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第6話 二人の決まり事 後編

「あの。ウィルさまは、わたくしを嫌いになってしまいますか……?」

「え、どうしてっ?」


 不安げな表情でそんなことを問われたものだから、ウィリアムは面食らった。長いこと黙り込んだことが、不安を煽ってしまったのだろうか。


 レティシアはつぶらな瞳をじっとこちらへ向けてくる。


「殿方は、可愛いらしい奥さまがお好きなのでしょう? だから貴族の家に生まれた娘はみんなお淑やかな微笑みを身につける必要があるのだと……ずっと前に、マナーの先生から教わりました。でも、お父様がわたくしに求めているのは――」

「僕が君の前でまったく笑わなくなったら、レティはどう思う?」


 大きな瞳があどけなく瞠られた。ウィリアムが話を遮ったから、レティシアは驚いたみたいだ。


 問いかけに対する彼女の反応は、早かった。


「とても、心配になります。ウィルさまは笑顔の多い方ですから。無理をなさっているんじゃないかしらと……」


 笑顔が多いのは、それが王太子の振る舞いだという教育を受けてきたからだ。いつでもどこでも、どんな時でも。優雅に微笑んで感情を抑え込み、好感も嫌悪も読ませないようにする。王族とは、常に中立であるべき。そう教わったから、ウィリアムは穏やかな笑顔を絶やさないように意識しているのだ。


 だが、レティシアの笑顔は違う。お淑やかというより人懐っこくて屈託のない笑みは、彼女の気質をそのまま体現している。淑女の嗜みなどと関係なく、レティシアはよく笑う明るい女の子なのだ。


「そっくりそのまま、同じことが言えるよ? レティが公爵の言い付け通りに笑ったり悲しんだりしなくなったら、僕は嫌いになるとかじゃなくて、心配になる」


 柔らかな声音を意識して、ウィリアムは思ったままを伝える。


「僕はレティと過ごしている間、ずっと心配する気持ちでいっぱいになるんだ。本来のレティを知っているだけにね。想像するだけで、しんどいな」


 苦笑すると、レティシアは困り果てた顔になった。


「ウィルさまの悲しいお顔は、見たくありません。でも、お父様の教えを、無視するわけにもいきません……」


 ウィリアムの一存でやめさせたら、公爵はレティシアを厳しく叱責するだろう。かといってウィリアムが公爵に抗議したところで、あしらわれて終わり。どうすることもできない。それは、今回に限った話ではなく。


 公爵邸で、レティシアに自由な時間はない。朝から晩、時には明け方近くまで、彼女は過酷な英才教育を受けているのだ。


 公爵邸で過ごす時間に比べれば、王宮での時間なんて刹那にも満たない。レティシアの日常を想うと、ウィリアムは心配で堪らない。


 ウィリアムも自由とは程遠い生活だが、彼女と大きく違う点がある。両親からの愛情を疑ったことがないウィリアムとは異なり、レティシアは父親からの愛情を信じたことがない。父からの愛が見えないから、従順な娘でいようと一生懸命なのだ。期待に応えれば父親の目に映ると、信じているから。


 彼女の想いは理解しているけれど、許容できるかは別だった。


「僕と二人だけの時は、公爵の言い付けを忘れられたりしないかな?」

「え?」

「困らせてごめんね。でも僕はレティの笑顔が好きなんだ。レティの笑った顔を見ると、剣の稽古とか勉強とか、頑張ってよかったなって気持ちになれる。レティから笑顔が消えたら……辛いよ」


 レティシアに強いる負担を思えば、父親の教えを守らせるのが正しいのかもしれない。わかっていても、どうしても、受け入れられなかった。感情をずっと殺して生きていくなんて、地獄だ。ウィリアムが許してしまったら、レティシアが辛い時、気づける人間がいなくなる。彼女は一人で泣くことになるのだ。


 透き通った瞳とどれくらいの間、見つめ合っていたか。最終的に、レティシアはこくりと頷いた。


「ウィルさまが、お望みなら。使い分けできるよう、頑張ってみます」


 理想の王妃に育て上げるため、行き過ぎた教育を父親によって押し付けられているレティシア。彼女を心配する気持ちに偽りはないのに、やっていることは公爵と同じで、やるせない。


 表情に出さないよう精一杯の笑みを浮かべて、ウィリアムはレティシアの小さな手を取った。


「よかった。それじゃあ、遊ぼうか。母上がレティのために取り寄せてくれた絵本が届いたんだ。すごく凝った仕掛けの本だからレティも気に入ると――」


 繋いだ手に伝わる、引っ張られるような感覚。振り返ると、レティシアが真剣な面持ちでウィリアムを見上げていた。


「レティ?」


 視線が絡むと、彼女は凛とした声で言う。


「わたくしも、ウィルさまの笑顔が大好きです」


 たぶんそれは、レティシアにとってとても大事なことだったのだろう。見つめてくる瞳はひたむきだ。


 どのような意図の下に発せられた言葉なのかは、レティシア本人にしかわからない。それでもなんとなく、本当にただ漠然と、わかる気がした。ウィリアムの努力に対する、敬意だと。


「ありがとう」


 お礼を口にすると、レティシアが嬉しそうに笑う。花が咲くような笑顔は、誰が見たって見惚れるに違いない、可憐なもの。


 公爵の教育方針にはまったく賛同できないけれど。この笑顔は独り占めして、誰にも向けて欲しくないなと思ってしまったことは、ウィリアムだけの秘密だった。

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