第17話 悪いのはだあれ?
翌日、レティシアはいつもより早めの時間に登校した。教室に生徒はまばらだったが、ルーシーの姿はあった。鞄を置いて、彼女の席に向かう。
「おはようございます、ルーシー様」
「……おはようございます」
無愛想なのは相変わらずだった。
「わたくしの忠告は、ルーシー様にとって取るに足らないものでしたか?」
「なんのお話ですか?」
「アダム様を介して、ハルト様によからぬことを吹き込んだのではありませんか?」
単刀直入に切り込むと、ルーシーはしれっとした顔で答えた。
「公爵令嬢が髪飾りを池に落とした話は、アダムにしました。それだけです。他には何も」
「アダム様に訊ねても、同じ答えが返ってくるでしょうか?」
「もちろんです」
自信たっぷりな返事。
――嘘は吐いていなさそう?
それなら、アダムかハルトのどちらかが想像力を爆発させて、誤解したのだろうか。
考えを巡らせ、すぐに思い直す。
ルーシーがアダムに口止めしていたら、真実はわからない。アダムは優しそうな男の子だ。二人は恋人らしいから、彼がルーシーを庇うことだって十分に考えられる。
「……よく、わかりましたわ」
にこやかに微笑みながら、レティシアは密かに決意した。こんなことが続いては堪らないから、ルーシーを牽制する備えをしておこう、と。
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
「ウィル様! アルトリウス公爵令嬢との婚約は考え直した方がいいと思うんですッ!」
放課後。生徒会室に飛び込んできたハルトが、勢いよくそう言った。
おいおい、と。アレクシスは頭を抱えたくなる。後輩の発言に、背後のウィリアムがどんな想いでいるのか。
アレクシスが座るソファの後ろ――執務机に向かっていたウィリアムが、穏やかな声音で応えた。
「昨日のお昼にハルトが公爵令嬢と二人で会っていた話は耳に挟んだけど……。ハルトの意見は公爵令嬢と話してみての感想ってことなのかな?」
困惑しながらも、なんとか事情を把握しようと努めているのが伝わってくる。
「ウィル様と公爵令嬢の婚約は陛下が取り決めたものだもの。婚約の解消なんて非現実的だと思うけど」
暇を持て余すように哲学書を読み耽っていたシルヴィアが、ぼそりと口を挟んだ。アレクシスの向かいに座った彼女は呆れた顔。
「そんなのわかってますよ! わかってても言いたくなるくらい、公爵令嬢がひどい人だったんですっ」
「ひどいっていうのは?」
「なんていうか……すげぇ嫌味っぽい」
それはわかる、とアレクシスは心の中だけで同意した。
「……ハルトが公爵令嬢と二人で会っていたのは、どうして? 彼女は僕の婚約者だし、異性と二人きりになること自体、外聞がよくない。君は僕の友人だから誤解が生じることはまずないけれど、なるべくなら避けるべき状況だ。よほどの理由があったんだよね?」
「え、それは……えぇと」
口ごもるハルトに、ウィリアムがやんわりと続ける。
「隠し事をしたまま公爵令嬢を一方的に非難するのは、どうなんだろう?」
口調は優しいが、明確な叱責だった。良くも悪くも素直なハルトには響いたのだろう。先ほどまでの威勢はどこへやら。しゅん、と肩を落としている。
「公爵令嬢に、確認したくて」
「確認?」
「ウィル様が泥まみれになったのは、公爵令嬢が落とした髪飾りを拾うために池に入ったからなんですよね?」
あの姿は品行方正なウィリアムらしからぬものだとは思っていたが。初めて聞く事情にアレクシスは納得した。他の誰でもないレティシアのためなら、ウィリアムはちょっぴり無茶をすることもある。
「どうしてハルトがその話を知っているんだい?」
「友達に教えてもらって……。でもウィル様が率先してそんな真似するはずないし、だから、えぇと。公爵令嬢が無理強いしたんじゃないかなぁって」
「それを、そのまま彼女に伝えたのかい?」
「まぁ……」
ウィリアムとアレクシスは同時にため息を吐いた。シルヴィアはとっくに興味を失くしたようで、黙々と本を読んでいる。
レティシアは気位が高い少女だ。ハルトの難癖に、どんな辛辣な言葉を返したのやら。
「その髪飾りは、公爵令嬢にとって思い入れのあるものだったんだ。彼女に強制されたわけじゃなくて、大切なものを失くして困っている婚約者の力になりたくて、僕が自分から池に入ったんだよ」
ウィリアムは諭すように言うが、ハルトは納得がいっていない様子。腑に落ちませんと顔に書いてあった。
「僕の言葉は信じられない?」
「だって、ウィル様が王太子に相応しくない行動を取るなんて、信じられないですよ。だから俺、公爵令嬢を庇っているんだと思って――」
「褒められた行動じゃないとわかっていたから、うっかりってことにして誤魔化したかったんだ。彼女は僕に何も強制していないよ」
「…………」
疑わしげなハルトに、ウィリアムは苦笑を深めた。
「ハルト。僕と公爵令嬢の関係は良好だよ。僕が君と出会うずっとずっと以前から、今に至るまでね」
「ウィル様の婚約者には、もっと相応しい令嬢が居ると思います。育ちがいいだけじゃなくて、気立てもいい……あんな気の強い人――」
「僕の婚約者である以上、公爵令嬢は次期王妃だよ? 将来の臣下に言い掛かりをつけられて、何も言い返せない令嬢のほうが僕に相応しい?」
「それは……っ」
やり込められてハルトが言葉に詰まったところで、アレクシスは割って入った。
「ハルトの負けだって。素直に謝っとけよ」
「俺が悪いんですか?」
「少なくとも、ウィルの婚約に口を挟める立場じゃねぇのは確か。余計なお世話ってやつ」
窘めながら、アレクシスはウィリアムに目配せした。視線が絡んだのは一瞬だ。その刹那で、二人は無言のやり取りを交わした。
「だってあの人が……っ!」
「言い過ぎだよ、アレク。僕が軽率だったから、ハルトに心配を掛けたんだよね。ごめんね」
困り顔でウィリアムが謝罪すれば、ハルトは弱ったように頭を掻く。ハルトの気勢はすっかり削がれていた。
ウィリアムのこういうところは偉いよなーといつも思う。付き合いの長いアレクシスは、ウィリアムが全面的にレティシアの味方だと知っている。王太子として誰に対しても平等を心掛けている彼だが、昔から婚約者には『ど』が複数個つきそうなくらい甘い。
レティシアの肩を持ってハルトを非難したいのが本音だろうに。自身の影響力をよく理解しているウィリアムは、好感も嫌悪も穏やかな微笑みの下にしっかり隠すのだ。どんな時でも感情的にならない彼は本当に偉いし、そのしんどさを想像するとぞっとする。誰にだって好き嫌いはあるはずなのに、王族だから表に出してはいけない、なんて。
「話がついたなら、ウィルは俺が借りてもいいか? 資料室に付き合って欲しいんだけど」
「資料室? 何するんですか?」
「どーでもいい調べ物」
ウィリアムを連れ出す口実に過ぎないので、アレクシスの返事はいい加減なものだ。
ウィリアムは苦笑いしていたが、ハルトは特に気にならなかったようで、ふぅん、と相槌を打った。
「そういうことらしいから、少し外すね。ハルト、心の整理がついたら公爵令嬢にお詫びするんだよ?」
「ウィル様まで俺が悪いって言うんですか? 散々な物言いをされたのに……」
唇を尖らせる後輩に、ウィリアムは穏やかに言う。
「ハルトがそこまで腹を立てているんだから、公爵令嬢の態度にも問題があったんだろうね。でも、誤解から難癖をつけておいて謝罪もしない――僕はハルトがそんな子だと思われるのは、嫌だな」
物は言いようだなーと感心する。
「考えておいてくれるかい?」
「……はぁい」
渋々といった様子で折れたハルトに苦笑を向けるウィリアムを伴って、アレクシスは生徒会室を後にした。




