第二十五話
「アンタ達……喧嘩売ってるわけ?」
チルカは帰ってくるなり、なにをするでもなくただ椅子に座ってぼーっとする三人を見てイライラしていた。
この家に帰ってきたということは、向こうでの事件が解決したと言うことだ。流れからすると、当然次はこっちの解決の為に動くはずなのに、まるで既に解決したかのように寛いでいるのが気に食わないのだ。
グリザベルは「少し待ってくれ……」と言ったきり、天井を向いて目を閉じてしまった。
「ちょっとちょっと! ここまで来て、また新しい問題が発生したんじゃないでしょうね?」
「安心してくださいな。ちゃんと解決しましたよ。ただ……疲れたんスよォ。森を抜けてもまた森。グリフォンが降りられるようなところを探すまで、まる二日も歩いたんスよ。グリフォンに乗っても、背中から落ちないように起きてなきゃいけないですし。皆お疲れモードなんですよ」
「森を歩くから疲れるのよ。飛べばいいじゃない」
無理を言うチルカに、リットはもう少し待てとテーブルに肘を置き直した。
「オマエは一日中家にいるから元気なんだよ」
「好きでこんな臭い家にいると思ってるわけ?」
「思ってる。他に行くところなんてねぇからな」
「だから、いるしかないのよ。外に出られないから! アンタ今更なに言ってんのよ」
「そんなんだからシルフに利用されんだよ。単純に物事を考えやがって……」
リットは既に近寄ってくることがなくなったシルフの分霊を睨みつけた。
シルフはなにを言うわけでもなく、態度で急かすわけでもなく、空気のようにテーブルの上。リットの頭上より高いところでふわふわしているだけだ。
「そういえば……好き好きはどうしたのよ。大人しく浮かんじゃって」
「もう正体がバレたから、猫を被る必要もねぇし、ケツを叩く必要もねぇんだろ。向こうで成功したのは見てるから、こっちで失敗することがねぇのもわかってるからな」
「どういうことなのよ……」
チルカは理由を説明しろと、リットの頭の上をぐるぐる飛んで、頭をコツコツ叩いて話すように急かした。
まだ疲れているので、手を動かすより口を動かしたほうがマシだと、リットはシルフがなぜチルカをつけ回していたのか理由を話し、向こうでなにをやったのかを説明した。
「それで、アンタは最初嫌われてたのね。あまりに動かないから」
「動いた途端好き好きだ。単純な奴だよ……。待てよ……もしかしてこの町の女を巨乳にしたのは、これがわかってたからか?」
リットは店の外でやかましく抗議するローレンと一部の女性の声に対して言った。
風の力で服に空気を溜め込むことにより、巨乳になることは可能だったのだが、それは一時的なものだった。すぐに苦情が押し寄せてきたので、リットは店から逃げるように異変を解決するために動き出したのだった。
そこまでシルフの手の中だったとは考えづらかったが、一瞬シルフが笑ったのを見たリットはやられたと頭を抱えた。
その姿を見たチルカは「アンタのほうが単純じゃないのよ……」と呆れた。
「ところで……メリアはどうしたの?」
「さぁな魔女の死体と一緒に塵となって消えたのかもな。少なくとも生きちゃいねぇよ」
「アンタ……はっきり言うわねぇ……」
仲間の死を告げられて眉をひそめたチルカだが、変に濁させるよりはずっと良かった。もし、生きている可能性があると言われれば、その可能性に人生を動かされていたかもしれない。
可能性を消された事により、前を向いて歩いていける。
リットがそんなことを考えて言ったとは思えないが、チルカは心の中で小さな感謝の言葉を述べた。
本当は言葉に出して言おうとしたのだが、グリザベルが「うだうだしていてもしょうがないのは確かだ。………始めるぞ!」とテーブルに手をついて立ち上がったせいで、言うチャンスを逃してしまったのだ。
やることは同じ。大した準備もないので勢いで始めたのだが、煙の中でチルカの独り言がずっと聞こえていた。
「あーもう! なによ! なんなの? 精霊だと思って調子に乗ってるんじゃないわよ! そこは煙の通り道じゃないってば!! 絶対だめ! そっち!? あ! あー……もう……ゲボ吐きそう……」
煙が晴れて出てきたのは、テーブルに手をついて項垂れるチルカだ。見たところは変わった様子はない。
「なァーんか飲みすぎた日の旦那みたいっスねェ」
「おい……吐くなら外に出て吐けよ……」
リットがチルカをつまもうとした時、グリザベルが「シルフはどこだ?」と言ったので、つまむのをやめて辺りを見回した。
シルフの姿はどこにもない。消えたと言うことは、成功して壁も消えたはずなのだが、グリザベルは家の中の魔力の流れは変わっていないと首を横に振った
リットとグリザベルが顔を見合わせて失敗したのかと思った時だ。
チルカが「もう……ダメ……出る」と観念した声を出した。
次の瞬間。その小さな体から出るとは思えないような巨大なゲップの音が響いたかと思うと、とてつもない強風が発生して、家の中に飾られていた草花は窓を開けて外へ出ていった。
風は一方向だけではなく、ドアを開けて店のスペースにも向かった。
天井に吊るされたランプ同士がぶつかり合って、風鈴のような音を立てたかと思うと、店のドアが開いて外から悲鳴が聞こえた。
リットの店の前へ、ローレンを筆頭に巨乳を守れというスローガンの元集まった団体が風に飛ばされたのだった。
リットが確認しに行くと、団体は風に乗って山の方まで飛ばされていた。町に帰ってくる頃には夜になっているので、疲れて今回のことはどうでもよくなっているはずだ
「どうやら、最後に掃除をしていってくれたみたいだな。一応礼として受け取っておくか。これで無事解決だ。よかったな」
リットは新鮮な空気に満たされた家の中で深呼吸をした。
「よかないわよ! あんな大きなゲップを聞かれたんだから!! もう恥ずかしくて生きていけないわよ!!」
チルカは顔を手で押さえてコップの影に隠れた。
「たかがゲップじゃねぇか」とリットが言った時だ。風に開けられた窓から妖精が一人、また一人と入って来てチルカの周りに集まった。
「今のチルカちゃんのゲップ!?」
「すごいよ! カラスも逃げ出しちゃった」
「あの音……きっと熊も逃げ出すに違いないわ……」
「早くみんなに知らせよ! これはすごい噂話になるよ!!」
妖精達はやんややんやと囃し立てると、庭へと戻っていった。
「よかないわよ……どうしてくれるのよ! こんなの恥ずかしくて森に帰れないじゃない!!」
「帰れよ……なんのために解決したと思ってんだ」
「森に戻ったら、ゲップ妖精のご帰宅よ。ゲップの大コールが待ってるのなんて目に見えてわかるわ……」
「屁じゃなくてよかったじゃねぇかよ」
「それは断固として拒否したのよ……。もしオナラでシルフが出てきたなんて状況になったら、私は金輪際飛ぶのをやめるわ」
「ほう……飛べない妖精とは……。さながら妖魔録に出てきた妖精のようだな」
グリザベルは言葉に出してから、余計なことを言ったと思ったが遅かった。
「うっさい!」とチルカに鼻の穴を両手で広げられた。
「こら! 痛いではないか!」
「私の心はもっと痛いわよ!! こんな時にくだらない冗談を言うなんて! このみっともない顔を覚えるまで、こうしててやる!」
「リット! ノーラ! どうにかしてくれ!」
「こっちに飛び火するのがわかってて手を貸すかよ。思う存分やられてくれ。そうすりゃ、チルカも落ち着いて森に帰るだろ」
「帰らないわよ。なに聞いてたのよ。帰れるわけないでしょ。しばらくこっちの森にいるわよ。ほとぼりが冷めるまでは」
チルカはグリザベルの鼻から手を離すと、中庭を指さした。
「オマエなァ……少しでも感謝の気持ちがあるならさっさと帰れよ。せっかくこれからゆっくり出来るのに、うるせえ妖精付きなんて冗談じゃねぇ」
「私だって、この家はうんざりよ。だから、アンタが裏庭って呼んでる森にいるって言ってるの。でも、ご飯は用意してよね。はちみつはたっぷりよ。さぁ――」
チルカは憂さ晴らしの続きをと思って振り返ったのだが、グリザベルの姿はなかった。見えたのは風で開けっぱなしになっているドア。
そして、すぐ風を切る音とグリフォンのちゅーという鳴き声が響き渡った。
「逃げたわね!」
チルカは窓から身を乗り出して、グリフォンの遠ざかる影を睨みつけた。
「まぁまぁ、外に出られるんだからいいじゃないっスかァ。どうです? 久々に一緒にふらふらっと町を歩いてきません?」
ノーラに言われ、自分の体が窓から出ているのに気付いたチルカは、何度も窓を出入りして問題ないのを確かめると、安堵のため息をついた。
「そうね。おばあさんのとこ行ってパンでも食べましょ。あそこのジャムも美味しいのよね」
「イミルばあちゃんのパンは最高っスからね」
ノーラはリットからお金をもらうと、チルカと一緒に家を出ていった。
リットはそのままなにをするでもなく、ノーラがドアを閉める音を聞きながらテーブルに突っ伏して眠ってしまった。
そのまま夜になり、帰ってきたノーラが自分の分の夕食まで食べて寝てしまったので、リットはカーターの酒場に来ていた。
「その顔。女に逃げられた時のローレンそっくりだぞ」
カーターは酒を出しながら、納得いってない顔で座るリットをからかった。
「んなわけねぇだろ」
「そうだな。ローレンはもっと整った顔をしてるもんな」
「この酒場は、いつから酒以外に喧嘩も売るようになったんだ?」
「ツケで酒を飲もうとする奴が増えてからかな。喧嘩なら売ってもタダだからな。なんなら大盛りにするか?」
「わーったよ。今までの分は明日まとめて払うよ。それでいいんだろ」
カーターは驚いてぽかんと口を開けると「おいおい……」とゆっくり眉を落とした。「まさか死ぬのか?」
「なんでそうなんだよ」
「死ぬ前の人間ってのは精算したがるもんだろ。リットが金を払うなんて、それこそ人生の終わりみたいなもんだ」
「よし、わかった。払わねぇ。オレが死んだらカーターはそれだけ損するってわけだ。ついでにここの酔っ払いにも奢ってやるか」
リットが片手を上げて乾杯しようとすると、カーターが慌ててその手を止めた。
「ジョークだろ。酒場にジョークはつきものだ。リットがまとめて支払ってるのはわかってるって。オレを誰だと思ってる? カーターだぞ。この酒場の店主の」
「そうだったのか。てっきりオレは煮卵が腐って命でも持ったのかと思った」
「今日はいつにもまして機嫌が悪いな。悩みなら聞いてやるぞ。酒場ってのはそう言う場所だ」
カーターがしつこく話してみろと絡んでくるので、リットは酒の肴に今回の出来事を話した。
「わかったぞ。それは悩みじゃなくて愚痴だろ」
「正解だ。髪の毛がなくなったのは、頭が悪いせいだからじゃないらしいな」
「そう怒るなよ。酒場は愚痴もこぼすものだ。ほら、見ろよ。また一人、絶望に打ちひしがれた顔で店に入ってきたぞ」
リットが振り向くより早く、店に入ってきたローレンは隣の椅子に座った。山の麓から帰ってきたばかりで、顔には疲労が滲んでいた。
「信じられるかい? おっぱいが消えたよ……山がなくなり、そこに住んでいた獣達は行き場をなくした」
「短くても夢を見られたんだから良いじゃねぇか。こっちはずっと悪夢の中みてぇなもんだぞ」
「僕もだよ。目の前で突然おっぱいが萎んで消えるなんて……見たことがあるかい? あんな拷問があるなんて、僕は何回でも死んでしまうよ」
「死んじまったら拷問にならねぇだろう」
「だから僕はまだ生きていたのか……。いっそ死んでしまいたいよ」
ローレンはなにも注文することなくカウンターに突っ伏したので、カーターは先に注文しろと無理矢理起こした。
「物騒なこと言うなよ。この店で死ぬって口に出していいのは、酔っ払った奴だけだ。酒も飲まずに図々しいぞ」
「カーター……僕は傷ついてるんだぞ。親友ならもっとやることがあるはずだ」
「やることね……」カーターは少し悩んでから手元を見た。「ほら、巨乳だ」
カーターは深い皿をシャツの下に入れて、ローレンをからかって笑った。
シャツは皿型に膨らんでいるが、汁気のないツマミを入れる用の皿なので、厚い胸板にしか見えなかった。
とどめを刺されたようにガクリと項垂れるローレンの横では、リットがカーターの胸に手を伸ばしていた。
「ちょっとリット……巨乳に飢えてる僕でもそんなことしないよ。おっぱいって言うのはね、柔らかくて重くて力強い。それでいて時折儚さを見せるものなのさ」
リットはローレンを無視して「なるほど……それが透明な壁だったのか……」とつぶやいた。
「なに言ってんだ。これは白い皿で、模様まで入ってる」
カーターはシャツから皿を出すと、見えるようにリットの目の前に置いた。
「今の巨乳事件の真相だよ。やっぱりシルフが透明な壁を作ってたんだ。だから、風の魔力が逃げずに膨らんだままになってたんだ」
リットがローレンと同じようにカウンターに突っ伏して項垂れると、カーターは肩をすくめた。
「よくわからねぇけどよ。それってよ、わかってたからって何か影響あったのか? どうせやることは変わらないんだろ?」
「まぁ、そうだな。けどよ……なんか納得いかねぇよ」
「人生なんてそんなことだらけだろ。だから皆過去に戻りたがるんだ。過去に戻っても、どうせ似たような失敗を繰り返すってのにな」
カーターはとにかく元気出せと一言残して、他の客の注文を取りに行ってしまった。
「ローレン……オマエは過去にやり直したいことってなんかあるか?」
「ないね。時間が進むってことは、常に新しいおっぱいが育ってるってことだろう? こんなに素敵なことってないよ」
ローレンは元気を出そうと顔を上げたが、サンドラの「ローレン!」と言う怒鳴り声で、隠れるようにまた顔を腕の中に埋めた。
「ローレン! いるんでしょう! 一連の馬鹿げた騒動のすきに、他の女の胸を揉んだのを忘れてないからね!」
「僕……やっぱり過去に戻りたいかも……」
「オマエは未来にいっても同じことを繰り返すだろうよ」
ローレンが首根っこを掴まれてサンドラに引きずられていく音を聞きながら、リットは今日という変わらない毎日が再び訪れたことを静かに一人乾杯をした。




