幕間 アルトリウス公爵
「ハーネット男爵令嬢が退学?」
登校してすぐにメリルが聞かせてくれた話は、耳を疑うものだった。ウィリアムがルーシーを戒めてからわずか六日後のことだ。
ルーシーがヘレン・カナーバに事情を説明したことで、レティシアの疑いは晴れた。虚偽の証言をしたルーシーとアニーたちは罰こそ受けたものの、ウィリアムの口添えもあって表沙汰になることはなく、事態は水面下で収拾した。
――はずだったのだけれど。
教室内はルーシーの話題で持ちきりだ。騒然とした雰囲気は、普段の騒がしさとはまったく異なるもの。異様な空気が漂っていた。
「昨日の夜、第二女子寮はすごい騒ぎだったんだから。急にハーネット男爵令嬢が荷物をまとめて出て行くんだもの」
「退学の理由は?」
メリルが肩をすくめた。
「寮長先生いわく、家庭の事情ですって。怪しいものだけれど」
まったく信じていなさそうな面持ちでメリルが言う。レティシアも同様の想いだった。ルーシーの身に何が起こったのか。ウィリアムなら何か知っているかもしれない。レティシアは急ぎ足で彼の教室に向かった。
ところが、四年生の教室を覗いてもウィリアムの姿はどこにもなかった。
「レティシア? 珍しいな」
聞き覚えのある声に振り返ると、アレクシスが立っている。彼は一人だった。
「殿下はご一緒ではないのですか?」
「ウィルなら、ちょうど理事長室に向かったトコ」
「理事長室?」
眉を顰めるレティシアを見て、アレクシスは意外そうに目を丸くした。
「聞いてないのか?」
なんの話だろう。首を傾げたレティシアに、アレクシスが嘆息と共に告げた。
「今、お前の親父さんが来てるんだよ」
その言葉で、レティシアはすべてを察した。
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
ウィリアムが理事長室に入ると、室内に理事長の姿はなかった。代わりに、執務机の前に壮年の男が立っている。
冷然とした美貌を湛えた、ひと目で貴族とわかる佇まいの彼こそがレティシアの父――クラウス・アルトリウスだ。三十八という若さで宰相を担う、王国の重鎮。
「ご無沙汰しています、アルトリウス公」
ひりつく空気を霧散させるような、穏やかな笑みを浮かべて声をかける。クラウスは、愛想笑いの一つすらなく粛々と腰を折った。それが彼なりの、最大限の敬意の示し方なのだ。
顔を上げたクラウスは淡々と言う。
「学園での殿下の貴重な時間を浪費させるつもりはありません。手短に伝えましょう。ハーネット家の娘は退学させました。ヘレン・カナーバも、代わりの教師が見つかり次第、解雇に。理事長とはすでに話がついておりますゆえ、ご承知おきください」
この場にいない夫人の困り顔が容易く脳裏に描けた。
「この件は、僕に一任してくれたものだと思っていました」
レティシアに一つだけ、吐いた嘘がある。
彼女の見立てどおり、ウィリアムに男爵家の債権を買い取る時間はなかった。だが、ウィリアムが何もしなくとも、脅しの材料は勝手に揃った。
レティシアがハルトと揉めた日に、アルトリウス公爵から債権を買い取った旨を記した書状が届いたのだ。
娘が生徒と揉めていることを、どうやって知ったのかはわからない。憶測はいくらでも立てられる。レティシア付きの侍女に定期報告をさせているのは間違いないと思う。あとは教師を買収しているのかもしれないし、公爵家の息が掛かった生徒が紛れている可能性だってある。
確かなのは、学園という閉鎖的な空間で起きた物事ですら、クラウスは熟知しているということ。
書状には、ウィリアムの好きに利用して構わないとしか書かれていなかったのだが、結果はこれだ。
ウィリアムは眉根を寄せた。
「王家と公爵家の威信を示すのも大事かもしれませんが、男爵令嬢はまだ十五歳です。更生の機会を与えるのも、上に立つものの務めではありませんか?」
「殿下の慈悲深さには感服いたします。が、立場をわきまえない愚かな娘でも、あれは男爵家の出です。将来、力のある貴族の下へ嫁ぎでもすれば、諍いの種になりかねません。勝手ながら、禍根を絶つべきであると判断しました。ご理解の程を」
クラウスの言は正しい。だが、レティシアが気に病むのも想像がつくから、穏便に済ませたかったのだ。起きてしまったことは、もうどうしようもないが。
退学になったのはルーシーのみ。アニーたちはどう思うのだろう。アルトリウス公爵が学園に姿を見せたことはすぐに噂になるだろう。公爵家が裏で手を回したと察するのは難しくない。それが、レティシアの今後にどのような影響をもたらすのか。いい方向に働いてくれることを祈るしかない。
「……本来であれば、私ではなくアレが進言すべきことであったのですが」
含んだ物言いにハッとする。ようやく、公爵の真意が読めた。彼はレティシアがウィリアムの判断に苦言を呈すことを期待していたのだ。娘を試すために、わざわざウィリアムに書状を送ってきた。そういうことだろう。
切れ長の双眸がすっと細まる。
「殿下の清廉な心根は多くの者を惹きつけましょう。損なわれてはならない素質であると、臣下一同、好ましく思っております。そのための王妃です」
お前はそのままで構わないから汚いことはすべてレティシアに押し付けろ。そういうことだ。
「公爵の忠義は頼もしい限りですが、僕はレティにそんなことは望んでいません」
「栄えある王国の未来のためです。いずれ、理解していただけると信じております」
丁寧に礼をして、クラウスが部屋から出て行こうとする。扉を開けた先には、レティシアの姿があった。大きな紫苑の瞳が固まる。
「お父様……」
ぴくりと、公爵の眉が跳ねた。
「なんだ、それは」
冷水のような声は、父親が一人娘に向けたものとは思えない。レティシアは表情を変えることなく、すぐに訂正した。
「失礼しました、アルトリウス公。なぜ、公がここに?」
「心当たりはあるだろう? 不出来な娘の後始末だ」
察しはついていたのだろう。レティシアは押し黙る。
「尻拭いなど不本意だが……殿下の名誉にも関わる状況では、看過するわけにもいくまい」
公爵が発する気配は、ますます鋭くなる。
「殿下のお言葉通り、学ぶべきものもあると思っていたが……。あまり私を失望させてくれるな。陛下に婚約者の交代を申し出る日が来るかもしれぬなど、想像すらしたくない」
「……肝に銘じておきます。お手を煩わせて、申し訳ありませんでした」
頭を下げるレティシアに一瞥すらくれることなく、公爵は通り過ぎて行った。行き交う生徒に紛れて彼の姿はすぐに見えなくなる。
ウィリアムと目が合うと、レティシアは困ったように眉尻を下げた。表に出さないように気を払っているだけで、心の中はすっかりしょげているであろうレティシアをこの場で抱きしめてあげることすらできないのだから、王太子という立場はままならないことでいっぱいだった。
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