第7話 手を繋ぐのは規則違反です、殿下
「レティっ!」
生徒指導室を出ると、メリルが駆け寄ってきた。どうやら彼女は廊下でレティシアが解放されるのを待ってくれていたらしい。
「大丈夫なの? よく、わからないけど。何かの処罰とか……」
ハラハラとした彼女の瞳に、ふわりと微笑み掛ける。
「大丈夫よ。少し、誤解があっただけ。問題ないわ」
「本当でしょうね?」
メリルは疑わしげに双眸を細める。こんな時でもレティシアの態度というのは、説得力に欠けるらしい。
「本当に本当よ」
念を押しても、メリルは半信半疑といった顔でレティシアを見てくる。
「大丈夫だよ。彼女の言う通り、カナーバ先生が少々誤解していただけの話だから」
ウィリアムがやんわりと口を挟んだ。
「誤解はもう解けたし、彼女になんらかの処罰が下されるような事態にはならないよ」
(ウィル様って、こういうところがありますわよね)
レティシアへの疑いが晴れたかどうかは微妙だし、調査の結果次第では厳しい処分が待っている。
といっても、レティシアがルーシーを突き落としたなんて事実はないから、調査したところで何も出てこないだろう。他の生徒に聞き取りをしても、せいぜい特別棟に向かった順番がはっきりするくらい。友人同士なら口裏を合わせるのは容易いし、ウィリアムが軽く牽制もしたから、この件は真偽が曖昧なまま風化していくと思う。
ただそれは、当事者のレティシアだからわかることであって、詳しい経緯を把握していないウィリアムに見えるものではない。
穏やかな顔でしれっと嘘を吐くのがこの王太子様なのだ。
「……そうですか。殿下が仰るのでしたら」
ホッとした様子で胸を撫で下ろすメリルに、レティシアはちょっと納得いかない気持ちになる。両者似たような主張をしているのに、友人であるレティシアの言葉には疑惑の眼差しで、関係の希薄なウィリアムの言葉にはあっさり安堵するだなんて。
これが人徳の差かと、愕然とする。
「ありがとうございました、殿下。生徒会室まで押し掛けたこと、お詫び申し上げます」
深々と頭を下げるメリルに、ウィリアムが柔らかな声で応える。
「僕の婚約者の大事ですから、メリル嬢が詫びることは何も。気になることは多々あるだろうけれど、今日は僕が彼女を借りても?」
メリルは神妙な面持ちで頷いた。
「明日、ちゃんと説明してちょうだいね」
レティシアに耳打ちして、メリルが去って行く。
「さて、レティ。二人で話そうか。長くなりそうだし、場所を変えたほうがいいかな。どこか座れる場所に移動しよう?」
「え」
「え?」
レティシアが眉根を寄せると、ウィリアムは困惑顔になる。
レティシアは、周囲の様子を窺った。廊下にはぽつぽつと生徒の姿があって、無遠慮な眼差しが二人に突き刺さっている。先日の一件を経て、そんな彼ら彼女らの心の声が、鮮明に聞こえてくるような気がした。
「殿下は、この学園における規則をご存知でしょうか?」
「規則?」
「学園での殿下は、みんなのものなのです。二人きりで過ごすのは、重大な規則違反となってしまいます。ヴァルシュタット侯爵令嬢に注意を受けた際、わたくしは以降、気をつけますとお答えしました。ですので……」
「それなら、人の目を気にしなくて済む生徒会室で話そうか」
後日ゆっくり話そう、とはならないみたいだ。ウィリアムの提案に、レティシアはますます腰が引けてしまう。
「それはそれで、生徒会の皆さまから睨まれてしまうのでは……。お仕事の邪魔をしたくはありません」
「間近に行事がないから、みんな暇を持て余してるんだ。今日はもう解散してるし、誰も残ってないと思うよ」
どんどん逃げ道が塞がれていく。心の準備が出来ていない状態で、級友に嵌められましたなんて情けない話を、ウィリアムにしたくないのだけれど。
レティシアが頷けないでいると、ウィリアムが一歩、距離を縮めた。そのまま自然な動作でレティシアの手を取ろうとするものだから、慌てて一歩、後退る。
「どうして手を握ろうとするのでしょう?」
「レティが固まっているから?」
「校内で手を繋いだりしたら、規則違反どころではありませんっ」
レティシアの訴えに、ウィリアムはあれ、と目を丸くする。
「校内じゃなければ、許してくれるのかい?」
幼い頃は当たり前のように繋いでいた手。成長するにつれて、自然なことではなくなっていった。外出の際に手を繋ぐことがなくなって寂しく思っていたのは事実だ。
どう答えたものかと葛藤していたレティシアだが、乙女心には抗えなかった。
「……学外でしたら、喜んで」
おずおずと頷けば、ウィリアムは嬉しそうに笑う。子供のように無邪気なその微笑みの前では、先程までの出来事なんて瑣末な問題に思えてきてしまう。
眩い笑顔につられるように、レティシアも頰を緩めた。
「ウィル様がどうしてもと仰るのでしたら、やむを得ません。生徒会室に向かいましょう。わたくしの溜まりに溜まった愚痴によって疲弊していくウィル様のお顔を見れば、溜飲も下がる気がします」
「さっきまで可愛かった僕の婚約者が急に不穏なことを言い出したね……」
「わたくしとお話ししたがったのはウィル様ですもの。責任を持って、しっかりと耳を傾けてくださいね?」
レティシアが悪戯っぽく瞳を細めると、ウィリアムは大人びた笑みを浮かべた。
「もちろん」
そう言って歩き出す彼の背中を、レティシアは少し遅れて追い掛けた。




