第8話 嵌められたみたいです
王宮の一画にある温室は、冬の最中でも彩り豊かな花で溢れ、温かな空気が満ちている。
重要な書類も含めた諸々の後片付けをヘレネへ託し、侍女に身なりを整えてもらったレティシアは、お茶会の会場である温室に着いた時、あら、と思った。
出迎えてくれた侍女たちの眼差しがなんとなく、刺々しい気がしたのだ。ジロジロとした不躾な視線に違和感を抱きつつ、ドロシーを従えて花の香り豊かな温室に踏み入る。
アデラインたちがいるテーブルを見つけたレティシアは、目を瞠った。
真っ白な丸テーブルを囲うアデラインとモニカの前には、すでに湯気の立つ紅茶が用意されている。お茶請けのお菓子にも手をつけた痕跡があった。
レティシアの姿に気づいたアデラインがにっこりと微笑む。
「遅刻したことへの言い訳は何かあるのかしら、レティシア嬢?」
ふっくらとした頬には微笑みが浮かんでいるが、アデラインの目は笑っていなかった。
――遅刻?
時刻はおそらく、十四時五十分前後。予定より十分も早く到着しているのに遅刻とは。
「公務を慮って呼びに行かせるのは控えましたが、まさか一時間も待たされることになるとは思わなかったわ」
「お茶会は十五時と伺いましたが……」
王妃の憤りを感じながら、レティシアは困惑と共にモニカを見る。癖のある紅茶色の髪をさらりと揺らして、彼女は首を横に振った。
「いいえ。ちゃんと十四時開始だとお伝えしました」
記憶力には自信があったので、レティシアは再度確認する。
「それは確かでしょうか? わたくしの記憶では、モニカ様は十五時開始に変更と仰っていましたが……」
「違います。きちんと伝えました。十四時開始ですって。遅刻の非を私に押し付けるだなんて、あんまりです」
モニカは瞳に軽蔑の色を滲ませて、拗ねたように頬を膨らませた。
――そういうこと。
無自覚に言い間違えてしまっただけなら仕方のないことと思えたが。この分だと、故意に誤った時刻をレティシアに伝えたらしい。
伯爵は野心家と聞くから、レティシアを貶めて婚約者の座を奪いたいといったところか。
優雅な手つきでカップをソーサーに戻したアデラインが、冷ややかに言う。
「話を聞く限り、どちらかが嘘を吐いていそうですね。私に判断できるのは、レティシア嬢が一時間も遅刻をしたということだけですけれど」
「申し訳ありませんでした。弁明の余地もございません」
遅刻したのは事実なのだ。レティシアが深々と頭を下げると、アデラインは嘆息した。
「もういいわ。公務で疲れているのね。お部屋でゆっくり休みなさい」
「……お気遣い、痛み入ります」
言い訳をしてはアデラインをますます失望させると思ったから、レティシアは大人しく引き下がった。
ちらりとモニカを窺うと、素知らぬ顔で紅茶を飲んでいる。最近のレティシアの周りは、余計な度胸を備えた令嬢ばかりだった。
廊下に出ると、それまで沈黙を貫いてくれていたドロシーが心配そうに瞳を揺らした。
「お嬢様……」
物言いたげにしながらも、侍女として口を挟まずに堪えてくれた彼女には感謝しかない。貴族の出でもないドロシーがモニカを非難したら、事態は更に拗れてしまっていた。
「大丈夫よ、心配しないで。伝達に誤りがあったことはすぐに証明できます」
あの場にはヘレネもいたのだ。モニカが十五時と口にしたことは、彼女も記憶しているだろう。
「ヘレネをわたくしの部屋に呼んでちょうだい」
レティシアの命令に従って、ドロシーが通りかかった侍女に話しかけに行く。その様子を眺めながら、心の中でため息を吐いた。
こちらは学園での失態を取り返そうと必死なのに。足を引っ張られて王妃からの心象を更に悪くしまうなんて、勘弁して欲しい。
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
――成功、したのだろうか。
モニカの予想に反して、レティシアは喚きもせずに温室を出て行った。
王太子に気に入られるだけでなく、レティシアの評判を貶めて蹴落とせ。それが父に命じられたことだ。
レティシア・アルトリウスは正式な婚約者とはいえ、まだ十四歳。社交界デビューしていない彼女には人脈が欠けているため、その立場は盤石というわけでもない。それでも、父の野望は無謀だろうと思っていた。
モニカの武器は伯爵令嬢という肩書きを除けば、可愛らしい容姿だけ。厳しい教育の成果で知識はそこそこ備えているものの、頭の回転が早いというわけではない。王妃や宮女の目を欺き、レティシアを貶める立ち回りができる自信なんてなかった。モニカは賢くないのだ。
それでも父には逆らえないから、浅知恵を振り絞ってみたところ――拍子抜けするほど上手く事が運んで、びっくりしてしまった。
「ねぇ、モニカ嬢」
「はいっ」
そんな風に胸を撫で下ろしていたものだから、急に王妃に話しかけられて声が上擦ってしまった。
目が合うと、アデラインがおっとりと微笑んだ。
「レティシア嬢に、嘘の時間を伝えたのね?」
あぁ、やっぱり。こんな拙いやり方では、簡単に露呈してしまう。上手くいったなんて勘違いだった。王妃はとっくに真相を見抜いている。
勘違いで押し通せば、厳しく咎められることはないだろうか。それともとっくに手遅れで、王宮から追い出されてしまう?
何も言えないモニカを見て、アデラインは瞳を優しく細めた。赤子に向けるような穏やかな声音が、耳朶を打つ。
「そんなに怯えないで? 魔が差すことは誰にでもあるわ。レティシア嬢に嘘を吐いたの?」
「……よく、覚えていません……」
それしか言えなかった。
深海のような瞳がきょとん、と瞬く。モニカをじっと見つめていた王妃が、上品な笑みをこぼした。
「もし故意に伝え間違えたのなら、私たちとっても仲良くできると思ったのだけれど……。意図的に誤った時間を伝えることでレティシア嬢を貶めようとした――なんて考えは、穿ち過ぎかしら?」
「え……?」
アデラインの言葉が、モニカにはよくわからなかった。伝達ミスが故意なら仲良くできるとは、どういう意味なのだろう。
「ねぇ、モニカ嬢。王太子妃になりたい?」
父に従うことは、モニカにとって当たり前のこと。
それから。
昨日王宮を案内してくれたウィリアムは、評判通りの優しい王子様だった。見目麗しいだけでなく、物腰穏やかで笑顔の絶えない紳士。あんな素敵な王子様と結婚できたなら。それはもう、夢のような結婚生活を送れるに違いない。
非の打ち所がない伯爵令嬢となるべく積み重ねてきたこれまでの努力も、報われるというもの。
モニカがおずおずと頷くと、アデラインは満足そうに微笑んだ。
「ヘレネをここに」
控えていた侍女にそう命じて。
「私ね、ここのところずっと悪い虫さんを退治したくて堪らなかったの。そのためにはモニカ嬢の手助けが必要なのね。私のお願いを聞いてくれるかしら? 王太子妃になりたいのでしょう?」
悪い虫。それが誰を指しているのかは、鈍いモニカでも察しが付いた。会話の流れを考えればそれは、間違いなく――。
父の望みは分不相応なものだと思っていた。だが、そうでもないみたいだ。
神妙な面持ちで頷くモニカを見て、王妃様が楽しそうに笑った。




