第二話
「いやー……まいったよ」
ローレンは既にリットの家でくつろぎ、勝手に酒を注いで飲んでいた。
「いつものことだけどよ。逃げ込む先を増やせよ。オマエらの騒動の度に、オレはランプを割られるんだぞ」
「ちゃんと弁償するよ」
「必要なのは弁明だろ。またどっかの女に手を出したのか?」
「そういう言い方は僕の評判が落ちるからやめてくれたまえ。僕は手を出したんじゃなくて、手を差し出したんだ。だって胸が服から零れ落ちそうだったんだよ。女性を支えるためにあるのが男の手だ」
ローレンは大真面目な顔で言うと、自身の手を大きく開いて見せつけた。
「なら今度から支えるためのブラを買ってやれよ。そうすりゃサンドラの怒りを買うこともねぇだろ」
「売るのは媚。とにかく、しばらくここで厄介になるよ。まさかサンドラもこんな近くに身を隠してるとは思うまい」
「まぁ、いいけどな。部屋は余ってる」
「さすが親友。君を頼ったかいがあったよ。今日は胸の話を肴に飲み明かそう。二日酔いの心配はいらないよ。どうせしばらくこの家から出られないんだからね」
ローレンが乾杯だとリットにコップを渡した。
「そりゃちょうどいい。こっちも頼み事があるからな」
リットがコップを合わせて乾杯しようとするが、ローレンは慌ててコップを引っ込めた。
「ちょっと待った……。君の頼みごとはなんか嫌な予感がする……。この間も僕を騙して良いように使っただろう」
「ちゃんとでかい女を紹介しただろうが」
「背のね。胸は小さかった……」
ローレンは恨みを込めた瞳でリットを睨んだ。
「その目は鏡の中の自分に向けろ。嫌なら出ていってもらうだけだ。頼み事ってのは、家の中にいても出来ることだぞ。匿う条件としてはうってつけだと思うけどな」
「もしかして……巨乳の女性が関係してるかい?」
「んな都合の良い展開が待ってるわけねぇだろ」
「これをどうにかするのを手伝ってくれ……」
リットはチルカに抱きついたままのシルフを指した。
「どうにかするって言っても……胸の大きさには限界があるよ。背中から寄せて集めても、それは胸じゃなくて脂肪。胸は胸だから巨乳っていうんだ」
「死ね」
チルカがテーブルに転がっていたナッツを投げると、シルフが協力して風を起こし、物凄いスピードでローレンの額へと飛んでいった。
ローレンは痛みに声を出して机に突っ伏すと「頭に穴が空いたかも……」と苦しそうに言った。
「オレも頭に穴が空きそうなほど悩んでんだ。チルカのとなりにいるのは、妖精じゃなくてシルフだ。どういうわけか、この家から出られなくなっちまった。チルカに好意を持ってるのが原因だと思うんだけどよ。なんか言ってやってくれ」
ローレンは「そうだね……」と真剣な顔でシルフを見ると、「どうせ化けるなら、もっと胸の大きい女性にするべきだ」とため息をついた。
しかし、その酒臭いため息はシルフの起こした風に押し返された。
「嫌い嫌い。あっちいけ」
「もしかして……本当にシルフなのかい?」
ローレンは急な強風に驚いて目を丸くした。まさか、精霊がリットの家にいるなんて思ってもみなかったからだ。
「そう言ってんだろ。巨乳な女がオマエを求めて待ってるから、すぐ家に来て抱いてくれとでも言ったと思ったか?」
「……是非そうであってほしいね。精霊に僕がなにをしろって言うんだい? 胸が大きいなら、精霊だろうが女神だろうが口説いてみせるけどね。精霊でも胸が小さいのはお断りだよ」
「少しは真面目に聞けよ……。いいか? 普通に考えてチルカが好意を持たれるのはおかしいだろ?」
リットの言葉にローレンが深く頷くと、チルカはイラついた舌打ちを響かせて二人を睨んだ。
「口も態度も発育も悪いからね。なんてひどい三拍子なんだ……」
「真実の愛とはなにかをシルフに教えてやれば。シルフはチルカに興味を失い家から出ていく。オレは日常に戻る。万事解決ってわけだ」
シルフが家から出られなくなった理由は、なにか成約が生まれたことによるものだろうとリットは考えていた。
リットの腕には新たにシルフに入れられた紋章が入っている。
精霊の紋章は約束事を交わした時に入れられてきた。ウンディーネはお茶会。サラマンダーとノームは安全に魔力を発散させるためと。
今回シルフに紋章を入れられたタイミングは、シルフがチルカに近付くためだ。
状況を考えると、チルカとシルフの距離感が約束事に関係していると思える。そして、ずっとチルカのことを好きと言っているので、それが愛ではなく別の感情だと気付かせられれば、約束事も反故に出来ると考えていた。
「愛を教えると言ってもだね……。本来、愛はベッドの上で語るものだよ、オークの童貞を捨てさせるのとはわけが違うんだよ」
ローレンは過去にヒッティングウッドという木を手に入れた時のことを引き合いに出して、そんなに簡単にいくことではないと肩をすくめた。
「なら、オレは愛の在り処をサンドラに教えるだけだ」
「わかったよ……まったく……」ローレンはめんどくさがりながらもシルフに「お嬢さん。少し話をさせてもらってもいいかい?」と話しかけた。
「チルカちゃん好き好き」
「なるほど……とても深いことを言っているね。愛というのは止められないもの。風が吹くのが当たり前のように、愛の言葉が吹き荒れるのは仕方がないこと」
「オマエ、バカバカ」
「まさしくだ。愛はちょっとだけ人をおバカにする。知らなかったよ……シルフって言うのは愛を司る妖精だったんだね」
「風だ。バカ野郎。てんで役に立たねぇじゃねぇかよ……」
リットは酒を一口煽ると、これみよがしにため息をついてみせた。
「精霊と話をするって考え方自体がおかしいんだよ。土台無理な話さ」
「そうでもねぇよ。でもな……」リットはシルフを見て首を傾げた。「コイツってバカなのか?」
今まで出会った精霊達とは、もっとしっかり会話が出来た。話を聞かない。自分勝手ということはあったが、もっと長い言葉で意思の疎通が出来ていたはずだ。
それに比べてシルフは言葉が短い。まるで単語で会話をしているようだった。
「まぁ、ちゃんと喋れるほうから話を聞いたほうが早いさ。なにがあったんだい?」
ローレンはシルフではなく、チルカに話を聞くことにした。
なぜここへ来て、なぜシルフに追われていたのかを。
チルカの話ではシルフは突然やってきたという。
リゼーネ近郊にある迷いの森で、いつものように他の妖精達とお話をしていた。内容はくだらないうわさ話だ。
特に最近ではリットの話が多かった。なぜなら、現在リットの庭は森と認識されてしまい。妖精の管理が必要になってしまったからだ。
チルカだけではなく、迷いの森から定期的に妖精が来ることになっている。そうしなければ、妖精は森を捨てたということになり、太陽神の加護が受けられなくなってしまう。
太陽神の加護が受けられないということは、疑似光合成で栄養を得られなくなり、病気になり弱って死んでしまうのだ。
これはエルフも同じことだが、エルフの場合は太陽神の加護が受けられなくなった者をダークエルフと呼び、太陽に焼かれ肌も髪も黒くなってしまう。そして、疑似光合成で得られない栄養を、肉を食べて補うようになった。
そういう理由から、リットの家の中庭での話が多かった。
管理の為に妖精が森から森へ移動するのは珍しいことではないが、人里にある森というのはまずないので、妖精にとっても今回の事例は新鮮なことだったのだ。
なので今が旬の話題と言うのは、その近くにいるリットやノーラの話が多くなるのだ。それも、妖精特有の尾ひれはひれを付けた誇張された噂だ。
しかし、いつもの噂話とは違い、その二人をよく知るチルカがいるので、いまいち噂話の広がりは悪かった。
いつからか、噂話は完全なデマ話の創作に切り替わり、その中で面白いと思ったものをチルカが校正して改めて噂話として流すというものになっていた。
チルカが校正するということは、リットの立場は面白おかしいものになる。言わば道化や、やられ役だ。そこに自分の活躍を勝手に付け足すものだから、チルカはいつしか妖精会の大立者になっていた。
その噂は妖精から妖精へ、風にのって別の森へと広がっていった。
そんな風のうわさをシルフも拾ったのだ。そんなに凄い妖精がいるならひと目見てみたいと。
そうして突如現れたシルフに追われたチルカは、迷いの森からリットの家まで、何十日もかけて逃げきたわけだった。
というのが、チルカの言い分だ。
「……オマエが流す噂ってのはよっぽどえげつねぇんだろうな。助ける気が失せる……」
リットは窓越しの妖精達にチラチラ見られていた理由がわかったので、いっそシルフごとチルカを閉じ込めて困ってる様を肴にするのも悪くないと思っていた。
「内容を聞いてないうちから判断しないでよね。まぁ、内容は言わないけど。もしかしたら物凄い褒めてるかも知れないでしょ。内容は言わないけど」
協力が得られなくなったら困るので、チルカは頑なに内容を言わなかった。それだけでも、どれだけリットに不都合な噂を流していたかわかる。
「つーかよ、この辺の四精霊の管轄から逃げればよかっただろ」
「アンタねェ……。過去の私の話をなにも聞いてなかったわけ? 森を捨てたら太陽神の加護が受けられなくなるでしょう」
「少しくらいなら平気だろ。オレにくっついて、さんざんあっちこっち行ってきただろうが」
「シルフが忘れるまで、ずっと別のところにいろっての? それを森を捨てるっていうのよ。バカね」
チルカがため息をつくと、その隣でシルフがリットに向かって指を差した。
「人間、バカバカ」
「……すぐ忘れそうだぞ。頭が良いとは思えねぇからな」
リットが酒を飲んで喋ると、今度はローレンが喋りだした。
「そもそもシルフって言うのは男なのかい? 女なのかい?」
「精霊に性別なんてあるわけないでしょ。私が近くにいたから、妖精の姿を真似て人前に見せてるだけ。精霊に実態なんてないんだから」
「それは……胸の大きな女性の姿を見せたら、その姿を真似られるということかい?」
「頷きたくないけど……そういうことよ」
「僕は今――精霊に可能性を見たよ。つまり四精霊が集まれば、僕好みの女性四人に囲まれることも可能ってことだろう?」
「アンタ懲りてないわけ? 影メイドの時からなにも変わってないじゃない」
「そんなことない。僕は臨機応変に変わるよ。まるで手の中で形を変えるおっぱいのように……」
「人間、バカバカ」
ローレンを指差すシルフに、チルカは呆れた顔で納得した。
「そうね……」
「まぁ、グリザベルに手紙を出しといてやるよ。聞きてぇこともあるしな」
リットは酒を継ぎ足しながら言った。
「アンタがこんなに頼りに思えるなんて……私も焼きが回ったわね……」
「ところで――」と今まで黙っていたノーラが突然口を開いた。「身近な問題は解決しなくていいんスかァ?」
「なんだよ、身近な問題ってのは。チルカ程度の顔でもモテるのが不思議ってことか? それなら、答えは世の中が出してる。ゲテモノ好きもいるってことだ」
「なるほど……アンタが独身なわけね。ゲテモノ以下」
「そうやって、いつものようにじゃれ合うのも結構ですが、今夜どこで寝るつもりっスかァ?」
ノーラは散らかったままの部屋を指した。
チルカとシルフが暴れたままになっているので、足の踏み場もないほど散らかっている。二階も同じだ。家具は倒れ埃が舞い。とても寝られるような環境じゃなくなっていた。
「私は裏庭があるもの」
チルカはしてやったという顔を浮かべて言ったが、リットも同じ顔を浮かべて裏庭へ続く窓を開けた。
「どうぞご自由に」
「言われなくても自由にするわよ」
チルカはべーっと舌を出して窓へ向かうが、顔をぶつけてしまった。
リットが窓をしめたわけではない。ここも見えないなにかに封鎖されてしまっていた。
「嘘! ここアンタの家でしょ!?」
チルカは絶望に顔を歪めると、見えないなにかを叩くようにして必死に外へ出ようとした。
「オマエが教えてくれたんだろ。庭は森になったって」
「じゃあ、私は草花や木と戯れることも出来ないわけ!?」
「柄じゃねぇだろ」
「そんなわけないでしょ! 私を何だと思ってるのよ!」
チルカは一大事だと吠えた。
森で生まれ育った妖精のチルカにとって大事なのは太陽だけではなく、植物も同じくらい必要なものだった。
イサリビィ海賊団の船に乗っていた時も、海の上という植物がなにもない状態だったので、チルカは参ってしまっていた。
リットの家の庭というのは一度も手入れされていなかったので、家の食器棚で寝泊まりしても、すぐに自然のままの植物がある場所へ行ける状態だった。
それが出来なくなってしまったので、チルカは慌てているのだ。
「大丈夫っスよ。毎日私がお花を積んできてあげますから」
「花は摘み取られた時点でもう死んでるのよ……」
「なんだ、ならお似合いじゃねぇか」
リットが笑うと、ローレンも横でケラケラ笑った。
「この酔っぱらいども……」というチルカの恨み言も、酔っぱらいの笑いにかき消されてしまった。