第1話 御前裁判
冬季休暇まであと三週間を切った、十一の月最後の日曜日。ウィリアムは公務で王宮に顔を出していた。
謁見の間には、王国の重鎮がずらりと並んでいる。王太子であるウィリアムは玉座の側で直立し、事の成り行きを静観していた。
他国に赴いている国王に代わって玉座に座るのは、ウィリアムの生母アデライン・ルクシーレ。国王に次ぐ権力を持つ、この国の王妃だ。
目の前で進行しているのは、御前裁判――罪を犯した貴族を裁くための会合だ。滅多に執り行われることがない裁判ということで、ウィリアムは王妃の命令で学園から呼び戻された。
ルクシーレにおいて、特権階級にある貴族を裁くことができるのは玉座に就く王だけ。その国王が不在の場合、王妃が裁判を請け負う。有事の際、王妃が国王の持つ権力すべてを引き継ぐルクシーレらしい決まりといえた。
御歳三十八の王妃は、取り立てて美人というわけではない。深い青の瞳を守る瞼はおっとりとタレ、顔立ちも柔和で見るものをホッとさせはするものの、どちらかといえば地味な部類に入る。だが、細身の身体つきから放たれる威厳と優雅な仕草で他者を惹きつける、王国で最も高貴な女性としての貫禄があった。
「モーガン男爵。此度の件に、貴公は一切関わっていないと主張するのですね?」
王妃の言葉に、玉座の前で跪いた男が切迫した調子で応えた。
「家名に誓って、私は無実でございます!」
「では、八年前に盗まれたはずの国宝が男爵の別邸から見つかったのは、どういうわけなのでしょう?」
祭祀の際、祭事用の品を職人に預けて手入れをしてもらう。その手順が災いしたのは、八年前のこと。手違いから、細々とした品と共に国宝の短剣まで職人に渡してしまったのだ。不運なことに、職人の店が盗難の被害に遭い、国宝まで持ち去られてしまった。手違いに気づいた王宮の者が回収に向かった時には、既に手遅れ。国宝は行方知れずとなり、宝物庫の管理を任されていたクリフトン伯爵は左遷された。
その短剣が王都に構えるモーガン男爵の別邸から見つかったのが、ひと月近く前のこと。
諜報部は男爵がクリフトン伯爵の失脚を目論んで祭事の品に短剣を紛れさせ、ごろつきでも雇い、盗難を装って店から盗ませたと結論づけた。
伯爵が王宮から追放された後、宝物庫の管理を任されたのは財務省で雑務を担う文官のモーガン男爵だったから、動機も十分。
だが、男爵は頑なに罪を認めようとしなかった。
「何者かが、私を嵌めようと屋敷に持ち込んだのです!」
「地下の隠し部屋を、外部の者が認知していたと? 苦しい言い訳ですね」
呆れを多分に含んだ声音で、王妃が冷ややかに言う。
短剣を見つけたのは、男爵の妻だった。
屋敷の地下には酒棚の裏に隠し部屋があり、男爵はそこに財産の一部を隠していた。夫から隠し部屋の存在を知らされながらも、近づくなと言い含められていた夫人は、先日、好奇心に駆られて隠し部屋に踏み入ってしまった。それが、事態発覚の発端。隠し部屋の存在は上級召使いですら認知していなかったらしい。
「この期に及んで言い逃れとは、見苦しいにも程があります。短剣が見つかった以上、男爵の奸計は明らか。追って沙汰があるまで男爵には謹慎を命じます。処遇は陛下が戻り次第、改めて審議しましょう。異論のある者は?」
役職に就いていたとはいえ、モーガン男爵はどこの派閥にも属さない中立派。彼を庇う貴族はおらず、王妃の決断を讃えるように一堂が目礼する。
男爵は真っ青な顔でなおも潔白を主張していたが、近衞兵に囲まれ、謁見の間から連れ出されていった。
「裁判はこれにて閉廷です。皆の者、下がって構いませんよ。ランドール伯爵はこの場に残りなさい」
恭しくこうべを垂れて、貴族たちが謁見の間から退出していく。ウィリアムは、難しい顔で母を見下ろした。
「母上。モーガン男爵の仕業だと結論づけるのは、早計ではありませんか?」
他の者には聞こえないよう、声量を落として囁く。
しがない文官であった彼に宝物庫の管理が任されたのは、雑務にも一切の不満を漏らさず、真面目に取り組む実直さを評価してのことだと聞いている。男爵が主張したとおり、誰かに嵌められた可能性というのはあるのではないだろうか。
「短剣を所持していたことが、何よりの物証ですよ。モーガン男爵が爵位を継いだのは十二年前まで遡らなくてはなりませんが、盗難が起きた当時、彼は未婚でした。夫人が短剣を入手することは極めて困難であり、彼女の企てであれば、わざわざ男爵家の立場を揺るがす報告などする必要がありません。地下に隠したのは男爵と見て間違いないでしょう」
口元を扇で隠しながら、アデラインがきっぱりと言う。
諜報部の見立てもわかるが。
八年も前の出来事だ。今更真相を明らかにするのは難しい。だからこそ、物証となりうる短剣はアキレス腱といえる。自分が彼の立場なら、短剣は処分する。手元に残しておくのはあまりにもリスクが高いと思うのだ。
釈然としなかったが、異論は呑み込んだ。この場に残った貴族に向けて、王妃が威厳に満ちた笑みを浮かべたからだ。
「お手柄でしたね、ランドール伯」
「身に余るお褒めの言葉、恐悦至極に存じます」
恐縮そうに頭を下げたのは、四十半ばほどの痩せた男だ。なかなかに端正な容貌をした男の名前はグレゴリー・ランドール。
ランドール家は長い歴史を持つ、由緒ある伯爵家だ。代々の伯爵が権力闘争を嫌って王宮から距離を置いていたため、立派な血筋とは裏腹に政には携わっていないが。
王宮に国宝が戻ってきたのは、伯爵の手柄だった。
好奇心に駆られて忍び込んだ隠し部屋。そこで見つけた宝石箱に興味を惹かれた男爵夫人は、数多の宝石の中で異彩を放つ短剣を不審に思った。短剣を持ち出した夫人は、従兄弟であるランドール伯爵に相談を持ちかけたのだ。それが盗まれた国宝だと気づいた彼が宰相に報告したのが、事の経緯だった。
「真相が明らかとなった今、責めを負ったクリフトン卿の無念を思うと……」
陥れられた伯爵に同情しているのか、グレゴリーが目を伏せた。
「宝物庫の管理を怠ったことは事実です。同情は無用でしょう」
華やかに結い上げられた亜麻色の髪を揺らして緩やかに首を振り、王妃が瞳を細めた。
「此度の功績を讃えなくてはなりませんね。何か、望みはありますか?」
精悍な顔に深慮の色が灯る。
「……娘を後宮へ行儀見習いに上げていただくことは、可能でしょうか?」
貴族の令嬢が後宮へ行儀見習いに上がるのは珍しいことではない。花嫁修行の一環であったり、実家の財政状態によっては女官や侍女といった職を求める令嬢だっている。
伯爵の望みを叶えることは、造作もない。褒美としては謙虚な部類ですらあったが、続く言葉はウィリアムの胃を重たくした。
「殿下のお側に侍る機会をいただければ、娘の美しさにも磨きがかかることでしょう」
他国であれば、後宮は王の寵愛を求めて妃が美しさを競い合う、華やかで恐ろしい場。だが、側室を持つことが許されないルクシーレにおいて、後宮は王族の生活区域でしかない。
その中で、わざわざウィリアムを名指しした意味。
眉をひそめたウィリアムに気づいたのだろう。伯爵が意味深な笑みを湛えた。
「アルトリウスの秘蔵っ子は随分お転婆だと聞き及んでおります。陛下の慧眼を疑うわけではありませんが、選択の幅が広がることは、王国の安寧に繋がりましょう」
レティシアが学園で起こした諍いを仄めかしているのだ。
うんざりしたウィリアムと対照的に、王妃は興味をそそられたように瞳を煌めかせた。
「……伯爵令嬢は、私の可愛い坊やの伴侶に相応しい器量をお持ちなのかしら?」
「領地から出したことが数えるほどしかありませんので、些か育ちが良すぎるきらいはありますが。自慢の娘でございます」
伯爵は誇らしげに語る。王妃は嬉しそうに目元を綻ばせた。
「此度の功績を考えれば、無下にするわけにもいきませんね。前向きに検討することを約束しましょう」
伯爵が出ていくと、ウィリアムははっきりと不満を態度で示した。
「本気なのですか、母上」
「そう睨まないで、ウィル。ランドール伯爵夫妻といえば、若い頃は美男美女の夫婦として有名だったのよ? その娘なのですから、とんでもない美人さんなのは確かでしょう。美しい令嬢が後宮を飾ってくれるなんて、素敵だわ」
王妃の仮面を外した母は、無邪気な少女のように微笑んでいる。
伯爵の本意は花を添えることだけではないのだけれど。美しいものに目がない王妃は、都合の悪い部分は聞かなかったことにしたらしい。
ウィリアムのじと目をいなしながら、アデラインは壁際に控えていた王妃付きの侍女を手招きした。
「アルトリウス公を私の執務室に呼んでちょうだい。ウィルは……すぐに学園へ戻るおつもり?」
「ブライトベリー公から盤上遊戯の誘いを受けていますので、すぐというわけでは」
「殿方はああいった遊びが好きね。王宮を発つ前に、私の執務室に寄ってちょうだい。話しておかなくてはならないことがあるの」
執務室で聞かされる用件となれば、自然と背筋が伸びた。
「忘れてはいけませんよ? レティちゃんに関することですからね」
嫌な予感が過ったけれど、アデラインの口に揶揄うような笑みが浮かんだので、さほど重要な話ではないんだろうな、と思った。




