第二十二話
クリクルが用意しろと言ったのは幼虫だった。
むっちりとした花瓶のような胴体に、牙のような鋭い前脚が二本。一歩歩くたびに全身のシワが波打って動くので、気持ち悪いことこの上なかった。
それがびっちり瓶詰めにされているので、リットは瓶にさえ触れるのが嫌だった。
これらは魔法生物の餌になり、ここらに生息しているので定期的に採取されている。ここに来てからその手伝いをしているヤッカは今更珍しがることもなく、気味悪がることもなく、瓶に手を突っ込んで一番活きのいい幼虫を取り出した。
「こうして、一箇所に集めておくと集団で蛹化する性質があるらしいです。そうすると何年も蛹のままで過ごすので、魔法生物の保存食になるとのことです。ほら、こんなにカチカチになるんですよ」
ヤッカは別の瓶を取り出すと、どっからどう見ても犬の糞にしか見えない蛹を手にとってリットに見せた。
「オマエ凄いな……これからオマエを見る目が変わりそうだ……」
「そうですか?」
褒められたと勘違いしたヤッカは照れ笑いを浮かべたが、すぐになにかを思い、落胆にガクッと肩を落とした。
「どうした? 本物の犬のクソだったのか?」
「いえ……自分はこのまま魔女界にいられるのかと思いまして……」
徐々に混乱が解けて冷静になってくると、自分がどれだけ違法な行為に付き合っているかわかってきた。普通の魔女でも魔女界にいられなくなるようなことなのに、男の魔女の自分が関わっていることが知れ渡ると、魔女裁判にでもかけられてしまうのではないかという不安に襲われた。
「おいおい……全部顔に出てんぞ。嘘ってのは顔に出さなけりゃ、真実のままで押し通せる。今のうちに練習しとけよ、そのうち必要になるぞ」
「リットさん……」
ヤッカはどうしていいのかわからず、助けを求める瞳でリットを見た。
「あのなぁ……これからやるようなことは、どうせ誰に話したって理解されねぇよ。オレが言ってるのは、オマエの今の師匠のことだ」
「ボディマ様のことですか?」
「そうだ。多かれ少なかれ、オマエはここでのことを話さないといけないだろ。全部ペラペラ話す勇気はあるのか? 勇気を出すより、嘘をつく方が楽だぞ」
「嘘なんてつく必要はないよ。全て話せばいい。どうせ、ここの魔法生物の面倒を見て貰わなければならないんだ。黙っていられたら困る。それに、ボディマは怒るけど協力してくれるよ。そういう魔女だ、昔からね」
二人が遅いので様子を見にきたクリクルは、ヤッカに心配ないと諭した。何か起きるのは自分の身にだけだと。
「うん……いえ、はい……あっと……」ヤッカはしどろもどろになると、急に頭を下げた。「すいません。どうにもまだ慣れなくて。どう見てもおばあちゃんに見えなくて……僕には可愛いらしい女の子に見えます」
「そうかい? ありがとう。アンタも男の子には見えないよ。可愛い女の子さ」クリクルは豪快に笑うと、急に真面目な顔をしてリットに頭を下げた。「アンタにも迷惑をかける。知り合って間もないのに、損な役回りを押し付ける」
「正直に言うさ、グリザベルにはな。誤魔化して説明するには、理解できないことが多すぎるからな。それで、この気味の悪い虫を使って何をすんだ?」
リットに聞かれると、クリクルは手にそれぞれ幼虫と蛹を持って掲げた。
「邪法さ。私がウンディーネに紋章を入れられた時に、その力を悪用して生み出したもの。蛹という止められた時間の中に、幼虫という新たな生命を吹き込む。そして羽化する時には、全く別の新しい命が生まれてくる。簡単に言えば、事の発端となった器の再構築さ」
「蛹の中で変異するってことか?」
「そうだ。マガネに引き寄せられる虫は一種類ではない。魔力に侵された蛹から羽化した成虫全般だ。ここで見たものは決して悪用するなよ。動物はウンディーネの紋章の力がなければ出来なかったが、変態する虫は魔女の魔力でも出来てしまう。なにが身に及ぶかはわからないし、思わぬ変異は精霊にも影響を及ぶすものだ。精霊に影響が及ぶというのは、どういうことかわかっているな?」
クリクルが言っているのは精霊召喚という天変地異のことだ。
リットが深く頷くと、ヤッカも同じように頷いた。
「わかっているならいい。なら早く準備を済ませてしまおう。現世への別れはとうの昔に済ませている。今更臆すことはない」
クリクルは道具を持って二人をついて来させると、古びた魔法陣を地面に広げた。
その瞬間、辺りから生き物の気配は消えた。翼のあるものは遠くへ、ないものは塔のてっぺんへ向けて駆け上っていったのだ。
「まだ、魔力が残っているようだな」
クリクルは自虐の笑みを浮かべた。
「それが、邪法の証拠か」リットは魔法陣が飛ばないように、四隅に小石を置きながら言った。
「そういうことだ。本当ならば消してしまうのがスジだが、欲にほだされ残しておいてよかった。最後に役立つことが出来るからな」
クリクルは幼虫と蛹を魔法陣に置くと、前置きもなく魔法陣に魔力を流した。
それを見たリットは、初めて魔女という存在に背中が凍りつく恐怖を感じた。
目の前の虫の命が一瞬にして奪われたからだ。
その行為は優しくもなく残虐でもない。死神の鎌というものがあるのならば、まさにこれだろう。それほど簡単に命というのものを奪った。
流れる血はなく、干からびることもない。暴れることもなく、ただ時が止められたかのように動かなくなるだけ。死という時間が流れているのに気付くのは一瞬だ。
だが、時間というのは止まるものではなく流れるものだ。それは魔法陣上でも同じこと。急に蛹の時間が動き始めたのだった。
まるで心臓のように脈を打つと、蛹は形を変えていった。
もう犬の糞とは思えない。毒性の植物が作る不気味な果実のように鮮やか過ぎる色と形になった。その変化に目を奪われている隙に、隣の幼虫の姿は消えていた。
だが、初めからなかったのように消えたわけではない。塵より更に細かい物体となり、風に流されて消えてしまったのだ。
その極小の粉の混ざった風は、攻撃するように蛹に吹き付けると、次々にヒビを入れていった。
一瞬死臭のようなものを感んじたかと思うと、蛹は一気に羽化を始めた。
見た目は一又の角を持つカブトムシが一番近い。だが、羽箒のような二本の長い触覚と、棘のついた脚を持つ虫だった。
その虫が動くのを見逃さなかったヤッカは、逃げられないように素早く網カゴを被せた。
「危なかったですね……この虫が逃げてしまったら、クリクル様の覚悟が無駄になってしまうところでした」
ヤッカが網目の隙間から中の虫を確認している間、リットは信じられない光景に目を奪われていた。
一言も喋らないので、さすがに不審に思ったヤッカは、どうしたのかとリットに尋ねた。
「……オマエ赤ん坊の作り方を知ってるか?」
「リットさん……こんな時にふざけないでくださいよ」
「オレは真面目に聞いてんだよ」
「それは、生物学にも触れているので当然。その……あの……愛し合った男女がですね……手を繋いで……唇を合わせて……その……」
ゴニョゴニョと口籠るヤッカの頭を掴んだリットは、自分が見ているものを見るようにと無理矢理首を動かした。
「痛いですよ! 痛……い……?」
強引に首を捻られたので痛みを訴えたヤッカだが、目の前の信じられない光景に呆気にとられ、痛みなどどこかへ飛んでいってしまった。
「まさか……リットさんの赤ちゃんですか?」
「ならオマエが産んだっていうのか? それも服ごと」
リットとヤッカの目に映っていたのは、裸の赤ん坊だ。それも、クリクルが着ていた服の上にいる。
ヤッカと目が合うと、赤ん坊は「だぁ」とご機嫌の声で言った。
「どうやら死ななかったらしいな。それどころか生まれ変わったようなもんだ」
リットは赤ん坊はクリクルだと確信していたのだが、ヤッカはまだ混乱したままだった。
「本当に僕が産んだんですか? ということは……僕がお母さんでリットさんはお父さん……あの……この子の名前はどうしましょうか?」
「今すぐパンツに手を突っ込めよ。握れるものがあったら、名前なんか考える必要ねぇからな」
「ということは……クリクル様!?」
ヤッカの叫びは遠くに避難する魔法生物さえも怯えさせる大声だった。
「オマエ……本気か?」
リットは呆れていた。
赤ん坊になったクリクルを抱っこしたヤッカは、連れて帰って育てると言い出したからだ。
「ここに置いていくわけにもいかないじゃないですか。それともリットさんが育てるんですか?」
「いっそ死んだ方が説明がつく。どうすんだよ……クリクルだって言うのか? それとも拾ってきたって言うつもりか?」
「ボディマ様には正直に言うつもりですよ。クリクル様がそう言っていたんですから、なんの問題もないはずです」
「そうかよ……そっちの面白おかしい騒動が見られないのは残念だな」
リットはカゴを軽く揺らした。
中の虫はおとなしくしており、ここらは魔力に汚染されていないことを静かに教えていた。
「まだ頭の整理がついていないので、本当は一緒に説明してほしいのですけど……そうも言っていられないですしね」
ヤッカの視線の先にリットは気付かなかった。
紋章が濃くなっているのは明らかなのだが、ヤッカはそれを指摘しないことを選択した。
体調が変わった様子もなく、気付かないなら触れないほうがいいような気がしたからだ。
そして、その考えは正解だった。
ヤッカをボディマの元へ送り届けて、リットが砂漠の研究所に戻る頃には、すっかり紋章は元通り薄く戻っていた。
「ほらよ、お望みの虫だ」
リットはこれでもかとカゴの中で暴れている虫を、乱暴にグリザベルへ押し付けた。
「さすがヤッカだな。こうも簡単に見つけてくるとはな。師事していたのが誇らしい。そう思わんか?」
「まぁな」リットは適当に返事をすると、そのままの流れで続けた。「あとクリクルの婆さんはいなくなったぞ。赤ん坊になって、それをヤッカが面倒を見ることになった。言葉も喋れねぇから、記憶が残ってるのかも不明だ」
「そうかそうか。ヤッカは母になり、クリクル婆は赤子になったか。……今なんと言った?」
「説明出来るならしてやりてぇけどよ。絶対無理だと思うから諦めてくれ。邪法のツケってやつだ」
「お主は! 一緒にいて何も止めなかったのか! クリクル婆が赤子になるのをただ見ていたというのか!? なんて非情な男だ!!」
「なに言ったって説明は出来ねぇよ。そもそもオマエだって、説明出来ないからありのままを受け入れてたんだろ。婆さんってのは歳をとるから婆さんだ。子供の姿なんてありえねぇよ」
「それはそうだが……まるで昨夜見た悪夢を聞かされているようだ。理解しろというほうが無理だ」
「理解はしなくていい。理解したけりゃ、ヤッカと一緒に子育てでもしたらどうだ? 話せるようになるまで育てりゃ、自分の口から話すかもしれないだろ」
「お主は……いや、すまなかった。お主のせいではないな。クリクル婆が決めた道だ。我がとやかく言っては失礼になる。ありがたくこの虫を使わせてもらおう」
グリザベルが虫かごを開けると、中の虫は迷うことなく保護ケースに飛び込んで土に潜った。
あとはクロマガネが芽を出すのを待つだけなのだが、リットは「これどうなってんだ?」と保護ケースを指した。
組み立てられているのは枠組みだけなので、中の土が汚染されるほどの魔力ならば漏れ出してしまい、ここら一帯も魔力の汚染されてもおかしくないと思ったからだ。
「簡単なことだ。これは見えない壁を作っている。死んだ森や、お主の家にあるのと一緒だ。お主がお主で調べているように、我も我で調べているのだ。そして……困ったことがわかった。見えない壁は作れるのだ」
「知ってるよ。今最初に言っただろ」
「誰が作っているかということだ。魔女の我でも作れるものだぞ。精霊なぞ、もっと楽に作れる」
「それってよ、シルフの手の中ってことか?」
「かも知れぬ。そして、お主はそこの虫と一緒ということだ。それが証拠に近い」
「おい……喧嘩売ってんのか?」
「早合点するな。虫といってもそのもののことではない。特定の魔力を貫通出来る体。つまり、魔力耐性のようなものがついている可能性がある。言うまでもなく、精霊の紋章の力だろうな」
「つまりシルフをぶん殴れるってことだな。大いに満足だ。精霊の紋章も役に立つじゃねぇか」
グリザベルはある仮説を立てていたのだが、リットが元気なのを見ると「ふむ……」と一人で納得して言葉を飲み込んだ。今ここで言う必要はないと判断したからだ。
「とにかく寝ておれ。ひどい顔をしているぞ。魔女薬でも飲んだのか?」
「あぁ、クリクルの婆さんのな」
「それは効いただろう。魔女薬とは元気の前借りだ。多分動こうにも動けなくるぞ。後のやるべきことは我がやる。お主は薬が出来るまで寝ておれ。どうせ起きておられぬだろうしな」
グリザベルの言葉は今まで聞いた中で一番心強く感じたが、リットは最後まで聞くことはなかった。
最後には自分のいびきがグリザベルの言葉を消したからだ。
疲労が溜まっていたのを魔女薬で無理に誤魔化していたのが祟ったリットは、その後泥のように眠り続け、目覚めたのは三日後の昼だった。




