第4話 膝枕はいかが?
休日の昼下がり。かねてより約束していた観劇をウィリアムと楽しみ、散歩がてらに立ち寄った公園のベンチで。
「レティの入学が初めから決まっていたら、手っ取り早く無愛想な王太子を演じたんだけどな……」
ウィリアムが、ぽつりとこぼした。
「わたくしの殿下とはかけ離れた解釈ですので、その案はどのみち棄却しておりましたわ」
にっこり笑って突っぱねると、ウィリアムは苦笑する。
「レティは王子様な僕が好きだもんね」
「語弊がありますわ。ウィル様は天然で王子様ですもの。わたくしへの気遣いから、ご自身を偽って欲しくないだけです」
「レティは天然で悪女だからな」
否定しきれない気がして押し黙ると、ウィリアムはクスリと笑んだ。
「嘘だよ。レティは僕の自慢の婚約者だし、アルトリウス公だって自慢の娘だと思っているよ」
「前者は信じますが、後者は怪しいです。お父様はわたくしをアルトリウスの最高傑作とお考えでしょうけど……娘として自慢に思っていらっしゃるかどうかは、別の話です」
父にとって、レティシアは王家に取り入るための道具に過ぎない。彼から愛情を感じたことは、一度としてなかった。
幼い頃からレティシアに愛情を注いでくれたのは、目の前の王太子だけ。
朝から真夜中まで家庭教師が付きっきりの、息が詰まるような毎日。窒息しそうな日々の中で、ウィリアムと過ごす時間だけが、レティシアのよすがだった。
父の厳しさを補うように、ウィリアムはレティシアをたっぷりと甘やかしてくれた。ウィリアムが頑張ったね、と頭を撫でてくれるから地獄のような日常に耐えられたし、彼の前でだけは、心から笑うことができた。
ウィリアムに向ける笑顔だけは混じり気のない本物だから、人々はレティシアを王国で一番可憐な少女だと褒めそやすのだ。
「そんなことないよ。君に申し訳なく思っているから、レティを学園に通わせて欲しいって僕の頼みを、公爵は了承してくださったんだ」
王立学園への入学は、父の描いていた人生設計には含まれていなかった。五歳の時から英才教育を施してきた娘が学ぶ知識など、授業には組み込まれていないからだ。
父の気が変わったのは、昨年の春のこと。
『知性でレティに勝る令嬢はいないけれど、社交性を軽んじ過ぎては社交に支障を来す恐れもある。レティを王立学園に通わせて、そちらの分野も磨くのはどうか』
そんなウィリアムの案に、父は最終的に頷いたのだった。
「父の偏った教育が誤りだったと気づいただけではありませんか? 男性と女性では、求められるものが違いますもの。おかげでわたくし、とても苦労しております」
入学が決まってからは大変だった。学園という集団生活の場で、愛想笑い一つできない令嬢が、馴染めるはずもない。入学前からそんなことはわかりきっていたから、レティシアはすぐに立ち振る舞いを見直し始めた。
「入学が決まって、鏡の前で一生懸命笑顔の練習をするレティは、すごく可愛かったよね」
「先日、わたくしはその笑顔が嘘っぽいと言われました!」
面白がるウィリアムを、きっ、と睨み据え――レティシアは、へにゃりと眉尻を下げた。
「わたくしも、ウィル様みたいにキラキラな人間になりたいのに……」
「レティが苦手な分野は僕が肩代わりすればいいだけの話だから、無理して人当たりのいい令嬢を演じる必要もないと思うけどな。そのままのレティでも、見ている人はちゃんと見ているよ。メリル嬢がいい例じゃないかな。男爵家のご令嬢が王太子の僕に声をかけるなんて相当な勇気がいるだろうに、レティのために呼びに来てくれたんだから、いい友人だと思うな」
ウィリアムが父に指摘した社交性の欠如は、ただの方便。彼はレティシアに自由を与えたかっただけ。それはわかっているけれど。
「ウィル様の甘言には惑わされません。無愛想な公爵令嬢など、忌避されてしまいます。人付き合いもまともにこなせない令嬢がウィル様の婚約者だなんて、わたくし自身が許せませんわ」
人気者の王太子に比べて婚約者は――なんて、言われたくない。
協調性のなさもどうにかしなくてはいけないと自覚しているから、前途は多難だけれども。
「卒業までにレティの友人がどこまで増えるか、楽しみだな」
ウィリアムは完全に面白がっていた。お日様の下で悪戯っぽく笑う王太子も素敵だけれど、揶揄われっぱなしは、悔しい。
レティシアは、こほん、とわざとらしく咳払いをした。
「ところで、ウィル様。わたくし、ご褒美が欲しいのです。初めて首席の成績を収めたお祝いを、くださいませんか?」
「レティがおねだりなんて、珍しいね。もちろんいいよ。僕に用意できるものなら、なんでも」
嬉しそうに笑うウィリアムは、やっぱり人が好い。そしてレティシアは彼が指摘した通りに悪女なので、言質を取った上で、
「では、ウィル様。わたくしに膝枕をさせてください」
ウィリアムが心の底から困るおねだりをする。
「え」
固まってしまった王太子に、とろけるような笑みを向ける。
「ウィル様、先ほどなんでも、と仰いましたよね?」
「言った、けど……」
恥ずかしいから、せめて別の機会に――なんて逃げようとするウィリアムを追い詰めるのは、レティシアにとってこの上なく幸せな時間なのだった。