第3話 父の用件
月が変わった最初の日曜日。レティシアは、父に呼び出されて王都の公爵邸に日帰りすることとなった。
王都でも屈指の豪邸が並ぶメイリース地区。その一画にある白亜の建物が、アルトリウス公爵邸だ。領地にある本邸と比べれば小さな屋敷だが、それでも父と娘が生活するには広過ぎるくらいに広い。
日の出と共に馬車に乗り込んだレティシアが屋敷に到着したのは、ぐうたらな生活を送る貴族ならちょうど活動を始めた頃合いのこと。
夏季休暇ぶりに屋敷の門をくぐって中に入ったレティシアは、空気が静か過ぎてびっくりした。使用人たちが忙しなく働いているはずなのに、静寂に満ちた屋敷と学園との温度差を、改めて実感する。
外套を脱ぎ、身だしなみを侍女に整えてもらったレティシアは、すぐ父の執務室へ向かった。
「本日は、どのようなご用件でしょうか?」
クラウスと話すのは理事長室で叱責されて以来のこと。自分はまた何かやらかしてしまったのだろうかと、心の中はひやひやだ。怯えが顔に出ないように、一生懸命表情を殺す。
執務机に向かった父が、冷然とした声で言った。
「冬季休暇に入り次第、王妃様の補佐に就け」
単刀直入の本題は、端的だ。
父が言葉足らずなのは、今に始まったことではない。頭の回転が人より二つも三つも抜けている彼は、一から十まで言葉にしなくとも伝わると考えているのだろう。
現在、国王が公務で他国に赴いているのは知っている。十二の月は何かと忙しい時期だ。国王の代理を任されている王妃の本来の公務が滞りかねないことは察せた。猫の手も借りたいのだろう。聡明な王妃のことだ。レティシアでも担える雑務を回してくれるだろうから、その処理をすればいいということ。
内容を頭の中で補完して、レティシアはお辞儀した。
「かしこまりました。わたくしはその間、屋敷から王宮に通うことになるのでしょうか?」
「後宮にお前の部屋を用意してくださるそうだ。滞在期間は予定では十二日から二十九日まで。あくまでこれは、公務が滞りなく進んだ場合の話だが」
後宮での生活は神経を使いそうだけれど、自宅だって息が詰まるのは同じ。毎日二時間、馬車に揺られないで済むというのなら後宮での生活のほうが有難いくらい。
これだけの用件でクラウスがわざわざレティシアを呼び出すとは思えない。ぴんと背筋を伸ばして、次の言葉を待った。
「目を通せ」
突き出された紙束を、命じられたままに受け取る。視線を落とすと、議事録だった。先週王宮で行われた御前裁判の経過が事細かに書かれている。
目がしょぼしょぼしそうな細かい文字を一読し、情報を一つも漏らすことなく頭に入れたレティシアは、クラウスの顔色を窺う。
「ランドール伯の功績を王妃様は高く評価しておいでだ。伯の希望を呑み、行儀見習いという名目のもと伯爵令嬢を後宮に召し上げることは、確定事項。その時期をお前の滞在と重ねていただくよう、私が進言した。この意味がわかるか?」
伯爵令嬢の件は議事録には記されていなかった。裁判の後に決まったことなのだろう。
ランドール伯爵令嬢のことはまったく存じ上げないが、後宮に行儀見習いに上がるなら年頃の娘のはず。そこまではわかる。わかるけれど、父の意図は読みきれない。
黙り込むレティシアに、クラウスはぼそりと付け加えた。
「代々のランドール家は権力に無関心だった。当代の伯爵は異色だ」
「……伯爵はわたくしを押し退け、ご自分の娘を殿下の婚約者に据えたいということでしょうか?」
伯爵が野心家なのはわかったが、レティシアと伯爵令嬢を引き合わせたい父の意図はやっぱり読めない。
「お前の振る舞い次第では、伯爵家の娘が王妃様の目に留まることとなる。王室の恥となる存在を殿下の将来の伴侶にと望み続けるほど、私は厚かましくない」
「……よく、わかりました」
学園での失態は、クラウスを心底失望させてしまったらしい。王宮でもやらかすようなら、婚約者の座を辞退する。伯爵令嬢が後任に相応しいか王妃に品定めさせ、感触次第ではレティシアはお役御免。そういうことらしい。
ウィリアムの優しい笑顔が脳裏にちらつく。彼の隣を容易く誰かに譲ってしまいたくなんてない。王妃が任せてくれる仕事をしっかりとやり遂げなくては。
「話はそれだけだ。帰っていい」
「……失礼いたします」
帰るも何も、ここがレティシアの自宅のはずなのだけれど。丁寧にお辞儀をして執務室を出たレティシアは、ため息を押し殺す。顔に出したら、侍女が父に報告してしまう。
大きな窓から朝日が差し込む廊下は眩しいくらい明るいのに、なんだか薄暗く感じられた。
冬季休暇が始まったら気を引き締めて公務に挑まなくては。意気込みながらもレティシアは、ちょっとだけ気落ちしてもいた。
十二の月の二十八日が何の日か。父は、気にも留めていないみたいだ。




