第89話 受験の終わり
校庭は白いカーペットのようになっていて、日が当たると銀に光り輝いた。積もった雪を窓から眺めていたら昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴って、生徒らが前後左右動いて自分の椅子に戻っていく。
雪を見て、先日面会しに行った彗のことを思い出した。彼の肌は日に焼けないものだから白くなっていて、唇まで白くなるんじゃないかと不安になった。もちろん健康のためにも日光が当たるよう病院の方々が配慮してくれているだろうけれど、白はどうしても良くないイメージを連想させる。
もう授業という名の授業はせず、ほとんどが自主学習の日々だった。
ずっと勉強。12月も勉強、冬休みも勉強、年が明けても勉強。受験生なら当たり前の光景だろう。センター試験はもう今週の土曜日から始まる。復習に復習を重ね、あとは当日の体調を心配するだけ。
あっという間の高校3年生だった。いつまでも永遠に続くと思われた制服の生活はもう数ヵ月しかない。小学生の時と比べると1年が過ぎるスピードが速い。これからもっと早く感じるようになるのだろう。加速度的に。
人間の人生は長いように思えて体感はそうでもないのかもしれない。
センター試験当日。
寒い日だった。仙台の1月は本当に寒い。息は白くて足の指先の感覚が曖昧になるくらい鋭くて寒い。
そんな寒空の下、会場には激励しに来た教員らが朝から受験生たちを待っていた。その中に鶴がいた。
「どうしているのよ」
「アリナの激励に決まってるじゃん! 体調は大丈夫? 忘れてきたものとかない? 時計なら持ってきてるよ」
「何もかも問題なしよ。こんな寒い日にありがとう。あなたこそこんな時期に出歩いて、インフルエンザには気を付けなさいね」
私は寒さでピンクに染まった鶴の頬を撫でて感謝を伝えた。
「センターはただの切符だから! 大事なことには変わりないけど一番重要なのは二次! 焦らず全部ぶつけてきて!」
「うん。そろそろ行くわ。寒さで忘れちゃいそう」
「ぎゃ! なら早く行って! あったかいとこ独占しちゃえ!」
「はいはい、行くわ」
鶴は私を追い出すように背中を押した。
私が会場に入るまで鶴は手を振ってくれた。
一度始まれば緊張はすぐに解けた。
ただひたすら問題を解き、問題用紙をめくり、最後まで解いたら最初に戻って間違いがないか確認する。模試でやってきたことと同じだ。土曜日も日曜日も特別なことはせず、ただただ解いた。
2日間のセンター試験を終え、会場から出ると雪が降っていた。路面は水気の多い雪で泥のようになって最悪だったけれど、とりあえずひと段落着いたから気分はスッキリした。私はその日ぐっすりと眠ることができた。
センター試験の解答速報を頼りに答え合わせをした結果、問題なく二次は東北大を受けることに決まった。
残りの1ヵ月は二次に向けて再び猛勉強となる。受験科目が絞られるから共通よりは気が楽だった。得意な科目に集中できる。でも受験者はみんなそうだから油断はできない。
それから1ヵ月はずっと毎日勉強漬けだった。
彗にも会いに行かなかった。きっと彼なら「俺のとこに来るんじゃねぇ! 勉強してろ!」と怒る。私に今できるのは受験勉強だけ。彼が目覚めた時、私が落ちぶれていたらショックを受けるだろうし、私に失望してほしくない。
自主登校が日常化すると寂しい気持ちになった。自然とクラスメイトと顔を合わせなくなったからだ。長期休みと違うのは休みのあとが卒業を控えているという点で、このまま細々とした顔合わせしかできないと思うと寂しさがどうしても募る。
鶴とメッセージのやり取りで友人の近況を知ることができた。
真琴はお料理の専門学校に受かり、白奈は美容師の専門学校に受かった。田中まさおは柔道の推薦で再び大学で柔道を始めるらしい。他はまだ私と同じように受験だった。
私の勉強場所は様々で多くは自宅だけれど、長町の図書館だったり、近所の喫茶店、時にはショッピングモールのフードコーナーだった。家にいる空気と外にいる空気はやっぱり違くて、匂いも新鮮だから頭が刺激される。歩くことも大切だった。少し身体を動かした方が翌日の体調はすこぶる良かった。そのような日常を1ヵ月間繰り返した。
二次試験は東北大学を受けた。
特に語ることもない。オープンキャンパスで行ったことはあったし、試験を受けてすぐに帰った。とにかく早く帰りたかったのだ。やっと1年間の受験勉強が終わって明日からは何もしなくていい。学業とは少しの間さようなら。
ベッドに倒れこんで天井を見上げる。何も考えなくていいって素晴らしい。腕や脚が自然と伸びていく。もうずっと寝ていたい気分になった。結果はどうであれ、終わりは終わりなのだから何かしたい。終わったって実感がほしかった。
「彗……」
自分がバカに思えるくらい、私は彗のことが好きだった。
翌日、私は彗の眠る総合病院に行った。今回は1人じゃなくて鶴、白奈、宇銀さん、そして真琴もいる。私が二次試験を終えたことを鶴に報告し、彗に会いに行くと伝えるとこうなった。
「ホントに彗は起きてないのか……」
真琴は一歩引いてそう呟いた。戸惑いで言葉が続かない。
私は彗の手を握って座っていた。彼の手を握ると安心する。
鶴は恐る恐るかがんで私の顔の横まで近づいた。
「不思議だね。呼吸もちゃんとしてる」
「そう、ちゃんと生きてる」
白奈はハンカチで口元を抑え、涙を我慢していた。そんな白奈に宇銀さんは寄り添っていた。
「彗、早く帰って来いよな。もうすぐ卒業しちゃうけど俺は県内に残るから安心してほしい。食事会ならいつでも呼んでくれ。なんなら俺がシェフとして作ってやるからさ」
真琴は眠る彗にそう伝えた。
私は心の中で良かったわねと彗に語りかけた。
「私も仙台に残るから……目を覚ましたら彗の髪を切ってあげる。もちろん無料でね! プロとして認められたらお金払ってね!」
白奈もそう伝えた。傍にいる宇銀さんは彗を連想させる表情を作った。
「兄ちゃん良かったねぇ~。可愛い子3人に囲まれて幸せでしょ。友人の真琴さんもいるし文句なしの面子。贅沢だなぁ」
彼女はイヒヒと笑って私たちをチラチラ見た。
久しぶりに彗に会うことができて嬉しかった。変わりなく眠っているけれど顔を見ると安心して胸が温かくなる。
当然、未だに目覚めないことを悲しくも思う。あなたが倒れた夏は終わって、もう冬になっている。私への返答はあの夏の終わりにしてくれるはずだったのに。
でも焦らないでちょうだい。私はずっと待ってるから。




