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第三話

 人間二人とドワーフ一人。それに妖精と精霊という奇妙な共同生活は、思いの外上手くいっていた。

 早朝に庭の妖精の白ユリが光るのと同時にチルカが目覚め、朝からチルカとシルフの一騒動によって全員が起こされる。

 各々適当に朝食を済ませた後は、リットは店を開けるか地下の工房で作業をする。

 ノーラは店番かリットの作業の手伝い。前回で会った精霊師のデルフィナからヒノカミゴの力のからくりを教わり、火でなく風の力で使っているとわかったので、ノーラではなくシルフの風の力でも炉の火加減の調節は出来るようになり、作業効率は格段に上がった。

 シルフはリットの言うことは聞かないが、チルカの言うことは聞く。出ていくことも出来ず、リットの家で生活するしかないチルカは渋々リットに協力するしかないのだ。

 サンドラとの一件でしばらくひと目に出られないローレンは、ランプの火屋や部品磨きを手伝っている。磨くという作業は宝石屋でも散々やっていることなので、今更何かを教わるようなことはなく、鼻歌交じりに軽快にこなしていた。

 現在リットのランプ屋は順調に店が回っていた。客を待たせるようなこともなく、かといって品物や修理のレベルが下がったわけでもない。

 様子見に来た世話焼きのイミル婆さんにも、ようやく改心してまともに働くようになったと感心されるほどだった。

 売上も上がり夜は美味しい酒と料理。昼間の労働の心地よい疲労で夜はぐっすり。そして、また同じ朝が始まる。

 健康的で充実した毎日だった――チルカ以外は。

 チルカのやることといえば、外に出られない代わりに、鉢に植え替えてもらった植物に水をやりながら窓から森となった庭を眺める毎日だ。

 普段いるはずの妖精もなぜか姿を消しており、お喋りをすることも出来ない。活動的なチルカにとっては不満の日々が続いている。

 そもそも何も解決していないのだ。

 ローレンがシルフに教えることは、胸の大きさと愛の大きさは比例するだとか、胸の揺れは脳も揺さぶるなどという役に立たない持論ばかり。シルフがまともに話を聞くはずもなかった。

 チルカは今日も窓から雲に陰る庭を見て、世界一不幸な自分に浸りながらため息をついていた。

「チルカちゃん好き好き」

 シルフの抱擁も、もう慣れたように「はいはい、よかったわね」とチルカは顔も見ずに適当に返す。

 そこへ店番をノーラに任せたリットが一冊の本を片手に戻ってきた。

「アンタ……最近その本ばかり読んでるけど。趣味悪いからやめてくれない」

 チルカはテーブルに置かれた本を見て、げんなりとした表情を浮かべた。

「別にオレの趣味ってわけでもねぇよ。でも、なんか見ちまうんだ」

 リットが読んでいる本というのは、マーがリットのお金で勝手に買った本だ。

 蜘蛛の巣全集という、どこかの物好きが蜘蛛の巣を見かける度に書き写したものを集めた本だ。

 魔女の世界では蜘蛛の巣から魔法陣を閃いたというのはよく聞く話で、マーもそれが目的で買ったのだが、載っている蜘蛛の巣の面白い模様が気に入ったリットは取り上げて持って帰ってきたのだ。

「アンタ……蜘蛛の巣がどれだけ迷惑な存在か知らないでしょう。羽に絡みついて取るのも一苦労なんだから」

「知るかよ」

 リットは言いながらテーブルに手をつこうとしたのだが、そこにテーブルはなく、空振りして床に転んでしまった。

「なにやってんのよ……」

「なにかやったのはオマエらだろ……。テーブルを動かしただろ」

「そんなことしないわよ。疑うなら床の埃の跡でも見なさいよ」

 チルカに言われリットは床を見た。テーブルの脚が床を引きずったあとはない。

 だが、ふらつくほど疲れているわけでもないし、直前に本をテーブルに置いたばかりなので目測を誤ることはない。

 頭に一瞬の空白が出来たような感覚。

 気付かないうちにボーッとしていたのかも知れないと、リットは改めて椅子に座り本を開いた。

「まったく……酔ってもないってのになんだってんだよ……」

「そんなことより、グリザベルに手紙を出したんでしょう」

 グリザベルが精霊師と関わっていることを聞いてから、それなら今の状況をどうにか出来るかも知れないとグリザベルが来るのを心待ちにしていた。

「出したぞ。手紙の返事もまだだ。アイツも今じゃ弟子持ちで忙しい身だからな。暇じゃねぇんだろ」

 リットが本のページを捲るのと同時に庭が陰った。

 今日は晴れ。青空がよく見える日だった。そんな時に急に陰るこの感じは、前にも一度体験していた。

「こらアホ鳥! ここではない、玄関までまわらんか! やめんかぁ! 揺らすでない! あほぉ……落ちる……」

 グリザベルがグリフォンと格闘する声を聞いて、チルカは「……暇なのね」とこぼした。

 すぐにちゅーという鳴き声と、風を打つ羽ばたき音が響いたのだが、グリザベルが訪ねてくる様子はない。

 リットが様子を見に庭へ出ると、木の枝にしがみついてグリザベルが、落ちそうになっている鞄を必死に口で咥えて押さえている姿が見えた。

「……楽しそうだな」リットが呆れた。

 グリザベルは口をもごもごさせてなにか伝えようとするが、何を言っているのか全くわからない。

 一向に木から降りてくる気配がないので、リットは「飽きるまでそうしてるつもりか?」と聞くが、グリザベルは芋虫のように体をくねらせるだけだ。

 話にならないとリットが背を向けると「鞄を受け取れと言っているのだ!」とグリザベルが吠えた。

 グリザベルはやってしまったと地面に落ちていく鞄を見送ったが、地面スレスレのところでリットが引っ掛けるようにして受け取った。

「最初からそう言え」

「言えるか! バカ者め! 我の口が尻にでもあるように思ったか!」

「それはそれで笑える。で、なんなんだよ。ガラス細工でも入ってんのか」

 リットが鞄を乱暴に扱おうとするので、グリザベルは慌てて木から降りて尻餅をついた。だが、痛みは涙目で噛み殺して鞄を奪い返した。

「やめんか!! 魔女道具はどれも繊細なのだ! 中には代わりのきかない一点物もあるのだぞ」

「そりゃ悪かったな。わざわざ呼んだってのによ」

 へそを曲げられては敵わないと、リットはドアを開けて家へ迎え入れた。

 その態度に大変満足したグリザベルは「うむ」と満足げに頷くと、家の中に入った。

「グリザベル! 待ってたのよ!」

 チルカはグリザベルの大きな胸へと抱きついた。

「チルカか! 随分熱烈な歓迎ではないか。……今日は我の誕生日か?」

「オレに聞くなよ。こっちが聞きてぇのは精霊についてだ」

 リットがため息交じりに言うと、グリザベルは血相を変えてリットの腕を見た。

「そうだった! お主がまたバカなことをやったと言ったので急いできたのだ。これか? シルフの紋章は。……まさか四精霊全てに紋章を入れられるとは……お主は一体なにを目指しておるのだ。ディアドレだって、こんな愚かな行動はしなかったはずだ。前にも言ったが、精霊の力というのはだな――」

 グリザベルがくどくどと精霊と関わるのは危険だと話してる間。リットはチルカからも、精霊について聞かれていた。

「アンタって精霊になんかしたわけ? 妖精の私でも、そんな紋章なんか入れられないわよ」

 チルカは自分の腕を見せながら言った。その横ではシルフがべったり抱きついている。

 つまり、好かれるくらいでは精霊に紋章は入れられないということだ。

「人に問題があるみたいに言うなよ。ウンディーネは確かにオレが関与してるかも知れねぇけどよ。サラマンダーとノーム。あと、そこのアホシルフはそっちから勝手に入れてきたんだ」

「本当にアホよねぇ……」チルカはリットの言葉に賛同してため息をついた。「こんなアホじゃなかったはずなんだけど……」

 シルフが口に出す言葉は、主に固有名詞と短い単語だけだ。

 チルカは好き好きで、ノーラは好き。リットは嫌い嫌いで、ローレンはバカバカ。まるで言葉を覚えたての子供だ。

 しかし、最初の時はまだ少し普通に話していたことを思い出した。それがいつからか今のようになった。

 具体的にいつかというと、この家から出られなくなったあたりからだ。

「オマエを追いかけ回して頭でも打ったのか?」

「アンタねェ……精霊のことなめてるでしょ。精霊が家具なんかにぶつかるわけないでしょ」

「なめられてるのはオマエだぞ……」

 シルフは「チルカちゃん好き好き」と頬を舐めていた。

「もう好きにして……」と、チルカはうなだれた。

 二人の様子を見て、急に思いついたリットは、昨夜剥いたままにしたナッツの殻をシルフめがけて弾いた。

 すると、頭に当たり「痛い痛い」とシルフはリットを睨んだ。

「そいつ実態がねぇか?」

 リットはサラマンダーとノームから精霊を殴ったり、物をぶつけたりするのは無理だと聞かされていた。

 しかし、今ウンディーネに小石をぶつけた時と同じことが起きていた。

「そういえばそうね……」チルカもシルフが舐めれた感触があるのを不思議に思ったので、グリザベルの頬を鷲掴みにしてつねり「説明しなさいよ」と言った。

「今さんざん説明していただろう! 聞いておらんかったのか!?」

「長い独り言なんて聞いていられないわよ。で、なんなの?」

「まったく……いいか? 精霊師の言葉に『分霊』というものがある。精霊が交流を持つ時に見せる仮の姿だ」

 本来精霊とは目に見えない存在だ。サラマンダーとノームも姿が見えずに声だけが聞こえていた。

 ウンディーネが水の姿で見えていたのは分霊の姿の一つだという。

 分霊にも様々な形態があり、生物の姿を模したり、火や水など目に見える魔力元素の姿だったり様々だと。

 サラマンダーとノームの騒動を収めるのに使った『依代』も分霊の一つであり、儀式として呼び出すためのものでもあるとのことだ。

「――つまり、ここにいるシルフは本体ではなく、魔力の一部ということだ。自ら分霊を作り出したのか、強制的に分霊にさせれたのか……」

 グリザベルは重々しい声で言った。

「怖い話なら夜にして。こっちは一日暇でしょうがないの。だから、今は事実だけを話しなさいよ」

「リットの家に到着した途端に、グリフォンが暴れだしたのだ。魔力の乱れを感じ取ってな。そして、それを感じ取ったのはグリフォンだけではなかったようだ」

 グリザベルは森となった庭に妖精の姿がないことを指摘した。

 家を建ててから一度も手入れをしていないリットの家の庭は、人が踏み込んだことのない土地にしか咲かないという妖精の白ユリが咲いたということで、森として認識されるようになり、その管理のために妖精が住み着いた。

 その森を管理する妖精がいないということは、それだけ大きな力が働いたということだ。

 しかし、チルカは「何も感じないわよ」と首を傾げた。庭の妖精が異変を感じ取ったなら、自分も感じ取れるはずだと。

「そうだろうな。我もこの家に入った時から感じなくなった。だが――」グリザベルは一度庭へと出ると、確信の笑みを浮かべて戻ってきた。「やはり魔力は大きく乱れている。この家は魔力の衣に包まれたような状態になっている」

「そんなお洒落をするような家に育てた覚えはねぇぞ」

 魔力を感じることの出来ないリットは、何を言っているんだと肩をすくめた。

「そうだな……」グリザベルはどう説明しようか困ってテーブルに目をやった。「ちょうどいい本があるではないか。今この家は、蜘蛛の糸にぐるぐる巻きにされた獲物のような状態ということだ。我ら人間は魔力の器が少ないから影響はないが、魔力の器が大きい妖精のチルカや精霊のシルフは、魔力の糸に閉じ込められ出られない」

「なんでよ!」とチルカが吠えた。「突然そんな説明をされて納得できるわけがないでしょう」

 グリザベルは「そうだろうな」と冷静に返した。「これが本当に蜘蛛ならば、その蜘蛛を退治して終わりだが、発生源がまったくの不明だ」

「そんなのコイツでしょうよ。バカが欲張って三つも四つも紋章を入れるからでしょう」

 チルカはリットが原因でこうなったと騒ぎ立てたのだが、グリザベルはそれはないと言い切った。

「人間が発生源ならば、今頃ウィッチーズ・カーズが起きてリットの体はどうにかなっているはずだ。我も今来たばかりだ。あれこれと答えをいくつも用意していない。気長に待つがいい。損はさせぬぞ。なぜなら、我は精霊師という分野を急激に極めているのだ」

 グリザベルは腰に手を当てて偉そうに胸を張った。

「とうとうマーに見捨てられて、自分も弟子入りか」

 今回グリザベルの弟子となったマーは同行していなかった。

「マーはルードルのところにおる。そして、シーナはデルフィナの元へ。お互い思うところがあったのか、修行先を変えたいと申し出があってな。我もこっちの問題が気になり、ちょうどよいとマーをルードルに任せてここへ来たのだ。だが、どうも行き来を繰り返しており、修行に身が入っておらぬようだ……。もう少し真剣に魔女修行に取り組んでもらいたいものだと思うておる」

 グリザベルは思い通りにいかないとため息をついた。

「こっちとしては、もうどうでもいいんだけどな。どうやら問題はなさそうだし」

 リットはほっとしていた。紋章四つが入ったことが原因ではないからだ。ノームの言っていた人間には使えない力というのは正しかったようだ。

「よかないわよ! 私はどうなるの? こんな汚い家で一生を終えるのは絶対いや!」

「心配なのはチルカではない。シルフだ。分霊と言えども、触ったり物が当たるというのはありえないと思うのだが……」

 グリザベルが指を伸ばして握手を求めるが、シルフは「嫌い嫌い」と指の腹を叩いた。

「おかしい……」

「やっぱり触れたのか?」

「初対面で嫌われるのがおかしいと言ったのだ! なぜ我がシルフに嫌われなければならないのだ!」

 シルフは「おっぱい嫌い嫌い」とグリザベルの胸を指した。

 チルカが抱きついたのを見て、ライバルだと認識したのだ。

「おっぱい好き好き!」と、巨乳の気配を感じてローレンが店から部屋に入ってくるものだから、収拾がつかなくなってしまった。

「一人増えただけで、一気に均衡が崩れやがった……」

 リットは今朝までの順調な生活はなんだったのかと頭を抱えた。






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