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わたしの愛した彗星  作者: 水埜アテルイ
彗星の物語
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第9話 美術室にて読書

 今日は美術部の手伝いをすることになった。


 美術部の活動で人物画のデッサンをすることがあるそうなのだが、本日モデル役の子が風邪で休んだらしく、それを小耳に挟んだ俺は「美女を連れてこれるぞ」とクラスにいる美術部長に話を持ちかけた。怪しまれたが部長は首を縦に振った。

 そして放課後、美術室を訪れることになったわけだ。


 拠点である薔薇園にて。


「はーい、こんにちは」

 

 薔薇園には既にアリナがいた。

 元気よく挨拶をしたが、彼女はこちらを一瞥もせず読書を続けた。ピクリとも反応しない。


「アリナ、今日は美術室に行く」

「次は何をさせるのよ」

「読書するだけでいい。これほど楽な仕事はないだろ」

「あんたが給料をしっかり払ってくれるのね。行くわ」

「いや、これはボラン――」

「行くわよ」


 文庫本片手にアリナは薔薇園のドアに向って行った。

 やる気があるのかないのかわからん。初対面の時よりかは進歩があるから良しとするか。


 美術室に着くなり、美術部員は総じてギョッとした。

 道場破りにでも来たような図々しい態度でアリナは美術室にズカズカと入っていった。美術部員は俺を見るなり怪訝な顔へと変わった。そうです、ぼくが悪人です。

 状況を説明するために俺は部長のもとへ近づいた。


「ありがとう、彗。来てくれたんだね。あの……モデルってもしかして……」

「イエス。日羽アリナこと超問題児系美少女JKだ。彼女ならモデルとして適役だと思うぞ。ぐぼおおッ!」


 脇腹に鈍い痛みが走り、俺は声をあげた。背を折って両膝をつく。真横にはアリナが立っていた。机をグーで叩きつけるように横から俺の腹に一発ぶち込んだらしい。冷たい目で俺を見下ろしている。

 そして悠然と胸ポケットからボールペンを出した。まるで二股かけたクソ野郎を包丁で刺す寸前のヤンデレだ。いや、ただのサイコ野郎かもしれない。こいつに地獄の炎みたいな嫉妬心なんてあるはずがねぇ。

 なんとか立ち上がって紹介した。


「改めて紹介しよう、日羽アリナ様だ。気をつけろ。丁重に扱わないとこうなる」


 ドン引きする部員たちの反応が俺を苦しめる。

 もう一度振り返ってアリナに小声で話す。


「アリナ、お前は本を読んでいればいい。美術部に今日デッサンのモデルが必要になったから緊急でお前を選んだ。別にヌードになる必要はない。なりたいならなっていいぞ」


 腹を再び殴られる。

 肝臓とか胃とかその他諸々、位置が10センチほどズレた。


「……アリナ様、読書しててください。それだけですみますので」

「そ」


 腹を押さえながら部長に振り返る。


「だそうだ。始めていいぞ」

「あ、ありがとう。アリナさん、今日はよろしくね」


 アリナは顔を背けた。それが彼女なりのイエスなのだろう。


 アリナをデッサンする時間が始まった。


 彼女は椅子に座り、正しい姿勢で文庫本を読み始めた。ページを捲るときは指で弾いた。彼女なりの配慮だった。

 俺はというと、特にやることもないのでウロウロしながらデッサンの様子を観察した。


 俺に絵のセンスはない。だから白い用紙にスラスラと描いていく美術部員の技術に圧倒された。迷いなく形になっていく線たちを目で追っていると、部員それぞれに個性があるのが解った。描き始め、線の濃さ、陰の強弱、曲線の滑らかさなどだ。

 素人の俺に表現は難しいが、各々の感性が絵に吹き込まれていて色んなアリナがそこにいた。


 アリナはモデルを演じ続けている。

 真剣そうなアリナを見てジュースぐらい買ってやろうと思い、俺は一度美術室を出た。

 アリナは何が好みなのだろうかと自販機前で立ち尽くした。

 コーヒー、緑茶、エナジー系、ウコン、しじみ汁、ごま油、セメント、水銀……あいつなら何でも飲みそうだ。不凍液でもグビグビ飲むだろう。

 ボタンの前で指を泳がし、悩んだ末、ココアに決めた。ココアが嫌いなやつは滅多にいないはずだ。


 購入した飲み物を手に美術室に戻った。

 まだデッサンは続いているようだった。アリナは全く座り疲れている様子はなく、むしろ活字に集中していた。

 しばらくして休憩となった。アリナも席を立って休憩に入る。

 ぼーっと窓外を眺めているアリナに俺はさっき買ったココアを手渡した。


「お疲れさん。差し入れだ」


 目を丸くしてアリナは両手で受け取った。


「あんた気遣いのできる人間だったのね」

「これくらいしておかないと後が怖いからな。少しは媚びを売っておく」

「ならまだまだ媚びたりないわ。全財産を投じるくらいしなさい」

「それは媚びるじゃなくて貢ぐだな」

「じゃあ貢ぎなさい」

「お前がもっと真面なやつになったら考えてやる」


 アリナは缶の蓋を開け、ゆっくりと口に傾けた。

 俺はそれを傍目に同じくトマトジュースを傾けた。

 17時を過ぎた美術室には夕焼けの琥珀色の光がさしていた。こいつとは夕焼けをよく見る。無言になることが多いからだ。お互い暇さえあればスマホを見るタイプではないから自然と外の景色や空に目が向く。

 

 嫌いじゃなかった。むしろ、好きな時間だった。

 





「頭に何かを詰め込むと何かが出て行っちまう」


 俺は薔薇園で呟いた。独り言ではない。ちゃんともう1人女子生徒がいる。


「世の中全部合わせるとゼロになると思うんだよ。誰かが笑えば誰かが泣く。誰かが上がれば誰かが下がる。プラスマイナスゼロだ」


 隣で黙々と勉強するアリナに問いかけてみる。


「勉強って寿命縮めるよな」

「うるさい。ペンを耳に突き刺すわよ」


 中間テストが近い。

 高校のテストはかなり重要だ。特待生制度、奨学金制度、推薦入試等にとても響く。適当にやっていると絶対に後悔する。しかし頭で理解していても大抵の生徒は実行に移さない。面倒だからな。

 やるかやらないかで、未来の自分が、過去を憎むか、褒め称えるかのどちらかに帰結する。

 俺は最後には笑っていたい人間なのでアリナにご教授願った。彼女の学力はかなり優れている。だがアリナは黙々と1人で勉強するタイプだった。ご教授など毛頭ない。


「中間テストが終わるまで部活の支援は中止だ。俺も勉強しないとやべえ」

「そ」


 俺と赤草先生の思惑によって常にベスト10を維持するアリナの成績に傷をつけてしまうのは心外である。テストが終わって後味の悪い雰囲気にはしたくない。


「アリナ」

「……」

「アリナさん」

「……」

「アリナちゃん」

「うるさいわよ、ゴミ」

「勉強教えたことあるか?」

「……ないわ」

「ちょっと俺に教えてくれ。理解しにくいところがあるんだ」

「あんたに教えてもいいことない」

「いやあるぞ。俺が成長すれば妹が喜ぶ」

「妹さんが気の毒ね。こんなのが兄だなんて」


 アリナはこめかみを押さえ、ため息を吐いた。


「どうした。なぜこめかみを押さえる。爆弾でも入ってんのか」


 本気で哀れんでいるらしい。少々傷ついた。


 その後は真面目に勉強した。アリナも文庫本には手を触れず、ひたすらペンを走らせていた。

 今日の放課後は少しの罵倒と沈黙で幕を閉じた。



 ちらほら休み時間を削って教室で勉強する者が現れてきた。単語帳やら計算やら各々の勉強をして多種多様の忙しさに追われている。


 俺の成績はだいたい中の上ぐらいで平均より少し高い程度の中途半端な成績だ。

 さらなる上を目指したい気持ちはあるが、難しいんだこれが。俺の限界だ。


「真琴。お前の学力ってどれくらいなんだ」

「普通」

「そうか、普通か。回答が普通すぎて何も言えんな」

「本当に普通なんだよ! 特に目立つわけでもなくひどいわけでもないからね。今回もそんな感じになりそう」

「みんな悩んでるんだな」

「そうだね」


 昼休み。

 真琴との食事会を終え、俺は図書室に行ってみた。

 アリナがいることを期待して行ってみたものの珍しく不在だった。アリナのクラスも覗いたがこちらも不在。危うく女子トイレに行ってしまうところで薔薇園の可能性を思いついた。

 薔薇園に足を運んでみると案の定アリナが勉強していた。


「あんたの顔は放課後だけで十分なのだけれど。急に吐き気がしてきたわ」

「会って早々辛辣だなメスガキ。やべ、口が滑った」

「は?」

「いや、何も言ってません」

「次は無いわよ」


 背筋が凍った。次にあんなこと言ったら死亡確定だ。


 俺は一つ誤解をしていた。

 成績がずば抜けて良いやつは天才肌で勉強などあまりやらないと思っていた。

 アリナは常にトップ10に滑り込む成績優秀者だからそれに該当するのだろうと考えていたが、俺が浅はかなだけだった。逃げずに勉強するやつが優秀なんだ。継続する力とも言えよう。

 言い訳を無意識に探したり、できない理由を作って自分を納得させる。俺もそうだし大抵の人間がそうだろう。勉強法や効率を良くする方法など知るわけもない。やってこなかったんだから。楽してやろうだなんていう怠慢が燻っているうちは何も進展しない。

 彼女は逃げずに勝負しているわけだ。


「やるしかないよな」

「うるさい」


 アリナに並んで昼休みに勉強した。

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