第21話 レティシアとアレクシスの取引
「で? 俺に何をして欲しいんだ?」
放課後の生徒会室には、レティシアとアレクシスしか居ない。ローテーブルを挟んで向かい合うと、アレクシスはすぐに本題へと入った。
「ここ数日のあいだ、ハーネット男爵令嬢から度重なる嫌がらせを受けておりまして」
「はぁ? 男爵家の娘ごときがお前に嫌がらせ? バカなのか?」
普段はアレクシスの粗野な物言いを咎めるレティシアも、今回ばかりは同意したくなった。
この数日間のルーシーの行いを話せば話すほど、アレクシスの顔に浮かぶ呆れの色も濃くなっていく。話し終えたレティシアは、深くため息を吐いた。
「……わたくしが目を瞑り過ぎた結果、何をしても大丈夫だと判断されてしまったようなのです」
「そういう問題か? お前個人を舐めるにしたって、王太子の婚約者だぜ? 王族の沽券に関わるってのに。ウィルのことまで舐めてんのかよ、そいつは。怖いもの知らずにも程があんだろ……」
アレクシスの言は尤もだ。レティシアも同じ考えだったから、当初は特に構えていなかったのだ。
「男爵令嬢の危機意識はともかくとして、わたくしへの認識を正していただくため、それなりの報復に出ようと思うのです」
「手っ取り早く脅すのか?」
こう見えてアレクシスはなかなかの切れ者なので、話が早かった。
本気で報復するつもりはないけれど。こんなことを続けたらこうなりますよーという具体的な例だけは、ルーシーに提示しようと思っている。
「はい。そのための材料が必要ですので、アレクシス様のお力添えをいただきたく。この手のことは、サーペント家の専売特許ですから」
宰相補佐の立場にあるサーペント伯爵は、政界の安寧を保つため、諜報活動を任されている。貴族の内部事情を把握するという点において、サーペント家は適材だ。
逆三角形をした琥珀の瞳が、好奇心できらめく。
「俺にハーネットの情報を集めさせたいわけね。頼まれてやってもいいけど、俺に利益がないと、話には乗れないぜ?」
疼く好奇心を隠しきれないのか、アレクシスの声音は弾んだもの。もちろん、タダで彼が頼みを聞いてくれるなんて思っていない。
「アレクシス様でしたらすでに聞き及んでいらっしゃるかと思うのですけれど、ウィル様は来年度の生徒会役員にわたくしを指名するおつもりです」
生徒会長の選挙は毎年二の月に行われ、当選した会長が役員を好きに指名できる。また、五の月の末までに一年生から書記を一人選出するのも、学園の決まり。
ウィリアムがレティシアを指名しなかったのは、閉鎖的な環境で育ってきたこともあり、集団生活に慣れることから始めたほうがいいと気遣ってくれたからだ。
「知ってるよ。ウィルが来年も生徒会長に当選するのは間違いねぇし、お前の人脈を広げるために指名したいって話は聞いてる」
「アレクシス様は引き続き副会長を任されることになるでしょうけれど、最終学年となれば、その先に備えて社交も今まで以上に忙しくなるはず。副会長のお仕事と、伯爵家嫡男としての務め。二足の草鞋は、大変ではありませんか?」
「今から憂鬱で仕方ねぇよ」
不機嫌そうに鼻を鳴らすアレクシスに、提案する。
「そんなアレクシス様の負担を減らすため、わたくしがアレクシス様の手足となりましょう」
「……へぇ?」
「雑務なり課題なり、お好きなようにわたくしを利用してくださいな。ハーネット男爵令嬢の情報に関して、アレクシス様は部下に命じるだけ。天秤の釣り合いは取れていると思うのですが、どうでしょうか?」
伯爵家お抱えの諜報員に命じるだけで事足りるのだから、アレクシスからすれば大した手間でもない。次期王妃に恩を売るためと言えば、彼の父親も咎めたりしないだろう。
「あ〜、確かに、魅力的だな。レポートとか押し付けたら、それだけで使える時間がすげぇ増えそう」
「では――」
交渉成立ですね、と微笑む前に。アレクシスが、困り顔で頬を掻いた。
「俺個人はそれで成立で構わなかったんだが……ちょっとばかり遅かった、かも?」
「え?」
彼の言いたいことが掴めず、レティシアは首を捻る。アレクシスが、諦めと呆れをない交ぜにしたような、微妙な表情で告げた。
「たぶんだけど、今頃ウィルが対処してるんじゃねぇかなー?」
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
レティシアの現状を把握したアレクシスは、同時に、ウィリアムが意味深に告げた悪巧みの意味を察した。
「教室で別れる前にウィルが言ってたんだよなー。レティシアとの話し合いに付いて来るか聞いたら、放課後はハーネット男爵令嬢と会うから同席できないって。なんかの相談でもされてんのかと思ってたんだけどさ、お前の話と最近のウィルの言動を総合すると……まぁ、そういうことなんじゃねぇかなって」
ウィリアムの企みは、可愛い婚約者の代わりに男爵令嬢の過信を正すことだろう。
アレクシスの発言に、レティシアは無反応だった。俯いて、黙りこくっている。
「聞いてるかー? レティシア?」
おーい、と何度か呼びかけると。レティシアがいきなり立ち上がった。アレクシスの見上げる先で、彼女の表情が目に見えて変化する。
拗ねたような声音で、レティシアが言う。
「――もうっ! 入学前に過保護はダメってお願いしたのに……っ!!」
いつもの感情を読み取り難い、澄まし顔とは違う。長いまつ毛に縁取られた紫苑の瞳は弱ったように潤み、細い眉は困り果てたと言わんばかりのハの字に。
年相応の幼さと、愛らしい顔立ちに相応しい可憐な表情と声音は、アレクシスが初めて目の当たりにするものだった。可愛らしいとすら言えて、庇護欲をそそられる。
異性なら誰もが目を奪われそうな可憐な雰囲気は刹那で霧散し、レティシアは据わった眼差しでアレクシスを見下ろしてきた。
「ウィル様が男爵令嬢とどこで会うか、知っていらっしゃいますか?」
「……第二美術室」
「ありがとうございます」
艶やかな銀髪が目の前で踊る。レティシアは慌てた様子で生徒会室から出て行こうとしていた。そんな彼女を、
「レティシア」
アレクシスは呼び止めた。
過保護という単語で、ふと思い至ったのだ。
振り返った彼女に、確認する。
「さっき、対価としてレティシアをボロ雑巾のごとく酷使して構わないって言ってたけどさ」
「そこまでは言っておりませんが」
眉を顰めるレティシアに構わず、続ける。
「けどさ、ウィルの前でお前をこき使うとか、無理くね?」
たとえ取引の結果であったとしても。ウィリアムは絶対にアレクシスに文句をつけてくる。想像するだけで憂鬱だ。
レティシアがあら、と目を瞠る。
「気づいてしまいましたか?」
アレクシスは脱力感に見舞われた。
「想定内かよ……。空手形で人を使おうとか、性格わっる」
「とっくにご存知でいらっしゃると思っておりましたわ」
やっぱり、この少女に可愛げを求めるのは間違いなのだ。一瞬だけ垣間見えた雰囲気は、幻覚ということにしておこう。
部屋から出て行くレティシアを見送って、嘆息する。
どんな自信があって喧嘩を売ったのか知らないが、浅慮が過ぎる。
「どっちも結局、兎に見えるだけで狼なのにな」
それがアレクシスの正直な感想だった。




