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第九話

 リットが目を開けた先にあったのは森だった。

 だが、迷いの森とは違う。明らかに死んだ森だ。

 木々は腐り、干上がりかけた沼が点々と存在している。そのどれもが異様な臭いを発していた。

 ここでずっと一人で突っ立ってもいられないとリットは一歩踏み出したのだが、腐敗した動物の死体を踏んだかのような不快な感触に、思わず二歩目をためらってしまった。

 すると、ノーラが急に悲鳴を上げ「旦那ァ! 驚かさないでくださいよ!」と叫んだ。

 リットは振り返り、ノーラの顔を見て首を傾げた。

 森を見回してる時には誰の姿もなかったからだ。それが今ではノーラとグリザベル。それにハイデマリーが自分の後ろに列を作るようにいたからだ。

「急に現れておいてなに驚いてんだよ」

「急に現れたのは旦那のほうですぜェ。皆で探しに行こうって言った瞬間現れたんスから……心臓が飛び出るかと思いましたよ……」

 ノーラは木を落ち着かせようと胸に手を当てて深呼吸をするが、濁った空気を盛大に吸い込んでしまったため咳き込んでしまった。

「どういうことだよ……」

 リットはグリザベルに事情を聞くが、ノーラと同じなにを言っているんだという視線を返された。

「どうもなにもノーラが言った通りだ。ここにいたのは我ら三人。リットの姿が見当たらないから、探そうとした時。お主が都合よく現れたのだ。我こそ聞きたい。どこにおった? ここには隠れるような場所はないはずだぞ」

 グリザベルが周囲を見回したので、リットも同じく周囲を見回した。

 目印になるようなものがないので確証は持てないが、先程いた森と変わらないように思えた。

「そもそもオレ達はどこから来て、どこに帰ればいいんだ?」

 リットの不安をグリザベルは「わからぬ」の一言で済ませた。

「ちょっと待てよ……もしかしてなにも考えずに水たまりに飛び込んだのか?」

「水たまりに飛び込んだお主のほうだろう。一体なにをしたというのだ。いや……ここで言い争っても仕方がない。まずは魔女の家を探すとしよう。魔女に話を聞けば、帰る方法も行方不明の妖精のこともわかるだろう」

「簡単に言うけどよ。ここを歩くのも一苦労だぞ。どこが道で、どこが沼かわかりゃしねぇ」

「酷い森ですねー。妖精やエルフはここにいないでしょう。生物が住めそうだとは思えません」

 ハイデマリーはノーラの頭の上に座り込み、鼻を押さえてしかめっ面を浮かべていた。

 口調は変わらずにのんびりしたものだが、妖精の身に死んだ森にいるのは精神的にくるのだった。

「なら、少しでもましな方角に向かって歩いていくか。人間なら、住めるようなとこは限られてるからな」

 家があるのかどうかすら怪しいが、もし家があるのならば地盤がゆるい場所にはないはずなので、沼から離れた場所に向かえばいい。

 グリザベルはリットの意見に賛同し、まだ木が立っている方向へ歩くことにした。木が根元から倒れているのは、地盤が緩くなっているからだ。

 腐敗臭のする沼を避けて、めくれ上がった地面を迂回し、毒色をした川を枯れ木を寄せ集めて渡ってしばらく歩くと、不思議な光景が一同の前に現れた。

 豊かな緑の上に建つ家だ。屋根には暖かな太陽な日差しが当たり、明らかに空気が違っていた。

 そして、そこはガラス玉に閉じ込められたかのように隔離されていた。

「どうなってんだ?」

 リットは見えない壁に手を押し当てて聞いた。

「うーむ……これは……お主の家で起きている現象と同じようだな。これがどういうことかわかるか?」

「当然――わかるぞ」リットはノックでもするかのように見えない壁を乱暴に叩くが音はない。それでも構わず同じ動作を繰り返し「おい! 出てこい! こっちは迷惑してんだよ。出てこねぇなら、地面を全部掘り返して家を傾けてでも燻り出すぞ!」と怒鳴りつけた。

 止めようとしたグリザベルだが、熱くなっていて話を聞かないと諦めた。その間に家の周囲をぐるっと回ってみたほうが有意義だからだ。

 そして、広くない範囲を歩いて戻ってきた時には、リットは怒鳴り疲れて見えない壁にもたれかかっていた。

「満足したか?」

 グリザベルが聞くと、リットは「全然」と答えた。「回復したら続きをやる」

「そんなことをせずともよい。お主なら入れるはずだ。この家の中にな……」

「見てなかったなら、もう一度やってやるから待ってろよ。どんだけ叩いてもヒビが入ったのかもわからねぇ」

 リットが振りかぶると、グリザベルはその手を掴んで止めた。

「そっちの手ではない――紋章が入っている方の手だ」

「こっちの手で、なんだ? ドアでも開けろってのか?」

 リットが家に向かって指を刺そうと腕を伸ばすと、ノーラが「旦那、旦那ァ」とシャツの裾を引っ張った。

「なんだよ」

「中に入ってますぜェ」

 ノーラの言う通り、リットの腕は明らかに別の空間の家の土地へと入っていた。

 そして、そのままゆっくり引き抜いて、逆の手を入れようとするが壁に邪魔をされる。

 紋章の入った手から先に入ったときだけ、閉ざされた空間の中に入ることが出来た。

「嫌な予感がする……」とグリザベルは表情を歪めると、「中になにか魔法陣があるはずだ。それをいじれば我らも中には入れるはず。それを見つけてきてくれ」とリットに頼んだ。

「それは後回しだ。とりあえず文句を言ってからだ」

 リットは怒らせて家へと向かっていた。

「文句を言うが相手がいればいいがな……」

「どういうことっスかァ?」

 ノーラは家の周りを歩いている時になにか見つけたのかと思っていたが、グリザベルが見つけたのはものではなく新たな考えだった。

「魔女にも邪法に通ずるものがいるということだ。来い」

 グリザベルはノーラを家の裏へと連れて行くと、落ちている動物の頭蓋骨を手にとって見せた。

「よくそういうのを躊躇いなく触れますねェ……」

「臆することはない。これは恥ずべき魔女の罪だ」

 グリザベルは次々に骨を拾い上げると、横たわった木の上にそれらを一列に並べた。

 牛の頭蓋骨。鳥の翼になる前肢骨。蛇の長い背骨。実に様々な動物の骨があった。

「これ……全部この森にいたんですかァ?」

「いや、世界各地から集められたものだろう。生きたままか、死体を集めたのかわからんがな…・…」

「魔女ってそんなこともするんスかァ? 気持ち悪いっすねェ……」

「確かに魔女の技法の中には動物の骨を使うこともある。だが、ここにある骨は明らかに用途が違う。ノーラも見たことがあるだろう? 異形の動物の姿を」

「それって……あのグリフォンのことですよね。ここで生まれたってことっスかァ?」

「可能性が高い。そして、もう一つ。精霊の力が鍵になっている。リット一人だけが壁を抜けられたのも、精霊の力が反応したからだ」

「でも、シルフは抜けられませんでしたよね」

 ノーラが言っているのは、ここではなくリットの家での話だ。チルカを依り代に、合わさることで家を抜け出した。精霊の力が鍵ならば、シルフが外に出られては困るからな。

「それはリットが答えを持ってきてくれるだろう」

 グリザベルは見えない壁の向こうにある家に視線を向けた。



 家の中に入ったリットは呆然としていた。家の中には誰もいないからだ。納屋のように狭い家なので、隠れるような場所はない。

 あるのは白骨化した死体だけ。だが臭いもなく、明らかに長い年月が経っているはずなので、これが魔女の骨ではないはずだと思った。

 リットは隠し扉でもあるのではないかと、棚をどかしてみるがなにもなかった。

「おい、妖精もいねぇのか?」

 リットの声は虚しく響いた。

 仕方なくグリザベルに言われていた魔法陣を探そうと、机に積まれた荷物を紐解いた。

 あるのは魔女学の本ばかりなので、ここにいるのは魔女で間違いなさそうだった。

 だが、肝心の魔法陣が見つからない。あるのは使い方のわからない怪しげな道具ばかり。

 リットは足元の木箱を引っ張り出すと蓋を開けた。

 そこには赤や青や黄色など液体が丸いガラス瓶に入れられていた。どれも自然界にはないようなはっきりとした濃い色をした液体だ。

 リットは魔女の酒かと思い、机の荷物を雑に床へと落として、いくつかガラス瓶を机に並べ直した。

 赤いガラス瓶を手に取り、蓋を開けようとしたのが、蓋が見つからない。

 平らな底がガラス製の蓋になっているのかと思ったが、切れ目の一つもなく溶接した後もない。

 リットは魔女のくだらない研究の一つだと思い、興味をなくして箱へと戻していると、緑の液体の入ったガラス瓶がひとりでに転がり床へと落ちた。

 机の高さからなら、大抵のガラスは割れるはずだが、ガラス瓶は割れることなく、リットの足元をじゃれるようにして転がり続けた。

 偶然だと思い、リットは瓶を拾い上げて木箱に入れたのだが、ガラス瓶は怒りに震えるように揺れて、他のガラス瓶にぶつかって音を立てた。

 しばらくは無視をして他の場所を探していたのだが、あまりにもうるさく鳴り続けるので、同じ魔女のグリザベルにどうにかしてもらおうと、リットはガラス瓶を持って家を出た。

「おい、これどうなってんだよ……」

 ガラス瓶を壁の外へ持っていくことは出来なかったので、見えない壁越しにグリザベルに見せた。

「我が知るわけないだろう。そんなものより、魔法陣は見つかったのか?」

 グリザベルはただの液体だと興味を持たなかった。

「わーったよ。探してくるから、それまでこれがなにか考えてろ」

 リットが見えない壁のギリギリにガラス瓶を置いて家の中へと戻っていくと、ガラス瓶はその後をついていくように転がっていった。

「待て、リット! なんだそれは!」

 ガラス瓶がひとりでに動いたのを見て、グリザベルは驚きに声を上げた。

「オレが聞いてんだよ……」

「動くなどと言ってないではないか!」

「でも、どうなってるか聞いただろ」

「お主……そことこっちでは魔力の流れが違うのだぞ。ただ見せられてわかるわけないだろう……。入った時と同じだ。精霊の紋章が入った方の手で持てば、ガラス瓶を外へ出せるかも知れぬ」

 グリザベルが手を伸ばしたので、リットはガラス瓶を掴み直した。

 すると、ガラス瓶は音もなく砕け散り、暴風が吹き荒れた。それはリットの周りだけで、見えない壁の向こう側にいるグリザベル達にはそよ風の一つも浴びることはなかった。

 なので、緑色になった風がリットに絡みついているのがはっきりと見えていた。

「あーもう! 好き好き! 嫌いって言ってごめんね!」

「なんだよ! 風で目も開けられねぇ! なにが起こってんだ!」

 リットはなにかに絡まられていると、必死に手で払うが相手は風なのですり抜けるだけだった。

「なにって、あなたが私を助けて、私はあなたに感謝してるってこと。全然バカでも、ハゲでも、ブサイクでもないじゃん! なんなら私の王子様?」

「ちょっと待て……オマエ行方不明の妖精か?」

 バカでハゲでブサイクというのは、チルカが妖精の中で流していたリットの悪評だ。

 それを口にするということは、メリア・アルストロの可能性が高いと。

 風が止むとハイデマリーが「あー! メリアちゃん!」と大声を上げた。

「やっぱり……そう……おい!」

 ようやく目を開けられたリットは、目の前の妖精を睨みつけようとしたのだが、顔に妖精が張り付いてきたせいで姿を見ることは出来なかった。

 ハイデマリーは見えない壁に張り付いて「もうー皆心配してたんだよー」とメリアに声をかけるが、メリアが近付いてくることはなかった。

「ごめんね。私はメリアじゃないの。メリアは死んじゃったわ」

「嘘だよーだって、メリアちゃんそのものだもん」

「この姿は借りているだけよ。まぁ……押し付けられたとも言えるけど」

「でも、メリアちゃんいつも言ってたじゃない。こんな暮らしじゃ死んだも同然だって。だから、蝶とハチを混ぜて新しい生活を築くんだって」

「あぁ……それであの子ここへ来たのね」

「いいから離れろよ!」

 リットがはたき落とそうとすると、妖精は風になって消えたので自分の顔を叩くことになってしまった。

「あぁ! ごめんね。痛いの痛いの飛んでいけー!」

 風は妖精に戻ると、リットの顔を手で撫でてから、再び風になって見えない壁の端までいって戻ってきた。

 自在に風になる姿を見たノーラは「もしかしてシルフですか?」と聞いた。

「うーん……それともちょっと違うのよねぇ。シルフでもないし、メリアでもない。でも、逆に言えばシルフでもあり、メリアでもあるけど、全く違うもの。言うなれば仮初の生命体ってやつ?」

「わかるように説明しろよ……」

 リットは頬に体を寄せてくる妖精を手で払った。

「あなた方がやったのと同じことよ。もっと複雑なことだけど」

 グリザベルは「依代……」とつぶやいた。

「そうそれ! 私の分霊を妖精に閉じ込めたでしょ。今も同じような状態。問題は私をこうした魔女も死んじゃったってこと」

「死んだって、中の骨は魔女のもんなのか?」

 リットが聞くと妖精は頬に抱きついた。

「そうよ。リットって頭が良いのね。好き好き!」

「もう、わけがわからん……」

 グリザベルは目に見える疑問に、知りたい疑問に、聞きたいことが多すぎて頭がついていけないとさじを投げた。

「おいおい、オレより先にこんがらがるなよ……」

「とりあえず魔法陣を探し出してくれ、実際に中を目で見ないことには判断出来ぬ……」

「わーったよ……。おい、手伝え」

 リットが家の中に戻っていくと、妖精はぴったりとリットに寄り添ってついていった。

「これって初めて共同作業?」

「オマエしか中で動けないからだ。手分けして探すんだから、共同作業じゃねぇよ」

「もう……ムード台無し」

 消えていく二人を見送ったノーラは「なんだったんでしょうね」と首を傾げた。

「聞いたところによると、シルフでも妖精でもなくグリフォンのような魔法生物だ。リットは魔法生物に好かれやすいタチらしい。ジャック・オ・ランタンの時もそうだったからな。なんにせよ協力的なら言うことはない……」

「旦那もパパさんの子供ですし、なにかにモテる血は引いてるのかも知れないっすねェ」






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