表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
わたしの愛した彗星  作者: 水埜アテルイ
太陽の物語
70/105

第70話 春への扉

 春休みは精神的に余裕のない休みだ。


 1つの学年を修了した余韻、新学年目前という胸の高鳴り、刻々と迫るクラス発表、新たなクラスメイトとの不安と希望。

 加えて俺たちは3年生というシメの年である。この1年間で終わらせることが多々ある学年だ。部活にしろ、学業にしろ、人間関係にしろ、卒業までに何らかのケジメをつける。なおさら春休みが憂鬱で不安に駆られる。

 しかし例外というものは常にいる。種の突然変異というべきか、必ず亜種が生まれる。


 そう、俺だ。榊木彗だ。


 俺ほど春休みに対して前向きな人間は世界中を探しても類を見ない。新学年の不安? 新しい人間関係? 勉強についていけるか? 卒業できるか? そんなこと気にしていたら死んでしまう。いつもトマトのことばかり考えているから心配事など意識の領域に浮上してこない。トマトが強すぎて何も感じられないのだ。


「それっていわゆるドラッグってやつじゃないの」


 宇銀がそう言う。もちろん気にしない。


「ドラッグじゃない。トマトだ」

「そうだけど」

「豆知識を教えてやろう。トマトには毒性物質が含まれている」

「それ大丈夫なの」

「トマチンという毒だ。胃袋がはちきれるくらい食わないと死なんから問題ない。多分それが俺にとっての快楽物質なんだろうな」

「兄ちゃんを火葬する時はミニトマトと一緒に焼いてあげるね」

「最高だな。肥料としてトマト農家の方々にプレゼントすれば恩返しできる……って、なんだその制服は!?」


 宇銀は制服を纏っていた。トマトで心も体も夢の世界にいっていたから気づかなかった。彼女は入学する高校の制服を着ていたのだ。


「やば、泣けてきた。俺の娘がこんな立派に……」

「妹なんだけど」


 そうか、宇銀も女子高生になるのか。女子高生というブランドを備えられる高校生活は全世界の女子にとって至福の期間であろう。可愛い制服と可愛いオシャレ。そしてかっこいい彼氏──ん、彼氏?


 忘れていた。


 宇銀が女子高生になれば寄って集るハエどもが現れるのだった。ゆるせん。そんな不埒者は削除しなければならない。宇銀にはスタンガンとVXガスを常備させよう。世の中には人の自由を金で買い、命尽きるまで搾取するダークサイドの人間がいる。やつらを生かしてはおけない。


「そろそろトマトやめなよ。目が夢の国にいってるよ」

「高校生になったら男どもに気をつけろよ。何かあったときは110番より先に俺をコールしなさい。物理学の常識を超えた速さで駆け付け、全員ブラックホール送りだ。特異点で世界の真理を覗かせてやる」

「110番するから兄ちゃんが動くことはないよ」


 良識ある宇銀なら自ら危険に身を投じるようなことはしないだろう。兄の願いを裏切るようなことはしないでくれよ。


「中学の友達は一緒だったりするのか?」

「うん。まぁ数人だけどね」


 全員他人よりはマシだ。元々コミュ力の高い妹だから例え木星でも深海でも生きていけるはずだ。心配しても無駄か。


 春休みだからといって榊木彗は己を忘れてはしゃぐ人間ではないことは日本国憲法の条文に記述されているとおり言うまでもない。だから春休みの予定はニートの履歴書のように美しく白い。

 そんなわけで家では宇銀の動きにとても敏感になる。

 主電源を抜かれたPCに等しい俺は、リビングでひたすら体に埃を蓄積させることに専念して宇銀の動向を見守った。沈黙のガーディアンとして宇銀を見守っていると何やら熱心にスマホをいじっている姿を頻繁に目撃した。気になった俺は質問した。


「SNSで入学する人たちを見つけてる」


 俺の問いにぽつりとそう答えた。

 どうやら今のJK界は入学前から闘いは始まっているらしい。SNSで事前に友人になって入学前の「ひとりぼっちの不安」を払拭するためにやっているようだ。ここ数年で何があったのかと思ったのだが俺が知らないだけだった。JKのみに見られる超常現象ではないそうで男子でも普通にやるそうだ。

 俺のような高度な有機生物にはあまり接点のない話だから知ったときは驚いた。あなどるなかれ、子供たちのネットワーク。複雑怪奇な世界観を見て、俺はスタンドアローンでいいやと思うのであった。






〈一緒に見に行きましょうよ、クラス発表〉


 倒置法の文章を送ってきたのは日羽アリナからだった。

 離任式のついでに発表される全学年のクラス構成。なぜ離任式の日なのかというとおそらく自由参加だからだと思う。少しでも離任式の生徒出席率を上げるための策としてその日にしたのだろう。とはいうものの、離任式の出席率はいつも高いから考えすぎかもしれない。見方を変えれば、離任式が一番生徒が集まる日だから発表する日として選ばれたという考えもある。

 なんであれ行くことに変わりはない。赤草先生の最後の姿になるのだ。見に行かないはずがない。



 数日が過ぎ、そしてやってきた離任式。

 制服の着方を思い出しながら休みだというのに朝から忙しく動く。


「兄ちゃんどこ行くの」

「イングランドだ。飛行機に乗り遅れる」

「パスポート持ってないじゃん」

「香港で偽造パスポートを買ってるから問題ない」

「問題大ありじゃん」


 早急に朝飯をたいらげて新幹線の速度で家を出た。

 間に合うかギリギリの時間だから最近会得した瞬間移動を使おうと欲が出たが、使ってしまったら寿命が3分になってしまうので止めた。

 バカバカしい青春アニメのオープニングみたいに走った。残念ながら桜が舞い、可愛いヒロインが微笑み、レインボーの色彩で溢れる綺麗なオープニングじゃない。血眼で額に血管を浮かせた男子高校生が名称不明の体液を撒き散らしながら駆けている、見るに堪えない映像だ。到底お子様には見せられない。

 自由参加ゆえに遅れても問題ないのだが時間厳守を人生哲学に掲げている身として必死だった。

 その必死さのおかげで俺は時間に間に合った。まさに神業。人が不可能を可能に変えた瞬間、偉大なる歴史の1ページを作った瞬間であった。


「ドロドロじゃない」


 アリナとばったり会ってそういわれた。


「まだ、始まってないよな」

「ギリギリね。体育館に行きましょう」


 通り過ぎる生徒たちは『インフルエンザに感染したのに学校に来た馬鹿』という目で俺を見た。全力ダッシュしたんだから当たり前だろ。こちとら途中で心臓が破裂して3回も移植した病み上がりなんだ。

 体育館で空席を探していると真琴や鶴を発見した。


「どうしたんだよ。なんで死にかけてるんだよ」

「全身の毛細血管が破裂した。ドッグファイトの重力に勝てなかった」

「意味が分からねぇ……」


 まもなくして離任式が始まった。呼吸を整えることに必死だった俺も落ち着きを取り戻し、今年度で当校を去る教師たちの並ぶ席に目を向けた。その中に赤草先生の姿もあり、すでに涙目になっていた。

 粛々と離任式は進行し、ステージに上がった教師たちに花束が贈られる。女性教師のほとんどは泣いていた。それにつられて女子生徒たちもちらほらと泣き始める。女性が感受性豊かだと思い知らされる。隣の真琴を見てみろ。あれ、泣いてる。お前もかよ。冷血なのは俺だけか。もしかしたら俺の血は青いのかもしれない。


 式が終わると生徒たちは足早に体育館から出て廊下に並んだ。

 最後に離任する教師たちがここを歩くのだ。彼らにとって生徒たちと最後の会話となる。


「おいおい真琴。涙拭けよ。」

「うぐっ……うぐっ」

「音だけ聞けば窒息しかけてるやつみたいだぞ」

「うるぜー!」


 誰のための涙かわからないが悲しいらしい。

 とうとう赤草先生がやってきた。たくさんの生徒たちからの贈り物を手に抱えて、こっくりこっくり頷きながら歩いてきた。

 そして真琴の涙が滝になった。


「先生ー! ファンでじだー!」

「真琴君、ありがとう」


 苦笑いで先生は真琴の手を握った。「写真集だじでくだざいー!」と言ったところで彼の襟足を掴んで引っ込めた。


「先生。異動先でも頑張ってください」

「ありがとう。彗くんも受験頑張ってね」


 別れの言葉は実に簡潔的だった。それで十分だ。言葉で表したところで陳腐になる。大事なことは目で伝わっている。

 去り際に先生はウインクした。


「置き土産を彗くんたちに残しておきました」

「おっ、何ですかね。どこにですか?」

「すぐにわかります」


 もしやマジで写真集? 同じくそう思ったのか真琴は涙を止めて「絶対に渡さねぇ」と宣戦布告してきた。まったくバカバカしい。そんなことあるかよ。

 お前には負けねぇ――。



 

 一段落つき、生徒たちは校舎前でたむろし始めた。

 お待ちかねのクラス発表である。


「どんなクラスになるだろうなぁ」

「平和であってほしい。動物園から抜け出してきたようなチンパンジーは勘弁してくれ。可愛い女子がたくさんいますように」

「彗は独身貴族だから関係ないだろ」

「目の保養だ。受験勉強が捗る」

「女子の前で言うかそれ……」


 アリナと鶴のドン引きを無視して俺たちは公開時刻まで待った。


 教師たちが人の身長くらいある筒状に巻かれた紙を複数個持って現れた。生徒たちはどよめき、教師たちもそれに応えるようニヤニヤしながら準備する。


「やっとか」

「彗の名前が無かったら俺爆笑するわ」

「なんだその陰湿なイジメ。教育委員会もろとも壊すぞ」


 教師たちは2人1組になり、片方が巻かれた紙を少し開いて、その端をガムテープで壁に貼り付けた。なるほど。そしてもう1人が一気に走り、ぺろーんとお披露目というわけか。その焦らしプレイに生徒たちは「はやくー!」と叫ぶ。

 準備が整い、教師たちが「準備はいいかー」とお互いに確認しあう。

 そしていざ開くという時だった。


「今年もよろしく、彗」


 アリナが俺を見て言った。いやいや新年が明けてもう3ヵ月ですよ、とツッコミを入れるつもりだったが穏やかな彼女の表情を見てやめた。

 公開されたクラス構成。

 途端に生徒たちはピョンピョン跳ねたり叫んだりと興奮した。俺も目を凝らして自分の名前を探した。

 

「おっ、1組か。ナンバーワンの称号を手に入れたとは光栄――」


 その1組に日羽アリナの文字があった。

 俺は言葉を失い、アリナを見る。

 口角を上げてニヤける彼女。そしてまた「よろしく」と彼女は言った。


「お前、知ってて──これが赤草先生の置き土産……?」

「しーらない。ひーみつ」


 ぷいっと顔をそらすと彼女は鶴と抱き合った。どうやら鶴とも一緒らしい。マジかよ。カオスじゃん。

 気づけば真琴は俺の隣で敬礼していた。何事かと思ってもう一度目を通すと鷹取真琴の名前も1組にあった。


「彗。3年連続よろしく」

「もはや呪いだなこれ」


 俺は答礼した。戦場で敵同士だった2人が終戦後にばったり再会した時のような光景だった。もう憎しみはない。ただそこにいるのは世界の平和を強く願う男たちだ。

 

 どうやら先生、最後の1年は良い年になりそうです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ