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わたしの愛した彗星  作者: 水埜アテルイ
太陽の物語
87/105

第87話 愛は理論を超越する

 9月は私にとって特別な月だ。

 去年の9月に私は彗と出会った。この図書室に私はいて、彼が赤草先生に連れられて図書室に入る。彼は私に話しかけ、私は嫌々ながらも椅子に座る。そして彼との奇妙な高校生活が始まった。

 

 しかし、すべては記録にすぎない。


 私は覚えていない。誰かと話した記憶はある。でも彼はいない。私のノートは真実を語っているのだろうけれど、歴史の教科書のように誰かが紡いできた話をただ読んでいるだけで現実感がなかった。

 いつになれば私は彼のすべてを思い出すのだろう。

 もうノートには何も記していない。私の中には私しかいないから必要性がなくなった。記録は私の頭の中だけでいい――と思ったけれど、やっぱり記録はしようと思った。もう1人の私のためにやっていた記録ではなく、私のための日記を始めよう。


 それから私は日記をつけ始めた。

 駅前の大きな本屋で日記を購入し、その日から書き始めた。

 日記は毎日書く。文章を書くのは得意だったからスラスラと書けた。何があったか、何をしたか、何を決めたか、未来で振り返った時に思い出せるよう自分の日常を紙に記す。

 後にも先にもこの1年間以上に文字を書くことはないだろう。大人になれば自分の指で文字や文章を連ねる頻度は減ると目に見えている。今だけだ。ペンはどんどんインテリアになっていって、紙もデッドメディアになっていく。

 私は文章との親和性が高かった。昔からジャンル問わず色々な本を読んできたからだろう。だから私は文字を書く仕事に携わりたいと思うようになった。


「いーんじゃない? アリナらしいし。食いっぱぐれそうになったらモデル事務所にでも応募しなよ」


 昼休みに鶴に相談すると彼女はそう返した。


「人の前に出たくないわ」

「お金に困ったときの手段だから! そっかー文章書く仕事ね。私には小説とか記者ぐらいしか思いつかないなぁ」

「お話を作る方向で考えてるの」

「アリナが書くとしたらどんな物語?」

「大衆小説みたいなもの。普通の小説」

「よくわかんないけどやってみなよ。私もアリナはそういう方向に行くんじゃないかと思ってた。アリナが事務員やってる姿も飲食店で働いてる姿も想像できないもん。アパレルならいそう。でも一番はモデルだね!」

「あなたこそモデルに向いてると思うわ。可愛いもの」

「私は法の道だからざんねーん。まぁ大学生の間くらいは小遣い稼ぎになっていいかもね」


 私の道も決まった。

 道が決まると人生は歩みやすくなる。行き当たりばったりでは後悔の数が増えていくだけで歩くのが億劫になってしまうだろう。


 目標が決まると晴天がより青々と美しく見えた。

 歩道には下校中の子供らがいて、背負ったランドセルを揺らして元気よく走り、私を追い抜かしていく。自動車もまたせわしく車輪を回して走っていく。私を追い抜かないのは仙台駅周辺にたくさん植えられている樹木くらいだった。夏の光をいっぱいに吸った青い葉は路面に木漏れ日のピンホールを作っていて、私はその無数の小さな光球たちの上を歩いていた。

 

「アリナさんって歩くだけで絵になりますよね。映画を見てる気分になります」


 待ち合わせ場所で宇銀さんと合流した。彼女も学校帰りで制服姿だった。私と高校は異なるが、登下校は仙台駅を経由するため簡単に都合を合わせられる。


「もう半年経ったけれど、高校は楽しい?」

「楽しいですよ。なんですかー、なんか兄ちゃんみたいなこと言いますね」

「そうなの」


 彼女は彗と目元が似ている。会うたびに兄妹なのだと感じる。


「伝えてなかったんですが、兄ちゃんの面会は自由に行ってもらって大丈夫です。面会する時は面会票にいちいち書かなきゃダメですけど、たまに会いに行ってやってください。アリナさんが来たらきっと喜びますよ」


 近縁の者でないと面会できないと思っていたから驚いた。

 

「ありがとう。そうさせてもらうわ」

「兄ちゃんはいいなぁ。素敵な人から愛されて。いいなー」

「宇銀さんも学校ではモテるんじゃないの? 素敵な彼氏できたんじゃない?」

「実を言うと告られたりはしてるんです。でもガキ臭いから断ってます! 兄ちゃんを倒せるくらい強かったら考えてもいいですね!」

「それは難しいわね」

「なんでアリナさんって兄ちゃんのこと好きになったんですか?」

「え……」

「不思議に思ってたんですよね。だってあんな変人がいたら近づきたくもないじゃないですかー」


 彼女は表情をニヤニヤさせて問いただしてきた。その顔を見てやはり彗を彷彿とさせる。

 私の過去は話していない。私が二重人格だったこと、暴行を受けていたこと、そして彗のことを忘れてしまったこと。それらを伏せて好きになった理由を説明しようとすれば聡い彼女はきっと違和感を覚えるだろう。

 

「なぜでしょうね。いつの間にか好きになっていたわ」

「理性的なアリナさんも恋の前では揺らいじゃうんですね」

「そこまで私は人の心を失ってないわよ」

「やっぱり愛は理論を超越するんだ。私の考えは間違ってないんだなぁ」


 彼女はうんうんと首を縦に振った。

 宇銀さんは将来のことをもう考えているのだろうか。きっと夢の1つや2つ、胸に宿して温めているだろう。彼女は鶴みたいに活発な子だから頭の中も活発に動いてて未来をカラフルに描いているに違いない。

 私はその後、彼女とお洋服を見に行ったりお茶をして時間を過ごした。私の受験勉強のことや彼女の学校でのことを話してお互いの近況を教え合った。楽しい時間だった。受験へのプレッシャーが和らいで頭の中が整理された気がした。


 仙台駅で別れた後、私は総合病院へと向かった。

 いつでも行ってよいと言われて無性に会いたくなったのだ。面会の受付終了時間が迫っていたら私は足早に向かい、到着するとすぐに面会票を書いて面会の許可をもらった。


「彗、起きて」


 彼は変わりなく眠っている。でも少し瘦せたように見えた。

 私は彼の左手を握って関節を動かしてあげた。定期的にそうしないと関節が固まって動かなくなってしまうと聞いたのだ。

 

「あなたの手……こんなに大きかったのね」


 温かい手。彼の生命を感じる。

 

「私ね、物語を書こうと思うの。まだ1文字も考えていないけれど、受験が無事終わって落ち着いたら考えてみる。どんな話がいいかしら」


 彼の顔を見て問いかける。

 あぁ、好きだなぁ。やっぱり私はあなたが好き。

 あなたの記憶を失って、関係だって浅いのにどうして恋しいのだろう。夏の太陽よりもあなたは私の心を熱くさせる。夏が終わり、秋が来て、冬が訪れても、寒さに震えることはないでしょうね。

 

「早く起きなさいよね。もう行くわ」


 立ち上がって彼を見下ろす。

 鶴の言葉を思い出した。眠れる森の美女はキスで目を覚ました。そう、キスをしたら彼は目覚めてくれるかもしれない。

 顔が熱くなるのを感じて考えを否定した。それで目を覚ますのなら世界に不幸や悲しみは存在していないだろう。しかし次は宇銀さんの言葉を思い出した。愛は理論を超越する――よくわからない言葉。

 現実と理想の対立はここまでだ。


 私は微笑みを残して病室を去った。

 意識のないあなたにキスをしても卑怯よね。だって、あなたは私が好きなのかわからないんですもの。ずっと答えを待っているわ。あなたの夏休みが終わるまで。

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