第23話 恋の可能性
翌日金曜日、アリナは登校してこなかった。
理由は体調不良らしい。珍しいことだ。行動をともにするようになってからのことしか把握していないが、彼女が学校を休んだ日はなかった。
だが妙にひっかかる。
昨日の校舎裏の倉庫で見せたあの悲しげな目を思い出す。プライドの高いあいつが俺に弱々しい姿を見せるなんて異常だ。
連絡してみようとも考えたが、アリナの連絡先を映した画面をタッチする寸前でやめた。俺からの連絡なんて嬉しくないだろうと思ったのもある。それよりも恐怖心が大きかった。彼女の抱えている問題に触れてしまうと思ったからだ。俺も例外でないように未知は恐怖に変換される。
鶴も心配していた。
「すいー。今日アリナさん来てないけどなんでー?」
体育の授業中にそう声をかけられた。
「知らん。火星にでも旅行しに行ってるんじゃないか? 人間が蔓延る地球に我慢できなくなったんだろうよ」
「彗に何聞いても無意味だったの忘れてた。もう二度と喋らないから」
「ひでーな」
俺は平然と話したが心配していた。
もしかしたら冗談を言い過ぎたのかもしれない。口が滑ってメスガキとか言ったこともある。いや、絶対違うな。俺のブラックジョークより圧倒的に辛辣な罵倒をするあいつがこの程度の冗談で縮こまるわけがない。
結局分からずじまいのまま休日を迎え、そして何事もなく2日すぎた。
そして月曜日。アリナが登校してきた。
教室で真琴と話していると開いたドアの向こう側に廊下を歩くアリナの姿がふと視界に入った。長い黒髪とあの背格好は相変わらず目立つ。
俺は呼び覚まされたように席を立った。
「トイレ」
「トイレに行くような顔つきじゃないだろ。顔険しすぎ」
「トイレついでに世界を救ってくる」
「もうわかったから行けよ」
真琴は疲れ果てたような顔をして手で追い払った。
休み時間は残り3分程度だったが気にしなかった。
廊下に顔を出す。ちょうどアリナは教室に入るところだった。
「アリナ! ちょっと待て!」
アリナの体半分は教室に消えていたが、彼女は止まって一歩下がってくれた。
「何?」
無表情のアリナ。元気そうには見えないがこれがノーマルで毒舌薔薇だ。
「体調は大丈夫なのか。金曜は学校休んでたろ、風邪か?」
「問題ないわ。あんたを見て気分がまた悪くなったけど」
「そりゃよかった」
俺は気になっていたことを正面から訊いた。
「アリナ。あの電話は何だったんだ」
「電話?」
「先週の木曜、倉庫でのことだ。お前のスマホが鳴って、そんでその後帰って金曜は休みだったろ」
「別に何もないわ」
「だったらお前があんな顔するかよ。悲しいスパイ映画のヒロインみてえな顔だったぞ。愛しちゃいけねーのに愛しちゃった的などうしようもない悲劇のヒロインだ」
「あんたの想像力って意外と豊かなのね」
「この際だから言っておく。俺は適当にお前と行動してるわけじゃない。ちゃんと責任を感じてる」
鐘が鳴ってしまった。邪魔しやがって、スピーカーぶっ壊すぞ。
「戻るわよ」
廊下の向こうから教師が歩いてきていた。
俺は諦めて背を向けた。が、肩を掴まれ再び半回転。
「いつか話すわ」
アリナだった。
肩を掴んだ手は俺の胸を押し、アリナは教室へと入っていった。
気のせいかもしれないがほんの少しだけ微笑んでいたように見えた。
昼休み。
食い物争奪戦で戦場と化した売店。
その過激な争いをぼーっと眺めながらアリナのことを考える。
もうここ数日、頭の中がアリナのことばかりだ。
他人のことを四六時中考えるなんてことは人生においてなかった。だいたい考えてることはトマトジュース、世界平和、妹の幸せ、の3つだ。
俺がトマトジュース好きなのは妹が関係している。
昔、妹に初めて奢られたのが自販機のトマトジュースだったのだ。妹からの初めての奢りという要素も強いが、単純に味が好きだったし健康にも良いと思った。実際に健康効果があるのかは不明だが少なくとも精神的な安堵感を得られているのだから十分だろう。俺にとってのカフェインはリコピンだったというだけだ。
トマトジュースを飲みながら売店の争いを眺めていると肩をとんとん叩かれた。
傍らに白奈が立っていた。
俺の心拍数が一気に上がった。痛いくらいに。
「どうした」
「ひ、久しぶりに話すね!」
そうだ。久しぶりだ。
白奈が俺のことを「好きだった」と言って以来、彼女とはまともに目すら合わせられなかった。
「アリナさんのことなんだけど彗は何か知ってる? 休んでたじゃん」
「体調不良とだけは聞いたが」
「違うと思うんだよね。木曜日、アリナさんを放課後に見かけた人がすごく不安そうな表情をして走ってたって言ってた。彗……何かしたの?」
「何もしてない何もしてない! むしろ俺が酷い仕打ちを受けてるんだぞ。そろそろやつには天罰が下る頃だ」
「本当に? 2人とも仲がいいから彗が調子乗ってひどいこと言ったんじゃないの?」
「俺とあいつは仲がいいことになっているのか……とにかく俺は何もしてねえ。ひでえことを言っているのはあっちの方だ。幼稚園児が聞いたら全員大泣きしてその涙で日本沈没するレベルだ」
「ならいいけど、アリナさんのことちゃんと見てあげなよ? アリナさん、意外と繊細だと思うよ」
「あいつが繊細なわけないだろ。というかなんでそう思った」
「女の勘っていうやつ?」
「赤草先生みたいなこと言うなよ……」
白奈も体調不良以外の何かで休んだと勘づいているようだ。
「またパン買いに来たの?」
「イエス。だけどこの有様だ。近づきようがないからただ傍観してる。死肉を屠るゾンビみたいで恐ろしい」
「彗は争い嫌いそうだもんね」
「争いなんか嫌いだ。ちなみに尊敬する人物はキング牧師。アイハブアドリーム」
「彗らしいね」
そう言って白奈は去っていった。ひらひらとスカートを揺らせながら、俺のよく知る白奈は小走りで遠ざかっていった。
俺にとって波木白奈は何者なのだろうか。
女友だちというのがしっくりくる。それ以上でもそれ以下でもない。ただ、仲のいい女の子。
でもここ数年で──いや、小学の高学年あたりから女友だちって言葉に違和感を覚えるようになっていた。
好きになれるか、好きになれないかの二択しかない。
関係の延長線上にその二択が待っている。白奈は好きになれる女の子だった。好きになれないわけがなかった。だから今も話す関係にある。
白奈にとって、榊木彗は好きになれる人間なんだろうか。




