第二十四話
「旦那ってばいつも急なんスから。予定っていうのは、前もって知らせるから予定なんですぜェ。ちなみに、次の私の予定は渦潮に棲む巨大魚なんてのを一つ」
「グリザベルに言えよ。今回のほとんどの予定はグリザベルが決めてんだからよ」
家に帰り久しぶりにノーラと合流したリットは、グリザベルと共にリゼーネの迷いの森を歩き、移動手段の水溜りに入って、死んだ森の中を歩いていた。
「しょうがなかろう。すべてが初めての経験だ。目処を立てるのも難しい。これが茶に誘うような簡単なことなら、前もって知らせておるわ」
「お茶といえば、ウンディーネから始まり、サラマンダーとノームを通ってシルフまで。随分あれこれ関わってますけど、大丈夫なんスかァ?」
ノーラの言い方には人間なのにという意味が含まれていた。大きな魔力に関わり過ぎなのではないかという心配だ。
しかし、グリザベルは心配ないと笑った。
ウンディーネと今も関わりがあり、定期的にお茶会に誘われるなら問題だが、まるで最初から関係がなかったかのようになにも音沙汰がない。
それが普通なのだ。
サラマンダーもノームも同じで、精霊がわざわざ一人の人間に固執するようなことはない。膨大な命の時間の中で、ほんの戯れに合わさった一瞬だったということだ。
「今回のシルフのこともいずれ笑い話になる。そう思うだろう?」
「やっぱり魔法関係のことでは頼りになりますねェ、グリザベルは。よっ! 漆黒の魔女」
「そうであろう? 我は凄いのだ。フハハハ! もっと言うがよい!!」
「黒豆の魔女! 黒ごまの魔女! イカ墨の魔女! 網で焼いた魚の焦げ目魔女!」
「ノーラ……黒いものを上げてけばいいというわけではない。我が漆黒の魔女と名乗るは、ヨルムウトルのことがあったからだ。闇というものを深く知り、それを漆黒に磨き上げた。故に漆黒の魔女だ」
「響きがいいから使ってたわけじゃないんスねェ。ところで――」ノーラは見えない壁に囲まれた家が見えてくると振り返った。「旦那はなにをふてくされてるんスかァ?」
ここに来るまでずっと口数が少ないので、なにかあったのかと聞いた。
「思い当たることがありすぎて我には答えられん……。変に喋れば、理由を増やしてしまいそうだ……」
「まぁ、旦那にとって天敵みたいなもんスからねェ、妖精は。まぁ、中身は精霊なんでややこしいんスけど」
「誰にとっても混乱するような出来事だ。今回のようなことはな。だが、リットにもやってもらわねばならんことがある。頼むぞ」
グリザベルはリットの背中を押すと、自分はノーラと打ち合わせを始めた。まずは透明な壁の向こう行く準備だ。
リットはグリザベルに押された勢いのままのろのろと壁を通り過ぎると、メリアが待ってましたと言わんばかりにリットの頬に抱きついた。
「もう! 遅い遅い! その顔はわかるわよ。万事快調任せとけって顔。いやんもう! 頼もしいんだから!」
リットはメリルをそのままに、以前から外に出されたままの家具を見て回った。
ただ黙って机の引き出しを開け、木箱の蓋をどかして中の荷物を見る。
そんなことを繰り返しているので、メリアも不安になったのかリットの頬から離れた。
「……どうしたの?」
「オマエを殴りつける前に、言い訳となる証拠を消しておこうと思ってな。もっと早く気付けばよかった。オマエに抱きつかれるってことは、ぶん殴れるってことだ」
「うそ……私は女の子でもあり、妖精でもあり、精霊でもあるのよ。本気で言ってる?」
「オレの腕は人間でもあり、ウンディーネでもあり、サラマンダーでもあり、ノームでもあり、シルフでもある。本気で言ってるぞ」
メリアは精霊に対して本気で殴ってくるものがいるなど思いもしなかった。普通は崇めるか利用するのどちらか一つだ。ムカついたから殴るなんて選択肢をするものなど聞いたこともない。
一瞬たじろいだのだが、すぐにリットが予想通りの人間だと思い、再び頬に抱きついた。
「それでこそリットよ! 噂に聞いてた通り! ご褒美にキスしてあげる。二回がいい? 三回がいい?」
「媚びを売る暇があるなら、恩でも売っておいたほうがいいぞ」
「わかったわよ……何が知りたいわけ?」
メリアはリットから離れると、手を頭の後ろで組んで空中に寝転んだ。その態度は、先程まで好き好き言っていたのが嘘のように尊大だった。
「色々あるけどよ、なんでオレのとこに来たんだよ」
「自惚れね。私は妖精についてきただけで、リットの家に行こうなんて思ってないわ」
「なら、話はお終いだ。一杯やるような仲だったら、酒でも奢って聞き出すけどな。こっちは精霊に振り回されっぱなしでフラストレーションが溜まりまくってんだ。遠慮なんかしねぇぞ」
「普通は遠慮じゃなくて下手に出るものだと思うけど……。分霊とシルフ。そして分霊ってのは、人間が関わる姿なんだから――って、あなたに言っても無駄よね……」メリアは観念の溜息をついた。「聞いてたのよ、リットのことをずっと前から」
「チルカの噂話だろ? そんな前からオレの悪口を言ってたのか?」
「悪口じゃないわよ。褒め言葉。言う慣れば英雄譚? まっ聞いたのはあの妖精からじゃないけど。もっと大昔よ、たぶんね」
リットがどういうことだと聞こうとしたのだが、メリアは人間に話せるようなことではないとスパッと話題を打ち切った。
「答えになってねぇぞ」
「人間と精霊では住む世界が違うのよ。言えないことなんて山ほどあるし、言う必要がないことなんて海ほどあるわ。言えることは一つ。リットを取り巻く環境が、今回のことを解決出来るって知ってただけ」
「誰から聞いたんだよ」
「色んな人からよ。言葉っていうのは風に触れて広がるの。だから、シルフにとって噂話なんていうのは鳥の鳴き声よりも聞こえてくるの。その中にあなたの話があったってだけよ。正直覚えてもいられないような与太話だったんだけどね――」
メリアの話ではリットの話を聞いたのは昔のことで、魔女に分霊を封じ込められてから偶然思い出したという。
ちょうどその時に流れてきたのが妖精の噂話だ。光を呼ぶ者。ライト・コールの伝説。闇に呑まれるという異変を解決した時の話だ。
「――ほどなくして、でたらめが真実に変わったのよ。精霊に紋章を入れられた人間がいるって。驚いたわ。隠すわけでも自慢するわけでもない。紋章を入れられて普通に生活してるんだもん。どれだけ、精霊を敬ってないか丸わかり。正直大嫌い、そういう人間って。だってそうでしょう? 勝手に力を使っておいて、精霊がいるのが当たり前だと思ってるんだから」
「精霊が欠けることの重大さは理解してる。闇に呑まれるもそうだし、サラマンダーとノームのこともそうだからな」
「だから利用したのよ」メリアははっきりと『利用』という言葉を口にした。「前の認識のままだったらどうしようかと思ったけど。でも、遅い! 最初にウンディーネに紋章を入れられてからどれだけ経ってると思ってるのよ!」
メリアは憤慨していたが、リットは話を頭でまとめて、それでも理解できないと首を傾げた。
「話が見えねぇな……。オレが精霊に紋章を入れられるって知ってたのか? オレがウンディーネと会う前から」
「そうよ、なんか文句ある?」
「文句もあるけど、質問のほうが多い。なんで知ってんだよ」
「だから、噂話だって言ってるでしょう」メリアは話がわからない人だと呆れていたが、急に思いついた顔で「あっ」と短く言った。「あなた、精霊が同じ時間に存在してると思ってるでしょ」
「そりゃな。こうやって話してるんだ」
「リットが話してるのは、過去のシルフでもあり未来のシルフでもあるのよ。まぁ、今は魔法生物だんて変なものにされちゃってるけど。とにかく、精霊っていうのは過去に生きるも未来に生きるのも同じなの」
「それって答えになってるか? それともオレの頭が悪いのか?」
「答えは未来よ。あなたにとっての未来ね。残念だけど、時間切れね。魔法生物だからここまで関わったけど、精霊に戻ったら関わる意味なんてないもの」
メリアはこれ以上の疑問に答えるつもりはないと言った。なぜなら、グリザベルが透明な壁を通り抜けてきたからだ。
「驚いた……。魔力の汚染と浄化。波間に揺れるような絶妙なバランスを保っている」
初めてこっち側に来たグリザベルは、中の世界に戸惑いを隠せなかった。
「年代物の空間よ。だから封じ込めてるの。魔女には理解出来ないでしょうね。これは学問じゃなくて真理よ。学んでるうちは一生理解出来ないこと、つまり人間には不可能ね」
「反論はない。ノーラと共に壁に通り道を作ろうとしている時にも、風の魔力がサポートしてくれているのを感じた。自信など思い上がりだった。理解した気になっていただけ、理解など程遠い」
グリザベルは自分に恥じて頭を下げた。
「あなたもこれくらい謙虚になればいいのに」
「十分謙虚だろ? 殴るのをやめたんだ」
リットは早いところ妖精の体から、シルフの分霊を追い出してしまおうとグリザベルを急かした。
グリザベルが魔法陣とお香をセッティングすると、メリアは溜息をついた。
「煙ね……あんまり好きじゃないんだけど。贅沢も言ってられないわね。どうすればいいの?」
「簡単なことだ。煙を吸い魔力を感じるだけ。後は魔力が導く方へついていくだけだ」
グリザベルは魔法陣を用意すると、その四隅に三角のお香を置いた。
火をつけるのは右端の一個だけ。薄い煙が徐々に濃くなっていき、寝ぼけ眼で見たような掠れた視界になっていくと、何もせずとも次のお香に火がついて煙が立った。
魔力を含んだ煙は、閉ざされた魔力の壁の中では消えることはない。
そうして三つ四つと全てのお香に火がついて燃え尽きた時には、吹雪の真っ只中のような真っ白な視界になっていた。
不思議なことに、リットが呼吸をしてもその煙が口の中に入ってくるようなことはない。それはグリザベルも同じで、ただメリアがいる場所の煙だけがうごめいている。
それは魔力の器にある、二つの魔力に作用しているということだ。
しばらくはそのままの状態が続いていたのだが、明らかな異変が起きていた。
既にお香は燃え尽きて燻ることもなくなっているのだが、煙の量は増えていっている。明らかな圧迫感に襲われている。煙に押しやられていた。
それがシルフの仕業と気付いた時には、透明な魔力の壁は打ち破られ、真っ白な煙が世界に解き放たれていた。
煙はまだ消えることはなく、森林火災のように長いこと煙を吐き出すと、徐々に視界が戻ってきた。
そこにあったのは死んだ森で、朽ち果てた小屋が崩れて沼に沈んでいた。
煙が完全に消えるの同時に、魔女の白骨死体は風に殴れるように粉々になって空へと舞い散っていった。
「正しい世界へと戻ったようだな」
グリザベルは魔女が残した日誌を手に取るが、砕けて散った骨と同じで粉々になって散ってしまった。
そして、それは魔力も同じで、異なる空間にあった魔力が小さく薄く分散されて行くの感じていた。
妖精の体から解き放たれたシルフが、風の力で魔力をかき混ぜたのだった。
これから現世の魔力とじっくり混じり合っていき、徐々に影響はなくなっていくはずだ。
「正しい世界ってのは。こっちで合ってんのか?」
リットは一生草など生えなさそうな、ぬかるんで臭う土をつま先で指した。
「難しい質問だな。この魔女がいつの時代に生きていた者かわかれば答えが出るが……それは無理そうだ」
今まで魔力の壁に守られていた空間に存在していたものは無に還るように、そのすべてが塵となっていた。
「器の再構築だなんだって言ってたけどよ。壊れきったものはもう元に戻らねぇってことだな」
「それが正しい死ということだ。道を外れ、生きながらえてまで完成させたいものはなんだったのか……知りとうもない」
グリザベルは軽蔑の視線を塵の山にやった。
リットではないが、グリザベルも過ぎたる力を求める魔女の尻拭いに疲れていた。それと同時に、自分もいつこちら側に傾くかも知れない恐怖を感じ、この光景を瞳と頭に焼き付けておこうと心に深く刻んだ。
「待てよ……」と、リットは辺りを見渡した。
「シルフの分霊なら、煙とともに消えたはずだ。今頃は本体に戻っているだろう」
「そうじゃねぇ。魔力ってのは、いつまでも残るもんじゃねぇんだろ?」
「そうだな。永遠に残るのは、それこそ精霊の力くらいのものだ」
「あの水たまりってのは誰が作ったんだ?」
リゼーネの迷いの森から、この死んだ森へと移動するための手段は水たまりに入ることだ。魔女が作ったものならば、正しい時間に戻った時にその魔力も消えてしまっている。
つまり水たまりが存在しなくなっているということだ。
「……ここはどこだ?」
グリザベルは急に慌てだした。つい先程まで異なる魔力があった空間なので、呼んでもグリフォンは来ないからだ。
「オレが知るかよ……。ノーラ」
「安心してくださいな。こんな事もあろうかと用意しておきましたよ」
ノーラはパンパンに膨らんだ鞄を開けた。てっきり地図でも出てくると思ったのだが、出てきたのはカチカチのパンだった。
「なんだこれは……」
「なにってパンっスよ。旦那もよく食べてるでしょ。私は学んだんですよ。この前ここへ来た時に、万が一のためにも食べ物は常に用意しておこうと」
ノーラは早速パンにかぶりついた。
「しょうがねぇ……歩くか。こっから離れりゃグリフォンも来るだろうよ……」
「そうだな……」とグリザベルはリットた息に自分のため息を重ねた。「グリフォンと出会い、シルフの分霊と出会う。最初から最後まで魔法生物に振り回されるとはな……」
グリザベルが肩を落として歩き始めると、ノーラがお尻をぺちぺちと叩いた。
「違いますよォ。なんかさっきからまとめに入ろうとしてますけど、まだチルカのことを解決してないんスよ。早く帰らないと、チルカにもシルフにも怒られますぜェ」
リットとグリザベルは余韻に浸ることなく、家路へと急いだ。




