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わたしの愛した彗星  作者: 水埜アテルイ
太陽の物語
66/105

第66話 雨の中の鶴

 それからアリナと会わない日がずっと続いた。

 

 電話越しで伝えた「拒絶」を彼女は受け入れたようで、あれ以来接触は皆無だ。

 校内ですれ違うことはあれど会釈もない。目を合わせることもなく、避けることもなく、ただただ無関心を貫く。最初は表情に出そうな気がして努めて避けていたのだが、次第にそれも無くなり、すぐ日常化した。人間の適応力に驚かされる。


 彼女との隔絶は俺の生活をガラリと変えたわけだが、皮肉なくらい学校生活は平凡だった。

 1日、また1日と加速的に過ぎていく。まるで日めくりカレンダーを次々と破っているかのように時間がゴミ箱に捨てられてゆく。

 無益で味気ない時間が流れている中でも小さな期待は絶えなかった。アリナと再び冗談を言い合う日々が訪れることだ。いつか記憶を取り戻し、また俺たちを罵倒する彼女が戻ってくると密かに信じて、傍を過ぎる彼女の様子を見守った。


 2月が終わり、3月に突入した。

 高校2年生最後の1ヶ月となった。来月からは本校生徒の中で最も権力のある3年生になるわけだ。だいぶ先輩と呼ばれ慣れたが来月からは全員後輩になる。それだけでも新鮮な気分になれそうだ。


「彗って学校の裏事情とか知ってる?」


 暇を持て余し、トマトジュース缶3本を積み上げてタワーを作っていた時、真琴が話しかけてきた。


「裏事情って、七不思議とかそういった事情とかか?」

「違う違う。先生たちしか知らないような人に関することで、なんていうんだろう」

「人事か」

「そう! 多分それ! 何か知ってる?」


 自分で「先生たちしか知らない」と定義しておいて俺がそれを知ってるわけがないだろ。


「具体的に何を知りたいんだ」

「えーと……クラス替え」

「クラス替え? あっ、そういうことか。お前流歌と同じクラスになりたいから調整が可能か知りたいんだな?」

「そうそう! さすが!」

「無理だろ」

「え? マジ?」


 一説に聞いたことがあるのだが、クラス替えというものは非常に敏感なものらしい。リーダーシップの資質を持つ者、運動神経に優れる者、ピアノを弾ける者などが均等にわかれるよう配分するそうだ。まぁ小学校の話だが。俺たちの振る舞いによってはクラス替えをコントロールすることもできないことはない。不可能には近いが多少なりはあるだろう。

 真琴と流歌が一緒になる可能性は低い。彼らが付き合っているという事実が教師にまで伝わっているか怪しいし、もし伝わっていたとしても振り分けの参考材料としては弱すぎる。問題のない人間関係は優先されないからだ。2人の成績や素質だけだろう。


「無理です」

「そんな。彗並みのアウトローならいけると思ったんだけど……」

「俺ってそう見られてたのかよ。無理なもんは無理だ。試しに言ってみたらどうだ? 流歌と一緒じゃなかったら教育委員会の汚職をバラすぞってな」

「おお……試してみる価値はありそう」

「やってもいいが俺の名前は出すなよ。ただえさえ頭がおかしいやつって思われてるんだからこれ以上は勘弁してほしい」


 缶タワーの一番上を手に取り、蓋を開ける。

 

「ま、参拝でもしてみるんだな。悪に染まらない限りは無理だ」

「悪に……?」

「賄賂だ。この世で最も強力なカード、金を利用する。とは言っても俺たち高校生の財力で社会人を黙らせることはできないし、そもそも誰に賄賂を渡せばいいかわからないんだから諦めろ。神頼みぐらいしかねぇぞ」

「そんなぁ……絶望……」

「もし俺が流歌と同じクラスになって、お前が硫黄島にとばされてもちゃんと連絡とって流歌を奪おうとする輩を排除してやるから安心しろ。そう気に病むな」


 選択科目によってクラスがわけられることもあるそうだが、本校は理系であろうが文系であろうが関係なく入り混じったクラスになる。選択科目の授業の時に教室を移動する形式だ。彼らが文系だから可能性が高まるわけでもない。

 真琴のようにクラスが一緒になりたい人がいないと言うと嘘になる。2年間も同クラスの真琴は勿論だが、鶴も仲のいい女子だから会わなくなるようになったら寂しい。白奈については気まずくなりそうだ。

 アリナは……どうだろう。

 もし彼女と同じクラスになったら。

 ふと黒板を見ると彼女の華奢な後ろ姿が視界に入る。プリントを後ろに配る時、一瞬彼女の素顔が黒髪のカーテン越しに垣間見える。そして時々「あんた」と呼び、身体を捻じってこちらを向くのだ。


「最近、彗って元に戻ったよね」

「ほう?」

「帰宅部って感じ」

「俺は帰宅部を辞めてなんかいないぜ。生粋の帰宅部だ。火山の開口に放り込まれようとも、深海に沈められようとも、高度1万メートルから降ろされようとも、俺は家に帰る。それがプロだ」

「帰宅部って人間じゃないんだね……」

「当然。四肢をもがれようがドロドロに溶かされようが再生できる。日本の帰宅部員を舐めてはいかん」

「何かあったの?」


 彼は知らない。アリナが俺を忘れたことなんて知らないのだ。俺がどれだけ衝撃を受けても周りには何も響かないし、何も変化はない。本当に皮肉なくらい平凡で無頓着な世の中だ。

 トマトジュースを流し込んで彼の問いに答える。


「何も。1年後の受験だけが気がかりだ」

「そっか。彗は進学だもんな。そういや……」

「なんだね」

「日羽ってまた変わった?」

「知らん」

「えっ、明らかに変わっただろ。毒舌が弱まった感もあるし、なんか可愛さが増したというか……とにかく、うん、変わった」

「流歌に言ってやろ。浮気だって」

「お願いします、やめてください。死にます」


 彼の言う通り最近のアリナは確かに輝いている。表情が豊かになったのと相手に敬意を払うようになったことで問題児の烙印は消えつつつあるようだ。

 彼女への告白談を聞く頻度も増えた。断り続けているのは変わっていなかった。

 俺としては、このまま何も起こらず卒業してもらいたい。今が彼女にとっての平穏な日々なのだ。




 春休みが近付いてきたころ、俺は鶴に呼び出された。

 鶴に恨みを持たれるようなことをした記憶もないし、鶴がわたくしめに恋心を抱いでいるわけでもないのに、放課後、元職員室を指定した。

 掃除を終え、早速元職員室に向かった。当然アリナのことが脳裏にちらついた。元職員室、またの名を薔薇園はアリナとの思い出が強い。もしかしたらアリナを連れてきているかもしれないと思い、自然と足が重くなった。出来れば会いたくない。今更会ってもまともに目を合わせられる自信は皆無だし、ぎこちない雰囲気になるだけだ。、

 ドアに耳を当てて内部の音を聞く。聞く限りだと1人のようだ。アリナもいたら何かしら世間話でもしているはずだが人の気配だけがした。

 ドアをノックし、鶴が「はーい」と返事をした。


「ういー、来たぞ」

「さすが帰宅部。放課後万年予定ナシ」

「時間の創造者と呼べ。お前だけか」

「だれか来ると思ったの?」

「いや」


 用意されたパイプ椅子に腰を下ろした。

 鶴は髪の毛を弄りながら再び口を開いた。


「大体は勘づいてるでしょ?」

「お前はギャルだってことか」

「ふざけない」


 声色の変化に驚いて俺は言葉に詰まった。


「アリナに何があったの? 最近やけに言葉遣いも優しくなったし、性格も穏やかになってきてる。なんで?」

「知らんわい。俺が訊きたいくらいだ。それが問題か? 俺がアリナと行動してきた理由をお前は知ってるだろ」

「アリナの毒舌と性格を治す、でしょ?」

「そうだ。多分いい感じに任務は達成されつつある」

「だったら! どうしてアリナは彗のこと忘れてるの!?」


 いつかは誰かに知られるとわかっていた。

 俺はアリナに拒絶の意思を伝えたから自らは話さないと思うし、俺を話題にしても適当にはぐらかすだろうと信じていた。たとえバレたとしても追及はされないと思った。違和感を覚えるだけで、他人の人間関係に率先して口を出す社会じゃない。流すだけだ。

 しかし全員が全員じゃないのもまた、社会だ。

 

「なぜそう思った」

「思うも何も、わかるでしょ! アリナと彗が一緒にいる姿を見なくなったし、アリナは彗の話になると口数が極端に減って困った顔をするんだよ!? 喧嘩でもしてるのかと思って問いただしたけど答えてくれなくて、何度も訊いてやっと得た回答が『彼を思い出せない』。嘘をついてるようには見えなかった」

「おいおい、俺はちゃんとアリナと行動する時もあるぞ」

「嘘が下手。顔に出てるし、目が泳ぎすぎ。気持ち悪い」

「ひでえ」

「何があったのか教えてよ。なんで嘘つくの? なんで隠すの?」

「落ち着け落ち着け。深呼吸しなさい」

「答えるまで帰らないから」

「俺と一夜を明かすと……?」

「うん」


 冗談も通用しない。この頑固め、少しは察してくれ。こっちにだって事情があるんだ。

 逃げるしかないか。トイレに行きたいと言って逃げよう。バッグは置いていくことになるがしょうがない。トマトジュースは名残惜しいがスマホも財布もポケットにある。


「トイレ行ってからでもいいっすか」

「これにして」


 鶴はバッグから1.5リットルの空ペットボトルを俺の足元に落とした。

 これは計画的犯行というものではなかろうか。空のペットボトル、しかもラベルは剥がされている。もしかして俺が知らないだけで女子高生の中ではこれが常識なのか? デカイペットボトルを常備することはなんらかのステータスになるのか?


「無理っす。恥ずかしいっす」

「じゃあ漏らして」

「俺は絶対に掃除しないからな」

「あーもう! 話が逸れる。いい加減答えて。何があったのか教えて」


 終わりが見えないと判断し、鶴が知っていることから逸脱しない程度の情報開示をすることにした。


「アリナは俺のことを忘れたらしい」

「やっぱり本当なんだ……」

「お前の言う通りだ。俺に関することは一切覚えていない。原因はわからない」

「嘘つくのやっぱり下手。思い当たる節があるんでしょ? 言ってよ」


 あまりにもしつこくて俺は少し声を荒げた。


「しつこいぞ。俺は何もわからない」

「やっぱり嘘つい――」

「アリナの為だ!!」



 久しぶりに俺は怒鳴った。おとなげなく熱血少年のように怒号をあげたことで足が震え始めた。

 突然のことに鶴はビクついて肩を強張らせた。目をパチパチさせて俺を無言で見つめた。


「……全てアリナの為だ。これ以上は言えない。この件に関しては触れないでくれ、お願いだ」


 痛いくらいの強い鼓動を鎮めようと大きく息を吐き出す。

 すぐ後悔し始めて頭をかいて視線を下げた。自分らしくないというか、子供じみていて情けない。高校生にもなって乱暴に感情を吐き出すなんて恥ずかしいことこの上ない。やっちまった。

 鼻をすする音で俺は顔を上げた。

 鶴は口を押さえて泣いていた。目尻を赤く染めて、涙で潤った眼と必死に嗚咽を殺している姿を見て、俺はとにかく謝りたい気持ちでいっぱいになった。


「でも、私は悲しいよ……」


 絞り出すように鶴は言った。

 瞬きのたびに溢れる涙を見て、鼻の奥がツンとした。

 

「2人の幸せな姿を私は見たい……辛いなら言ってよ。絶対ダメだよこれはッ!」


 終いには彼女は両手で顔を覆い、上半身を机に倒した。それでも彼女は強い自分を失わないように嗚咽をあげずに堪える。


「俺だってな、無感情なわけじゃないんだ。辛いさ、本当に。俺もあいつを忘れたいくらい辛い」


 俺は泣きはしなかった。

 でも1人だったらわからない。

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