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わたしの愛した彗星  作者: 水埜アテルイ
彗星の物語
42/105

第41話 仙台の冬

「来年の今頃は受験勉強で死にそうなんだろうな」

「いやだね」


 12月。

 ますます息が白くなり、指先がチクチクと痛む季節が到来した。

 昔なら手袋をはめ、外で宇銀と雪合戦をしたものだがいつしかやらなくなってしまった。俺が一方的に機関銃の如く投げつけて泣かせてしまったことも一つの原因だろう。あの頃は無邪気に遊べて楽しかった。

 成長とともに科学文明の魅力に取り憑かれ、引きこもりがちになるのは現代っ子そのものだ。

 そんなわけで現代人の俺と妹は科学の恩恵を感じながらぬくぬくとコタツで温まっている。高校2年生と中学3年生の冬。俺は来年度から受験期、妹は今年度。


「ちょっと待てよ、お兄ちゃんは恐ろしいことに気づいてしまったのかもしれない」

「なになにー」


 妹は顎をテーブルに乗せ、眠たそうに返事をする。


「お兄ちゃんは妹が受験勉強している姿を見たことないぞ……!」

「だろうねー」


 まさか我が妹がここまで受験に対してなめ腐った態度だとは。優秀だと小耳に入れて誇らしかったのに。宇銀くん、君は全国の受験生に謝ったほうがいい。


「もう推薦で決まったしー」

「は? 推薦?」

「兄ちゃん知らなかったの? あんなに家族で盛り上がったのに」

「その場に居合わせていたか、俺」

「多分いつもみたいにトマトジュース舐めながらぼーっとテレビ観てたんじゃない? 悲しいなぁ。孤独だなぁ」

「なんてことだ……まさかもう既に決まっていたのか……ん、というかお前最近まで部活やってたよな!? 3年の秋でもやってたって今思えばおかしくね?」

「推薦でもう決まってたようなものだったから後輩の面倒見てた」


 推薦組の余裕か──そういえば俺が高校受験の時も推薦組がいたっけ。憎らしかった記憶しかないな。こっちがプレッシャーで押しつぶされそうになっている中、やつらは澄ました顔で冬を過ごしていた。振り返ってみると腹立たしい。血が沸騰しそうだ。


「安心して正月を迎えられるな」

「兄ちゃんは死にそうな顔してたよね。床に並んでたトマトジュースの缶がホントにキモかった。マジで病気かと思った」

「受験はな、特に筆記の受験は命を削るんだよ。君は知らんだろうがね。わかるか? 受験生全員が天才に見えるあの心理状態が。一種の心理戦だ。だから大学受験の時は赤本を大量に見せびらかして周りを恐怖で溺れさせてやる。ちなみに高校受験で2年は寿命縮んだ。来年は8年縮めるつもりだ」


 二度と受けたくない受験と再び闘うなんて本当に憂鬱だ。いっそひと思いにこのままコタツの熱で溶けて蒸発したらどれだけ楽か。

 和む猫みたいに目を瞑る妹をこれほど妬んだことはなかった。


「で、最近どうなの?」

「なんのことだ」

「わかってるくせに。アリナさんとの進展!」

「進展などない。強いて挙げるならお前から貰った案の『部活の手助け作戦』は先日終了した」

「へー。意外と続いてたんだね。恋愛の方は?」

「ないない」

「もはや感情のないエイリアンじゃん」


 アリナに好意はある。でもそれを伝えたところで答えはわかっている。それに俺とアリナの関係上、告げてはならないことなのだ。


 〈彼女を助けるため〉


 この一点が俺とアリナを繋いでいる。

 これ以上の関係は俺のエゴでしかない。アリナの苦しみを解放する糧にはならない。

 

「後悔しても知らないよ?」

「人間は必ず後悔するようにできている。無限の欲求があるからな」

「そんなに堅苦しく言わなくても一言で済むじゃん。兄ちゃん風に言うなら『愛は理論を超越する』かな」

「宇銀ちゃんは中二病なんですね」

「うざー」


 妹はジト目のままみかんをぶん投げて俺の顔面にストライクを決めた。





 冬は人の心も冷ますらしい。

 文化祭の熱狂は遠い彼方へ消え去ってしまった。


 登校中、雪が降ってきた。風は吹いていないなら緩やかに垂直に落ちてくる。学校に着く頃には肩と頭が白くなっているだろう。

 マフラーに顔をうずめて吐く息で温める。冬は嫌いだ。鼻先が痛い。仙台は東北らしく冬は寒いが、夏も普通に暑い。関東の暑さよりはマシだろうが日差しで目が痛くなるくらいには暑くなる。

 そう文句を頭の中で呟いていると背後から頭を撫でられた。

 振り向くとその正体は日羽アリナだった。


「……」

「スズメくらい小さなあんたの脳が凍りそうだったから払ってあげたのに。無視はひどいわね」

「俺の頭の中ほとんど空洞じゃねえか」


 アリナも寒そうに鼻先と頰を赤らめていた。それがまあ何とも可愛らしかった。いつもツンケンしているアリナだが、時たま見せるあどけない少女のような顔に心拍数が上がる。不意打ちだ。俺も大概ツンデレだと思った。

 彼女もマフラーを首に巻いて寒さと戦っているようだ。そして俺はアリナの脚に注目した。


「黒タイツ、冬にまみえる、黒真珠」

「ひどい俳句」

「お前ら女子高生って黒タイツ好きだよな。ていうか真冬でも生足晒してるやつらもいるけど普通にスゲーと思う」

「あんたの評価、すごく気持ち悪いから100万回死んで」


 肩を並べて登校する。お互い無言だ。

 アリナがどうかは知らんがどうも気まずかった。何か喋ろうと思った。でも話題が思いつかない。いつもの調子なら即ジョークを飛ばせるのに緊張して話せない。

 緊張の原因は自明だ。ちらっと横を見る。アリナの横顔。その整った容姿。ほんのりと染まるピンクの頰にドキッとした。長い睫毛がとても繊細で美しかった。

 その口元が動いて俺は我にかえる。


「前にあんたの友人を監視したじゃない?」

「あ、ああ……」

「どうだったの。2人は」

「助かったってよ。真琴からはお前に『本当にありがとう。迷惑かけてごめんな』だそうだ」

「あら、つまんない。自撮りで撮っていたら面白い展開になってたかもしれないわね」


 スイーツ食い放題の店を出た後に俺はアリナと白奈に置いてかれたんだっけ。1人立ち尽くしていたのを覚えている。彼女らのその後は訊いていない。

 校門をくぐり、校舎に入る前にパタパタと制服をはたいて雪を落とした。下駄箱に靴をぶん投げる。それと同時にスマホが振動した。ポケットから取り出して画面を開いた。


「何、盗撮写真?」

「馬鹿。俺は紳士だ。俺のフォトギャラリーは全て大英博物館に飾られている写真だ」


 白奈からのメッセージだった。こんな朝早くから何事だろうかと思いつつ開く。そして俺の眠気は一瞬で吹き飛んだ。


「どうしたのよ。目見開きすぎて不気味だわ」


 アリナは身を寄せて俺のスマホを覗き込んだ。


「えっ。あんたこれって――」


 アリナは素で動揺した。俺は素を通り越して思考が止まった。ブッダになれそうなくらいの無我の境地に到達した。


〈彗が本当に好きです。今日の放課後、会ってくれないかな。〉


 短いその一文は紛れもなく波木白奈からのメッセージだった。

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