば法則性に気づくかもしれませんが、事前に知らされない限りなかなか気づけないでしょう」
レティシアがクスリと笑む。
「尤も、モニーク、ダニング、ローガン、オールディス、フェルントン。この五家に限っては筆跡の違和感とは関係なく、わたくしが殿下を通して預けた招待状と入れ替えてほしいとお願いしてありました。ですから、モニカ様が宛名の筆跡を完璧に模倣できていたとしても、すり替える招待状をこの五家以外から選びませんと徒労に終わるのですが」
思考が追いつかない。レティシアの言葉が上手く頭に入ってこない。わかることは、モニカの計画は失敗に終わったということと――。
「私のすることが、わかっていたの?」
「はい。わたくしとの接点がなくなり、モニカ様は相当焦ったはずですわ。どうにかしてわたくしを殿下の婚約者の座から引きずり下ろさなくてはならないのに、顔すら会わせない状況です。打開するには、公務の妨害に舵を切らざるを得ません」
レティシアの心が折れ、王太子の婚約者という立場に嫌気が差すように立ち回る。それが王妃から望まれていたことだが、突如として王妃教育の終了を告げられ、モニカはどうすればいいのかわからなくなった。何をすれば、レティシアは挫けるのか。
宮女が味方についているとはいえ、あまり露骨なことをすれば、ウィリアムの反感を買う恐れがある。父の望みはモニカがレティシアの後釜となること。ウィリアムから嫌われては本末転倒なのだ。
悩んでいたモニカは、王妃がブローチの騒動を高く評価してくれていたことを思い出した。それで、とにかくレティシアの評判を下げればいいと気づけた。
レティシアが未来の王太子妃に相応しくないと周囲に思わせることができれば、結果は同じこと。貴族が声を大にして婚約の解消を主張すれば、ルクシーレの王妃の役割上、レティシアは婚約者でいられなくなる。貴族からの信頼なしで、為政者にはなれないのだから。
公務で失態をおかして貴族から反感を買ってしまえばいい。そんなモニカの思考を見透かしたかのように、レティシアは微笑む。
「残るわたくしの公務は招待状の用意のみですが、妨害手段が限られているために、モニカ様の行動が読みやすくなります。招待状が届かない手段はいくらでもありますけれど、明らかなわたくしの失態という形にしようと思うと、難しいものです。最も現実的なのが招待状のすり替えですわね」
彼女の言う通りだった。宮女たちの手を借りたとしても、招待状をすり替えるくらいしか思いつかなかった。
「不備のある招待状が多すぎてはあまりに作為的で、却ってわたくしが責められ難くなるかもしれません。すり替える招待状は、厳選する必要があります。宰相の娘であり、王太子の婚約者でもあるわたくしを表立って非難できる招待客というのは、限られております。厄介ごとを厭う、保身を気にして口をつぐむ。それらの懸念がない方々から選びませんと、せっかくすり替えても無駄に終わるかもしれません。今回の招待客の中では、先ほど挙げた五家が該当します」
レティシアがちらりとヘレネに目線をやった。
「ただ、該当する貴族をモニカ様が自力で判別できるとは思えません。そもそもモニカ様は、招待客すら把握しておられない可能性が高いですし。判断のしようがないからと、無作為に招待状をすり替えられてはわたくしが困ってしまいます。筆跡ですり替えに気づけたとしても、招待状を後から用意した場合、使用人の出立が遅れます。そこをわたくしの不手際として突かれても面倒ですから。ですので、すり替えがより有効的な招待客を事前にヘレネに印象づけておきました」
レティシアがにっこりと微笑んだ。
「裏切りを疑うということは、モニカ様はやはりヘレネを頼ったのですね。わたくしの想定通りヘレネに助言を求めてくださって、ありがとうございます。女官を頼れることが裏目に出ましたわね。モニカ様がわたくしの想定を超える策略を思いつけるような頭脳をお持ちでなくて、助かりましたわ」
いつかの夜と同じように。レティシアの物言いは、やたらと挑発的だった。頭の中は未だに真っ白で、憤りは湧いてこない。ただただ、虚脱感に見舞われた。
「王妃教育はなくなり、公務も本日を持って本当の意味で終了いたしました。わたくしがいつまで王宮に滞在するのかはわかりませんけれど、冬季休暇中にモニカ様と顔を合わせるのは、これが最後となるかもしれませんわね」
艶やかな銀髪をふわりと揺らして、レティシアが一礼する。
「色々と、お世話になりました」
顔を上げた彼女はそう告げて、侍女と女官を伴い部屋を出て行った。




