第11話 鶴の恩返し
二渡鶴の見た目は派手すぎないギャルだ。
同じクラスだが話したことはなかった。性格的にも学力面でも種族でも住む世界が違うと思っていたからだ。
「そういや話したことなかったな」
「そうだね。よろしく」
「おう」
「よろしくついでに訊きたいんだけど」
「なんだ」
「アリナさんって、どんな人?」
嫌な予感がする。
「どうって言われてもな。口が悪いで評判だな」
「それは知ってるけど、もっともっと」
「その前にどうして俺に訊く」
「だって君たち付き合ってるんじゃないの?」
またそれか。このデマ情報を早いとこどうにかしないと、アリナが本気で激怒して俺の命が危うくなる。
「ただのデマだ。俺はあいつと付き合ってない。それどころか俺は誰とも付き合ってない」
「アリナさんと親密にしてる人は誰か。いろんな人に訊いてみたらきみの名前が挙がったの。で、どうなの?」
「そいつらもデマに踊らされてる哀れな生徒だ。俺はアリナなど知らん」
「頑なだね。じゃあ私がアリナさんを知りたい理由を話してあげる」
「ほう」
「一年の冬。というか今年の2月。とっても寒くてマフラー必須の気温だったのを覚えてる。朝、登校中にツルツルの歩道で私こけちゃったのね。すっごく盛大に。で、膝を痛めて立てなくなったの。血も出てたし骨折してるんじゃないかってぐらい痛くて立てなかった。
そこに同じ制服を着た子が私の前を通り過ぎたの。そしたら私に背中を見せた状態でしゃがんで、乗ってって言った。私をおんぶしたの。痛みとか申し訳無さとかで私黙り込んじゃって。結局、学校に着くまでお礼の一つもできなかった。学校着いたらすぐ立ち去っちゃったから」
「つーかその謎の少女、力持ちだな」
「それ……私が重そうってこと?」
「全くそんなこと考えておりません」
「まぁいいや。あの時、一回でも振り向いてくれていれば早かったんだけどね。その日以来ずっと彼女を学校で探した。学校についたらすぐに歩いて行っちゃったし、後ろ姿だけしかよくわかんなかった。全校生徒700人超えてるし、半ば諦めてたんだけど、でもアリナさんを見つけてあの人だって思った。後ろ姿すっごく似てたし。それが5月頃」
「4ヶ月前か。話したのか?」
「ううん。だって彼女、悪目立ちしてて近寄っちゃダメみたいな空気があったし、間違ってたら怖いし。でも最近アリナさんときみが付き合ってるって話聞いたから、君に仲介してもらえばって思って」
「なるほどな。確かにあいつとマンツーマンで喋るのはこえーな」
「でも、君と喋ったことなくて……突然話すのも変な目で見られると思ったから……また訊けなかった」
容姿はガツガツきそうな雰囲気なのに中身は真逆らしい。面白いギャップだ。
「それで、今がいい機会だということか」
「……うん」
「これから時間あるか?」
「どうして?」
「アリナとお前の橋渡しになってやる」
「えっ、そんな突然っ!?」
「二度とチャンスがないと思ってこの話に乗ったほうがいい」
「うーむ」
悩む鶴。
「あんたこんなところで何してるの」
本人が来てしまった。アリナは腕を組み、訝しげな表情で俺と鶴を見ている。鶴がどうするか悩んでいるというこの大事な時間にふらっと売店に現れやがった。
鶴はというと目を点にして思考が止まっているようだった。
「おい、鶴。魂が抜けてるぞ」
目前で手を振ってみても反応はなかった。
これはもう連れてくしかない。
「鶴。いくぞ」
「本当に誘拐する気? やっぱりあんた最低最悪のクズ野郎だわ」
「こんな人目のつくところで誘拐なんかしません。でも赤草先生を誘拐するときは声かけてくれ。協力する」
「誰かこいつを廃品回収してくれないかしら」
俺は停止した鶴の手を引いて薔薇園へと向かった。アリナは靴音を立てながら後ろをついてきてた。
薔薇園に着き、まず鶴を椅子に座らせて意識を戻らせることから始めた。
「おい、鶴。戻ってこい」
「うわんっ。ここどこっ!」
「元職員室だ。で、こいつがアリナだ」
アリナはほんの僅かに首をかしげて目を伏せた。どうやら会釈のようだ。
「あ、うわわ、初めまして。二渡鶴です。二つ渡る、動物の鶴って書きます」
「日羽アリナ」
「おいおいアリナ。もうちょっと日本語を続けろ。お前は6文字以上喋ると死ぬのか?」
「うるさいわね。あんたが喋るたびに世界が汚れるんだから黙ってなさい」
「というわけでこの口の悪い女が日羽アリナだ。幻滅だよな。超おまけして容姿端麗というステータスにしておくが中身は腐った林檎よりたちが悪い。魔女も驚いて腰抜かす神経毒入りの林檎だ」
「悪かったわね」
この一連の流れで鶴はさらに混乱した。
「ああ……仲のいいカップル……ですね?」
ダメだ。鶴を落ち着かそう。
アリナの眉間も不機嫌になりつつある――いやもうなっている。
鶴は現状をようやく把握した。
彼女はプリザーブドフラワーに興味津々でまじまじと観察していた。アリナはいつも通り読書に勤しんでいる。
「なるほど。彗はアリナさんの手助けをしている、ということね」
「そうだ。赤草先生に頼まれた。影を被って活動している。こうして俺たちの関係を説明したのは鶴が初めてだ」
「ふーん、秘密なんだ」
「秘密だ。忠告しておくがバラしたら死ぬぞ──俺が」
「私じゃなくて彗が死ぬんだ……」
「ちなみにこの部屋に俺とアリナ以外で入ったのは鶴が初めてだ」
「ここって秘境か何かなの?」
呆れたのか感心したのかわからないような顔をして鶴は周囲を見渡した。特に何もない。アリナが持ってきた花と机と椅子だけだ。
鶴の視線が俺に戻ったところで俺は顎で示した。
「ほら、目的があるんだろ」
「あ……うん」
鶴はゆっくり立ち上がってアリナの正面に立った。
アリナは栞を指の腹に乗せ、器用に回転させながら読書を続ける。俺は映画でも観るかのようにトマトジュースを開けた。面白い化学変化を見れそうだ。
「あの……アリナさん。私ずっとお礼がしたくて」
「私は誰とも関わってないつもりだけど。隅にいるゴミは少し例外ね」
俺のことかこの野郎。
「でもね、一度だけ、あなたに助けられたことがあるの」
「そう? 覚えてないわ。あなたも知らないし」
「去年の冬。怪我した私をおんぶしてくれた人、アリナさんでしょ?」
アリナは一瞬目を見開いた。
地獄耳ならぬ地獄目の俺はその瞬間を見逃さなかった。
「誰も助ける気もない性分だから私じゃないわ」
「でも私はずっと覚えてる。あなたの黒い髪、身長、声。本当に嬉しかったの。だからお礼がしたくて……どうしても話してみたかったの」
「人違いね。私に感謝されても困るわ。あなたを助けた人が浮かばれないわよ」
アリナは冷たく言い放った。切り捨てるかのように。
そして再び文庫本に手を伸ばした。
「うん……でも、ありがとう」
鶴は消え入るような声で呟いた。
アリナはうんともすんとも言わなかった。目を薄め、長いまつげをぴくぴくと動かしているのでもう活字を追っているようだ。
鶴は振り返って俺の方に向き直る。
「彗、お邪魔してごめんね。生徒会に戻るね」
「そういや鶴は生徒会にいるんだったな」
「書記だけどね。じゃ、お邪魔しました。またいつか」
薔薇園にいつもの静寂が降りた。
カンッとトマトジュースを机に置き、俺はアリナに話しかけた。
「アリナ。お前は詐欺師に向いてない」
「そうかしら」
「あれだ。お前、ツンデレなのか?」
「は?」
「照れてたろ。人が感謝の意を表しているというのに、まったくこの娘は」
「私じゃないわ」
「このツンデレが。嘘が下手だぞ」
アリナは悔しさを抑えるように髪をかき上げた。
「……そうよ、あれは私。いいでしょこれで」
「わかってる」
「……」
「なんだ、そのしかめっ面は」
「……感謝されるのが苦手なだけよ」
「可愛いとこあるじゃねえか!!」
「もう消えて。こんな人格破綻者と暮らす妹さんが可哀想だわ……」
変わってはきている。本当はもっと感情豊かな人間なのかもしれない。
そう思ったが、やはり彼女の強烈な人格を作り出した過去が気になった。人間は環境に影響されながら生きている。人格もまた影響を受ける。俺だってそうだ。
だからもっと知りたくなった。彼女の内面と、その深くに眠っているはずの過去を。