第18話 つまるところ、惚気話
生徒会室を出て少し歩いたところで、ウィリアムが足を止めた。ひと気のない廊下で、彼は深くため息を吐き出す。
「気を遣わせてごめん」
困ったように微笑む親友に、別に、と返したアレクシスは、壁に背を持たせ掛けた。
「ウィルがハルトを放り出してレティシアを優先したもんだから、拗ねてるんだよ。本気でレティシアに敵愾心を抱いてるわけじゃないさ。大目に見てやれよ」
ウィリアムが明確にハルトよりレティシアを優先したから、粗探しを始めた結果、思い込みの激しさが暴走しただけ。他愛ない嫉妬だ。視野の狭いところはあるが、ハルトは悪いやつじゃない。レティシアが気に入らないから虐めてやろうとか、そういう発想には至らないはずだった。
「わかってるよ。僕が悪い」
弱ったように眉尻を下げるウィリアム。大人の対応に、悪戯心が芽生えた。
「実際のところ、どんな心境なんだ?」
「んー?」
「あそこまで慕われて、王太子冥利に尽きるのか、流石に鬱陶しいのか」
アレクシスなら余計なお世話だと一蹴してしまう事案だ。ウィリアムは苦笑を深めた。
「レティに面倒を掛けて申し訳ないなって」
どこまでも優等生な発言だが、ウィリアムの場合はこれが本心なのだから眩しくて仕方ない。
「レティシアもなー。あの見た目を活かしてしおらしくしておけば、無駄に敵を作ることもねぇのに」
可憐な花みたいな美貌をもっと活かせばいいのにな、とアレクシスは常々思っている。世間知らずで単純なハルトなんて、レティシアが可愛らしく応対すればあっさりと絆されるだろうに。
「人付き合いの不器用さとかも含めて、父親によく似てるよなー」
アルトリウス公爵は、アレクシスが最も近づきたくない貴族だ。寡黙で無愛想。辛辣でとにかく容赦のない公爵は他人を路傍の石ころ程度にしか思っていなさそうで、幼い頃は彼を前にするだけで萎縮した。今は流石に、虚勢を張る度胸は身に付けたが。
「昔、レティは公爵夫人にそっくりだって、母上が口癖のように仰っていたな」
「容姿の話だろ?」
レティシアを産んですぐに亡くなってしまった公爵夫人。彼女の肖像画を、一度だけ目にしたことがある。王妃が評する通り、レティシアは母親によく似ている。
「中身も含めてだよ」
「…………」
夫人まで公爵と近しい人柄。想像するだけでぞっとした。アレクシスが渋い顔をすると、ウィリアムがははっ、と笑う。
「アレクが何を想像したのかはわかるけど、ハズレだよ。公爵夫人は純真無垢で、可愛らしい方だったんじゃないかな?」
「どこがレティシアと似てるんだよ? 正反対じゃん」
「そうかな? そのものずばりだと思うけどな」
「昔から思ってたんだけどさ、ウィルのレティシア像ってめっちゃくちゃ美化されてるよなー」
「アレクのレティ像が歪んでいるんだよ」
不服そうなウィリアムの目がどうかしているのだ。
レティシアと初めて顔を合わせたのは彼女が十一歳の時だが、ウィリアムから婚約者の話を聞く機会はそれ以前にも多々あった。天真爛漫で可愛らしい女の子だと聞いていたのに、いざ会ってみたら無愛想で可愛げのない令嬢だったものだから、当時の驚きは忘れられない。
誰もが認める美貌はもちろん、明晰な頭脳に加えて潔癖な気質を考えればウィリアムの婚約者に相応しいとは思っているが。
窓の外。沈み始めた夕日に照らされた庭園を眺めながら、ウィリアムがぽつりと呟く。
「レティがアレクの印象通りの子なら、僕の心配も減るんだけどな……」
「俺にはお前の心配がまったく理解できないよ」
レティシアの何がそこまでウィリアムを盲目的にさせるのか、アレクシスには理解不能だ。態度こそ気安いが、ウィリアムの中ではアレクシスもまた、平等な他人の一人だ。レティシアだけを甘やかすのが、不思議でならない。
二人の婚約は、政界の均衡を考慮して取り決められた。典型的な政略結婚であっても、婚約者というだけで特別な情が湧くものなのだろうか。
「アレクにも婚約者ができれば、わかるかもね」
悪戯っぽく微笑む瞳には、好奇心が滲んでいる。
「ウィルを見てると婚約者なんて面倒くさいとしか思えないんだが?」
「偏見だって。今の僕が在るのは、婚約者がレティだったからこそだよ?」
「婚約者がひねくれてるから真っ直ぐ育ったわけね」
せせら笑うと、ウィリアムは顔をしかめた。
「……どうしてそう、歪んだ解釈をするかな」
「そりゃあ、俺にとってのレティシアはそういう令嬢だからなー。お前の目には純真無垢に映っているらしいが」
純真無垢って単語の意味をウィリアムに説いてやりたいくらい、解釈違いだ。
「努力家で優しい子なのに」
「努力家は認めるが、優しいは……どうだ?」
アレクシスが眉間に皺を寄せると、ウィリアムは真剣な顔になった。
「優しい子だよ。僕はそのままでいて欲しいけど……難しいね。レティの気遣いが仇になって起こるはずのない問題が起こってしまって、どうにでもなるはずなのに、拗れてる。情の絡まない王宮とは違うから、つい目を瞑ってしまうんだろうな……」
レティシアが面倒事の渦中に居るのは漠然と察しているが。詳しい状況は聞いていないので、アレクシスには何が何やら、だ。
「ねぇアレク。ハルトが言っていた友達って、誰のことだと思う?」
「は?」
独り言かと思っていたのに急に話を振られたものだから、アレクシスは間抜けな声を上げてしまう。
「なんの話だよ?」
「ハルトが言っていただろう? 僕が池に入ることになった経緯を友達から教えてもらったって。アレクは、誰を指していると思う?」
学年クラスを問わず、ハルトの友人は多い。本来なら見当など付くはずないのだけれど。これに関しては、心当たりがあった。
「十中八九、ラドフォードかラドフォード経由で知り合った生徒だろ。いつもウィルにべったりのハルトが、一度だけ朝食の席で離れて座った日があったじゃん? ウィルが寮をざわつかせた次の日。あの時ハルトが話してたのが、ラドフォード。ラドフォードはレティシアと同じクラスだし、粗探ししたくてレティシアについて聞いてたって考えると、ハルトの行動も納得だろ?」
ハルトがウィリアムの近くに来ないなんて珍しいと思ったので、よく覚えている。ハルトは親しくもないアダム・ラドフォードに積極的に話し掛けていた。あれ以来、二人が寮で一緒に過ごしている姿を見掛ける機会が増えたので、不思議に思っていたのだ。
「ラドフォード伯のご子息か……」
「なんかあんの?」
「んー」
返ってきたのは、返事とも呼べない曖昧な相槌。
窓の外に視線を向けているウィリアムは、思案に耽っている様子だ。あまりにも沈黙が続いたので、端正な横顔に訊ねてみた。
「何を考えているんだ?」
「……悪巧み、かな」
「似合わねー台詞」
アレクシスの感想に、ウィリアムは苦笑した。




