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わたしの愛した彗星  作者: 水埜アテルイ
彗星の物語
51/105

第50話 小さな宇宙と参拝

 新年。


 初日の出を拝むなんてことはせず、俺は昼まで就寝していた。半熟卵のように赤橙色に染まっていたであろう太陽は普段通りの白い太陽に戻っている。今年もよろしく、太陽さん。俺が生きている間は巨大フレアは控えてくれ。


 今年は高校生活最後の年であり、受験の年だ。

 気合いを入れる意味で初詣に行くことになった。俺の意志じゃない。行かないとダメ、と聴覚が壊れる一歩手前まで宇銀から説教されたからだ。榊木家の権力構造的に父親に次いで最下層に位置する俺が、女帝・宇銀に勝てるはずがなかった。蟻が象に挑むくらい無謀だ。


 俺の近所には神社がないから電車を使った。

 乗客を眺めていると新年が明けたんだとやっと実感した。着物に身を包んだ華やかな女性たちで溢れているからだ。伝統衣装を着ても白い目で見られないのは日本の素晴らしい点の一つだと思う。


「兄ちゃん見過ぎだから」

「違う。カシオペヤ座を眺めてるんだ。目を凝らして空を見てみろ」

「地下鉄なんですけど」


 参拝客の波にもまれながら下車。

 歩道は踏み固められた雪で滑りやすくなっていて、バランスを何度も崩しそうになった。

 俺は着物女性たちを眺めて「春巻きみたいだなぁ」とまた寝ぼけたことを考えていた。そんな時、鶴からメッセージが届いた。


〈私とアリナだよ☆〉


 その一文に添えられた写真はアリナと鶴の着物姿をおさめた自撮りだった。それは日本が長年築きあげ、洗練させてきた清い美であった。輝く彼女たちに思わずこちらが目を細めてしまうほど麗しかった。

 

 すぐに保存。


 スマホをポケットにしまうところを宇銀に見られた。隠すような不審な挙動はしていないし、後ろめたいこともしていない。罪を知らぬ赤子のような純粋な心を持つ俺に何ができよう。植物を踏むことすら心を痛める俺に悪いことなんてできやしない。

 宇銀はニンマリと笑顔を作った。映画の悪役のように口角を上げ、俺をからかう準備が整ったようだ。


「アリナさんからデートのお誘い?」

「なわけあるか」

「でも顔ニヤついてたよ。絶対アリナさんから嬉しいお言葉もらったんじゃないの?」

「……ちっ」

「兄ちゃんの考えてることは手に取るようにわかるよ。何年一緒に兄妹やってあげてると思ってるの」

「最近あいつに似てきて兄ちゃんは不安だ。宇銀は絶対に下品な口調になっちゃいけないぞ。お兄ちゃんとの約束だよ」

「んで、アリナさんからなんて?」

「これはあまり人前では見せられない画像でして……」

「見せて。見せないと兄ちゃんのこと嫌いになるからね」


 悲しきかな、我が人生。

 宇銀が小学低学年の頃は「将来はお兄ちゃんか、石油王さんのどっちかと結婚するー!」って抱きついてきたのにどうしてこうなった。もう過去の1ページになってしまった。


「家のトマトジュース全部飲んじゃうよ」

「はい、見てどうぞ」


 俺は鶴とアリナのツーショットを宇銀に見せた。

 鶴、アリナ。俺は悪くない。最低限、いや最大限の抵抗をしたのだから許してくれ。


「えええー!! アリナさんでしょ!? めちゃんこかわいいっ! とけちゃうよ!」


 大興奮の様子で他の参拝者からの目が痛かった。

 俺は萎縮することで申し訳なさを周囲にアピールした。


「一緒に写ってる人は!? 誰なの!?」

「個人情報ですので……」

「誰なの」

「二渡鶴っていう秀才です……」

「へー! 兄ちゃんの高校って可愛い子多くない!? 何なの!? ねえ!?」


 教育に悪いと思い、スマホをポケットにぶち込んだ。良い子は見ちゃいけません。18歳未満の方はブラウザの戻るボタンを押してください。


「ええ〜もっと見せてよ〜。私も可愛い成分ほしいよ〜」

「ダメです。お前にはまだ早すぎる。そして我が妹は十分可愛いからそんな成分は不要である」

「そういう褒め言葉をウザいくらい表に出せば兄ちゃんもモテると思うのに残念だね」

「いいんだ。金さえあればいい」

「高校2年生でもう心が退廃してるね」


 いいじゃないか、退廃的人間なんて。響きがどことなくクールだ。


 賽銭の列に並びながら考える。

 お金を賽銭箱に投げるわけだが、はたして神とやらはお金をぞんざいに扱うこの行為に怒りを覚えないのだろうか。俺が神だったら「こんなところに投げずに使え」と断るだろう。金を渡さないと加護されないなんて心が狭い神だな。

 俺は神なんざ一度も信じたことはない。

 どちらかといえば現実主義的だった。神は便利な単語だ。わからない物事には神の一言で済む。この世で良いことをすれば天国に行けて、悪いことをすれば地獄に落ちるってのも信じちゃいない。

 俺は不要な1円玉を賽銭に入れた。


「うわぁ」


 5円玉をつまんでいる宇銀は空気が抜けるような声を漏らした。呆然とした妹を無視して俺は鈴を鳴らした。


「神様が見てたら兄ちゃんにガッカリするよ」

「こんなもんで受験に合格するなら神に課金しまくってやるよ」

「まぁそれはそうだけど。でも私が神様だったら兄ちゃんには少し試練を与えたくなっちゃうなぁ。あんまり現実的すぎると世界が冷え切って見えちゃうよ」

「大丈夫だ。トマトジュース飲んでれば温まる。灯油と同じだ」


 鳥居をくぐり、再び現代の世界に帰還した。

 おみくじは中吉だった。女運が悪いから日頃から女性に優しく接するようにと警告された。このくじを女が引いてたらどうなってたんだよ。

 運に関しては既に悪い。ぞんざいな扱いを受けているのは俺なのに。このおみくじはバグってる。早く修正パッチを配布しろ。

 一方、大吉を当てた宇銀はぴょんぴょん跳ねていた。


「兄ちゃんも1円じゃなくて5円だったらね。ご縁があったかもね」

「1円がだいぶ溜まってたから都合がよかった」

「兄ちゃんらしいね。見てて悲しかったよ」

「兄ちゃんも悲しそうな妹の表情はとても心苦しかった……」

「でもこんなことで願いが叶うなら努力の否定だよね。嫌だけど、私も兄ちゃんに少し似てるのかも」

「脳みそお花畑から急に全否定に切り替われると流石の兄ちゃんもついていけねぇ……」

「ネタバレするけど、本当はお母さんに連れてってあげてって頼まれたからなんだよね。私だって信じてないよ。兄ちゃんが少しでも受験モードになってくれればって思ってただけだから。てへ」

「美談が音を立てて崩れていく」


 感動の兄弟愛は虚像だったのか? 胸に大きな穴が空いた。腕が通るくらいのデカイ穴だ。


「宇銀。俺はそんな子に育てた覚えはないぞ」

「兄ちゃんに育ててもらった覚えはないよ」

「なんだ、ケンカか。おっおっ、やるか」

「私の一言で兄ちゃんは家から追放できるんだからね?」


 神はここにいたのか。



 帰路中、正月だし家に帰るのはもったいない気がして、妹とどこか寄ろうか考えていると不吉なバイブレーションが響いた。俺のスマホが鳴る時はだいたい良いことがない。


「スマホ鳴ってるよ?」


 宇銀が指摘する。


「これは地鳴りだ。よーく耳をすませてみよう。ほら聞こえてくるだろう、地球の呼吸が」

「兄ちゃんはただえさえ頭おかしいんだから友だちは大切にしたほうがいいよ」

「はい、出ます出ます」


 二渡鶴からの電話だった。


「はい。シエラレオネ日本国大使館です」

「あ、すいー? あけましておめでたー! 鶴だけどー」


 渾身のジョークは完全に無視された。あのアリナでさえ多少なり反応してくれるのに二渡鶴は残酷に切り捨てた。


「あけましておめでとう。さっきの自撮り写真どうもありがとう。家宝にします」

「あは。アリナすっごく拒否ったんだよ! しょうがないからしがみついて撮ったんだぁ」


 恥ずかしいからやめなさい、とアリナの声が混じった。どうやら2人は一緒らしい。

 個人的な通話中にも関わらず、宇銀は爪先立ちをして身長を伸ばし興味津々に盗み聞きしてきた。あさっての方向に首を回して逃げようとしたが、両手で頭頂部と顎を鷲掴みされ、俺は強制的に中腰で歩くはめになった。ダーウィン進化論の途中過程にいる類人猿みたいに。

 市民の好奇の目がとても痛い。ママ、帰りたいよ。


「ね、ね、私とアリナどっちが可愛かった?」

「紳士をからかうものじゃありません」

「当然アリナだよねぇ? 浮気はダメだよ?」

「俺の想い人は赤草先生だ」

「だってアリナ! 彗は赤草先生が好きなんだって!」


 先生が気の毒ね、と幻聴が聞こえた。


「それで何の用だ」

「あ、そうそう。今って家?」

「これから仙石線に乗って帰るところだ。妹と初詣に来ててな」

「じゃあ仙台駅来てよ」

「うーし、逃げるぞ、宇銀」

「待って待って! アリナをナマで見たくないの!? 生アリナだよ!? 信じられない!」

「興味ねえ」


 切実にお目にかかりたい。

 しかし宇銀をやつらと会わせるわけにはいかない。教育上悪影響だ。宇銀は宇宙の謎を解き明かす学者になる。ギャルと毒舌少女と会ってしまったら変わってしまうかもしれない。


「あーあ。一生に一度かもしれないチャンスを逃しちゃうんだ」

「俺は……! 断じて見たいなどッ……!」

「残念だね、アリナ。彗はアリナのこと嫌いなんだって』

「そう。ずっとそう思ってたのかしら」

「ひどいよね。きっとアリナのことをだましてたんだね」

「濃硫酸風呂の刑だわ」


 恐ろしいサイコホラー劇場となりつつある会話を止めるため俺は勇気を振り絞った。


「み、見たいどす。アリナさんの着物姿が見たくて泣きそうどす……」

「もーツンデレなんだからー! そういう気持ちは隠さず言えばいいのに! じゃ、ステンドグラス前にいるからね!」


 悔しくなったから復讐を決めた。

 会話の主導権を俺が握り、2人をもじもじさせて赤面させる側に立たせてやる。そこでトロけた顔のアリナを写真に収めれば大勝利だ。彼女から精神攻撃を受けた時は毎度そのトロトロアリナを見せつけてやれば無条件降伏させることが出来る。

 完璧な作戦に俺は震えた。パーフェクトだ。パーフェクトすぎて足が震えた。


「兄ちゃんってツンデレなんだ。きしょー」

「兄ちゃんは臨機応変に性格を変えられるだけだ」


 疑問に思ったのだが宇銀もついてくる気なのか。

 全く帰る素振りを見せないということはそういうことなのか? まさかの3対1か? 


「宇銀、帰らないのか?」

「1人で帰るの怖いよ〜」

「じゃあ兄ちゃんと行動しようか」

「やっぱ単純だなぁ。アリナさんと鶴さんに会ってみたいからついてってもいい?」


 そう言って上目遣いで懇願した。

 もともと拒否権のない俺にノーを突きつけることはできない。だから妹のワガママに仕方なく「オーケー」を出した。

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