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わたしの愛した彗星  作者: 水埜アテルイ
彗星の物語
34/105

第33話 わたしの自我

 彼女は過去を語り終えると目を伏せ、深く椅子に座り直した。

 睫毛がまだしっとり濡れていて、今にもまた泣き出しそうだ。こういう時にモテる男なら何か優しくて甘い言葉を送るのだろうが、生憎、俺の脳はその経験も知識も持ち合わせていなかった。黙ってアリナの言葉を目を見て聞いた。

 彼女はスンスンと鼻を鳴らし、大きなため息をついた。


「俺は……アリナのために何ができる」


 俺の問いから10秒後に彼女は答えた。


「わからない」

「こうなりたいとかないのか? こうだったらいいな、とかさ」


 アリナは右下に視線を固定し考える。俺にはそれが迷いに見えた。もう言いたいことは決まっているのだろう。しかしそれを口に出すことに抵抗があるようだ。

 

 でも俺は彼女が何をお願いしようが承諾するつもりだ。似たもの同士、変人の仲間として付き合ってやろうと思う。奇跡のような確率で俺たちは出会ったんだから。

 もし赤草先生が俺に頼んでいなかったら一生関わらず、口の悪い女として俺の記憶の片隅にへばりつき、時間とともに昇華していくだけだっただろう。そんな悲しいことがあってたまるか。出会わなければ良かっただなんて絶対にない。 


 人間は人と出会うと様々な色に染まる。

 出会った人の数だけ複雑に変色する。俺もアリナに影響され、水にインクをこぼしたようにふわっと新たな色が生まれた。そうして今の俺がいる。他の俺なんて考えられない。

 

「本当の私を……お母さんに伝える勇気を貸して」

「協力してやる」

「ありがとう……彗」


 初めて毒舌アリナが俺の名前を呼んだ。

 ここで気持ち悪いことを言わせてくれ。俺の名前って最高に綺麗な音だったんだな。世界一だ。

 アリナは俺の手に手を重ねて机に顔をうつ伏せた。手は震えていて消えてしまいそうなくらい弱々しかった。体温が融和して気持ちが繋がったような気分になる。この表現は変態的だな。このくらい神様も苦笑で済ませてくれるだろう。微笑ましい光景じゃないか。だから帰宅部の俺にも少しくらい青春させてくれ。 

 その日、俺は初めて本当のアリナを知った。





 翌日、本当にどうでもいいことだが真琴が三森流歌と付き合った。

 流歌が告白したらしい。そして真琴は受け入れた。近いうちにそうなるとは思っていたが早くて驚いた。


「悪いな、彗。俺は彗を置いてくことにした」

「どこへでも行ってくれ」


 朝のホームルームが始める前に真琴は意気揚々と話しかけてきた。俺に喜びを共有したいのだろう。


「良かったな。幸せになれよ」

「やば、それ泣ける」

「お前は俺の娘か」


 アリナに告って精神を破壊された真琴がようやく報われたらしい。

 

「で、彗は?」

「独身貴族に訊いても無駄だ」

「日羽と付き合わないの?」

「それはねえよ。俺にはトマトジュースさえあれば十分だ」

「そういうトマトに興奮する性癖は早めに治した方がいいよ」

「もう取り返しがつかないんだよな。妹を恨むしかないな」

「日羽に親しいやつなんて彗しかいないんだから仲良くしてあげろよな」

「本人が望むならそうしよう」


 今更だが仲良くするとは実際どういうことなんだろう。真琴と仲がいいのは自明だがアリナとはよくわからない。

 ま、深く考えるまでもないだろう。一緒にいて楽しければいいんだ。



 昼休み、事件が起きた。

 アリナが俺の教室に入ってきた。真琴との食事会中にやってきた彼女に俺は驚いてウインナーを落とした。確かアリナが教室に入ったのは、白奈と放課後に待ち合わせした際、俺の掃除を代行してくれた日以来だ。

 真琴も驚いて箸を落とした。というかお前は俺とじゃなくて流歌と飯食えよ。なんで俺と飯食ってんだ。

 もちろんアリナは俺に用があって来た。


「図書室に来て」

「わかった。待ってろ」


 彼女は普通のトーンで呟いた。

 薔薇園ではなく図書室を指定したことに疑問を覚えた。

 早急に飯を平らげて俺は立ち上がった。


「彗、死ぬのか」

「まだまだ死ねんよ」

「楽しかったぜ、今まで。先に行ってろよ」

「お前ちょっと俺に似てきてないか?」


 


 図書室に入る前、俺は既視感を覚えた。

 そういえばここで俺はアリナに出会ったんだった。赤草先生に誘拐されてここに。あれから随分と日をまたいだ。まさに原点と言える場所だ。

 ここを彼女が指定したことには何か意味があるのだろうか。薔薇園の方が人目を気にせずに済むのになぜだろう。

 なぜ、なぜ、なぜ、と頭をこねくり回していると一向に手をドアにかけられない。思考をシャットアウトしてドアを開けた。 

 アリナは俺と出会った時に座った席にいた。

 俺は机を挟んでアリナの向かい側に腰を下ろした。最初に口を開いたのはアリナだった。


「私がなぜ本を読むかわかる?」

「面白いからか」

「そう。本は作者の魂に触れられる。面白くないわけがない。本は人格を記録しているようなものよ」

「難しい話だな」

「私はこういう体質だから、人の本質とか源に興味があるの。私と、もう1人の私は本当に水と油のように別なのか。それとも部分集合のように精神を一部共有しているのか。正解はないと思うけれど、本を読んでる時は、はっきりと『私』がここにいて『私』が作者と対話してるんだって思える。唯一無二の私がここにいるって感じる。1対1で作者の分身と会話してるんだってわかる。だから本を読むの。私の自我は確立してるって実感できるから。しかも面白いとも感じられるからお得でしょう?」


 毒舌アリナではなく、もう1人の方だと疑ってしまうほど優しい声で彼女は話した。


「あんたと会話してる時もそんな感じだった。あんただけが特別ってわけじゃないわ。鶴も白奈も。でもそれは榊木彗のおかげだから。あなたを信用してる」

「そりゃ嬉しい」

「今日、うちに来てよ」

「あへぇ?」


 急な衝撃発言に調子が狂う。


「変な想像したら殺すから」


 想像も何も、頭の中が真っ白だから何も見えねえ。


「お母さんに言いたいから傍にいて。お願い」


 やっと話の核心がわかった。

 俺は肩の緊張を解いて答えた。


「任せろ。サポートする」


 アリナは屈託なく微笑んだ。

 断言する。妹の次に可愛い。

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