【短編版】追放聖女35歳、拾われ王妃になりました
皆様ご感想ありがとうございました。
連載版も無事完結いたしました↓
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「────“聖女”ルイーズ!
女王となるべきメアリー王女殿下を国外に追いやろうとした罪、万死に値する!」
……王城にて政務中、突然、兵に取り囲まれた。
訳も分からないまま執務室から引き出されると、険しい表情の宰相からそう宣告され、状況がつかめずポカンとする。
居並ぶ重臣たちが私に冷たい視線を注ぐ。
つい昨日まで私を『猊下』と呼んでいた人々が、クーデターを起こした?
奥に、姪の姿を見つけた。
私が大好きだった亡き兄王子に良く似た、光輝く金髪に抜けるように白い肌の、美貌の17歳の少女が。
「メアリー! ……いったいどういうことなの!?」
彼女は怒りをこめて私を睨みつける。
「殿下と呼びなさい、逆賊が。
自分の胸に手を当ててよく考えてみるのね」
「『今のあなたじゃ実力不足。王位に就くなら聖地の大学に行ったら』そう言ったわ。
でもそれを追い出そうとしていると解釈されるのは心外よ。
15年もこの地位にいたのよ、私。
追い出すつもりならとっくに私が王になっているわ」
「お父様は大学になど行っていなかったわ。
宰相たちの言うとおり、私が王位に就くのを阻止して外国に追い払う口実でしょう!!」
「だってお兄様は……前の王太子殿下は、子どもの頃から勉強熱心でデキる方だったもの(あなたと違って)」
「最後何か言った!?」
「いえ? でも、結局国内で学べることには限界があったとお兄様はおっしゃってたわ。
聖地は大陸の学問の最先端だし、各国の王族も高位貴族も集うから、人脈だってできる。まぁ、他の国の大学でもいいけど……。
あなた国外の王族に知り合いいる?
というか、そもそも外国語話せるものある?」
「わ、私はもう成人しているわ! 大人よ!
本当ならもっと前に私が王になっていたはずだったのよ。
早く結婚して跡継ぎを産まねばいけないのに、何年も大学に使う時間なんてないわ」
────とっさに私は宰相の方を見た。
早くメアリーを王位に就けて、結婚させて跡継ぎを産ませろ……というのは、宰相がここしばらく私に主張してきたことだった。
……王配の最有力候補として、自分の息子を提案しながら。
『失礼ながら……猊下はすでに35歳でいらっしゃいますし』
聖職者として、結婚しない子どもも産まない道を自ら選んだ私を、どこかうっすら小馬鹿にするように話してきて、不快感を覚えたものだ。
「そうだそうだ!!
王位に就くのを邪魔しようというのは、若くお美しいメアリー殿下への嫉妬だろう!」
「光輝くメアリー殿下こそ、いま最も女王にも“聖女”にもふさわしいのだ!!」
「女王ならばともかく、35歳の年増聖女など……(笑)」
同調する男たちの罵声。
メアリーは私を指差し、こう宣言する。
「15年間私の代わりを務めてくれた功績を認めて、命は奪わないであげる。
明日から私が女王と聖女を兼任するわ。
あなたは国外追放よ」
***
────私ことルイーズ・バルキリー・ディアナ・ヨランディア35歳はこの国、ヨランディア王国の国王と2番目の王妃の間に生まれた。
南国の王女だった母に似た、琥珀色の肌と栗色の髪、ヘーゼルの瞳の持ち主である私は、これも母に似て、生まれつき飛び抜けて強い魔力を持っていた。
『おまえの素晴らしい魔力は神から与えられたものだ。ぜひ、この国を聖職者として支えて欲しい』
そう父に望まれ、私自身も政略結婚などで国を出ていってしまうよりは、自分の力で愛着ある国を支えられることにやりがいを感じ、その道を選ぶことにした。
ただ、ヨランディア王国では、修道女はいても女性聖職者の前例はなく、父の勧めで、16歳のときに聖地にある大陸最高峰の大学に入学したのである。
父も若い頃学んだこの大学には各国の王族が集う。
私も朝から晩まで懸命に勉強した。
ところが卒業直前の20歳の春。
両親と兄がともに事故で亡くなり、私は、急いで帰国した。
大事な人を3人一度に失い、悲しみのどん底だったけど、悲しむ暇もなく、私は大きな問題に直面する。
ヨランディア王国の高位貴族令嬢だった最初の王妃(故人)を母に持ち、本人も公爵令嬢と結婚していた兄には、当時2歳になる娘メアリーがいた。
本来なら王と王太子が亡くなればその子が王位に……ということになる。
が、さすがに2歳の子を王位につけるわけにはいかない、というのが重臣たちの大半の意見。
一方、メアリーの母(前王太子妃)とその実家である公爵家は、年齢など関係なくメアリーを王位につけるべきだと主張した。
結果、折衷案として、聖職者になるべく勉強中だった私が“王”ではなく、他国にならって祭祀を司る“聖女”という地位につき、実質的には祭祀と政務を両方こなして、メアリーが王位に就くまでヨランディア王国を統治する、ということになったのだ。
政教両方に関わってきたこの15年間、死ぬほど忙しかった。
だけど、次期国王となるべきメアリーの教育もがんばったつもりだ。
育児、という面では前王太子妃(が選んだ養育係)に任せざるを得なかったけど、メアリーが王としてやっていけるよう最高の教育係をそろえ、こまめに本人とも面談して教育を進めてきた。
ただ、まだ17歳と若い。
その上、前王太子妃とその実家とべったりすぎて……私の目からみると今のメアリーが王位に就くのはかなり不安がある。
王として十分な素養をつけてもらうため、私の母校であり各国の王位継承者・王族が集う、聖地の大学への進学を勧めたのだけど……。
「………………育て方、間違えたのかしら」
────追放刑の当日。トランクひとつの荷物を抱え、とぼとぼと1人国境に向けて荒野の道を歩きながら、私は深くため息をついた。
(……でも王位に就くならもっと、力をつけてほしかったのよね)
母親とその実家が、メアリーを利用して国の実権を握ろうとしていた。
だからこそ、身内に利用されない王になってほしかった。
(……ただ、戴冠はともかく跡継ぎについては、先に結婚して出産してから進学や留学……という選択肢だってあったんだわ。
女性君主のライフプランって男性のそれよりも確立されていないし、もっとメアリーの考えも聞いて、しっかり話し合えば良かったのかな。
宰相の息子はやめた方がいいと思うけど……)
ちなみに、あの糾弾の場、ぶっちゃければ私1人の魔力で抵抗できないわけではなかった。
ただ、他ならぬメアリーが自分の意思で私を追放すると決めたことはショックだったし、周りの男性たちの態度的にも、ヨランディア王国そのものに対して気持ちが一気に醒めてしまったのだ。
あと、年増聖女って言われたの地味にショックでした。
なんでも、他の国じゃ近頃は聖女も若くて美人なのがデフォらしいです。知るかー。
(それにしても、15年間国を治めて、35歳で追放か……)
私は、かつて聖地で共に学んだ学友たちの顔を思い出す。
女性であの大学に進学させてもらえる人は本当に稀で、つるんでいた学友も男ばかりだった。
王太子や王子、将来の宰相候補や聖職者候補、軍幹部候補などなど……。
今でも交流や仕事でやり取りがある人もいるけど、ない人も、みんなそれぞれの国で活躍しているんだろうなぁ。
間違っても私のように追放なんてされていないことを祈る。
(…………彼なんて、全然連絡ないけどしょっちゅう評判が聴こえてくるものね)
その顔を思い出すと、苦さと甘酸っぱさが混じった気持ちになる。
もう戻れない青春時代の記憶に浸っていると、背後から馬の蹄の音が聴こえてきた。
(────?)
こんな道で誰が馬を飛ばしているの?
疑問に思いながら振り返る……。
(────!!!???)
え、えーと??
私の目がおかしくなっていなければ、さっき顔を思い浮かべたばかりの人が馬に乗ってこちらに走ってきているように見えるんだけど……??
きっと、たまたま似ているだけよ。
黒髪なんて珍しくもないじゃない。
こっちを見ている気がするのも気のせい。
見覚えのある紋章の装飾が馬についてるけど。
後ろにお付きの人?が何騎もついてるけど……。
「…………ルイーズ!!!」
うわぁ呼ばれた!!
あっという間に馬が追い付いてきて、馬上の人はさっと馬から下りると、
「ルイーズ!! 無事か!!」
といきなりガバッと正面から抱き締めてきたのだった。
「!!???!?!??」
びっくりして思わず、その整ったご尊顔の顎に頭突きを食らわしてしまう。
「痛だっ!!! 何をするっ!!」
「こ、こっちの台詞よっ!!
なんで、なんでここにっ……あなたがっ……!
ウィルフレッドがいるのよ!!」
15年ぶりに会ったのにすぐにわかった。
私よりちょうど頭ひとつ高い背丈。
黒曜石のような漆黒の髪に、青みがかった瞳。
端正さと野性味が奇跡のバランスで同居する、神が作り上げたような美貌。
……老けたと言ってやりたいところだけど、歳を重ねて大人っぽさと色気が加わり、一瞬ドキリとする。
ウィルフレッド・オブシディアン・グライシード。
私と同い年で、いま35歳。
大陸の東南東に位置する、グライシード王国の国王を務め、領土を拡大し、武闘派国王として名を上げている。
なんでこんなところに!?
お付きの人たちが続々追い付いてくる。すごい形相してる。
あ、やってしまった、この人たちの目の前で国王の顎に頭突きをしてしまった……と頭を抱えそうになったけど、ウィルフレッドは彼らを目で制止する。そして私に向き直った。
「迎えにきた」
「はい?」
「ヨランディアの王女と宰相らが、おまえの追放を企てているという情報を得た。
この国に着いたときにはもう追放されてしまっていたと聞き、慌てて迎えにきたんだ」
「いや…………なんで…………」
「行くところがあるか? ないだろう」
「ないわけじゃ……母の母国を頼ろうと思って。遠いけど」
「だったらグライシード王国に来い」
「ぎゃっ!!!」
いきなり抱き上げたかと思うと、ひょいっ、と自分の馬に乗せてしまった。
待って国王、お立場的に行動考えようよ。
……なんて思ってる間に、彼はさっさと私の後ろに乗ってしまう……というか彼の膝の間に私のお尻がすっぽり入る形で固定された。
ちょっと、近いんですが?
私たち性別違うの忘れてないか国王陛下?
「迎えにきたって……何で?」
そう言う私の視線の先で、たったひとつ持ってきたトランクもお付きの人が回収していく。
あーこれは、拒否権はないってことなのね。
「だって、私は……」
「大事な学友だからな」
「学友……だけど……」
「行くぞ」
有無を言わさずウィルフレッドの足が馬の腹を蹴り、馬たちは踵を返すように走り出す。
そう、私たちの関係は大学の学友。それ以上でも以下でもない。
このウィルフレッドが、35年の人生でただ1人、この私に求婚してきた人だということを除けば。
────そして、私はその求婚を断っている。
なのに、15年後の今、ぴったりと彼の体温を感じながら馬で運ばれていく……。
気まずいことこの上なくて、苦い思い出がよみがえり、胸がちりちりと痛んだ。
***
19年前、私たちは大学で出会い、友人になった。
私は聖職者、彼は次期国王として、目指している道は違ったけど、自分の国を良くしたい、という思いは同じだった。
ともに勉学に打ち込み、政策談義や宗教談義に花を咲かせた。
そんな彼に求婚されたのは、両親と兄の訃報を聞く、ほんの少しまえのことだった。
『────俺はおまえが好きだ。
卒業したら結婚して、グライシードに来てくれないか?』
いつものように大学の図書館で勉強していたら、不意打ちで食らわされた。
若者らしい、何のひねりもないその求婚。
だけど言われて頭が真っ白になった20歳の私は、しばし言葉が出てこなくて。
やっと出てきたのは『…………無理よ』の一言だった。
『私は、聖職者になってヨランディアを支えるの。
だから、グライシードには行けないわ』
間もなく、両親と兄の死の知らせが届き、私は祖国に帰ることになった。
以来、他の学友とは多少は手紙のやりとりはあったけれど、彼とは15年間まったく音信不通だった。
────彼への返事も嘘ではなかったけど、本当の本音を言えば、青かった20歳の私はショックを受けていた。
男女を越えた友人であり、切磋琢磨し合う対等な好敵手だと、彼もそう思ってくれているだろうと信じていた。なのに、所詮女だと思われていたのか……と。
ただ、歳を取った今なら、彼との友情そのものは嘘じゃなかったのかなとも思う。
そもそも異性だろうが同性だろうが、お互いの思いには多少ずれがある。まったく同じ気持ちだなんて、ありえない。
思えば、16歳から4年間、彼は私を尊重してくれたし対等に扱ってくれたし、女だと思って侮るような様子はなかった。
それは、少なくとも私をちゃんと友人だと思ってくれていたからじゃないか。
ただ、歳をかさねるうち、たまたま感情がそちらに変化しただけなんじゃないか。
そう私は解釈していた。
いずれにせよ求婚は断ることになっただろう。あの時の選択はあれしかなかったと今も思う。
ただ、ひとつ後悔があるなら、あんな風にナイーブにその場で断るんじゃなく、もう少しウィルフレッドの言葉や思いに向き合えば良かった……ということ。
私にとって、大切な……とても大切な友人だったのだから。
***
「ほんとにグライシード王国まで連れてこられちゃったんですけど……」
「? 最初からそのつもりだが?」
馬での強引な長距離移動のあとは、完全に貴賓待遇だった。
最上級のドレスに着替えさせられ、河川と海を進む快適な船旅。
それであっという間に着いたのがグライシード王国の港。
さらに乗り心地の良い最上級の馬車に乗ること2日。
私は、ウィルフレッドとともに、王城に到着してしまった。
冗談でしょ!?と言いたくなるほどの人数が左右に並んで私たちを出迎えている。
ウィルフレッドに促され、歩を進める。
踏みしめるのは真っ赤な絨毯。
「……いたたまれない」
「何がだ?」
「いろいろと。このドレスも、あと10歳若かったら似合ったでしょうけど」
「俺の見立てに不満か?」
「じゃないけど……」
「胸を張って皆に顔を良く見せろ。おまえは美しくなった」
「…………は? いや、20歳から35歳よ? さすがにだいぶ劣化が」
「劣化いうな。その雰囲気をぶち壊す物言い15年たっても変わらんな」
彼としゃべっているとつい、15年前の学生時代の気分に帰ってしまう。
もう何もかも違う相手なのにね。
「────おかえりなさいませ、国王陛下。
ご無事の帰還、何よりでございます」
「留守居ご苦労。
ルイーズ。うちの宰相、ミリオラ女公爵だ。
俺の伯母にあたる」
城の入り口で出迎えてくれた、柔和な笑みを浮かべる60歳ほどの女性。
その名は私も知っている。グライシード王国の有名な辣腕女宰相だ。
いかにも“女傑”という感じの人かと思っていたけど、小柄なかわいらしい雰囲気の女性だった。
「はじめてお目にかかります、宰相閣下。
国王陛下の大学時代の学友、ルイーズ・バルキリー・ディアナ・ヨランディアと申します」
私が名乗ると、何故か宰相閣下の目の端が輝いた、気がした。
「ヨランディア王国の名高き聖女猊下でいらっしゃいますね。
ようこそおいでくださいました」
「大変恐縮です。聖女からは解任されてしまいましたが」
「どうぞ、末永くこちらにいらしていただけると幸いです」
「…………??
あの、私はどういった名目でこちらに呼ばれ(というか連行され)たのでしょうか?」
「そちらはどうぞ陛下よりお聞きください。
お部屋にご案内をさせましょう」
「…………」
正直早く知りたいんですが。
突然連行されて『末永く』とか不穏すぎるので。
たまたまグライシード王国に高位の聖職者が必要で、私の追放計画の情報を得たからウィルフレッドが迎えに来たってこと……?
(────?)
不意に違和感を覚え、「あの、宰相閣下!」と私は声をあげる。
「……この城、何か魔物が入ってこないように結界がありますよね?」
「あら、それをお気づきでしたか?」
「最上階の魔石を中核に城全体に結界を張ってある。それが?」ウィルフレッドが補足してくる。
「魔石の力が弱まっている気がするの。私が見たらまずいかと思うけど」
「気になるなら見てくれ」
「……へ? いいの?」
(ウィルフレッド、15年ぶりに再会した学友をちょっと信用しすぎじゃないかしら……)
そんなことを考えながら、ウィルフレッドに連れられて、私は城の最上階へ……結界の核のもとへと行った。
「………これ?」
「ああ」
3馬身ほどもある大きな魔法陣の中央に、見上げるほどに大きな魔石が鎮座している。
「これ、少し『手入れ』して良い?」
「ああ」
「じゃあ少しだけ。
────〈人の子の産みし力の流れよ、集い巡れ〉」
私は魔石に魔力を注ぎ、城の周りを巡る魔力の流れを整えた。
聖職者である私にはかなり短時間で済むこと。とはいえ、少し時間をかければウィルフレッドにも問題なくできることだろう。
「終わったわ。でもだいぶ乱れていたわね、この結界。高位聖職者に欠員でも出ているの?」
「いや、半分ほど追放した」
「つ、追放!? な、なんで??」
「あまりにも腐敗と重臣たちとの癒着が酷くてな」
「ああ……そういう……」
うちも、罷免した高位聖職者は結構いた。
外面を取り繕うとストレスがたまるのか……裏で結構えげつないことしてたりして。
「……え、じゃあまさか」
「今は、重要な祭祀は俺が執り行っている」
「原始的な祭政一致体制ね……いや、うちも人のこと言えなかったけど」
つまり、国王の仕事に祭祀も入ってきて負荷が大きくなっているせいで、結界のケアに手が回っていなかったのね。
「なるほど。それで祭祀を行う人を必要としていると。私がここに連れてこられた理由はよくわかったわ」
「そうか、受けてくれるか」
「? まぁ、そういう役職なら。学友のよしみですし。私にできることなら……」
「ならば話は早い」
(確かに、そういう仕事なら私が適任だわ。
でも、聖職者を追放した後なのに私が聖職者として入ると、ちょっとややこしいわよね。
どうするつもりなのかしら?)
……などと考えていたら、スッと、ウィルフレッドがひざまずいた。
「? ……何よ?」
「ルイーズ・バルキリー・ディアナ・ヨランディア。俺の妃になってくれ」
「…………はい?」
***
「……だからさぁ……なぜまた求婚……」
「そういう役職なら受けると言っただろう?
王妃という役職のオファーをいまおまえにしている」
「15年たつとずいぶん求婚もドライになるのね(求婚の言葉はあんまり進化してないけど)」
そのまま私は国王の私室に連れてこられていた。
ちなみに、私の前に出されているのは昨今流行りの紅茶などではなく、私たちが学生時代好きだったお酒。
いや、覚えててくれたのは嬉しいけどさ。
そういうわけで国王と元聖女、15年ぶりの一対一飲みしています。
「いざという時に王の代わりを務めるのは誰だ?」
「そりゃ、王太子か、王の配偶者……って、教会から独立した王直属の祭祀専門の役職だっていいでしょ? っていうか……」
ウィルフレッドの言葉につい乗りそうになったのをぎりぎりで踏ん張って、私は疑問に思っていたことを問い返した。
「国王なのに、なんでまだ結婚してなかったの」
「15年間忙しかった。死ぬほどな」
「…………まぁ、人が結婚していない理由なんて大体そんなもんよね」
「15年前に誰かが受けてくれていたら違ったろうけどな?」
「じんわり、人の罪悪感を突いてくるわね……」
国王がやっていいことですか、それ。
「でも、その、跡継ぎとか……必要なんだし。
もっと若い子のほうが良いでしょ?」
「ほぉ? 俺の記憶によれば、学生時代のルイーズは、貴族制の中で若い女が子どもを産む道具のように扱われることを憤っていたように思うが」
「……よく覚えてるじゃない」
「俺も、子を産ませるためだけの王妃なら迎える気はない。跡継ぎは王族からの養子で良い。
それより、グライシードは俺の代になってから、先々代・先代の時に他国に奪われた領土をすべて取り返した。
これから先しばらくは、しっかり防衛と内政を固めるのに重要な時期だ。
だからこそ」
不意にウィルフレッドが私を見る。
まるでその眼に、射抜かれた気がした。
「今の俺に必要なのは、国を動かし守る力がある、信頼できる相棒だ。
それこそ、誰でもいいわけじゃない。
この世でおまえだけだ、ルイーズ」
最後の言葉にドキリとしてしまって、あわててお酒をくいっと一気にあおる。
……急に、酔いが回った。
馬鹿ね。あのとき、恋愛感情を抱かれてショック受けてたのは私自身じゃない。
なんで15年もたって、今さらその相手にドキドキしているのよ。
(……そうよ。
ウィルフレッドは私の経歴とか力とか……そういうものを信頼して提示してくれているのよ。
女扱いしてない。それって、15年前の私が望んだ通りでしょ。
それに、私が断ったら、きっと今度こそ他に誰もいない……)
グライシードの置かれている状況、そしていまは経験不足の王妃では駄目だというのもよくわかる。
たぶん彼の求める人材は、私しかいない。
「どうした。俺より酒に強かったくせにずいぶんフラフラしているな。弱くなったか」
「悪かったわね。
聖職者だったから15年間一滴も飲んでないのよ。
……男の人とだって付き合ったことない。
どうせあなたは、どっちも達者なんでしょうけど」
「いまさら男とそういう関係になるのが恐いのか?
だったら『白い結婚』にしてやっても良いぞ?」
「…………あなたは私のことよく覚えてくれてるわよね。
でも、私だって、覚えてることあるのよ」
「ん?」
「何でもないわよ!
そっちこそ、簡単に『白い結婚』でも良いとか言わないでよ。
跡継ぎ問題の厄介さ、なめんじゃないわよ」
お酒のせいでふらつきながら、私は立ち上がる。
「わかったわよ、ウィルフレッド・オブシディアン・グライシード。
その求婚、受けてたってやるわ」
ウィルフレッドに指を突きつけてそう宣言したとたん、一気に気持ち悪くなって私はテーブルに突っ伏してしまった。
「受けてたつ、って……勝負かよ」
昔みたいな砕けた物言いで笑いながら、ウィルフレッドは水差しの水を注いでくれていた。
***
────35歳の王妃候補。
さぞ国内の重臣たちからの反対がくるだろうな、と思ったら、びっくりするほどあっさり認められた。
ウィルフレッドの出国中に宰相が根回ししてしまったのらしい。
理由のひとつとして、ヨランディアと違い、グライシードでは国王・王位継承者は自国か他国の王族と結婚しなければならない法がある。
たとえば、家臣である貴族の令嬢と国王の結婚はグライシード王国では貴賤結婚扱いになるのだ。
でもいま周囲の国は敵が多く、その上国内で結婚相手を選ぶ場合近親婚になってしまう……そういうのもあったようだ。
この法は在位中に変えたいとウィルフレッドは言っていたけど。
恐いぐらいスムーズにことは運び、あっという間に結婚式の日がやってきた。
「…………ずいぶん、綺麗にしてもらったわね」
鏡の自分をまじまじと見つめる。
最上級のレースをたっぷりと使ったウェディングドレス。
つやつやに手入れされ、目映い宝石で飾られた髪。
首もとに輝く、大粒のダイヤモンドをたっぷり使った首飾りと、デザインを合わせたイヤリング。
素晴らしく華やかに仕上げられた化粧。
この15年、聖職者として化粧もできなかったし着るのも法服ばかり、髪は頭布でずっと隠していた。
ウィルフレッドが私を着飾りたがるのにさえ、いまだに慣れない。
(でも35歳でここまで華やかなのって、痛くないのかしら。もう少しこう地味な方が……)
「良く似合うな」
「ぎゃっ!?」
鏡の後ろからウィルフレッドが顔をのぞかせてきてびっくりさせられた。
「ちょっと!
この晴れの日にまた頭突きするところだったわよ!?
あと近い、距離が」
「今日結婚する夫にいう台詞か?」
「そうですよね!
でも驚かすのは心臓に悪いからやめて」
(なんか求婚以来、急に意識してしまって心臓がもたないのよ。
……いえ、正確にいえば、再会以来だけど)
「……やはり、ルイーズは美しくなった」
「いや、それは……今日は化粧とかいろいろあるから……」
15年前に求婚を断ったのは私自身だ。
なのに思ってしまう。これが15年前の私なら、もっと綺麗な頃の私だったら、と。
「そ、それにしても! わざわざ私の肌色に合わせた化粧品を輸入してくれたのね。別にこの国の化粧品で白く塗ってくれても良かったんだけど」
「何を言う。
ルイーズはその琥珀色の肌が美しいのに」
「……!!」
あんまり不用意に揺さぶるようなことを言わないで。精神的には適切な距離でいたいのに。
「…………そ、そういえば、式の前にちょっと水晶玉見せてもらっても良い?」
「今見ても、何も変わらんぞ」
「わかってはいるんだけど……生存確認して安心したくて」
────グライシード王城に来てから、私はウィルフレッドに水晶玉を借りて、魔法でヨランディアの様子をしばしば見ていた。
「……今日も……だいぶ混乱しているわね」
────追放刑のせいでちゃんと仕事を引き継げずに来たので、メアリーは目の前にやってくる仕事にパニックを起こしている。
宰相の息子はやっぱり大外れで女遊びと金遣いが酷く、それでいて仕事は全然ダメ。
元王太子妃であるメアリーの母がある程度補佐をしているようだけど、彼女もメアリーも魔力は私ほどなく祭祀の知識もないので、このままだと国全体荒れるのも時間の問題っぽい……。
「もう良いだろう?」
ウィルフレッドが水晶玉での遠隔透視を強制終了させた。
「結婚式の日ぐらい、俺のことだけ考えろ」
彼は言いながら、後ろから頬と首筋に口づけてくる。
「朝までな」
「!?」
そのまま後ろから抱き締められる。
ねぇ。15年の間に、こういうの誰と覚えたの?
(……そういえば……今夜になるのよね)
結婚式の後の初夜。
『白い結婚』つまりそういう夫婦の営みのない結婚でも良いとウィルフレッドが言ったのを、断ったのは私だ。
彼とそういうことをする覚悟はできている。35年間生きてきて初めてだけど。
ただ、想像すると顔がこわばってしまうのは許して欲しい。
「……ひとつだけお願いして良い?」
「なんだ?」
「その、えっと、夜……手加減……してくれる?」
クスッと笑って「善処する」と答えたウィルフレッドの言葉を、その時の私は信じていた。
***
「────う、そ、つき…………」
……結婚式の翌朝。
ベッドの上で、動けない私はシーツを握りしめて唸るしかなかった。
「てかげん……してくれるって……言ったじゃない」
「だいぶ手心は加えたぞ?」
「…………身体が……全然動かないんですけど?」
「そうか、それは悪かった」
恨めしく顔を上げた私にウィルフレッドはくちづけて、
「今夜はもう少し優しくする」
と言って髪を撫でる。
……あんまり信頼できない気がする。
というか、彼とキスしている自分がいまだに信じられない。
服の上からは細く見えて、脱いだら筋肉で締まっている彼の身体が眩しい。
せめてもう少し若い私だったら、なんて、思っても仕方ないことを思ってみたり。
「しばらく、眠れ。
何か子守唄がわりに弾いてやろうか。
ヴァイオリンかピアノでも」
「ああ、そうね……」
彼は武闘派のわりに、王子のたしなみとして楽器が得意だった。いまだに近くに楽器を置いているほど好きなのね。
「…………ヴィオラが良いわ。あなたのヴィオラの音が一番好き」
回らない頭で呟くと、ククっと笑って寝間着をまといウィルフレッドはベッドから出る。
楽器を手に取り、少し離れて奏で始めた。
人の声に近い、ヴァイオリンよりも落ち着く音色。
主旋律を弾くことの少ない楽器だけど、私はこの音が好き。
(……懐かしい。私の一番好きな曲、覚えててくれたのね)
私は自然と目を閉じる。
ウィルフレッドは私のことを本当によく覚えてくれている。
でも、私だって覚えていることがある。
学生たちは定期的に奉仕活動をしており、私たちは孤児院や乳児院にしばしば出向いた。一番熱心に子どもの世話をしていたのが彼だった。
『そんな遊び、どこで知ったんだ?』
私が子どもと遊んでいる時に、彼が驚いて声をかけてきたことがある。
『これはお父様からだったかしら。私が小さな頃、両親もお兄様も、忙しいけどできるだけ時間を作って私と遊んでくれていたのよ』
『ふぅん……それはうらやましい。うちは両親とも子どもの頃はほとんど会わなかったからな』
『そうなの?』
『俺も、将来子どもを授かったら……ルイーズの家のように遊んでやりたいな。大きくなってからも楽しかったと思い出せるように』
そう言った彼の目を私は覚えている。
この短い期間で感じたけど、大人になっている面はあるけど、本質的にウィルフレッドは15年前と変わっていない。
たぶん、本音では今もきっと子どもが欲しいんじゃないかと思う。
国王だから、国の都合を優先させているだけで。『白い結婚』でもいい、とまで言うなんて。
(…………どうか、間に合いますように)
あと少し若ければ、なんて今思っても仕方ない。ただ願いながら、私は眠りについた。
***
新婦ルイーズを休ませる一方で、早々に政務を始めた国王ウィルフレッドの元に、宰相ミリオラ女公爵がやってきたのは昼前のことだった。
財務関係の報告と相談を行い、退出しざまにふと、
「そう言えば、今朝はずいぶんとご機嫌な音色を奏でていらっしゃいましたわね」
と宰相が意味ありげに笑う。
「……19年待ったんだ。大目に見ろ」
国王がバツの悪そうな顔で返すと、宰相はさらに笑った。
「まぁ、あの方お一人迎えるだけで今後国力は恐ろしく跳ね上がりますので宰相としては万々歳。
その上、陛下にとってそれだけの想い人であれば、わたくしとしても何も申しませんわ。ただ」
「ただ?」
「僭越ながら、そこまで長くお想いになっていらっしゃった方なら、もっと早くアプローチなさるとか……せめてもう少しロマンチックな求婚になさったら良かったのでは?」
「…………だからこそ、だ」
言われて、少し思うところはあったのか、ウィルフレッドは言葉と裏腹に眉根を寄せる。
「ルイーズは根っからの王女だ。愛しているだの好きだの、色恋沙汰で捕まえることなんてできやしない。
唯一あいつを縛れるものは……15年前あいつを縛ったものは、使命感だった」
「使命感……?」
「ヨランディアに自分の力が必要だとあいつが信じているうちは、引き剥がすことなんて無理だった。
幸いヨランディアの重臣どもはルイーズの存在価値も理解せず、操りやすい幼い女王の方がいいと動く気配をみせていた。
あいつが使命を終えたと感じるその時が、次の『使命』を提示してみせる最大の機会だろう?」
今回の追放こそが、唯一にして最善のタイミングだったと、ウィルフレッドは思う。
少しでも早くても遅くても、ルイーズは自分のもとに来ることはなかっただろう。
「使命感……なのでしょうか?
あの方の場合、もう少し別のもののようにも思いますわ」
「そうか?
跡を継ぐのは王の直系の子が一番安定するからがんばるとも言ったぞ」
「それこそ、使命感とは別の解釈もできる言葉かと存じますが……まぁわたくしとしては、素直にお伝えしても良いのではと思ったまでですの。
それでは失礼いたしますわ」
一礼して宰相は出ていった。
ウィルフレッドは深くため息をつく。
(……もう二度と間違えられるか)
少なくともあの求婚は間違いだったと、彼は思っていた。
出会った時から本気だった、彼女との将来や子どもを夢見ていた。決して一時の熱情や欲情じゃない。
でもあの求婚をしたとき、ルイーズの瞳ははっきりと悲しんでいた。
未だに結論は出ていないが、少なくとも、彼女が求めるものではなかったのだ。
求婚直後に急な訃報を受け取った彼女は学友たちには一言もなく国に帰った。
それきりだった。
もちろん家族3人を一度に失った彼女の悲しみがわからないわけはない。
だけど、寮の、空になった彼女の部屋で1人立ち尽くしたことがいまでも忘れられない。
彼女が側にいてくれるなら、もう二度と自分の前から消えないでいてくれるなら、一生『愛してる』なんて言えなくてかまわない。
……廊下でルイーズの声がする。
ようやく起きられたらしい。
執務室に向かっているようだ。
ウィルフレッドは傍らの鏡を見て、親指と中指でグイッと口角を押し上げた。
今日も1日、ルイーズの思うウィルフレッド像でいられるように。明日も明後日も、ルイーズが自分の側にいてくれるように。
【おわり】